(2)戦慄

 シルフィナが連れ込まれたのは、城の厨房だった。中にはすでに、枢機卿配下の聖堂騎士団の団員が何人か立ち働いている。

「ここが一番よく火を使えるのでね。早速始めてもらおうか」

 枢機卿は拘束されたシルフィナを背の低い椅子に座らせると、ゼーランに命じた。ゼーランは無言のまま胸甲を外してシャツ姿になると、かまどの火加減を確かめはじめた。

「ふん、焼きゴテですか? 拷問としては月並みですね」

 ゼーランの背にシルフィナが嘲るような声を掛けたが、内心は恐怖に震えていた。

(怖い……っ! でも、わたくしはシトリ派の希望……こんなことで、パラパ派に転向したりはしない!)

 しかし、ゼーランが手にしたのは焼きゴテではなく、中華鍋だった。彼は鍋に油をなじませると、燃え盛る竈の炎の上にそれを置く。そして用意してあった米――あらかじめ卵をと混ぜてある――を、熱された鍋に手際よく放り込んだ。

「ま、まさか……」

「ふひひ、言ったでしょう? 貴女をパラパ派に転向させると」

 少し離れたテーブルに座る枢機卿が、絶望するシルフィナをにやにやと眺めた。その間にも、ゼーランは鍋を細かく揺すりながら、木のヘラで丹念かつ手早くご飯を炒めている。

「あの鍋さばき、一見するととても地味でしょう? ま、米を宙に舞わせながら炒めるのは、見世物としてはよろしい。しかし宙に舞う分、せっかく熱した米の温度が下がってしまう……米は高温で一息に炒めるのがコツだ。ああ失礼、貴女は十分ご存じでしょうな」

 しかしシルフィナは、枢機卿の言葉をほとんど聞いていなかった。彼女の青い瞳が見つめる先は、ゼーランの手の動き――角切りにした紅いチャーシューを片手で鍋に入れ、軽く塩を振り、刻んだネギをさっとお玉で撒き、同じくお玉で醤油をかけ回す――どう見ても、熟練の動きだ。

「ふほほ、驚いておられるようですな」意地の悪さを隠そうともせず、枢機卿が身を乗り出した。「あやつは幼少の頃から、筋金入りのパラパ派なのです。父親の食堂を手伝い、いずれは後を継ぐつもりで修業しておったのですが、何を思ったのか王宮騎士に志願した。そこを我々が間諜としてスカウトしたわけですが」

 そのゼーランは、仕上げに寸胴鍋からスープをすくって軽くかけ回してひと炙りすると、鍋の中身をお玉で皿に形よく盛り付け、レンゲを添えて静かにシルフィナの前に置いた。

「シルフィナ様。パラパラ炒飯でございます。どうぞお召し上がりください」



 シルフィナは無言で、湯気をあげる炒飯を見つめた。

(これが……パラパラ炒飯……)

 シトリ派、すなわち「しっとり炒飯」を至上とする彼女にとって、パラパ派の奉じるパラパラ炒飯などは禁忌以外の何物でもなかった。しかし今目の前にあるのは、醤油の香りも香ばしく、卵に包まれた米が美しく輝く、見るからに崇高なる味わいのパラパラ炒飯なのである。

「こ、断ります。わたくしを誰だと思っているのですか? シトリ派の……」

 そこまで言った瞬間、ゼーランが一歩進み出た。背の高い近衛騎士が立ちはだかると、椅子に座るシルフィナは圧倒されてしまう。ゼーランはレンゲをつかみ取り、炒飯を一口すくい取ると、王女の口元に突き付けた。

「いやっ!」

 反射的にシルフィナは首をそむけて拒絶する。しかしゼーランは、左手で彼女の鼻をつまんで強引に前を向かせた。

(なんて力……これが、男の人の……)

 シルフィナの知るゼーランは、力ずくで彼女を押さえつけたりすることは当然なかった。初めての行為の前に、深窓の令嬢は恐怖よりも驚きで身動きが出来ない。そして形の良い鼻をつままれてしまったことで、空気を求めて口を開けざるを得なかったその瞬間、レンゲが口の中に押し込まれた。

「……むぐぅ!! ん、んぐっ!」

「しっかり、味わってください」

 うめき声を上げるシルフィナに、ゼーランは感情を殺した声で命じた。そのまま一度レンゲを引き抜くと、新たに炒飯をよそって再度王女の口にレンゲを突っ込む。

「うっ! んふ、おぅうっ!」

「こぼさないで……しっかり、味わって……」

 口いっぱいにゼーランの欲望の証を含んだシルフィナは、喘ぎながら必死に咀嚼し、呑み込んだ。

(こ、これが……パラパラ炒飯……)

「口をあけてください」

 ゼーランのよく通る声が、シルフィナに命じる。半ば呆然としていた王女は、ぼんやりと口を開け、全て食べ終えたことをゼーランに示した。

「いかがでしたか?」

 無表情にゼーランが尋ねる。その言葉で我に返ったシルフィナだったが、口の中に残る炒飯の味――炎でかれた米と醤油の香ばしさ、卵とチャーシューとネギの異なる甘味、そしてしっかりした米の食感――の余韻で、言葉が出てこない。

「……い……や……」

 ようやく、シルフィナが言葉を絞り出す。それは、シトリ派の王女としての意地だった。「いや、いやっ! こんな、こんなの……炒飯じゃない!」

「ふむ、強情ですな」

 枢機卿は酷薄な笑いを浮かべながら立ち上がると、控えていた聖堂騎士団に合図を送った。「どうやらゼーランだけでは手に負えないようだ。加勢が必要だな」

「……猊下げいか、それは話が違う」

 ゼーランは静かに、しかし怒りを滲ませて抗議の意を示したが、枢機卿は軽く手を振ってあしらった。

「殿下を転向させるには不十分だったな。ここは数で攻めるのがよろしい」

 近衛騎士が再び抗議の声を上げようとしたその瞬間、厨房の入り口からぞろぞろと三人の男が入り込んできた。

「ふひひ、来やしたぜ猊下。そっちのめっちゃ美人さんが、例の王女様ですかい?」

「うれしいですね。こんな美人を好きに出来るとは」

「お、俺が一番先だからな!」

 鍋を手にした男たちが、口々に喚きだす。枢機卿は脂肪質な笑いを上げながら、男たちの声に応じた。

「来たな、我がパラパ派の精鋭調理師どもよ。そうだ、この麗しき女性が――」そう言って、卑しい眼をシルフィナに向けた。「シトリ派の希望の星、シルフィナ殿下だ。お前ら取っておきのパラパラ炒飯で、殿下を真の信仰に目覚めさせるのだ!」

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