行き倒れの龍【一】

 西を治める白虎国は、砂と岩の国である。

 過酷な環境だが、水源が豊富な地域には木が密集して森となり、人が居住する街ができる。白虎国の首都・森羅しんらほどとは言わないが、琥珀が慎ましく暮らしている西の外れの街、砂流さりゅうにも、ささやかながら森が隣接している。

「琥珀様。まだ奥へ行くんですか?」

 まだ一里ほどしか歩いていないというのに、従者の木楊もくようは疲れ果てていた。彼の声は弱り、か細かったが、頭上の虎の耳は高性能で、きちんと拾い上げて琥珀は振り返る。

「当たり前だろ。奥まで行かないと、まともなもんはないんだよ」

 白虎国は他国に比べて豊富な鉱物資源がある。鉱山には資格を有する者しか入ることを許されず、いわゆる没落貴族である琥珀の家は、割って入ることができない。父は砂流の役場で働き、母は織物をして生計を立てている。放蕩息子を自認する琥珀だが、家訓は「働かざる者食うべからず」なので、こうして森に日参していた。

 頭もよくない。腕っぷしはそこそこあるが腐っても貴族、それも末席とはいえ王家に連なる血の人間が、他の権力者の用心棒になることは到底許されない。猟のできる時期は弓矢や罠を携えて森の小動物たちを狩り、夏の禁猟期は薬草や木の実の採集を行い、家計を助けている。

「ったく、だからお前を連れてくるのは嫌なんだ」

 飛び出た木の根に躓いた木楊に手を差し伸べ、ぶつぶつと文句を言う。琥珀が生まれたときから傍にいる彼は、しゅんと肩を落として、「申し訳ございません……」と、力なく言った。

 そもそも両親は、どうしてこの男を自分の従者にしようと思ったのだろう。物心ついたときには、すでに木楊は自分の隣にいた。両親は「拾った」とだけ言って、多くを語らなかった。

 木楊に持たせていた荷物を自分で持つことにする。結局こうなるのだから、家を出るときから自分で持つと言っているのに、木楊は頑なに、「これが従者の務めですので」と譲らない。

「すいません……私が非力なばかりに」

 通常、白虎族は腕力や走力に優れているし、体力もある。木楊が「耳無し」で、劣っているせいだった。

 長老の孫のところにも、従者というか舎弟が何人もいる。彼らは屈強な肉体を持っていて、ひ弱な木楊しか控えていない自分とは大違いで、いつも恥ずかしい。琥珀は小さく舌打ちをするにとどめた。木楊自身が、自分のことを情けない、ふがいないと思っているには違いないので、必要以上に追い打ちをかけることもない。

「ほら、行くぞ。あと少ししたら、お前は荷物の番をしながら、休めばいい」

「は、はい!」

 にわかに元気を取り戻して微笑みを浮かべた木楊の歩幅に合わせると、ひとりで歩くときの倍は時間がかかってしまう。できれば早めに、現場にたどり着いておきたかった。

 午前中、太陽は出ているものの、いやな風が吹いている。ビュウロロロロ、と怪しげな音の風に、木々がざわめいている。小鳥がほとんど飛んでいないのも、気になった。天気が急変する予兆か、それとも他に、この森で「何か」が起きているのか――……。

「こ、琥珀様ッ!」

 再び遅れ始めていた木楊の切羽詰まった呼び声に、今度は蛇でも出たかと、若干うんざりしながら琥珀は振り向く。

「あ、あれを」

 木楊が指し示す方向を見て、琥珀は金色の目をぱちぱちと瞬かせた。

 そこに寝そべっているのは、巨大な龍であった。黒い鱗の中に、ちらほらと白銀が見え隠れする、鬣の色も漆黒の、まるで夜の王。

「おいおい……青龍族かよ」

 中央にある貴山きざんを挟んで対極、東を治める青龍族は、その名の通り、龍の化身である。普段は白虎族と同じで、顔や体の一部に鱗を残した人型を取る。天帝に仕える四神の化身たる四種族は、力が強ければ強いほど、本性が獣型の方に寄る。

 目の前で黒い丘のようになっている青龍族は、荒い息を吐き出し、意識もほとんどない様子だ。いかにも弱っている状況で、人型を取ることができないということは、この龍人は、相当の力の持ち主。四神の直系たる青龍王家の人間である可能性すらあった。自らも薄まっているとはいえ、いにしえの白虎王の血を引く琥珀は、龍の呼気が衝撃波として肌を突き刺す感覚を、はっきりと感じ取っている。

 貴山から遠く離れた街のはずれの森に、どうして青龍族が行き倒れているのか。都を離れて十数年、この街で青龍族を見るのは初めてだ。

 万が一、ここでこいつが死んだとしたら……。

 琥珀が馬鹿でも、そのくらいわかる。今の青龍王家は好戦的で、四国仲良く、という現状を良しとしていない。自分の身内が白虎国で死んだとなれば、まずは調査の名目で軍を派遣する。そうすれば、証拠の捏造など簡単だ。都ではなく、西のはずれの街であるのも好都合だ。たいした対抗手段も持たないのだから。

「木楊、走れるか?」

 龍が目を覚ましたとき、平民の上、耳無しの従者がうまく立ち回れるかどうかわからない。街に戻り、助けを呼ぶだけの体力があるかどうかを確認すると、彼は力強く頷いた。

「この脚がちぎれようとも」

「なら行け!」

 返事もそこそこに走り出した木楊を見送り、琥珀は龍を見上げた。木楊が人を連れて戻ってくるまでの間、できる限りの手当てをしなければならない。

幸いここは、薬草の生い茂る森だ。日銭を稼ぐために必死で覚えた怪我や気つけに効果のある草をありったけ摘む。本当は薬師に調合してもらわなければ、その真の効果を発揮しないが、仕方ない。

 手早く小川で清めたところで、途方に暮れかける。すり潰したり煎じたりする道具はない。あるのは瓢箪に入れてきた、飲み水だけだ。

「ちくしょう」

 思いきりがいいのが、琥珀の自覚する長所だ。もちろん、考えなしにもほどがあると注意される場面も多々あるが、ここで自分がやるべきことは、ひとつである。

 目の前の龍を、助けなければならない。命が失われることは、あってはならない。

 この国を危険に晒したくないのはもちろんだが、何よりも、目の前で助けられるかもしれない命を見殺しにするなど、琥珀にはできない。

 琥珀は準備した葉を口の中いっぱいに頬張った。奥歯ですり潰し、ある程度細かくなったところで、水を含む。そのまま龍に近づいていって、苦しげに喘いでいる大きな口をじっと見る。むき出しになった牙と牙の隙間を狙い、口中でどろどろになった薬草を、流し込んでいく。

 すべてを飲み込む力は、ないかもしれない。なるべく口内にとどまるように流し込んで、琥珀は残りをペッと地面に吐き出した。

 気付けに効果のある薬草は、苦かったり酸っぱかったり、極端な味がする。まずくて口の中が痺れている気がする。この大きな体に効くかは微妙なところだが、あとは木楊が呼んでくる薬師任せだ。

 今度は傷の治りを早める薬草を、直接貼りつけていく。全部を覆うには枚数が足りないから、ひどく出血しているところだけ。それにしても、集めた薬草はギリギリだろう。

「いったい何があったんだ?」

 青龍族に喧嘩を売る他種族はいない。血の気の多い白虎族ですら、負けは目に見えているから手を出さない。喧嘩を吹っ掛けようとするのは、自殺志願者くらいだろう。

 ならばこの怪我は、青龍族同士でやりあった、ということになるのだろう。それも貴族、あるいは王族同士。

 血縁者と生きるか死ぬかの決闘を演じるなど、身内への情を大切にする白虎族には、信じられない。とんでもない失態を犯した琥珀ですら、元の名を剥奪され、都を追放されるに留まったくらいだ。

 一生懸命に手当てをする琥珀は、ふと、剥がれかけている鱗に気がついた。ちょうど、龍の首の辺り。周囲と同じ黒かと思ったが、少々色合いが異なっている。漆黒というには、光が強すぎる。木々の間を縫って差し込んでくる太陽によって、虹色に輝いていた。

 都にいたころの琥珀の家は、裕福であった。金銀財宝、宝石の類いは非常に身近なものだった。

 そのどれとも違う魅力で、鱗は琥珀を強く惹きつけた。貴石を遊び道具として育っても、興味は一切なかったのに。

 これ以上剥がれないように押さえて、薬草を上から貼るべきだ。わかっていた。けれど、手を伸ばしてしまった。

 指先が触れた瞬間、虹の鱗は簡単に落ちた。

「っ! あー!」

 やってしまった。

 正気に戻り、顔を青くするも、今さら遅い。地面に落ちたのを拾い上げ、どうしようどうしようと、右往左往する。鱗が剥がれ落ちた首元を見れば、血はほとんど流れていなかった。

「と、とりあえず手当て……」

 自分がやったのをごまかすため、琥珀は鱗を懐に入れた。なんだかぽかぽかと暖かく、冷血な龍の印象とそぐわなかった。

 残りわずかな薬草を手にしたとき、小山のような龍のからだが揺れた。

 地面が鳴るほどの、咆哮――。

 驚き怯え、琥珀は身体を動かせない。

「こっち! こっちです! 早く!」

 少し離れた場所から、木楊の声がした。遅い。もっと早くに来てくれたら、鱗を剥がしたりせずにすんだかもしれないのに。八つ当たりの気持ちが膨らんで、「木楊!」と、叱責の声を上げかける。

 しかし、琥珀はなにも言えなかった。

 龍の目が、こちらを見ている。聡明で静かな青い目は、怒りを湛えている。少なくとも琥珀には、そう感じられた。視線が痛かった。

「逆鱗を剥がしたのは、お前か」

 問いかけではなく、確信であった。頷くことしかできない琥珀に、龍は大きく溜め息をつき、次の瞬間、彼は人型になっていた。

 美しく、逞しい男であった。


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