(4)騎士

 次の瞬間、絶叫と共に聖堂騎士団の団員が転ぶようにして駆け込んできた。

「げ、猊下! 王都の聖堂騎士団が、潰滅寸前でございます!」

「……?」

 枢機卿は団員の言葉が理解できず、物憂げに立ち上がった。

「もう一度、落ち着いて言え。何がどうした?」

「と、突然現れた謎の男……いえ変質者が、たった一人で騎士団を……おふっ」

 全身鎧に身を固めた騎士団員が、突然どうと倒れた。

「枢機卿よ」

 その背後に立っていた男が、低い声で告げる。「クランス王国は、再び中立に戻った。そして、パラパ派とシトリ派の和睦を仲介する。兵を引け」

「なっ……」

 絶句する枢機卿。立っていたのは、顔を黒布で覆い、背に反りの無い片手剣を背負っている以外は、一糸もまとわぬ異形の全裸戦士だった。

「変態か!?」

「……忍者だ……遥か東方の異能の隠密戦士……」

 ゼーランが驚愕に眼を見張った。枢機卿が凄まじい速さで彼に向き直り、「知っているのか!?」と尋ねる。

「私も見たことはありません」ゼーランは呆然と立ち上がった。「だが、脱げば脱ぐ程防御力が上がる謎の戦士と聞いています。今まさにそこに立つ変態のように」

 再び枢機卿が変態に向き直った。

「お、お前が何者でも関係ない! 和睦など認めん、認めんぞ!」

「是非もなし」

 忍者は短くつぶやくと、低く滑るように枢機卿に向け駆け出した。

「騎士団よ、あの変態を殺せ!」

 さすがに精鋭の聖堂騎士団の動きは素早かった。厨房内に三人いた騎士団員は、ただちに枢機卿の前に壁を作り、忍者の突進を防いだ。いや、防ごうとした。

 最初に忍者に斬りかかった騎士は、右手の剣で忍者に突きを入れた。忍者はかわさず、一歩踏み込んでその腕を掴むや、外側に回して露わになった腕の内側に肘で一撃を加える。剣を取り落とし、バランスを崩したその騎士はそのまま引き倒され、重いヘルメットをかぶった頭部をしたたかに厨房の床に叩きつけられ、失神した。

「組打ちの形・腕殺し」

 低く鋭くつぶやく忍者を、第二の騎士の斬撃が襲う。忍者は一動作で姿勢を整えると、斬りかかってくる手元に身を入れ、空いている脇に肘で当て身を入れる。そのまま左手で甲冑の襟元を掴んで引き倒すと同時に、右手を大腿部に入れて持ち上げた。梃子の原理でくるりと回転した騎士は、やはり重い頭を床に打ち付けて失神する。

「組打ちの形・俵落とし」

 さすがに三人目は慎重だった。剣を構えて立ち止まり、忍者の動きを待つ作戦に出た。忍者も背中の刀を抜き、三人目と対峙する。

 その時、枢機卿お抱えの三人の精鋭調理人が静かに動いた。鍋と包丁を手に、静かに、ゆっくりと忍者の背後を取ろうとする。忍者は前方の騎士に神経を集中していて、背後の彼らには気付かない――。

 しかし忍者は、近くのテーブルに乗っていた皿をつかみ取ると、立て続けに背後に投げ放った。皿は狙いあやまたず、三人の頭部に命中して、彼らを昏倒させた。

「な……奴は、後ろに目があるのか!?」

「いいえ、猊下。おそらくあの忍者は、わずかな熱の動きを感じたのだと思います」

 驚愕する枢機卿に、ゼーランが冷静に解説した。「この厨房は今、竈から放たれる熱が循環しています。あの忍者は、三人が動くことで生じた熱の流れの乱れを感知したのでしょう……全裸なればこそ、可能なことです」

「ば、馬鹿な……」枢機卿は、初めて恐怖に駆られた。「そんな全裸の使い方が!」

「ええ、忍者ですから」

 ゼーランは冷たく指摘した。その間に、三人目の騎士が倒されていた――忍者の突きを騎士は剣で受け流したが、手元に飛び込んだ忍者は、踏み込んだ勢いのまま刀を回転させ、柄頭で騎士の顎を強打。のけ反る騎士をそのまま引き倒し、三人目の騎士も失神者の仲間入りを果たしていた。

「ゼーラン、私を守れ!」

 枢機卿は必死に叫ぶ、やむなくその声に応えたゼーランは、ゆっくり進み出ると、忍者の前に立ちはだかった。そして胸を反らし、騎士の名乗りを上げる。

「ロッファ王国シルフィナ王女付き近衛隊士、ゼーラン」

「忍びに名は無し、拙者の名乗りはご容赦願いたい……問う、貴公らは何故争う?」

 ゼーランは答えず、剣を抜いた。忍者は覆面から覗く目を細め、手にした刀を目の高さに構える。

「拙者がいた国は、遥か東方の島国だ」

「そのようだな」

「我々もまた、長年二派に分かれて不毛な争いをしていた――『きのこ』派と『たけのこ』派の、血で血を洗う抗争だ」

 ゼーランは剣を下段に構えた。「我らと同じ、か」

「拙者はたけのこ派の尖兵として必死に働いた。その甲斐あって、ついにきのこ派は根絶やしにされ、たけのこ派が統治する世が訪れた。だが、これで良かったのかと懊悩する日々が続いた」

 ゼーランは下段の構えから、突きの構えに移った。忍者もまた、腰を沈めた。

 勝負は一瞬だった。ゼーランの必殺の突きを、忍者はわずかに後ろに跳び下がってかわす。そして突いた剣を戻す動作に付け込んで、近衛騎士の懐に飛び込み――。

「ゼーラン!」

 シルフィナが叫んだ。忍者はゼーランを押し倒すと、刀を騎士の喉元に突きつけた。そして次の瞬間、猫のように跳躍し、枢機卿の間の前に降り立った。

「ひっ!」

「兵を引け。和睦交渉を無視するなら、クランス王の前に引っ立てる」

「だ、誰がそんなことを!」あくまで枢機卿は拒絶した。「だいたい貴様! 忍者のくせに、術も一つも使えんのか!」

「……では、忍術をお目にかけよう。高速で動くことで、相手が何人もいるかのように錯覚させる忍法、『分身の術』だ」

 そう言うなり、忍者は枢機卿の頭を両手でつかんだ。そしてその頭部を、おそるべき高速で左右に振る。

「あばばばばば」

「拙者が動かずとも、貴殿の目が動けば同じことだ」

 やがて枢機卿は目を回して倒れた。忍者は彼を捨ておくと、シルフィナに助け起こされているゼーランに歩み寄った。

「貴公らに問う。信じることは、何かを排することなのか?」

 シルフィナもゼーランも、はっとして忍者を見た。

「パラパラ炒飯かしっとり炒飯か。好みがあることは自然なこと。されど、自分の好みでなければ排除するという考えを、皆が持てばどうなる? 待つのは地獄ばかりではあるまいか」

「…………」シルフィナとゼーランは、無言で見つめ合った。

「拙者はそう申し上げて、クランス王を説得した。じきにこの大陸にも平和が訪れるだろう……貴公らは、その時いかがされる?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る