いただきますとごちそうさまは言いなさい

 あの化け物猪との出会いから数日が経った。


 あの日以降ウサギを見かけていない。


 ここに来ることもない。


 あいつがどうしているのかはわからないが、あの化け物猪が出るような場所にわざわざ現れるような奴だ。


 ちょっとやそっとの事でくたばったりはしないだろう。


 どこかで元気にしているさ。


 それよりも切実な問題が浮上している。


 それは川に水冷保存しているゴブリンの肉が腐り始めてきているという事だ。


 俺は今日の朝食に食べたゴブリン肉を最後にしなければいけない。


 なぜなら今少し腹の調子が悪いからだ。


 多分、腐っている。


 獲物を探さねばならない。


 探さねばならないのだが、この辺り一帯は不思議と野生動物が少ない。


 というよりもまともに倒せそうなのがゴブリンくらいしかいないのだ。


 そのゴブリンだってここ最近全くと良いほど見かけていない。


 あの化け物猪に木端微塵にされて柘榴ったあのゴブリンが最後の個体だ。


 「川にも魚いないしなぁ」


 川にいればもっと早く主食にしていた。


 しかしいない者は仕方ない。


 ゴブリン以外の野生動物と言えば残りはあの鹿と猪だ。


 あんなものを狩猟しようなんて考える人間はただの自殺志願者かゴブリンだけだ。


 なんでゴブリンは彼我の力の差も理解せずに無謀にも吶喊するのか理解に苦しむ。


 あの無謀さは野生動物の在り方に反しているようにしか俺には思えない。


 そして、後一つ上げるとしたらあのウサギだが、あれは流石に殺すのは忍びない。


 短い時間とは言え同じ屋根の下で共に鍋を囲った仲だ。


 多少は情というものをあのウサギに対して抱いている。


 あいつが猪をけしかけたなんてのも俺の考えすぎだろう。


 あの食物連鎖の頂点に立っていそうな猪がか弱い一匹のウサギの思惑通りに動くとは、あれを直接みた俺には想像ができなかった。


 その考えの通りなら……


 「悪い事言ったな……そりゃあいつも怒るよな」


 自分の油断が招いた結果を他人のせいにされたらそりゃ誰だって怒る、


 俺だってふざけるなと言うだろう。


 今度会ったら謝ろう。


 俺はそう胸に誓った。


 まぁ、あの場で馬鹿にしたように笑ったことは許さんがな。


 俺はそんな事よりもと頭を振って今の問題に向き合った。


 木の実は後わずかしかないし、補充にもいけない。


 ゴブリン肉は腐ってきたし、追加もいない。


 そして他の野生動物は諸事情で狩猟不可。


 「詰んだか?」


 俺はこの世界に来て初めて本格的な食糧難に陥っていた。





 ◆





 食料になりそうなものを探して森の中を彷徨い歩く、


 もちろん生き物の気配には敏感に、十分注意して視界を凝らす。


 食料を見つけるためはもちろん、なにより再び命の危機に陥らないためだ。


 もう油断して化け物から逃げ遅れるなどあってはならない。


 俺は足跡の存在に注意しながら歩き続ける。


 しかしこの森には不思議なくらい野生動物の姿が見当たらない。


 もうこの世界、この森に来て一週間以上が経ち、その間かなり森の中を練り歩いているものの、あれら以外の野生動物を見たことがない。


 「ほんとこの森の生態はどうなってんだよ。動物がおかしなくらい少ない。虫くらいしか……」


 俺はそれを口にしながら悪魔的な事が脳裏に過った。


 いや、過ってしまった。


 それを頭の中で本格的にイメージをして、そして鳥肌が拒絶を示す。


 ──────ぐぅぅ。


 心が拒絶を示すも、その想像の結果腹の虫が鳴った。


 腹の虫は共食い上等のようだ。


 「マジか」


 自分の判断に俺は思わずそう言葉に出した。


 やるしかないのかと。


 そして俺はまぁ物は試しだと、樹の根っこを掘り始めた。


 いくつか掘り返しようやくそれを見つけた。


 「うぇ。見つけてしまった……」


 内心見つからなければいいのにと思いながらもそれを見つけてしまった。


 もう少し腹の限界が近ければそんな気持ちにはならなかったのだろうが、まだ少し余裕のある俺にはこの光景にはきついものがあった。


 「これを食うのか……」


 掴んだそれは手の中でうねうねと体を動かしていた。


 俺は気が重くなるも、仕方がないと自分に言い聞かせて、葉の袋へと何かの幼虫を入れこんだ。


 「面倒だから食い破んなよ」


 俺はそうぼやいた後、また数匹を捕まえて拠点へと戻る事にした。


 結局他には何も見つからず、日も暮れてきてしまった。


 とても残念なことに今日の晩御飯はこの何かの幼虫で決まりだった。


 「せめて成虫がどんな姿なのかだけ知りたい……知りたいか?」


 俺は究極の二択を選び切れないようだった。






 ◆





 熾した焚火に下処理をして串に刺した幼虫を曝す。


 下処理と言っても中の糞のようなものを掻きだして洗っただけだがそれで充分だろうと俺は思う。


 毒などがあれば特定部位の除去や適切な毒処理があるのだろうが当然そんなものを俺が知るわけなく、汚いものの処理だけに留まった。


