大猿戦
切り拓かれた森の中。
一瞬の静寂の後、訪れる周囲のけたたましい抗議の不快音。
突然の乱入者に猿共は大変ご立腹のようだ。
しかし目の前の大猿は強者の余裕の表れか、割って入った俺を見ても興味深そうに見ているだけだ。
「……ぴぃう……」
俺の後ろにいるウサギも驚いた様子だが、いつもうるさいはずのその声は、今や弱弱しい。
「寄ってたかって小動物を弱いものいじめなんてエテ公らしいやり方だな」
「ピィ……ッ」
俺の挑発に一番最初に抗議の声を上げたのはなぜかウサギだった。
どうやら弱いもの扱いは納得がいかない様子だが、できれば今は静かにしておいてほしい。
目の前の大猿が俺の声を聞いて首を傾げる様子が伺える。
恐らく言葉は通じていない。
普通に考えてみればそれも当たり前だろう。
ウサギが俺の言いたいことを理解している方が可笑しいのだ。
しかし、やれやれと少し蔑んだ表情をしてやれば効果覿面。
周りの猿の喧騒が顕著に大きくなる。
言語の理解は出来ずともジェスチャーのようなものが通じる程度の知能はあるらしい。
挑発に耐えきれなかった一匹の猿が輪を飛び出して俺へと飛び掛かってきた。
俺はそれを横目で距離とタイミングを図り、剣を振るう。
俺は猿の持つ小さな間合いを許さず、逆袈裟に斬りつけ猿を沈める。
周りの猿に沈黙が訪れた。
「珍しく元気がないな。ウサギ」
俺の呼び掛けに後ろで耳を傾けているだろうウサギに言葉を続ける。
「帰り道に偶然見かけてな。これも弱肉強食だろうって見捨てても良かったんだが、これまでの借りをまだ返せてないからな。ここでまとめて返済してやる。利子がどうのとかいうんじゃないぞ」
俺は今までなぜか度々助けてくれたウサギになにかお返しができないかと考えていた。
そしたら千載一遇のチャンスに出会えたのだ。
仮に利子を考えてもお釣りがくると考えてもおかしくないだろう。
俺の言葉を聞いたウサギが後ろで立ち上がるような気配を感じた。
「ピィィイ……!」
振り返らずとも分かる。
俺の言葉に大変ご不満な様子だった。
「なんだ、元気じゃないか」
ウサギが俺に背中を向ける。
背中合わせの共闘の姿勢に俺は笑みを浮かべた。
大猿が低い鳴き声を上げて後ろに下がる。
俺は訝し気に警戒を強めると森の中からぞろぞろと追加の猿が集まり、囲いを厚くした。
「流石に多いな。ウサギ、先にくたばってくれるなよ」
俺の言葉にウサギが勇ましく鳴いた。
その声は今や弱弱しい印象は無く、背中を預けるに信頼の足る力強さを感じた。
剣を構える俺と、元気を取り戻したウサギに無作為に猿たちが攻め込んでくる。
連携のなっていない連続攻撃に俺とウサギは的確に過不足なく応戦。
魔力を活かした膂力で間合いの広いロングソードを振るい、近づいてくる猿をまとめて薙ぎ払う俺と、小柄な体躯と俊敏性を活かし角の切っ先で喉を切り払い、渦中を駆けまわるウサギ。
切り払い、余った力でウサギの背後に迫る猿の脚を叩き折り、ウサギはウサギで俺に迫る猿をついでとばかりに突進のための踏み台にし顔面を蹴りつける。
どうにか連携のかみ合った俺たちは次々と取り巻き達の数を減らしていき、周囲に死体の山を築いていく。
ウサギも大猿以外には手古摺ることは無いのか、小さな武器であるにも関わらず、俺とそんなに変わらないペースで猿どもを戦闘不能にしていっている。
痛手は与えられずとも、蹴りでの俺へのカバーの数はウサギの方が多い。
助けに入った筈なのに随分と助けられている。
まぁ、そんなの無くても俺は大丈夫ですけどね?
