4話
疲れ切った様子でソファに座る父の前に、スフィアは腰を下ろす。間に置かれたテーブルにシーアが紅茶を置いて、無言で退室した。
「お父様、あの祠には何が入っていたのですか? 何もないというのは嘘ですよね? 本当の事を教えてください」
沈黙が怖くて、スフィアは父に問いかける。
「……石だ」
「マリアが身につけていた、紫水晶の首飾りの事ですか?」
「いいや。道ばたにあるような、ごく普通の小石だ。正式に公爵家を継ぐ時にだけ、あの扉を開いて中を確認するのだが、私の時には小石が何粒か置かれているだけだった。ただし、あの中に「何か」が置かれるようになったのは私の父……お前の祖父の代からだ」
一体何があったのか、父イヌール公爵は静かに語り出す。
「まずあのホコラの成り立ちだが、誰も知らぬ。この土地を曾祖父が収める頃には、既にあったと記録されているがそれ以前は分からない」
曾祖父の代は、まだこの地は戦乱の真っ只中。現王の祖先が戦に勝利し、小国や部族を配下に入れて現在の国が出来上がった。同時に周辺地域もある程度同規模の国が建国され、これ以上の戦乱を起こさないよう和平の取り決めが為されて今に至る。
「曾祖父は王の先祖の家臣であったが、あまり武芸は得意でなく剣の扱いも未熟だったらしい。そこで思い詰めた末に、ホコラの前で「武功を上げる手伝いをしてほしい」と願った」
嫌な予感しかしないが、スフィアは黙って先の言葉を待つ。
「その夜から、曾祖父の剣は朝になると血まみれになって手入れ部屋に置かれるようになった。無論曾祖父は、戦には出ていない。次の日も、その次の日も……いつしか屋敷の剣全て、それどころか包丁や農具の鎌までが血まみれになっていった」
(ひいっ)
「不思議な事に、屋敷の人間は誰一人戦に出ていないし、怪我もしていない。なのに戦場の王からは武功を称える書類や勲章が届く。我が家が公爵の地位を得られたのは、ひとえに曾祖父のお陰でもある。曾祖父が亡くなるまで、剣は毎朝血を纏って手入れ部屋に現れた」
血なまぐさい話だが、当時としては仕方なかった事情も汲める。
「私の父、お前にとっての祖父は、曾祖父から剣の話を聞いてたのでホコラには何も願わず……あの広場に咲く花を褒めた。ホコラの中になにがあったのかは、最後まで教えてくれなかったよ」
無難な選択だなとスフィアは思う。なにも願わず称えたのは、曾祖父に代わり武功を立ててくれたお礼の意味もあったのだろう。単純な話だが、しかし事はそれで終わらない。
翌朝祖父が目覚めると、枕元には美しい花が置かれていた。
「翌日も、その翌日も。私の父は美しい花の香りで目覚めた……」
「それは素敵なことでは?」
「広場に咲いていた花ではなく、見たこともない異国の花だ。植物学者や旅の者を呼んで花を見せたが、誰一人としてその花の名を答えられなかった」
そして花は日を追うごとに数を増し、祖父が亡くなる頃には枕元どころか部屋一杯に花が溢れかえった。
スフィアは青ざめたまま、カラカラに乾いた喉を潤すために紅茶を飲む。
「私は……その話を聞いていながら……つい、どうしてこんな石ころを奉っているのかと父に問うてしまった」
違和感を感じて父をじっと見つめると、観念したように口を開く。
「……「なんだ、石ころじゃないか」と言ってしまったのだ……」
(それやっちゃいけないやつ)
父は祖父がかなり歳をとってから生まれた子どもだ。幼い頃は病弱で、文字通り蝶よ花よと甘やかされて育ったボンボン。代々奉る祠に対して、敬意も何もなかったのは想像がつく。
「その夜から今日まで……私が寝室に入ると必ず窓に小石がぶつけられる」
父の寝室の窓には分厚いカーテンがあるので、小石がぶつかった程度では室内に音が聞こえるはずもない。
「窓にぶつけられるだけなのですか?」
「そうだ。私が公爵家を継いでから、途切れたことはない。私の臨終の時まで続くのだろう」
両手で顔を覆う父が、呻くように言葉を続ける。
「何が起こるか分からないのだ。祠に祈っても、何もないことの方が多いが――ひとたび事が起これば、口にした者が死ぬまで終わりはしない。良きことも悪いことも度が過ぎる……」
***
父が知っているのは語ったことが全てだったようで、祠破壊に関してその後の怪異対策のヒントになるような事はさっぱり分からずじまいだった。
(とりあえず、私は無事ってことでいいのかしら。ともかく、祠は建て直さないといけなわね。広場はうちの庭師に頼むとして、腕のいい大工を手配しないと)
怪異の正体が分からない以上、自分に出来る事は祠と広場を可能な限り元通りにすることくらいだ。気休めにキッチンから塩を持って来てもらい、部屋の四隅に盛り塩をしてからスフィアはベッドに入った。
翌朝目覚めると、机の上には祠の設計図が置いてあり、気味悪く思ったもののこれはやはり「早く元通りにしろ」という怪異からのお言葉と考え、森の方角に向かい頭を下げた。
「やっばり神様はいらっしゃるのね。早く祠を建てて、ゆっくりして頂かないと」
部屋の四隅に置いた塩は何故か溶けていたが、気にしないことにする。
朝の支度を手伝うために部屋へ入ってきたメイド長に、スフィアは図面を見せる。
「見てシーア、神様が祠の図面をくださったの。これがあれば、すぐに大工に仕事を頼めるわ」
「お嬢様……覚えていないのですか?」
「?」
シーアが言うには、自分は夜中に執事を呼び出して、製図台を運び込ませ明け方まで何かを描いていたらしい
言われてみれば手が怠い。夜着の上に羽織る薄物も、インクで汚れている。青ざめたスフィアとシーアは顔を見合わせたものの、どうしていいのか分からない。とりあえず図面は机に戻し朝食を食べるために部屋を出た。そして部屋に戻ってみれば図面は何処かに消えていた。
不可解なこの現象は始まりに過ぎなかった。
翌日から祠と踏みにじられた芝が少しずつ補修されていった。どうして分かったかといえば、庭師と執事がこれ以上荒らされることがないようにと、毎日御神酒を飲んで広場を確認に出てくれたお陰だ。
忠実な使用人の存在はとても有り難い。これからも大切にしようと、スフィアは心に誓う。
そして庭師と執事とは別に、王から命令され森の入り口で見張りに立った騎士達から報告が入る。それぞれの家に軟禁されていた取り巻き達が夜な夜な森に入り、せっせと修繕にあたっていたのだ。それも素手で。
朝になると彼らは家に戻り、ベッドに入って休む。
家族が問い詰めても皆揃って記憶が無く、答えもおぼつかなかったらしい。祠と広場が元に戻る頃には全員老人のような容貌になったと噂されている。全て又聞きなのは、彼らは表向きは「病人」とされ、実質監禁状態に置かれているので真実どうなったのかは彼らの家族しか知らないのだ。
一方で、この事件の主犯格である義母の行方は分からないままだった。あの婚約破棄を言い渡された日、騎士達が連行した中に義母の姿はなかった。
捜索隊を出そうか、それとも行方不明として扱うか父と大司教が頭を悩ませている最中、やっと彼女の手がかりが見つかったと連絡が入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます