適応1

 鹿のインパクトのせいで生き残った二匹のゴブリンの存在など頭から抜け落ちてしまっていた。


 仲間が殺された怒りをぶつけるように俺を恨みがましく睨みつけてくる。


 「八つ当たりにもほどがある……!」


 理不尽な展開に俺はあのお高く留まった鹿に、最後まで責任を持って全滅させろよ、と心の中で怒りをぶちまける。


 素早くナイフを構え、奴らの動きを伺う。


 見るからに冷静さを欠いている様子。


 初めて出会ったゴブリンとは違い、火蓋が切られた後はお互いどちらかが死ぬまで油断を見せることはなさそうだ。


 その上、敵の数は二匹。


 こちらがかなり不利だ。


 じりじりと近寄ってくるゴブリン。


 緊張が視界に高い集中力をもたらし、僅かに映像の流れが緩やかになる。


 そして一触即発、集中の中にあるにも関わらず、頭の中に時々挟まれる蘇る先ほどのワンシーン。


 角が光り、移動し、玉が揺れ動く。


 そして現れた超常現象。


 そんなシーンが頭に何度もリフレインしてしまう。


 目の前の敵に集中しなければならないにも関わらず、俺の中の何かが必死に気付けと訴る。


 思い出す、牡鹿の何かを言いたげな流し目を。


 その後の動きは捉えようによってはパフォーマンスだった。


 そこに何かがあると感じた俺は徐々に集中力が目の前の脅威からあの牡鹿の強烈な魔法の記憶へと吸い寄せられいく。


 そして同時に気付く。


 俺はあの時何を考えたか。


 魔法の存在を肯定するために担保とし、裏付けの根拠とした違和感。


 ゴブリンやあの小さなウサギの信じられない身体能力。


 行使された超常たる魔法。


 それらの根本。


 光の正体。


 それらが齎す答えは俺の人生には縁遠いものだった。


 それを分かりやすく呼ぶとするならすなわち魔力。


 俺は魔法を行使するために必要なエネルギーの正体にやっとの事でたどり着いた。


 もしかしたら他の人間だったらとっくに気付いていたかも知れない。


 しかし、そう言った娯楽コンテンツに多く触れてこなかった俺にとって見れば晴天の霹靂と言えるものだった。


 頭が固いと言われればそれまでだ。


 そして、妙に調子の良い目に意識を向ければ、何か熱いものが感じられる。


 じりじりと距離を詰めてきていたゴブリンが突然呆然とし始めた俺を怪訝な様子で観察し始めた。


 俺はそんな事にも気付かず、意識がこの熱いものにすべて吸い寄せられてしまう。


 危険だが止められない。


 何となく、間に合うと確信があった。


 目に感じられる熱を動かしてみよう。


 ゆっくりとしたそれは中々思うように動いてくれないが、徐々に徐々に、身体の中に虫が這うように腕へと動き始める。


 初めての感覚に不快感を感じるが、これが生死を分ける行動だと本能的に感じていた。


 後少し。


 「ギィィィイイイイイイイ!!!」


 遂にしびれを切らした二体のゴブリンが大声があげて跳躍。


 俺の眼前まで涎を撒き散らしながら左右から迫ってくる。


 「間に合った」


 移動が終わった腕には感じたことのない熱が纏われている。


 未だ集中が完全にゴブリンに集められない俺は、焦点が奴らへと定まらないまま首へと迫ったナイフを身を捩じって紙一重で避け、腕を振るった。


 鋭い風切り音が鳴る。


 直後に奴から漏れるくぐもった汚い声と血飛沫音。


 「ハハッ───」


 俺は力任せの一振りがゴブリンの喉を骨ごと断ち切った感触に乾いた声を漏らした。


 その一撃で瞳に光を失い倒れる姿を見届けることなく体を反転させもう一体に意識を向ける。


 そこにあるのは怒りに喚き散らす片割れの姿。


 体勢を整えている間に追い打ちをかければいいものを、感情の発散を優先して機を失う知能の低い生物に、所詮はゴブリンかと気持ちが冷める。


 今度はこちらから攻める。


 脚には魔力を持ってはいけない。


 脚まで移動させるには時間が足りないからだ。


 人間の当たり前の速力で、距離を詰める。


 怒りに震える奴に、逃げる判断も避ける判断もできそうにはなさそうだ。


 先にこちらにナイフを当てれば勝てると思っているに違いない。


 それだけ脚に違いがあるからそれも仕方ない。


 俺が強化できるのはこの一本の腕だけだ。


 あいつの速力には敵わない。


 互いのレンジの中で先ほど見たいな奇跡的な神回避を狙ってできるとも思えない。


 ナイフを持つその腕を振りあえば奴の攻撃の方が先に俺に届くだろう。


 それでも俺は距離をさらに一歩詰める。


 それに応えるように奴が動く。


 体を沈め、その足に魔力を溜めて驚異的な跳躍を俺へと見せつける。


 同時に振るわれる痩せた腕。


 器用な事にその手にも魔力だと思われる靄が纏われている。


 俺には出来ない二か所同時の強化。


 ナイフが軌道を描く。


 俺の突進上のラインを断つように。


 首元にピッタリと。


 「アハッ」


 しかし、俺はそのライン上には既にいない。


 駆ける途中、力を抜きブレーキを掛けた俺は後ろへとステップを踏んでいた。


 首元スレスレに空を切ったナイフ。


 ナイフを十分に振るうためその場で踏ん張っていたゴブリンに下がる俺を瞬時に追いかかるための重心は残されていない。


 俺のナイフも奴のナイフもギリギリ届かないアウトレンジ。


 次で決めようとするゴブリンがその僅かな距離を無くすため、一歩踏み込んだ。


 俺の体は後ろに流れたまま反撃の体勢も取れない。


 それを本能的に理解したのか、奴が笑う。


 二手、いや三手、俺の行動は後手に回っている。


 止まって、踏み込んで、振るう腕。


 その通りに動けば奴の追撃の到着が先。


 それが奴の考える、残る棋譜。


 「ひっくり返して悪いな」


 俺はナイフの届かないアウトレンジから腕を振るう。


 体の外から内へ。


 鳴った風切り音は奴へと真っ直ぐに突き刺さった。


 「ギ──────」


 残ったゴブリンは眉間に突き刺さるナイフを見上げるように白目を剥いた。


 力なくうつ伏せに倒れるゴブリン。


 俺の投げたナイフが勝負を決めて、何とかこの戦いを生き残ることに成功した。

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