戦闘はスムーズになるんじゃないですか?はい。
そんなこんなで戦っていると、再び低い猿の声が響く。
この群れのボス、大猿の鳴き声だ。
すると波のように取り巻きの猿たちは俺達から引いていき、戦闘が一時中断される。
これ以上の群れの喪失を恐れたのか、大猿が引っ込めたのだ。
そして再び大猿が俺達の前にやってくる。
そこには開戦前にあった好奇心の表情は見られない。
そこには油断の色を消した群れのボスとして引き締まった顔だった。
その内面に怒りがあるのか、それとも依然として好奇心を隠しているのか、人間の俺にはわからない。
しかし、大猿の発する雰囲気が最初の対峙とは一線を画している程度の事は俺にも理解が出来た。
それは俺の隣に並んだウサギも同様の様子だった。
珍しく低い声で喉を鳴らしている。
それでも小動物らしさの消えない鳴き声ではあるが。
「───くるぞ!」
挑発の必要も無く大猿は俺達へと攻撃を仕掛けてきた。
その跳躍は小さい猿の物とは比較にならない速度だ。
俺は何とか大猿の振るうこん棒を回避。
そしてその攻撃の隙にウサギが弱点を目掛けて跳んだ。
しかし、大猿に引けを取らないウサギのその鋭い攻撃も、大猿は難なく腕を振って払いのけてしまう。
「ウサギ!」
鈍い音を立てて宙を舞うも、ダメージはそう大きなものではない様子で猫のようにくるりと体を反転させて無事に地面に着地した。
俺はその様子に内心安堵する。
「───っ」
しかしその油断を大猿は見逃さず、ウサギに目もくれず俺へとこん棒を振るう。
当たれば致命。
地面を容易に砕くその一撃は俺の全身を容易く四散させるだろう。
目に魔力を移動させ、回避に集中。
大猿の動き、癖を脳裏に焼き付けていく。
回避の優先度を考慮して脚にも多くの魔力を追加。
おかげで今の俺の攻撃力は大したものではなくなった。
しかし俺は一人ではない。
今はこうして大猿の攻撃を引き付けるだけで十分だ。
俺がこん棒を避けることに集中している間、ウサギもぼうっと眺めているわけではなかった。
大猿の注意がだんだんと俺へと集中し始め、ウサギへの注意がそれ始めた今、気配を薄めたウサギが一瞬で背後を盗り、大猿の太ももに角を深く突き刺した。
「う゛ぎぃぃっ!!」
思わぬ痛みに大猿が悲鳴をあげた。
首元周辺の急所狙いでは到達までに時間がかかり、当然警戒されていることを理解していたウサギは自分から近く、かつ機動力を効率的に奪える脚に攻撃を定めたようだ。
なんとも畜生とは思えない賢さである。
ウサギの思惑は見事に的中。
俺への攻撃を中断した大猿の動きは明らかに鈍くなっている。
俺はそれを好機だと捉え、一点攻勢へと移る。
魔力の配分を回避から攻撃よりへと変え、大猿を剣の間合いに入れる。
俺の攻撃が回避の難しいものだと察した大猿はこん棒での迎撃を試みる。
しかし踏ん張りが弱くなった大猿では威力の乗った俺のロングソードを受け流すのがやっとのようだ。
攻撃のテンポも俺の方が早い。
次第に俺のロングソードが大猿のこん棒を押し込んでいく。
押し込まれ、腕が徐々に折り畳まれ、十分にこん棒を振れなくなった大猿は、なんとか俺の剣を顔の前で防ぐのがやっとという状況に追い込まれている。
そして、ウサギの攻撃がより大猿を追い込んでいく。
果敢に足元を狙うウサギの攻撃に余計に俺の剣を防御するための姿勢を奪われる。
大猿はその巨躯を俺の激しい攻撃によって後ろへと後退させられていく。
しかし、器用にウサギの攻撃を躱しながら後退を続けた大猿はその表情をニタリと歪ませる。
俺はその表情に嫌なものを感じ、攻撃のために目に回していた分の魔力を全て攻撃へと振る。
そして一撃を叩きこもうとするも時既に遅し。
大猿は大きく後ろにバックステップを踏むと、樹に手を掛けた。
逃げる気か───
俺は一瞬そう考えるも、大猿の表情はそう応えていない。
大猿の顔にはまだ継戦の意思がある。
大猿が樹の枝を掴むとぐいっと体を持ち上げ樹上へと移る。
「まさか!?」
この開けた場所の戦いで忘れていた。
それとも大猿の体躯がそれを忘れさせたのかはわからない。
猿の厄介な性質は樹上からの奇襲と立体的な移動手段にあった。
「木の上から攻撃を仕掛けてくるぞ!!」
俺はそう叫ぶと何かを察したウサギがその場から跳んだ。
