恩返し?試練?2

 拠点にしている川辺へと無事に戻ることが出来た。


 俺は早速川で木の実の汚れを落とし、その場で殻を割って少量を口にする。


 久しぶりに感じる甘味に沈んだ気持ちが少し元気になった。


 体調に変化が無いことを確認して少しづつ食べる量を増やす。


 殻を割り、丸ごと頬張りまた殻を剥く。


 するといつの間にかなりの量を食べていたことに気付く。


 「食後のデザートに残しておかないと」


 食事の最後を不味いもので終えるか、美味しいもので終えるかによって食事そのものに満足度がかなり違ってくる。


 この二日間の食事に辟易している俺は楽しみを残しておくために今は我慢をすることにした。


 「ん?泡?」


 足元を見ると割った木の実の殻が川の水に触れ、少し泡立っている事に気付いた。


 「もしかしてこれ海面活性剤か?」


 もしこの木の実の殻に海面活性剤の成分が含まれているとしたらこれは洗剤代わりになるかも知れないと思った俺は殻を集め、石で囲った水たまりにそれを入れてかき混ぜる。


 するとたちまち泡が立ち囲いを満たす。


 汗や皮脂、土や返り血といった汚れに悩んでいた俺は試しに臭いがきつくなり始めたカッターシャツを入れて揉みこんでいく。


 揉む動きに合わせてカッターシャツから濁った汚れが滲み出て水を汚していく。


 しばらく洗ったあと引き上げ絞り、手に広げてみるとそこには白さを取り戻したカッターシャツの姿があった。


 「おお」


 軽い感動が胸に広がった。


 こちらに来た当初ほどの純白さを取り戻したわけではない。


 まだ染みや落ちない汚れが全体に残っているがそれでもかなり薄くなっている。


 浸け置きすればまだよくなるかもしれない。


 なにより、顔を顰めたくなるようなきつい臭いがだいぶ緩和している事が俺にとっては重要だった。


 臭いだって完全に解決できたわけではないが、残った臭いですら木の実のフルーティーな香りが誤魔化してくれている。


 俺は思ってもいなかった発見に少し楽しくなった。


 柄にもないが、人間ここまで追い詰められれば些細な事でも喜べるものだ。


 俺は水を入れ替え手早く木の実をかき混ぜ新しく泡を作っていく。


 俺はズボンを脱いで同じように洗い、広げて乾かし、最後にパンツを同じ行程に突っ込んだ。


 全裸になった俺は泡を手に取り腕につけ広げていく。


 少し水っぽい泡ではあるが現代のきめ細かい泡をただの木の実に求める方が酷だ。


 腕全体に広げた後、軽く手で擦り、垢を落としていく。


 水に流してやるを心なしか腕が綺麗になったような気がした。


 臭いはフルーティーな良い香りになっているためそれだけで満足だ。


 俺はその調子で全身を洗っていった。





 ◆





 全身を洗い終えた俺はほくほくとした表情で焚火の前に座って暖を取っていた。


 体が綺麗になったのは良いが調子に乗って長いこと裸で水に体をさらしたことによって少々体を冷やしてしまったようだった。


 風邪をひいては敵わないと思った俺は慌てて自己最速で火を起こすことに成功した。


 木の棒に刺して広げた服を焚火の前で乾かすことしばらく。


 日光の助けもあって思ったよりも早く乾いた服を着る。


 体を洗って臭いを消した後だからか、僅かだと思っていた服の臭いが洗った当初よりも強く感じられた。


 臭いに慣れてしまっていたのだろう。


 俺はこれ以上に臭いのを着ていたのかと少し憂鬱になった。


 服を着て飯にしようと考え始めたその時、二度目の来訪者が俺の前に現れた。


 水を飲みに来たのだろう。


 悠然とした足取りで対岸にいるそいつはこちらに一瞥もくれることもなく川に口をつける。


 「鹿……?」


 それは立派な体躯と角を持った鹿だった。


 こちらに向けられた角は広げた両腕ほどの長さを持ち、枝分かれした角の一本一本が太く先端の鋭利な立派なものだった。


 しかも信じられないことに、その角は薄暗くなり始めたこの日暮れ中にあって淡い光を放っている。


