奥へ

 あの闖入者が一人勝ちして去って行ってから数日。


 俺は戦利品である大ゴブリンのロングソードを片手に素振りをしていた。


 鹵獲後、試しに持ってみたはいいものの、重くて魔力なしでは真面に触れなかったのだ。


 魔力が前提となると強化できる箇所が限定されてしまうため俺は最低限でも剣を振れるように練習を始めた。


 木の実の殻の泡で汚れを落としたロングソードはその小汚かった姿から鏡のように刀身を光らせていた。


 向こうの世界のような鏡には遠く及ばないが顔や体を見る分にはまぁ及第点だろう。


 ほんの数日で剣を振るうための筋力が賄われるわけではないが、筋肉の使い方や正しいフォームといったものがだんだんと体に馴染んできた。


 今では魔量がなくとも簡単な軌道でなら振るうことができるようになっている。


 十分力が乗っているかと問われればそれは恐らくNOだ。


 あの大ゴブリンの振るう力強い剣のイメージを越えることはどうしてもできないからだ。


 この様に素振りを初めて、あの大ゴブリンの剣が今の俺と比べてどれだけ優れていたのか、今なら何となく理解ができる。


 死線の記憶を呼び覚まし、鏡写しのイメージで動きをなぞる。


 基礎筋力も技術もまるで足りない俺はあの軌道を満足に辿る事すらできないが、それでもお手本があるとないとでは練習効率に大きな違いを生んだ。


 「ふぅ」


 俺は汗を流すため、川へと入る。


 冷たい水が火照った肌には気持ちいい。


 あの日を思い出して、自分がどれだけこの森の中で無力なのかを思い知った。


 神秘的を思わせるあの牡鹿と猪は敵意を見せないため除外するが、積極的にこちらを襲ってくるゴブリン、勝てると思っていた敵でさえ、自分より強いと分かって俺は今までの危機感ですら温いと感じていた。


 汗を洗い流し、服を着る。


 筋力をつけるために必要なたんぱく質。


 それを確保するため、俺は虫だけでなく、もう食べないと誓ったゴブリンも食べるようにしていた。


 幼虫は見つけるのが大変で数が確保できないためだ。


 本格的な鍛錬の時間を増やしたため、そのためだけに時間を割けなくなったのだ。


 俺は大ゴブリンの肉を無心で食らう。


 普通のゴブリンよりもくそ不味い。


 目的無くこれを食べ続ければ鬱になりそうだ。


 しかし食べた次の日は心なしか体が軽くなる気がしているため積極的に食べる事にしていた。


 そして、苦行ノルマ分を体に入れ、俺は食事を始めた。


 焼いておいた何かの幼虫を一口に頬張った。


 口内に広がったクリーミーな味わいに頬が落ちそうになる。


 最後にこれがあるから俺は精神を病まずにいられるのかもしれない。


 いやきっとそうに違いない。


 俺は抗うつ剤を堪能し、一日を終える。


 「そう言えばあいつにちゃんとお礼してないんだよなぁ」


 俺はなぜか怒って帰ってしまったあの闖入者になにか礼がしたいと考え、なにがいいだろうかと考えながら眠りについた。





 ◆





 朝、遂に無くなってしまった木の実を見て、そうだ、これをお礼にしようと考えついた俺は今日も森へと入っていた。


 これを最初に見つけた場所へは出来れば行きたくない。


 俺に対しては敵意を見せなかったが、虫のいどこが良かっただけかもしれないし、ゴブリンを殺して満足しただけかもしれない。


 次も見逃される保証などありはしないのだ。


 俺は他に木の実が自生しているところがないかと森の中を探し練り歩く。


 いい加減森の中での歩行にも慣れてきた俺は最近の体力作りも相まって長く、そして早く森の中を進むことができるようになっており、行動範囲が広がっていた。


 ロングソードを携えながらでも、魔力を足腰に回していれば苦しいことは無かった。


 俺は自分が成長していることに気付いてほくそ笑んだ。


 そしてふと気づく。


 今までなにかに熱中するようなことや、上手くなったことを喜んだことのない俺が、今はこの状況を楽しんでいる。


 もちろんそれ以上に苦しいことばっかりではあるが、俺はどこか今のこの生活に満足していた。


 サバイバル適性があったのだろうか?


 森の中の空気が自分に合うのだろうか?

 

