決着と望まぬ想いと想い合い2

 目の前に迫る死。


 受け入れがたくとも、俺の体は思うように動いてはくれない。


 目の前の大猿に集中し過ぎて、手下がいることを失念していた俺の落ち度だ。


 ヒーローのようにかっこつけて割って入ったというのに、なんとも無様な終わり方だ。


 大猿のこん棒が俺の眼前へと迫りくる。


 自分に落ちる大きな影に、逃れられない死を覚悟する。


 つまらない人生だったが、それでも最後の数週間は楽しかったように思える。


 何も成さなかった自分がこの森でサバイバル生活を送って、最期には誰かのためにその命を差出すことが出来たのだから。


 思い残すことがあるとすれば、結局そいつを救うことができなかったことだろう。


 最期は仲良く一緒にあの世行だ。


 視界がぼやけ、暗くなり、意識が遠のく。


 頭にはウサギに対する謝罪と戦いの中の重要なピースを見落としていた自分への激しい後悔が強く渦巻く。


 そして遠のく意識の中、うっすらと浮かび上がってくる親の姿。


 血の繋がりが無いにも関わらず、無気力な俺を大切に育ててくれた大切な育て親。


 こんなタイミングで親孝行しておくんだったなんて、あまりに遅い後悔が浮かび、すぐに意識の混濁に呑まれ消えていく。


 次第に光が消えていく視界。


 大猿とこん棒による影、消えかかる命の灯による暗闇。


 もう何も見えなくなった次の瞬間、俺を覆う闇を突然現れた暖かい光がかき消した。


 「…………ぁ」


 ぼやけながらも、しっかりと光を取り戻した俺の世界。


 肌を暖めるような光に体の痛みが少しずつ和らいでいく。


 目を焼くような突然の光に大猿は振るったこん棒の動きを急旋回させ、自分の身を守るように構え直す。


 「ピィィィィィィイイイイイイ───!!」


 あらゆる音が遮られていた俺の耳はその力強い鳴き声と共に機能を取り戻す。


 ウサギが大猿のこん棒に光を放つ角をぶち当て、思いもよらないその力に大猿は驚いた表情を浮かべて仰け反るように後ずさる。


 死に体であるにも関わらず放たれる生命力は太陽を思わせた。


 ウサギが鳴く。


 不思議なほどに響いたその声に、光る角が呼応。


 その光を浴びた大猿が苦し気に喘ぐ。


 それは、あの二体の生物と同じような光に思えた。


 不思議なほどに力強い信頼感が生まれる。


 群れのボスのピンチに駆けつけようとするも強い力に拒絶され、小猿達に怯えの表情が浮かぶ。


 止めだと言わんばかりにウサギが最後の攻撃を仕掛けた。


 高速の突進は大猿を致命足らしめるには十分だ。


 大猿の目線が追いついたのは、今まさに喉元目掛けて弱点目掛けて一撃を加えようとする直前、大猿の足元だ。



 反応の間に合わない大猿にその致命を避けるだけの時間はない。


 終わりが見えたその時、運命は残酷にも俺達へは微笑まなかった。


 跳ぶ寸前、ウサギを襲った激痛は跳躍を阻害。


 十分な威力には足らなかった。


 それは弱点への攻撃を叶えず、首ではなく、腹部への攻撃へと留まった。


 しかし、それでも大猿を内から焼いた光は、大猿に膝を着かせることに成功した。

 

