死闘もそんなに悪くない
俺が食べ物を悪く言った罰なのだろうか。
俺が食べてきたゴブリンが怒って怨念の集合体になったのだろうか。
俺が前の世界で何んとなしに知っているゴブリンは子供のような小さな姿だ。
矮躯でがりがりで、腹だけこぽりと膨らんでいる醜い姿。
あれ?それって餓鬼だっただろうか?
残念なことに俺はそこら辺の知識が乏しい。
しかし向こうの世界でもゴブリンのテンプレ的姿はこいつじゃない事だけは知っている。
こんだけ立派な体躯を持って騎士のようなロングソードなんて持っていたらそんなの到底ザコキャラとは言えないじゃないか。
俺は冗談交じりに獲物を粗末にした罰だと感じていたが、もしかすると本当にそうなんじゃないかと思えてきてしまう。
日本人的な価値観、宗教感を持つ俺は無宗教だと自覚をしていながらも、自然的な信仰を心のどこかに併せ持っている。
特定の神を信仰している訳じゃないし、あの世とかこの世とか非科学的なことは頭の中では否定しながらも、心のどこかではそれを信じている。
いや否定しきれないというものだろうか。
だからもしかしたらなんて一抹の不安を、罪悪感を肯定するために食に礼儀を用いるし、天罰を恐れて悪い事をしてこなかった。
これは典型的な日本人の価値観なのではないだろうかと俺は思っている。
そして、俺は今、この世界に来てしまい、あの世とか神様とか完全に否定しきれない状況下に置かれている。
それはつまり、もしかしたら幽霊だとか、怨念だとかの存在の肯定にも繋がるのではないだろうか。
そんな考えにたどり着いた俺はやはりこいつはゴブリンの怨念の集合体だという答えに辿り着いてしまった。
「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」
俺は念仏を唱え、ちらりと自分が犯した過ちを見やる。
効いている様子はない。
やはり世界が違うとお祓いの方法も違うのだろうか。
俺がナイフも構えずに、供養の気持ちと粗末に扱ったことに対する謝罪の気持ちから一心に念仏を唱え続ける。
しかしそれが通用することは無く、あの御魂の表情はどんどん怒りの表情に満たされていく。
「仕方がないか……!」
俺は出来る事なら成仏してほしかったが、仕方なく戦うことにした。
ナイフを構える。
敵は絶対に強い。
その体の大きさ。
刃の鋭さが恨みの大きさを表しているように感じた。
俺は自分の過ちを無理やり力で解決しようとする、浅ましい手段に恥ずかしい気持ちになるが、死ぬわけにはいかない。
遂に大きなゴブリンが動いた。
それは通常のゴブリン同様、直情的な分かりやすい動き。
しかし、大きな体にも関わらず、速度は体感三割増しだ。
魔力を回した腕で風を置いていくような速度で振るわれるロングソードになんとかナイフを合わせる。
「おっも!」
俺は力に逆らえず、後ろへと弾き飛ばされてしまう。
最初から力で真っ向から立ち向かえると思っていなかった俺はロングソードを受ける際に重心を後ろに移して力を殺すことに成功していた。
そのため、態勢を大きく崩すさずに済んだ俺は追撃を寸のところで避ける。
紙一重。
想定、読み、重心移動、反応。
そのどれもが少しでもズレてしまえば恐らく俺は死んでいる。
それだけこいつの力は普通のゴブリンとは格が違った。
奴の攻撃は止まらない。
怒りで息を荒げた姿はまさしく鬼のようだった。
一分の隙も与えられない防戦が続く。
わかりやすい大ぶりの軌道から身を逃がそうと動かすが、途中でその軌道が変わった。
「───ッ!?」
魔力の宿った眼はそのフェイントを見逃さない。
俺は無理くりに体を捩じって剣を掻い潜った。
俺は魔力を腕から脚と目に移していて良かったと自分の判断を誉めた。
最近、魔力を分けて使うことが出来るようになったのだ
あの化け物猪との遭遇以降、俺は魔力操作の訓練を増やし、自身の強化を優先度をこれまでよりも高くしていた。
それが功を奏し、俺は今を生き延びた。
安堵する気持ちはまだ湧いてこない。
この鋭い攻撃を避ける事で精一杯で、時々仕方なしにナイフで攻撃を受けている俺の腕は痺れを募らせ、だんだんと使い物にならなくなってきている。