 それとも、生死の境を楽しむような性分が自分に──────


 俺はそこまで考えて馬鹿らしいと頭を振った。


 命が失われれば人生はそこまでだ。


 自ら寿命を削るような真似は馬鹿のすることだ。


 俺は自分がそんな馬鹿な存在であるとは思っていない。


 あくまで生きるために、生き残ってより良い安全な生活を得るために視線を潜っているのだ。


 俺は至った結論に満足して、周囲への警戒へと戻った。





 ◆





 随分と歩いた気がする。


 どの程度歩いただろうか。


 途中途中で樹にナイフで印をつけていなかったら、遭難間違いなしのところまで来ているに違いない。


 そして俺は森の様子が今までと違う事に気が付いた。


 生き物の気配が多い。


 俺が拠点としている川の周辺は不思議なほどに生き物が少ない。


 虫と時々鳥の羽ばたく音が聞こえるくらいで、他はゴブリンと神秘的なあれらだけだ。


 しかしこの辺りは何かが草を掻き分ける音や木々を渡り枝を揺らす音、そして聞いたことのない鳴き声が頻繁に聞こえてくる。


 俺は明らかに空気の変わったこの森に警戒を強めた。


 踵を返そうかと考え始めた頃、視界の端に何かが映る。


 「お前はもういいって」


 俺は姿も味も飽き飽きとしたそいつに身構える。


 ロングソードを構えると同時にそいつ───ゴブリンが俺へと飛び掛かる。


 その動きは今までと変わらない、実に慣れた動き。


 得物も変わり、間合いが広くなった俺にとっては取るに足らない存在だ。


 腕に回した魔力によって十分な速度で振られたロングソードはゴブリンを綺麗に真っ二つにしてしまう。


 「だからお前に飽き飽きしてるんだよ」


 俺はゴブリンを切り捨て言葉を吐き捨てる。


 「……」


 そうは言ったがどこかバツの悪い俺は死体の前で軽く手を合わせた。


 別に今更あの大ゴブリンがゴブリン達の怨念の集合体なんていうつもりはないが、日本で育った俺は植え付けられた価値観に逆らえない。そんな感じだ。


 襲ってきたものにまでやらなくてもいいとは思うが、殺生に完全に慣れるまでは続けるつもりでいる。


 罪悪感のための罪滅ぼし。


 つまるところ自分のためだ。


 俺が手を合わせているとまたも草むらががさがさと音を立てる。


 「またお前らかよ……」


 俺は飽きずに現れた複数のゴブリンを前に溜息を吐いた。


 しかし数は四体。


 経験したことのない数だ。


 俺はうんざりとしながらも剣を構えた。


 構えた剣に陽が当たり、燦燦と輝いている。


 にやりと笑う。


 「ほら」


 剣を少し傾けて陽をゴブリンの顔へと反射させた。


 突然の光に目を潰されて騒ぐゴブリンへとひとっ飛びで詰め剣を振るって首を落とす。


 それを見た近くの仲間がギャーギャーと騒ぎ始める。


 だから騒ぐ前に動けと俺は内心でごちる。


 近くのゴブリンの体を袈裟に裂いてまた落とす。


 あっという間に残り二体になってしまう。


 その二体がようやく左右からの攻撃をしかけてきた。


 傍の樹を盾に片方を遮ると一人になったことに気付いてないゴブリンを迎え撃つ。


 リーチの違いを覆すことのできないゴブリンの手首を切り落とす。


 そして慌てるゴブリンにタックルを決めて後方へと飛ばし、すぐにカバーに入ってきたもう片方のゴブリンに切っ先を突き出した。


 真っすぐに腹を貫かれたゴブリンは俺の捻った剣が止めとなりその場に沈む。


 そして、片手を失ったまま、もう片方の手にナイフを構え直したゴブリンが俺の背後へと迫る。


 「ギィィィィィ!」


 先ほどのゴブリンが倒れる寸前、手に握ったナイフを空中で奪った俺はそれを振り向き様に投擲。


 急所は外れるも腹部へと突き刺ささる。


 動きを鈍化させるには十分だった。


 俺は眼前に迫ったナイフが一瞬硬直するのを認めると半身で躱し思いっきり刺さったままのナイフの柄を掌底で殴りつけた。


 最後のゴブリンが断末魔を上げて初めての一対四の戦いを勝利で収めた。





 ◆





 昨日まででは経験することのなかった連戦に一息つく。


 俺は周りの様子を伺い、軽くをを合わせた。


 どうやらこの辺りは生物の数が拠点よりも多いようだ。


 俺はあの二匹の姿を思い出す。


 もしかしたらあのとんでも存在があの辺りの生物を狩りつくしているのかもしれない。


 その縄張りを犯さないように他の生物が侵入してこないのだろう。


 それでもたまに遭遇するゴブリン達はなんなのだろうか。


 謝って入ってしまったのか。


 それとも恐れ知らずの馬鹿なのか。


 俺は何となく後者なのではないかと思った。


 うん、多分間違いない気がする。


 今倒したこいつらは複数で群れを成していた。


 それに炙れた奴があの辺りに出るのだろうか?


 そうすると牡鹿を襲った五体のゴブリンは、あれは炙れ者の徒党?


 俺はあまり深く考えてもわからないだろうとそのあたりで考えるのをやめた。


 そこから少し進んだ辺りで俺は目当ての物を遂に発見。


 「お、やっと見つけた!」


 俺は在庫が無くなってしまった木の実を見つけ駆け寄った。


 袋を開いてすぐに集める。


 遠出をすることを考えたその日に俺は袋を二つに増やしていた。


 遠い場所にあると何度も採りに行くのが面倒だからだ。


 俺は二つの袋に木の実を目一杯に詰め込んだ。


 俺はほくほく顔で帰路に着く。


 そして気付く。


 木の実のあった樹の後ろから不穏な気配を感じた事に。


 俺は恐る恐る振り返るとこちらを睨む猪がそこにいた。

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