宗派戦争最後の日~シトリ派の王女、堕ちるまで

倉馬 あおい

(1)裏切り

 中小の領邦国家がひしめく大陸中央部。二十を超えるこれらの国家群は、十年以上にわたって「シトリ派」と「パラパ派」の二派に分かれ、いつ果てるとも知れぬ長い戦い――後に第一次宗派戦争と呼ばれる戦争――を繰り広げて来た。

戦争が二十年目に突入しようとする前年、新王が即位した南のロッファ王国がシトリ派を糾合して一大攻勢に出る。これにより、戦局は一気にシトリ派優位に傾いたが、中央の統一を良しとしない西の大国・クランス王国が中立政策を捨てて介入。彼らはシトリ派でありながら、敵であるはずのパラパ派を支援したことで形成は逆転。数年でシトリ派は劣勢に追い込まれ、ロッファの王は失意のうちに没する。

あとに残されたのは、王の娘・シルフィナと、その弟でまだ幼少の次期国王のみ。徹底したシトリ派として育てられたシルフィナは摂政として弟を助けるが、シトリ派の劣勢を覆すことはできなかった。そしてついに、パラパ派の連合軍がロッファの王城を陥落させる――。



「う……嘘でしょう……?」

 後ろ手に縛られ、牢獄に幽閉されたシルフィナの前に現れたのは、パラパ派連合の事実上の支配者である枢機卿と、シルフィナ付きの近衛騎士であるゼーランだった。

「なぜ? なぜあなたが枢機卿と? まさか……そんな……」

「ふほほ、いかにも殿下。このゼーラン殿は我がパラパ派の期待の青年でしてな。最初から我々の間諜として、この王宮に仕官したのでございますよ。まさか王女付きの近衛騎士にまで出世するとは思っておりませんでしたながのう」

 たるんだ頬の肉を震わせ、唸るような笑い声をあげる枢機卿。その後ろに佇立するゼーランは顔を伏せていたが、かすかに肩を震わせていた。

「このゼーラン君はのう、我々がこの城をほとんど血を流さずに手にいれるためにいろいろと骨を折ってくれた。その褒美に何が欲しいと聞いたら、何と答えたと思いますかな? シルフィナ殿下よ」

 聖職者にあるまじき下卑た笑みを浮かべつつ、枢機卿は肩越しにゼーランを振り返った。「なんと、貴女が欲しいとはっきり言ったのです。およそ十年近くおそばに侍ってきた、ロッファ国王女・麗しのシルフィナ殿下が欲しいとね。ぐひひひ、もちろん私は受け入れました。ただし――」

 枢機卿は再び視線をシルフィナの美しい肢体に這わせた。「貴女をパラパ派に転向させることができたら、という条件付きでね」



 数瞬、間があった。最も信頼し、ほのかに好意すら寄せていた男の裏切り。その男が、自分を欲するがために国を売った。そして自分を手に入れるために、自分をパラパ派に転向させようとしている――。

「ふっ、ふざけないでっ!!」

 シルフィナは、長い金色の髪を揺らして叫んだ。

「ゼーラン、恥を知りなさい! わたくしは、誇り高きシトリ派の王女です! 決して、決してパラパ派などになるものですかっ!」

 ゼーランは顔を伏せたまま、身じろぎ一つせず王女の声を受け止めた。その隣で、豚のように鼻をヒクつかせた枢機卿が、残忍な笑顔でシルフィナに向き直る。

「おやおや、よろしいのですか? 我々には、大勢の人質がいるのですよ?」

 人質、と聞いてシルフィナは凍り付いた。まさか、この男は――。

「思い出していただけたようですな。王都の市民。王宮の兵士や官吏。そして弟君。姫が我々のお願いを聞き届けていただけないと、彼らのうちの誰かが命を……」

「卑怯者ッ!」

 シルフィナは後ろ手に縛られたまま、猛然と枢機卿に飛び掛かろうとした。だがその体が征服者に触れる前に、鍛え抜かれた筋肉質の身体に阻止された。今までずっと動かなかったゼーランが、シルフィナの体を抱き止めたのだ。

「シルフィナ様……」

「は、離せっ! 離せ裏切者!」

 自分で発したその言葉に、シルフィナははっと我に返った。あのゼーランが、優しく自分を見守ってくれていたゼーランが、裏切者なのだ……。

「よし、そのまま連れて行け」

 枢機卿は、愉しくて仕方がないという表情でゼーランに命じた。「殿下をパラパ派に転向させるのだ。お手並み拝見しよう、近衛騎士殿」

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