脚よりも腕に大きな筋力を持つ大猿は樹上から腕の力で飛び掛かり、その勢いのまま地面を跳ねた大猿は他の樹へと移ってしまう。
究極のヒットアンドアウェイが始まった。
樹上を素早く移動する大猿を俺達は完璧に追えなかった。
枝葉に隠れて大猿を見失った瞬間、大猿が飛び出してくる。
しかも厄介な事に大猿が地面に足を着けるタイミングは攻撃時の一回のみ。
勢いそのままにまた樹上へと逃げる大猿に攻撃を当てるのは至難を極めた。
ウサギは攻撃を避けるのは苦ではなさそうではあるが、その小さな体では満足にカウンターを狙うのは難しく、手を焼いている様子だ。
俺は逆に、避ける事に精一杯で反撃をする余裕などまるでなかった。
じり貧な戦いが始まった。
奴のスタミナは化け物級なのか、これだけの攻撃を間髪なく入れてきて息切れしている様子もなかった。
俺は回避に魔力を回す。
動体視力を上げ、瞬発力を上げてどうにか回避に余裕が生まれる。
「これなら!」
俺は視線を外し、見失ったフリをする。
しかし周辺視野である目の端の大猿の姿は収めたままだ。
まんまと引っかかった大猿は俺目掛けて急襲。
「やっぱ畜生は分かりやすいな───!!」
俺は大猿のこん棒を半身で避けながらバッティングの要領でロングソードを振るった。
俺の体の横にあるこん棒は大猿の体を守らない。
俺のロングソードが大猿の腕を斬りつけた。
「───なっ!」
ロングソードは硬い毛皮に阻まれて弾かれてしまう。
驚きの最中にいる俺に、大猿は跳躍の最中でも器用に体を捻り俺に一撃を見舞おうとする。
俺が突然の攻撃の予感に身構えようとした瞬間、大猿が途中で動きを変え、腕を振るった。
それは俺を助けるべく攻撃を仕掛けたウサギへの反撃だった。
まるでその動きを読んでいたかのようにスムーズに俺への攻撃態勢を一瞬で切り替えウサギを弾き飛ばした。
そして大猿はまたも森の中へと姿を隠す。
「ウサギ!」
俺は慌ててウサギへと視線を移す。
そこには力なく蹲るウサギの姿があった。
ただでさえ、今まで無理をしていたのだ。
ここまでウサギが無理を押し通していたのは明白だ。
そしてあの大猿の一撃はとっさのものではなく、十分に力の乗った一撃だった。
「くそっ。俺がもっと攻撃に魔力を割いていれば……油断しなければ……」
弾かれないように攻撃のために魔力を十分攻撃に回すんだった。
しかしそれでは回避が間に合わないことは理解している。
なら、弾かれたタイミングで避ける態勢を整えるべきだった?
いや、あの時剣が弾かれ態勢の崩れた俺にあれを避けるのは無理だった。
こいつが助けに入ってくれなければ地に伏していたのは俺の方だろう。
俺の力不足だ。
もっと早く、魔力の移動が出来ていれば。
もっと多くの魔力を有していれば。
もっと完璧に刃筋を真っすぐにできていれば。
俺はいくつもの後悔に襲われた。
助けるべく介入したというのに、そいつが瀕死の奴に助けられてどうするというのだ。
俺はぐっと奥歯を噛みしめて剣を強く握った。
「……………………ぴぃ………ぃぅ」
「おい!大丈夫か!?」
俺は弱弱しくも、か細い鳴き声を上げるウサギに顔を上げて声をかける。
ウサギは俺の言葉に何も返さないが、なんとか息がある事を確認できた。
それが確認できれば後は十分だ。
俺は向き直るとそこには樹上から降りた大猿が立っていた。
邪魔な敵を排除できたことが嬉しいのか、またも嫌な表情をウサギへと向けている。
「きたねぇ顔、こいつに向けてんじゃねぇよ………!」
俺は無性に苛立つその表情に殺意を向ける。
初めての感覚だった。
獲物を狙う際にも、ゴブリンとの戦いの際にも、あの大ゴブリンとの戦いにだって、こんな純粋な殺意を抱いたことは無い。
あいつらに恨みは無いし、手だって合わせる。
あいつらから俺に向けられた殺意は…………そう、悪いものではなかった。
心のどこかに高揚と心地良さがあった。
俺は記憶の中の戦いと覚えた感情を初めて認めた。
俺は戦いが嫌いではないのかもしれない。
しかし、今のこいつの向ける厭らしい顔は勘に障った。
俺は確実に大猿に絶命を与えるためにすべての魔力を攻撃へと割り振った。
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