行き倒れの龍【二】
木楊が呼んできたのは薬師だけでなく、体力の有り余っている若者たちもいた。その人数をもってしても、龍の姿のままでは、砂流の街まで運ぶことは不可能であっただろうから、人型に変化するだけの体力が戻ってよかった。
「結構だ」
森にやって来たのは、例の長老のところの孫息子もいて、彼が肩を貸そうとしたが、すげなく断られている。
薬師に手渡された布で身体を覆った青龍族の男は、じっと琥珀を見つめた。視線が衣服を貫いて、胸元に隠した鱗を睨まれている気がして、さっと身体の向きを変える。
「お前が手を貸せ」
「は?」
なんで俺が。
自分以外の人間に介助を頼むために、木楊に人を呼ばせたのだ。小柄かつ一応貴族の琥珀は、他人の介助をした経験がない。
薬師に目を向けると、彼はおどおどしながらも、男に意見する。
「その、なぜ琥珀様をご指名なのでしょうか?」
元々はもっと大きな街に店を構えていた薬師である。貴族のお抱えであったこともある。彼は正しく、目の前の男の位を経験から把握している。
男は言葉では答えなかった。ただ、首の左側を指す。そこは龍人の証たる鱗が剥がれた証拠に、色が変わっていた。琥珀の手元にある鱗、彼の言うところの逆鱗が生えていた部分である。
その瞬間、薬師はハッとして、頭上の耳を震わせた。尾がぶわりと膨らんで、驚きを表している。そのまま琥珀に目をやると、慌てた様子で詰問してくる。
「琥珀様! まさかあなた様、こちらのお方の逆鱗を、剥がしてしまわれたのですか!?」
「え? あ、ああ……いや、わざとじゃないんだ。手当てをしようと触れたら、ぽろっと」
無理矢理剥がしたわけじゃないと言い訳をするが、薬師はあまり聞いていない。頭をガシガシと掻きむしったかと思うと、地団駄を踏む。常に冷静な彼のありえない態度に、琥珀だけじゃなく、一緒に森に来た連中も目を丸くしていた。
「そ、そりゃ悪かったとは思うけどさ」
「悪かった、じゃすまないんですよ! ああ、お館様になんと説明すればよいのでしょう!」
取り乱す薬師をよそに、青龍族の男の目は凪いでいた。喜びも悲しみも、どこかへ消え去ってしまった、無の感情。いや、努めて無であろうとしているのだろう。琥珀にはわかる。ご立派な身分の御方というのは、たいがい自身の気持ちを隠すのが上手いものだ。
彼が秘めているのは、怒りや憎しみなんて簡単な言葉では表せない。もっと強い、憤怒や憎悪。そしてその礎となっているのは、絶望。そんな風に感じた。
「お前、名前は?」
「琥珀、だけど。そういうあんたは?」
琥珀のぞんざいな口調に、薬師は「ひぃ!」と悲鳴を上げた。うるさい外野について、男は無視を決め込む。
「私は、
「紫嵐……」
遠い昔、よく似た名前の知り合いがいたな、と思う。そういえば、あの子も青龍族であった。目の前の男とは似ても似つかない。白銀の髪をした、愛らしい顔立ちの子ども。彼も青龍の賓客であった。今頃、どこで何をしているのだろう。
過去の記憶に引っ張られていると、「おい」と、思ったよりも近い場所で低い声が聞こえた。見上げれば、すぐそこに紫嵐がやってきている。白虎族の若者と比べても、ひときわ背が高い。青の目を睨め上げるには、肩や首が痛くなってしまう。
琥珀が凝りをやわらげるために首を左右に倒していると、頬に触れられた。指先が固くなっていて、自分と似ていると思った。ああ、この男も苦労して生きてきたんだな、と同情心が湧いた。
じっと覗き込まれるとこそばゆく、けれど視線を外したら負けのような気がした。なんだか妙な雰囲気だな、と琥珀がむず痒く感じていると、ぱっと手が離れていく。
「嫁にするには、少々生意気そうだが……まぁよい」
「……は?」
たっぷりの間を置いて、琥珀は間抜けな声を上げた。
なんだかとんでもない言葉を聞いたような気がするが、気のせいか?
いや、空耳とするには、周囲のざわめきが異様である。琥珀のことをあまりよく思っていない連中は、親分に倣って馬鹿笑いをしていて、紫嵐の言葉の意味を考えようとする集中力の妨げになる。
嫁? 嫁と言ったか、この男!
目が大きく、小柄で細身というだけで、琥珀は女扱いされ、馬鹿にされることもあった。「若」という呼び名は、「馬鹿」ともじられるか、「姫」と軽んじられるかのどちらかであった。初対面の男、しかも彼の命の恩人であるにも関わらず、女扱いをされるなんて、ひどい侮辱である。
「あんたさぁ」
文句のひとつやふたつぶつけないと気が済まないと尻尾を鞭のようにぶん、と振って地面を叩く琥珀を、薬師と木楊が必死になって止める。
「紫嵐様。そのお話は、琥珀様のご両親の前でどうぞ、ゆっくりといたしましょう! まずはこの森を出て、傷の手当を」
促された紫嵐は、最後の最後まで琥珀を見て、「ふ」と、鼻で笑い、薬師の先導によって、森を脱出する。
「……なんだ、ありゃあ!」
怒りを爆発させる琥珀に、げらげらと性格の悪い笑い声が、蝉時雨に負けないくらい響いた。
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