 つまり、これが食べられる虫なのか、それとも食べてはいけないものなのかは定かではないと言うことだ。


 しかし結局のところ食べなくても死んでしまうのだ。


 餓死ももちろん嫌だが、空腹下で満足に動けずにゴブリンに殺されるなんてのは真っ平ごめんだ。


 そのためできる限り万全で動ける状態をキープしておきたいのだ。


 本当にサバイバルは大変だ。


 今まではコンビニに行けば真夜中でも新鮮で安全なものが食べられるのだから。


 それがサバイバル下では食べられるかどうかもわからないものに挑戦しなければ生きていけないなんて状況になってしまうのだ。


 なんてハードモードな人生だろうか。


 俺は焼きあがった幼虫の串を手にもって訝しむ。


 先人の方々は偉大だ。


 食のためにこういった訳の分からないものを片っ端から食べていき、これは安全、これは美味い、これは腹下す。そして最悪これは死ぬってものにも手をだしているのだから。


 挙句の果てには劇毒であるそれすらも食べられる方法を見つけ出すまでに至っているのだから人の食への探究心は見上げたものだ。


 そう敬意が持てる。


 しかし、それは自分がやりたくないからこそ来る敬意だ。


 どうして俺がこんな安全かもわからない、忌避感の強いゲテモノを食べるはめになっているのだろう。


 俺は初めて自分が置かれた今の状況を憎んだ。


 俺は恐る恐る何の幼虫かもわからないそれを口へと運んだ。


 歯が何かの幼虫の薄い皮を簡単に突き破ると中からとろりとしたものが口に広がる。


 「んっ!?」


 さらに咀嚼を繰り返すとこりこりとした触感が伝わる。


 多分顔の部位のどこかだ。


 「んん!」


 そしてそれとは少し違うこの硬い感触は脚だろうか。


 思ったよりも簡単に噛みきれる。


 俺は思わず声を上げた。


 「美味い!!!」


 衝撃の美味さだった。


 とろりと広がる味はチーズに近いもので、とても濃厚だ。


 こりこりとした感触はそれがなんなのかを想像してしまえば吐き出したくなるが、悔しいことにその想像も吹き飛ぶほどにこれも美味い。


 触感だけでなく、ぷちりと潰れるそれから僅かに塩味が飛び出し、チーズのような味にアクセントを加えてくれる。


 脚だってアクセントとしては十分だし、なによりここがさっぱりとした旨味があるのだ。


 残念ながらその味の淡白さもあって他の部位の味にかき消されてしまうも、悪いものではないし触感も合わせれば十分に及第点だった。


 俺は飲み込んでさらにもう一つの串と手に取った。


 「まさかここまで何かの幼虫がこんなにうまいなんて思わなかった」


 新しいものをすぐに口の中へと放り込み、咀嚼し、嚥下してまた次を取る。


 それを繰り返すと焼いていた分はすぐになくなってしまい、俺はまだ袋に残っている何かの幼虫を手に取り、手早く処理を済ませ、焼き始める。


 俺は思った。


 もうゴブリン肉になんて戻れないなって。


 どうして今まであんなくそみたいに不味いものを食べ続けたのだろうかって。


 虫に偏見なんて持たずにさっさとこの何かの幼虫を探し出せばよかったじゃないか。


 俺は自分が持つ偏見で今まで損をしていたことに気付き反省する。


 「これからはあいつらは殺してその場で放置だな」


 生き物を見つければ彼我の力量差関係なしに闇雲に襲いかかるし、そのくせ殺して半ば供養の気持ちで食ってみれば一時の間だけ信心が吹っ飛ぶほどのくそ不味さ。


 あんのものは食べ物じゃない。


 虫けら以下だ。


 最終進化2段階前の幼虫以下だ。


 俺は良くあんなものを食べ続けてきたと自分を褒めた。


 もうあの食事には戻らない。


 俺はこいつを食べていく。


 そう決心した。


 「ん……?」


 食事の最中、何かが歩いてくるような音がした。


 ぺたぺたと裸足で歩くような音。


 そんな音を立てるのはこの辺りではゴブリンだけだ。


 音は一つ、


 一体だけなら魔力を手に入れた今の俺にとってはそう脅威ではない。


 俺は近くに置いていたナイフを手に取って立ち上がる。


 「はぁ、お前らを倒しても飯にもならないから相手するのも面倒なんだよ。さっさと片づけてしまおう」


 俺は音のする方向を向く。


 魔力を手に回し、ナイフを構える。


 「え……」


 そこにはいつもの通りあの矮躯のゴブリンが立っていると思っていた。


 しかし俺の前に立つそいつは顔や肌といった見た目はゴブリンであるものの、サイズが決定的に違った。


 俺と同じ目線のそいつは俺よりも筋肉があるように見えた。


 明らかに俺の知っているゴブリンよりも大きい。


 俺と同じくらいの背丈と、肉体労働者のような太い手足。


 そしてその手に握る得物は俺が持つナイフがちんけに見えてしまうほどの刃を持った立派なロングソードだった。


 「悪く言い過ぎたよ……ごめん」


 俺は素直に謝った。

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