第2話 汽車旅相談室のすごさに思いを馳せる
時をさかのぼること1980年代。
鉄道ジャーナル社が発行していた「旅行」雑誌・旅と鉄道。
その終盤に、こんなコーナーがあった。
種村直樹の汽車旅相談室
レイルウェイライターと称して多くの優れた鉄道紀行を執筆してきた、
元毎日新聞記者。
国会担当への異動を固辞し、執筆業に脱サラした名ライター。
最後のほうは迷うのほうだと言われるかもしれないが、それはそれ。
そんなことで彼の功績が消えるわけではない。
あの頃はインターネットなど影も形もなく、
国鉄末期でしかもサービスが悪い意味で問題視されていた。
そんな時期に、主として国鉄の切符の規則云々の運営に対して、
侃侃諤諤、さまざまな質問が飛び交っており、それに答えていた。
それは確かに、あの時期の国鉄はもとより今の各鉄道会社に対し、
一定以上の効果をもたらしたと言えよう。
種村氏の盟友と言ってもいい、当時の鉄道ジャーナル編集長・竹島紀元氏。
彼がそのコーナーを後押ししていた。
確かに、竹島氏や種村氏は当時のベテラン鉄道趣味人らの厳しい目のある中、
若い読者たち、とりわけ当時の鉄道少年たちを庇護しつつも導いてくれていた。
あの頃同じことが、あっただろうか?
ま、自動改札はほとんどなかったから、何も影響なかったかもね。
でも、同じようなこういうトラブルは、当時もたくさんあった。
というより、当時のほうがすさまじかったことは間違いないわな。
だけど、第1話で述べたような事態がわが身に降りかかったとき、
あの頃を思い出さないわけにはいかなかった。
間違いなく、あの頃このような生兵法にも至らぬ案内をしたら、
雑誌上でボコボコに叩かれていただろうな。
今はなんと、それがネットに変わってしまった。
良くも悪くも、そういう状況である。
それだけが理由でもないが、かのコーナーが使命を終えたのは、
インターネットの普及と鉄道会社の自助努力がその主要因だった。
改めて、先人の功績に思いを馳せるきっかけとなった。
それは確かに、間違いない。
皮肉でも何でもなく、この経験に感謝している。
・・・・・・・ ・・・・・ ・
へびのあし
先日送付していたメール、実は送付できていなかったことが判明し、この後再送付いたしました。
今週中にはケリをつけたいと思っておるところです。
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