嘲笑とツンデレ兎のあの日1
一対一の戦いでなら勝てると思っているのか、大猿は樹上からの急襲攻撃をやめ、俺と同じ目線に立っている。
地に足の着いた戦いはウサギによる脚の負傷によって厳しいのではないかと思ったが、既に大猿の脚の血は止まっている。
完全に機動力を取り戻したわけではないだろうが、それでも俺と真っ向から戦う判断をする程度には回復しているようだ。
いくら何でも回復が早すぎると思ったが、よく見ると、患部に多くの魔力を固めるようにして集めているのが分かる。
筋組織を補ったか、回復力を高めているのか、それともただの血止めかわからないが、効果的な魔力の運用のようだ。
俺はウサギの前に立ち、ロングソードを構える。
大猿は自分から仕掛けてこない。
俺は自分から攻撃を仕掛けることにした。
十メートルほどの距離を一呼吸の内に詰める。
ロングソードを上段から振るう。
大猿はそれをこん棒で受けた。
現状で振るえる全力の一振りは体躯の優れる大猿にとっても強い衝撃のようで、受けた体が後ろへと傾いだ。
大猿は一歩後ずさり、態勢を整える。
全力の攻撃を真正面からまともに受けられたせいか、衝撃が自分にも伝わり、手が痺れる。
先に硬直から立ち直ったのは素の身体能力に優れる大猿だった。
ロングソードを構え直そうとする俺よりも早く攻撃をするため、大猿はこん棒での攻撃でなく、己自身の武器での攻撃を選ぶ。
フックのように横から迫る爪腕を何とか柄で弾く。
攻撃手段は大猿の方が豊富で、予測が難しい。
対して大猿は唯一自分を傷つけることのできるロングソードにだけ注意を払えばいいだけだ。
大猿が負傷しているとは言え、こちらがかなり不利な状況には変わりなかった。
バネに優れ、リーチに優れ、豊富な手段を擁する大猿に俺は攻めきれずにいた。
大猿も最初に比べ機動力が削がれているため、目に多く魔力を回さなくて済むのが唯一の救いと言えた。
攻撃のための魔力分配を落としてしまえば先ほどのカウンターのように無駄に終えてしまうからだ。
俺と大猿の交錯が幾度となく繰り返される。
視線を交わし、武器を交わし、命を交わす。
お互いがお互いの隙を見逃さぬように目が動き続ける。
手が痺れるほどの力の籠った武器の衝突は、空気を揺らし、死を思わせる。
死を目前にしてなお一歩を踏み込み、命の鼓動が迸る。
お互いに体は限界を迎えつつあった。
俺も正直、音を上げたい気分だ。
しかし、大猿の表情はどこか余裕が見られた。
それはウサギを倒した後に見せた下卑た表情のままだ。
戦いは続く。
視線を躱し、武器を躱し、死を躱す。
お互いが自分に生じた隙を隠すように視線誘導や武器による攻撃で致命を避け続ける。
隠しきれない隙を誤魔化すためのガードは一方的に負担を被る悪手。
多少の痛手を負おうが、無理な態勢を取ってでも攻撃は避けなければならない。
俺の体の近くを通るこん棒は風圧だけでも全身に圧が掛かる上、爪は掠めただけでの血が噴き出す。
まさに半歩先は死だった。
それは大猿も変わらないようであちこちに切り傷を負っていた。
互いが互いに致命足らしめる一撃を振り続けている証であった。
死を隣合わせに、一瞬の隙と判断ミスの許されない戦いが続く。
俺が大猿の隙を見つけそこに剣を差し込む。
大猿はそれをかなり無理を言わせて避ける。
今のは傷を少し負ってでも動きを最小限にするべきだった。
突きの姿勢に刀身が寝たままのロングソードをそのまま引き戻す。
引き戻した姿勢のまま、一歩を踏み出すとロングソードを少し傾けただけの握り手は体の後ろに位置し、すぐに次の切り払いの動きに移行ができる。
最小限の動きでの連続攻撃。
大猿の態勢が崩れた瞬間、咄嗟に閃いた連撃。
これだから、大猿は傷を恐れて態勢を崩すべきではなかったのだ。
俺は殺ったと思ったその時、大猿はその表情をより不快なものにしていた。
俺は視界の隅に何かが飛来してくるのを察知。
俺は咄嗟に体を90度傾け飛来物を切り払う。
そこには大猿の部下である小猿が真っ二つになり、地に伏していた。
「───ッ!?
やられた。
そう思った。
俺は命に届くはずだった攻撃を雑魚一匹に使わされ、大猿に横っ腹を晒してしまう。
「ぴぃぃっ───!!」
聞こえてきたウサギの警笛は途中で搔き消えた。
俺は大猿の爪腕に空いたわき腹をもろに殴り付けられる。
全身に信じられない程のエネルギーが暴れ回り、一瞬の内に視界がブラックアウト。
樹にぶつかった衝撃など痒いと思えるほどに大猿の振るった腕はとてつもないものだった。
「───かっ……は」
視界が消えたのは一瞬だけだったが、身体は満足には動いてくれない。
全身の痛みに呼吸が吐き出され、窒息を嫌がる肺が呼吸をすれば広がる痛みにまた息が吐き出される。
俺の体はエラーを起こしたような同じ動作に苦しんだ。
ウサギの必死な声と共に足跡が聞こえた。
戦いの中で聞きなれた足音。
腕を振るおうとする時とこん棒を振るおうとする時で僅かに音が違う癖をもつ大猿の足音だ。
「お前の顔、マジで不快だわ……」
してやったりと歪に笑う大猿が俺の前に立っていた。
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