 玉虫色をしたその角は周囲に蛍が飛んでいるかのように、玉のような光が揺れ動き、異彩を放っている。


 そして卑屈さなど全くない、何者も意に介さないその瞳は草食動物らしからぬ王者の風格を有していた。


 一目で分かる。


 こいつは今の俺が手を出していい相手じゃない。


 鹿肉なんて今の俺からしたらかなりの贅沢で喉から手が出るほどに欲しいものだが、そんな甘い考えを実行に移したら命がいくつあっても足りないだろう。


 俺はそいつが気まぐれでこちらに害意を向けてこないように息を殺して気配を潜める。


 しかし俺でもこいつがやばいということは分かるというのに、世の中どこにでもバカはいるようで、鹿の後ろから数匹の気配が現れ鹿へと迫る。


 そいつらは最初に俺を襲って今の俺の不本意な主食になっているゴブリン達だった。


 背後に危険が迫っているというのに、鹿はそれすら意に介さず喉を潤し続けている。


 凶器を振りかぶったゴブリンがもう背後のすぐそこまで迫っている。


 鹿はこちらに一瞥を寄越すとまるで見ていろとでも言うように角を振り上げた。


 不思議な色で光るその角は一層強く光り、それに呼応するかのように周囲の光の玉が踊り始め、背後のゴブリンへと近づいた。


 たったそれだけ。


 たったそれだけでゴブリン達は全身を焼かれ、切り裂かれ、氷に砕かれ、大地に呑まれた。


 振り返ることもなくたった一瞬で、数匹いた近くのゴブリンを葬ってしまったのだ。


 それに驚愕していたのは俺だけではない。


 先駆けに任せて攻撃をしなかった残った二匹のゴブリンがようやく彼我の力量差を理解したのか、固まって動けずにいた。


 十分に渇きを潤して満足したのか、その鹿はもう一瞥をこちらにくれると、戦意のないゴブリン達には目もくれずそのまま横を通り過ぎ、去っていった。


 「なんだったんだよ、あれ」


 規格外だった。


 動物特有の身体能力がとかの次元の話ではない。


 炎に裂傷に氷、果てには地面が大きくその口を開いてゴブリンを飲み込みそのまま潰すように口を塞いでしまった。


 「魔法……?」


 馬鹿らしい。


 あれを見るまではいくらここが地球じゃないからってそんな空想の産物が存在するなんてありえない。


 そう思っていた。

 

 自分が突然ここに連れて来られた時の足元の光を放つ幾何学模様。


 そして明らかに身体能力のおかしい生物。


 なにより地球でないことが魔法の存在を考えるきっかけになったが、そんなもの、空想の中でしかあり得ないと、俺はそう断じていた。


 妙にリアリストなのだろう。


 異世界にいるというのに、だからと言ってすぐに魔法だなんて超常の存在に結び付けるなど安直だと思ったのだ。


 しかしこれは流石に信じざるを得ない。


 あの神々しい光。


 意志があるように動く光の玉。


 そして無礼者を葬り去った数々の超常現象。


 この世界には間違いなく、魔法があった。


 「あんなのに間違って手を出したら瞬殺されるだろうな」


 俺は戦ったウサギを思い出した。


 あのウサギもわかりやすい魔法は使ってこなかったが、ゴブリン以上の瞬発力、強さを考えると多分何かしらの魔法を、または魔法のようなものを使っていたのかもしれない。


 あのウサギはあの鹿のような理不尽な魔法は使ってなかったが、もしあんな魔法を持っていたらと思うとぞっとしない。


 「これからはほんと気を付けないと」


 俺は緊張した体の力を抜いて、体内の溜まったストレスを吐き出すように深いため息を吐いた。


 「ん?……なにか忘れてるような」


 頭の端に残る惨事の映像。


 それを振り返っているとパシャパシャという水音が聞こえた。


 「あ」


 そこには川を渡り終えた生き残りのゴブリンがこちらを睨んでいた。


 「なんでそうなるの!」

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