このままではじり貧だ。
攻撃の中にフェイントが要り交ぜられるようになってから俺の無茶な動きの回避行動が増えてきている。
いや、奴にはそれを狙っているような意図を感じた。
「知能っ、あがりっ、すぎだろっ!!」
体躯、筋力、魔力、得物。
それらだけでなく、知能、戦い方そのものが進化をしている。
明らかに感情だけでなく、勝つ事を意図した動き。
それが奴にはあった。
俺はここに来て、もう何度目かわからない命の危機に全身が汗で覆われる。
嫌な汗だ。
必死な様相の大ゴブリン。
俺は何をそんなに必死になるのかと考える。
剣で地面を叩いて砕けた石が礫となって俺の脚に裂傷を生む。
戦いは一方的。
俺は防戦一方の絶対絶命。
フェイントを躱しきれず腹が僅かに裂かれる。
俺には反撃は許されず、次第に傷が刻まれていく。
無茶な回避を続けているせいで体力だって長く持ちそうにない。
遂に剣が俺の顔面を捉えた。
ほぼ無意識に頭を逸らすが、間に合わず、剣は俺の頬を掠めた。
遅れて一筋の血が口端に掛かり、貯まり、重力に逆らわずまた流れ落ちる。
口に広がった血の味。
ここに来て自分の血の味を初めて味わったような気がする。
「甘いな」
戦いの最中だというのに、悠長に食レポをする自分の感性のズレに俺は内心呆れてしまった。
今はそれどころではない。
俺は呼吸を乱して立ち止まる大ゴブリンに注意を向けて、自分の呼吸も整える。
猛攻を繰り広げた大ゴブリンでも、その大きな剣を振るい続けるのはキツイのだろう。
正直これ以上立て続けに攻められたら流石に俺もきつかった。
大ゴブリンの攻撃に対応しきれずになっていき、傷を負い始め、最後には顔を掠めてしまった。
後数手、大ゴブリンの体力が残っていたら首でも落とされていたかもしれない。
俺が少し安堵していると、大ゴブリンの顔に僅かな怯えが垣間見えた気がした。
気のせいかもしれない。
あのゴブリンが恐怖を抱くという事があまり想像できないからだ。
しかしこの大ゴブリンは知能が高そうだし、そんなこともあるかと考えるが奴が断然有利な状況は変わらない。
恐らく気のせいだろう。
俺は口に付いた自分の血を指で拭った。
その際に僅かに自分に違和感を抱いたが、今はそんなことどうでもいい。
俺は今は奴の事で頭が一杯なのだ。
息は十分に整った。
それは奴も同様。
第二ラウンドはすぐに始められる。
しかし奴は自分から攻め込んでこない。
防戦に徹されると面倒だと気付いたのだろうか。
なら、こちらから攻めなきゃ始められないな。
俺は自分の意志に従い、人間の普通の速力で間を潰す。
目前で前かがみに倒れこみ、ナイフを構える。
僅かに反応の鈍い大ゴブリン。
それを見逃さず、力の乗り切る前の剣の根元にナイフを当てて軌道をずらす。
防戦一方だったのが信じられないほどあっさりと俺は大ゴブリンの懐へと潜り込んだ。
「ビビんなよッ!!」
ナイフを引き戻している暇のない俺は空いた片手で大ゴブリンの顔面を殴りつけた。
ブッと血と唾を飛ばして仰け反る大ゴブリン。
しかし太い首のせいかあまり大きなダメージには至っていない。
キッと睨んできた大ゴブリンはようやく本調子になったのか、剣の間合いの更にその内にいる俺を迎撃するため自分も拳での戦いに応えてきた。
剣を握る右手は使うつもりはないだろう。
左の拳を警戒するも、身体能力に大きく水を分けられる俺はその拳を視認出来ても満足に避けることは出来なかった。
すぐに殴りつけることのできる俺の腹に最速で奴のボディブローが突き刺さる。
「───かっ、はっ……」
俺は思わず腹を抑え込みくの字に折れ曲がり、残った息を全て吐き出され苦悶。
それを見て頬を緩める大ゴブリン。
知能の高い大ゴブリンがその好機を見逃す筈もなく、大きく剣を振り上げた。
「───な゛ん、でなっ」
息も絶え絶えに俺は大きく剣を持ち上げた大ゴブリンを下から睨みつけた。
腹に攻撃が来ることは予想していた。
ならばあとは魔力強化とやせ我慢だ。
大ゴブリンの想定よりも下回るダメージ俺のダメージは結果的に奴に大きな隙を生んだ。
