灰燼
オレは屋上に着くなり、ケースから煙草を取り出して火を点けた。喫煙所まではあと数歩あったが、吸いたい衝動が抑えられなかった。もう10月も終わる頃で卒論の提出日が2か月後に迫り、ストレスが溜まっていた。
喫煙所のパーテーションの中に入ったオレの喉から、おっ?という声が漏れた。喫煙所では、見知った顔が煙草を吸っていた。
「あれ?お前大学じゃ吸わなかったっけ?」
「…ストレス溜まっちゃって」
今年の春に別れた元カノは、オレが喫煙所に入る直前に考えていたことと同じことを言った。
思わず笑ってしまったオレを睨むあいつは、確かに以前よりも顔色が悪いようだった。相変わらずオレが教えた煙草を吸っていた。重い煙草だから最初は盛大にむせていたが、今では吸っている姿がサマになっている。
オレはあいつのストレスの原因に心当たりがあった。
チャンスがあれば誰でもそうするように、オレは軽く突いてみた。
「ストレス源ってあれだろ。今の彼氏クン」
オレが探りを入れると、あいつは図星とばかりに目を見開いた。
あいつが彼氏クンと一緒にいるところは何度か見たことがあった。オレの経済学部のある棟にある学食は、蕎麦とうどんとカレーしか無い。文学部のある棟の学食のほうが何倍も充実しているから、オレはよく文学部の棟に足を運んでいた。さっきも、学食を食べてきたところだった。
オレと同じく3限は空きコマだと言うから、大学の近くのドトールに場所を移した。
「…ちゃんと好かれてるかわかんないんだよね」
あいつはホットの黒糖ラテを飲みながらぽつぽつと愚痴を話し出した。オレは神妙な顔を浮かべつつ、内心で「ツラはいいんだよな」などと考えていた。そのツラをちょっとした喧嘩で引っぱたいたから振られたわけだが。
余計なことを考えながらも、脳の一部ではあいつの話をしっかり捉えている。彼氏は受け身の性格で、段々と疲れてきたこと。旅行の行き先も決めてくれなかったこと。普段のデートも自分が主体なこと。電話も全然くれないこと。そもそも言葉で「好き」って言ってくれないこと。生理中に気にかけてくれないこと。そのくせ彼氏の家に行くとベタベタしてくること。
その愚痴の適当なタイミングで、オレは親身に寄り添っている風に相槌を打つ。音ゲーみたいだなと思う。
それにしても話に聞く彼氏クンは、見かけた印象通りだという感想だった。いかにもそういうタイプというか。
「頑張ってるけどさ、彼の態度も冷たく感じるようになっちゃって……あっ、ごめん。4限は必修なんだ。そろそろ行かないと。ごめんね長く話しちゃって」
「ああ、気にすんなって。あと…あんま気ィ詰めんなよ。なんかあったらまた聞くから」
「ん…ありがと」
あいつは長話を終えて立ち上がると、カップを返却口に置いて大学に向かった。あの愚痴の嵐を浴びたオレは確信する。あれはもうすぐ別れるだろう。あいつは相当に不満が溜まっている様子だったし、彼氏クンは草食系で好意の伝え方もわからず関係性を維持する能力も無いダメっぷりだ。
気づけば、口角が上がっていた。
もう少しドトールにいようとかと思ったが、卒論を進めないとマズいのでぬるくなったコーヒーを一気に飲み干して大学に向かった。図書館に行く前に文学部の棟のエレベーターで屋上に上がり、喫煙所に入った。
…今日は妙な縁がある日だ。偶然にも、彼氏クンがそこにいた。
彼氏クンはオレのことを知らない様子で、喫煙所に入ってきたオレの顔を一瞥しても反応することなくサッと目を逸らした。あいつの話を聞いたばかりだから余計に、なんともまあ頼りなさそうな奴だと思う。覇気の無い顔つき。今この場で殴られても何もできなそうだ。
彼氏クンが下手クソな吸い方で灰をこぼしながら吸う煙草を見て、よほど言ってやりたくなった。
それ、オレが教えた煙草なんだぜって。
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