第16話 窮鼠生肉を噛む
丁寧に二回ノックをし、部屋の中に入るフラン。部屋の中には7人ほどの白いワンピースを着た少年少女がおり、フランの姿を見るやいなや一箇所に固まってお互いに抱き合う。
フランは胸に右手を当て、片膝をついて一礼する。
「こんにちは。僕はフラン・ケミスト、シルヴィの新しい職場の上司さ」
「シルヴィ姉ちゃんの……?」
「あぁ。せっかくここまで来たんだから、彼女の弟妹たる君らにも挨拶しておきたいと思ってね」
子供達は顔を見合わせた後、抱きついた手を離してフランの方を向く。
「おや、信頼してくれたって事で良いのかな?」
一番先頭に立つ少女は、フランの目を見て首を横に振る。
「……いいさ、易々と信じられるとは思ってない。とはいえ、そんな僕が長々とここに居ては要らぬ不快感を与えてしまうだろう。ならば、本題はすぐ入るに限る」
フランはポケットの中に折りたたんだ赤い紙を右手に持ち、人差し指で弾いて塊肉に戻す。
その肉を見た子供達は一斉に息を呑み、眉間にしわを寄せてフランの周りを取り囲んだ。
「やっぱりそれが目的だったんだな!」
「もう顔も見たくない!」
「出て行け! 家は僕達が守る!」
子供達から矢継ぎ早に罵声を浴びせられながら、フランは溜息をついて塊肉を両手で持つ。
(やっぱりこうなるか。しかし、誰もが僕を見ざるを得ないこの状況に持ち込めたのは大きい。ちゃんと皆に、これからする愚行を見て貰える)
子供達の顔は次第に赤くなり始め、遂にフランの背後に居た少年が積み木のブロックを持った右手を振り上げた、その時――
突然、フランは手に持っていた塊肉にかぶりついた。
『!?』
唐突なこの行動に子供達は酷く困惑し、唖然するあまり動けなくなってしまう。
そんな子供達を余所に、フランは歯茎から血を出すほど強く肉を噛み続ける。
「な、なあ……もういいって……」
「何がしたいのこの子……?」
顎が震えるほどに力を入れ、フランは遂に塊肉から少しの肉を噛みちぎる事に成功する。
それからフランは目を閉じて一生懸命顎を動かして咀嚼し、左手で口を押さえて上を向き、大きな嚥下音を立てながら飲み込む。
地面に膝から崩れ落ちたフランだったが、息切れしながらも辺りを見渡し、呆然と立ち尽くす子供達の目をひとりずつ丁寧に見て――
「……ほ、ほら。何ともない」
右目から一粒の涙を流し、そう声を掛ける。
子供達は目を見開いたまま動かず、フランも何も出来ず言えずに居る。そんな静寂がしばらく続いた後、フランの目の前に居た金短髪の少女が一歩前に踏み出してしゃがみ込む。
「それちょうだい」
「お、おいアメナ!」
「シルヴィ姉ちゃんが家を出る以上、これからは私がアンタ達のお姉ちゃんになるわ。なら、いの一番に毒味するのは私じゃないと」
フランが微笑んでアメナに塊肉を渡すと、アメナは顔を引きつらせながら少しの間それを眺めた後、意を決して塊肉にかぶりついた。
少女が持つ尖った歯は容易に塊から肉を噛みちぎり、噛みつぶして飲み込む手伝いをする。
「どうだ、アメナ……?」
隣に居た少年にそう声を掛けられると、アメナは少年に向けて笑顔で頷く。
「大丈夫よムラト。塩酸の酸っぱさやアルカリ薬品の苦味、それからアタシ達が食べてきたどの毒の風味もない純粋なお肉の味がするわ!」
「マジかよ! じゃあ僕にも寄越せ!!」
ムラトがアメナに飛びついたのを皮切りに、他の子供達も一斉にアメナのいる所に集まりだした。
もみくちゃになる子供達を見ながら、フランは仰向けに寝転がって天井を見る。
「……やったぞ……」
それから間もなく、騒ぎを聞きつけたナツが六つの塊肉を小脇に抱えながら部屋に入ってくる。
「ちょ、ちょっとみんな! 落ち着いて下さい! フランさん、これは一体何事ですか!?」
「生肉を取り合ってるみたいですよ。僕はこの通りもう一歩も動けないので、子供達をなだめたり肉を配る役目は貴女に任せます……」
「……ええ? 中で一体何が――」
「み、みんな! ナツおばちゃんが人数分のお肉持って来たから! そっち行ったらどうかしら!?」
アメナに組み付いていた子供達は一斉にナツに視線を集め、驚いて身を震わせるナツに飛びかかってあっという間に肉塊をかっさらっていった。
乱れた衣服を直しながら立ち上がるナツを余所に、肉塊を持った子供達は部屋中に散らばり、手に持った一本の肉塊をちまちまと食べ始める。
「本当に、子供達が肉を食べてる。私がどれだけ工夫しても食べなかったのに……何をしたんです?」
「簡単な話が、皆の前で生肉を食べて見せたんです。それが毒物じゃない事を証明するなら、食べるのが一番手っ取り早い」
「なるほど……って、えぇ!? 食べたんですか!? 純人類の貴方が生肉を食べたらまずいんじゃ!」
「もちろんまずいですよ? あぁ、そうこうしてるうちに腹が痛くなってきた……お手洗いをお借りしてもよろしいですか?」
「ダメなんて言うはず無いですよ! というか場所を教えるまでも無く、トイレに直接転送します! えい!」
ナツが右手を勢いよくフランに向けて突き出すと、フランの体は一瞬にして姿を消した。
その直後、トイレのある方向からフランの絶叫が微かに響いてきて、それを聞いたナツは必死に吹き出すのを堪えながら子供達がいる部屋を出るのだった。
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