動けなくなった俺を確実に仕留めるために大きく掲げられた剣。
俺を叩き割るには数瞬遅い。
交差する視線。
片や獰猛、片や──────驚愕。
俺のナイフが奴の首に届く方が僅かに早い。
それを理解してしまったのだろう奴の目は信じられないとでもいうように見開かれていた。
ナイフを一直線に奴の首への軌道に乗せて──────。
「ピィィィイイイイイ!!!」
直後に響いた聞きなれた甲高い鳴き声に俺は目を剥いた。
その直後、大ゴブリンの体がトスンと揺れ、その胸から見慣れた突起物が突き出した。
「あ」
その背中の裏で暴れているのだろう。
ぐりぐりと傷口を広げるように角が動き回っている。
遂に耐えきれずゴフッと血を吐き、なんだお前とでも言いたげに後ろを睨む大ゴブリン。
俺は少し拍子抜けしてしまい、心の熱が急速に冷えていく。
「俺も驚いてるし、狙ってた訳じゃないんだ……うん、なんか悪いな」
俺は再度謝ってそいつの喉を裂いて止めを刺した。
◆
無念といった形相で息絶える大ゴブリンに言い様の無い気持ちを抱いた。
下手人のそいつは真っ赤に濡らした角と、血で染め上げた赤い体毛の姿で二足で立って、えっへんとでも言いたげに両手を手に当てていた。
「いや……うん。ありがとう。助かったよ」
俺のその気の抜けた感謝にそいつは首を傾げる。
お前何が不満なんだと言わんばかりだ。
もしそういいたいのならば、その通り、命を助けられたのだからキチンと精神誠意お礼を言わなきゃならない。
だけど、うん。
俺は大ゴブリンの顔を見た。
ものすごい形相の中、目玉だけは思いっきり横を向いていた。
最期にしてはこれほど不本意な死に方はないだろう。
俺が企てた訳じゃないし、正々堂々なんてそんな精神でお互い戦いに臨んだわけでもないのは分かってる。
「それでもなんだかなぁ……」
恐らく畜生には理解できないだろう俺の感情にウサギは頬を膨らませてぷんすかと怒り、俺の脚を蹴り始めた。
「痛い痛いっ分かったごめんって!助けられたってのは本当に感謝してるから!そう怒るなって!」
俺が必死に謝るとウサギはようやく気持ちを落ち着かせたのか足蹴をやめてくれた。
「本当に助かったよ。俺もマジで危機一髪だったし、最後は賭けだったから」
多分、俺の攻撃の方が一瞬早く辿りついたはずだ。
それでも絶対じゃないし、捨て身の攻撃だったからこっちの方が分の悪い賭けだったのは間違いない。
全力で腹に魔力を回していたし、そのせいでナイフの攻撃は貧弱で弱点の首を狙えなきゃ命に届かないし、そもそも大ゴブリンのパンチの威力がもう少しだけ強かったら反撃にも移れなかっただろう。
我ながら死スレスレの作戦だった。
だからこのウサギに助けられたってのは本当だ。
「お前の助太刀もギリギリだったし、本当に少しでもなにかを誤ってたら俺はさっくり死んでたかもな……ん?」
そして俺は似た状況があった事を思い出して同時に違和感を抱いた。
「もしかしてさ、お前、ずっと俺の事見てた?」
「ピッ!?」
するとウサギは面白いくらいに動揺してみせた。
「いや今回もタイミング的にもなんか見計らったみたいだったし、俺が葉とか蔦とか探してた時も都合よく現れて教えてくれたし」
あれが教えてくれる奴の行いかどうかはさておいてだ。
「ピッ!、ピッ!、ピッ!……」
壊れたか?
「うん?そうなるとあの猪の時も俺の事心配して身に来てくれたとか?」
俺はあまりものを深く考えずに直感でそう口にした。
すると、
「ぴゃぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
「うぇっ!ふべぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええっ!!」
物凄い形相のウサギが傷の無い方の俺の頬に全力のドロップキックを叩きこんだ。
俺は体が浮き、後方へと飛ばされる。
大ゴブリンの拳より効いたかもしれない。
ウサギはぷんすかと怒りながら大股で森の中へと帰っていった。
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