 予想以上の消耗に大猿はその場に頭を垂らして動けない。


 「…………ピ、ピィッ」


 あと一撃。


 しかし火事場の馬鹿力でなんとか体を動かしていたウサギもここでその力を尽かす。


 あの不思議な光で体の傷は少し癒えたようではあるがそれでも満身創痍であることには変わりなかった。


 両者硬直。


 戦いの行方は先に起き上がった方の勝ちである。


 ウサギは鞭を打って体を起こそうと試みるが何度もその腹を地に叩きつけるだけの結果に終わる。


 気を失っていたであろう大猿が頭を上げた。


 一瞬呆けたような顔が瞬時に怒りへと変わった。


 立ち上がろうとこん棒を杖の代わりした大猿。


 「…………ぴぃ………ぅ」


 ウサギの声が弱弱しい。


 ダメージの差がここで響き、あと一歩のところで相手の命に届かない。


 遂に脚に力を籠めることすらできなくなったウサギが地に伏した。


 弱った瞳は大猿から離れない。


 体力は尽きようと意志は潰えていないようだった。


 「───十分だ。後は俺に任せろ」


 俺の声に大猿は慌てたように俺を見上げる。


 俺の立つ場所は既に大猿の真横。


 「俺を忘れるなよ大猿。仲良く武器を交わしてきたのは俺だろ?」


 構えるは大上段。


 目以外へと魔力を流し、強く踏み込む。


 踏み込みで生まれるエネルギーを余さず上半身へ流し込む。


 足から脚へ、脚から腰へ、腰から背中へと各所から生まれる力すら濁流のように飲み込み、その奔流は遂に腕へと渡る。


 あまりに大きな力に筋組織がぶちぶちと切れていく音が体を伝って聞こえてくる。


 大猿は今までの俺を、そしてまさか自分すらも大きく上回る巨大な力の波動に目をくり向き、意識のすべてを命を守る事へと費やした。


 完全に次の動作を考慮しない防御の構え。


 盾として十分な大きさのこん棒を自身の頭上へと構える大猿。


 大猿も知っている、俺が形振り構わず全身の力を総動員していると。


 大猿も聞いている、俺の一撃が諸刃の剣のように自身すらも喰らう音を。


 そして笑う。


 自分の持つこん棒が俺のロングソードを防ぐに十分な硬度を持っている事実に。


 俺との剣戟のすべてを、その欠片すらも零さずに成し得ていた事実に。


 これですべてを使い切る俺の最後の攻撃の後の自分の勝利に、大猿は今までで最高の嗤いを浮かべていた。


 俺はロングソードを振り下ろす。


 風すら置いて空気を裂いた俺の剣は大猿のこん棒とかち合った。


 俺の生み出した大きなエネルギーに大猿は表情を歪めるも防御の姿勢は崩れない。


 勝利を確信した大猿は、しかしその顔を一瞬の内に驚愕へと染める。


 こん棒にロングソードの刃が食い込んでいく光景と、僅かに靄を纏うその威容を目の当たりにして。


 地面を砕く破砕音。


 こん棒は二つに割れ、嫌な性格だった大猿は俺の剣の下に倒れた。


 ずしゃりと二つの音を立てて戦いは終わりを告げた。


 俺はその場に膝から崩れ落ち、剣を落とした。


 もう、握るだけの力がまるで残っていないのだ。


 俺は体を引き摺るようにしてウサギの下へと這う。


 ウサギの傍になんとか寄り、遂に動けなくなった。


 「よぉ、最後良いとこ持って行って悪かったな……」


 ウサギは口を動かすもその声は聞こえない。


 「お前、俺の事は今までさんざん助けてくれたくせに……自分が危なくなってもなんも言わねんだから水臭いよな……」


 「……次はもっと……早く、助け、求めろよな……」


 上手く力の入らない腕でウサギの頭を撫でる。


 撫でているのだろうが、いまいち感覚が鈍い。


 しかし、そんな手でも、ウサギの不思議な暖かさは伝わってきた。


 「ははっ、いいな……これ。あったけぇや」


 気持ちが和らぐような感覚が全身を包んでいく。


 これはあの時感じた肌を暖めるような、あの光のような優しい感覚。


 不思議と体の痛みが和らいでいくあの───


 俺はそこでウサギの体が僅かに光っていることに気付いた。


 「───おいっ、お前……っまさか───っ」


 俺は気づいた。


 それがウサギの最後の力であるということに。


 この感じる傷を癒す力が、命を燃やして振り絞る最期の力だということに。


 俺は慌てて手を退けた。


 その腕は軽く、ウサギの頭を撫でた感覚がしっかりと残っていた。


 「……お前っ!なんで!」


 俺は僅かに軽くなった体に、命が繋がった事に気付く。


 紛れもない、ウサギの命を貰い受けて。


 「………………ぴぃぅ」


 ウサギが鳴いた。


 今の俺の耳でも何とか聞こえる程度のか細い声。


 今にも消え入りそうなほどに弱弱しい声が示す残酷なまでの命の残量。


 それはもう今にも消えてしまってもおかしくなかった。


 「……なんで……俺なんかっのために……助けたくて、頑張ったのにっお前が死んだら意味ないだろっ!」


 顔色を取り戻した俺に安心するように兎はゆっくりと瞳を閉じた。


 「──────っっぅ!!」


 俺は言葉にならない声で───くそっ!くそっ!と悔恨を口にした。


 それでも心にぽっかりと空いた大きな穴を誤魔化すことは出来ず、俺は目に涙を溜める。


 「……く、そぅ」


 どれだけ後悔に苛まれようと現実は変わらない。


 内にこみ上げる後悔が言葉に漏れる。


 もっと早く助けに入っていれば。


 もっと注意を払っていれば。


 もっと、もっと強ければ。


 俺の激情を洗い流すように雨が降ってくる。


 「濡れたら、だめだ……」


 俺はもう動かないウサギを胸に掻き抱いた。


 少しでも濡れないように。


 少しでも温もりを与えられるように。


 俺のことはいいから、こいつだけでももうこう以上、酷い目に遭わせないでくれと。


 自分の体温が雨で冷たくなっていくというのに、腕の中のそいつはもっと冷たかった。


 俺はもうこんな訳の分からない世界で生きていかなくていいかと考えた。


 何もなくて、危険ばかりで、唯一少しだけ心を交わせたウサギですら、自分の未熟さのせいで失った。


 俺が諦観に呑まれた頃合いに足音が二つ、聞こえてきた。


 ───あぁ、新手か。それとも大猿の取り巻きだろうか。もういい。復讐するなら絶好のタイミングだろ?


 俺は一瞥もせず、運命を受け入れた。


 しかし一向に消えない意識に疑問に思い、目を開く。


 そこには二体の獣がいた。


 神々しいその姿は雨の中であっても威容であった。


 俺は兎を抱く腕に力を込めて覆いかぶさるようにして意識を失った。

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