行き倒れの龍【三】
紫嵐は琥珀たち一家の暮らす屋敷で療養することとなった。薬師も泊まりでの看病を申し出る。
没落貴族の我が家よりも、長老の家の方がよほど部屋数もあるし、使用人も多く快適であろう。実際、紫嵐が青龍族の有力者であると見た長老の孫息子は、自分の家に来るように熱心に誘っていた。琥珀や琥珀の両親のことを心底侮っているのである。
だが、紫嵐は頷かなかった。標的を薬師に移すが、「長老様のお屋敷の方が、何かと行き届いておりますので」と、医療者の立場から勧めると思われた彼は、首を横に振り、琥珀の家での静養を申し渡したのであった。
薬師は森の中から、手紙を脚にくくりつけた鳥を飛ばしていた。店で留守番をしている弟子を通して、琥珀の父に紫嵐のことが伝わっていた。簡素な車に乗って街へとやってきた紫嵐を、父は最高の礼をもって迎えた。
「この度は、我が息子である琥珀が失礼いたしました」
「うむ」
寝台の上で詳しい診察と治療を受け、母が用意した寝間着に着替えた紫嵐は、父の平身低頭の謝罪と挨拶を、たった一言で流した。もっと何か言うことがあるだろうし、父は父で、開口一番、息子の失態を詫びるというのもおかしな話だ。だいたい、自分は紫嵐に対して無礼なことをしたつもりはない。第一発見者として、十分すぎる対応をした。
「父さん、俺は……」
食ってかかろうとした琥珀を、父は視線だけで制した。田舎の役場で閑職に追いやられているとはいえ、彼は都で鳴らした貴族であった。子どもの時分に没落した琥珀は知らない、貴族の子息として当たり前に身に着けるべき態度や威圧の出し方を、父はよく知っている。たとえ普段は発揮することはなくても、今でも行使することができるのだ。
琥珀はぐっと詰まり、引いた。後ろには母親が控えていて、父と同じく、紫嵐にへりくだっている。
「青龍族の掟に則り、その
森で「嫁」と言われたのは、空耳ではなかったらしい。親に向かってはっきりと、琥珀の身をもらい受けると紫嵐は告げた。まるきり求婚だが、琥珀は完全に話についていけていない。どうして自分が男の元に嫁がなければならないのか、口を挟もうとしては、母に袖を引かれて止められる。
父は小さく頷き、「しかし」と、反論を始めた。さすがに一人息子が嫁をもらうのでなく、嫁に行くのは、いかに優しくのんびりとした父親でも、防がなければならないと、戦う気でいるのだ。
「その前に、確認させていただけますか?」
「ああ、いくらでも」
寝台に寝そべった男は、面白そうな目で琥珀たち親子を見てくる。気に入らないと睨みつけていれば、父が目の前に立って遮る。
「父上……」
自分の味方をしてくれるに違いないと思っていた父親の表情は、普段の柔和なものとは違い、険しいものだった。眉間に皺を寄せ、目を尖らせる。物心ついたときから困ったような笑顔の父しか知らない琥珀は、有無を言わさぬ迫力に押されて何も言えなかった。
「琥珀。お前、紫嵐様の鱗を持っているか?」
詰問に、胸の辺りを無意識に押さえた。そこには確かに、紫嵐の首から剥がれた鱗が入っている。見せなさい、と言われて、琥珀はすぐに取り出した。
「これが……」
恐る恐る取り上げた父は、光に透かすなどして、じっくりと観察する。それが本当に、紫嵐の言うところの逆鱗であるか否かを確認している。
「そんなに見ても、逆鱗かどうかそなたらにはわかるまいよ」
紫嵐の見た目は琥珀とそう変わらない。にも関わらず、彼の言葉や態度はずっと年上のようだ。自分の父と同世代であろう琥珀の父に対しても臆せず、不遜な態度を取り続ける。
紫嵐にそう言われても、しばらく粘っていたが、やがて諦めた。父は紫嵐に鱗を返すと、深々と頭を下げた。
「紫嵐殿下の仰せのままに」
「父上! なんで……っ」
悲痛な叫びによる問いに答えたのは、紫嵐であった。
「お前が剥がした私の鱗は、ただの鱗ではない」
逆鱗。それは、青龍族の身体にある、特別な鱗。他人には触れることすら許されず、触った者には容赦なく攻撃をする。人型のときにも首筋に残り、そこを守るため、青龍族は首の保護をするのが一般的だ。庶民は布を簡単に巻きつけるだけだが、富裕層はそれぞれに贅と趣向の限りを尽くした首飾りをわざわざ製作する。
いわゆる急所であると、琥珀は理解した。けれど、ぽろっと落とす前から傷ついて、ボロボロであったことまで自分のせいにされては困る。
何もわかっていないのだな、と紫嵐は薄く笑った。冷たい表情で、こちらを馬鹿にしているとしか思えない。
説明の後を引き継いだのは、真剣な顔をした父だ。その目には、哀れみが宿っている。
「大切な逆鱗を剥がした者はすなわち、その青龍族と婚姻関係を結ばなければならない掟なのだ」
「は」
何度目かの絶句。琥珀はどうにか思考を巡らせ、父の言葉を反芻する。
自分以外に逆鱗を触れさせてもいい、剥がして渡してもいい。そんな相手は、永久の愛を誓った者だけである。青龍族はいにしえからのしきたりで、婚約の際に逆鱗を相手の手で剥がさせ、与えた。お互いに青龍族であれば、交換した。
「そんな、あれは事故で! 最初からほとんど剥がれていた! 俺は手当てをしなきゃって思って……!」
恩を仇で返された。そんな気分だ。必死に反論する琥珀の意見は考慮されることがない。父は首を横に振り、「事故であったとしても、すでに逆鱗を失った紫嵐様は、他のお相手を探して結婚することもできない。お前が責任を取るしかない」と諭してくる。
「でも、俺は男で! あいつも男だ!」
琥珀は一人息子で兄弟はいない。向こうは青龍国の王子だというから、血を残す義務がある。男同士では、子を成すことはできない。至極当たり前の理論で、どうにか回避することはできないか。
琥珀の考えは甘く、紫嵐には鼻で笑われる。
「私は第五王子だ。王位継承する可能性など、ほぼない。血を繋ぐ必要もない。結婚するつもりすらなかったが……こうなっては仕方がないだろう」
「仕方ないって……」
家族を何よりも大切にする、愛情深い白虎族の家庭に生まれ育った琥珀には、紫嵐の何もかもが信じられない。今までいい雰囲気になった女性はいても、恋人として付き合うまでには至らなかった自分も、いつかはきっと、結婚して子どもを作って……という夢想をしていた。
この男には、家族への情や憧れというものがないのだろうか。
疑問と、わずかに心配を込めた金の目を向けられている紫嵐は、なんとも思ってなさそうな風である。
「とにかく、お前が私の逆鱗を最終的に剥がしたのは事実。伴侶となることは不可避なのだ。諦めろ」
諦められるわけあるか!
琥珀は「でも」とか「だって」を繰り返す。父も諦念に満ちた目をして肩を落としている。膠着状態を打ち破ったのは、それまで口を挟まずに黙っていた、母親だった。
彼女は琥珀の腕を取ると、客間から出そうと強く引っ張った。母は自分よりもずっと小柄で力も弱いはずなのに、なぜか琥珀の抵抗をものともせず、ずるずると扉の前まで引きずる。
「母上! 何を……」
にっこりと微笑んだ彼女の目は、興奮の色を帯びていた。そしてその笑顔のまま、紫嵐や夫の方を見て宣言する。
「婚儀は一週間後でよろしいですか?」
「は?」
突然の妻の暴走に、父は目を丸くする。紫嵐もあっけにとられていたが、気を取り直すのは彼の方が早く、喉の奥でくつくつと笑った。
「私の方は構わない。傷もその頃には、回復しているだろう」
いや、俺は構うんだが!
口を開きかけた琥珀より早く、一歩前に出て礼をした母が喜々として応える。
「それでは、息子の準備をこれより始めますので、我々は失礼いたしますわ。紫嵐様におかれましても、傷が治りましたら、婚礼のお衣装の準備をさせますゆえ、まずはご養生を」
一息に言うと、琥珀の尻をぎゅっとつねってそのまま外へと促す母に逆らえる男は、その場にいなかった。
――そして一週間後の今日、街を挙げての盛大な婚礼と相成ったわけである。
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