2話
そう言うと父は席を立つ。大人しく従うと、後から執事とメイド長もついてくる。
屋敷内は普段の騒々しさが嘘のように静まりかえっていて、スフィアは首を傾げた。
(さっきまで掃除をしていたメイド達はどこに行ったのかしら? マリアは夜会だと聞いてるけど、こんなに早く出かけるのもおかしい……)
「あの、お父様? どちらに――」
「ここから先は、私がよいと言うまで口を開いてはならん」
何年ぶりかで聞く父の威厳ある声にスフィアは口を引き結ぶ。
父を先頭にして屋敷の裏門を出て、庭園を通り更にその先にある森へと入る。狩猟場として管理されてるいると聞いていたその森に、スフィアが立ち入ったことはない。
父からは単純に「王がお忍びで狩りを楽しむこともある。危険だから入ってはいけないよ」と諭されていただけだが、今思えば何か不自然だ。
(手入れ……全然されてない)
辛うじて獣道のようなものはあるけれど、王族が気軽に入れるような場所でないのはスフィアも気付く。
「アドロ、シーア。支度はできているね?」
「はい旦那様」
呼ばれた執事とメイド長が進み出て、スフィアの前に立つ。シーアと呼ばれたメイド長の手には、籐で編んだ籠。それを恭しくアドロ執事に掲げる。
アドロはイヌール公爵に視線で確認してから、籠を覆っていた白い布を取り白い杯を手にした。
(さかずき? だよね? ……でもって、御神酒徳利?)
この世界観に相応しくない道具を前に、頭の中をハテナマークが飛び交う。
「スフィア、アドロ、シーアの順で、オミキを飲みなさい」
(やっぱり御神酒だ! ってちょっと待って。これってなんか、ヤバイよねえ……どうやっても、嫌な展開になる怪異絡みのヤツだよねえ?)
悪役令嬢ものの断罪なら、ある程度は知識もあるし回避の仕方も知っている。なぜならああいう話は大好物だったからだ。
そして同じくらい、前世のスフィアはオカルトも大好物だった。
だからこそ……怪異の回避は断罪なんかよりずっと難しいと知っている。
「お、お父様……私……今から異国に旅立ちたく……」
「口を開いてしまったね。お前は森に立ち入るのは初めてだから、すぐに飲みなさい」
「お嬢様」
「さ、早く。時間がございません」
有無を言わせぬ圧をかけられ、スフィアは杯にそそがれた透明な御神酒を飲み干した。すると大人三人がほっと息を吐く。
「この森に立ち入る条件として、当主以外はオミキを飲まねばならない。よく覚えておきなさい」
「保管場所はお屋敷に戻りましたら、正式な儀式の後でお伝えいたします」
(儀式ってなにー)
笑顔の執事にスフィアは引きつった笑みを返す。
四人は再び公爵を先頭にして歩き出す。森の緑は益々濃くなるが、鳥の声も獣の気配すらもしない。風が吹き抜けても木の葉のざわめきすら聞こえず、君の悪い静寂が辺りを包んでいる。とにかく屋敷に戻りたかったけれど、なんだか後ろを振り返るのも怖い。
仕方なく父について進んでいくと、突然視界が開けた。
「えっ?」
そこは十人ほどがピクニックを楽しめそうな円形の広場となっており、空を覆う木々もなく陽光がさんさんと降り注いでいた。一流の庭師が管理していると思われる美しい芝生と、可憐な白い花をつけた低木が広場を囲む生け垣のように綺麗に配置されている。簡素だがまるでこの世のものではないような美しさに、スフィアはため息を吐く。が、すぐに異様なものが目に飛び込んできた。
スフィア達の正面、丁度広場の中心に「それ」は建っていた。
(祠……)
小さいながらも、それは確かに「祠」と確信する。幼い子どもが入れるくらいの観音扉を持つ木製の祠は、これまたあつらえたような丁度良い岩を台座に鎮座している。桧皮葺きの屋根には所々苔が生えており古びてはいるが、それが何とも言えない雰囲気を醸し出していた。
アドロとシーアが祠に向かい頭を下げ、残った御神酒を捧げる。シーアは更に玉串を籠から出して、公爵とスフィアに渡した。
「これから私の真似をして、これを捧げなさい」
「……はい」
嫌だ、なんてとても言える雰囲気ではない。
(こっちの世界観だと邪神? 悪魔崇拝?)
一応この世界の宗教は、一神教である。殆どの国が同じ神を信仰しているが、「魔術」や「聖女」の存在もあるので、あからさまな邪教でなければ土着神的なものも信仰の対象となっている。まあガバガバな訳だが、これまでスフィアは神学でも史学でも、目の前の「祠」のような形状の信仰対象など見たことがない。
いや、前世では嫌って程ファンアートで触れていたから全く知らないというのは違う……などと現実逃避をしつつ目を泳がせる。
そんな愛娘を、公爵は緊張していると勘違いしたのかことさら優しく話しかける。
「スフィアよ、よくお聞き。わがイヌール家では代々このホコラをお守りしてきた」
(あ、やっぱり祠っていうんだ)
「当主、嫁いできたもの、長年仕えている選ばれた使用人。大体十名ほどが、当主と共にホコラを守る。これは王家でも務まらぬ、とても栄誉ある仕事だ」
「あ、あの。教会の許可は」
「勿論得ている。彼らの力では御しがたい故に、イヌール家がお守りする役目を頂いている」
それはつまり、この国の主教である神様と同格かそれ以上という意味だろうか。
(……深く考えちゃ駄目だ。とにかく、話を聞こう)
大体において、失敗のパターンは話を聞かない、あるいは都合良く曲解することで惨劇スイッチが入る。言われたことをきちんと守り、従えば怪異は何もしないのが基本だ。
「イヌール家の子どもは十七になると、この事実を伝えられホコラに参り挨拶をする。年に二度、夏至と冬至にオミキとタマグシを捧げて。ホコラに敬意を表す」
「……それだけ、ですか?」
「それだけとは?」
「肉や香草を絶つとか、夜は十二時までに寝ないと駄目とか。枯れた井戸から何か出てきたり、旅行何日か家を空けたら何かが入ってくるとか……そういうの……です」
元々たいしてない語彙力で、スフィアは父に問いかける。
「私もお前の母も鹿肉が好物なのは知っているだろう? 夜も夜会がある日は明け方までは城にいねばならぬし、我が家に涸れ井戸はないぞ。それと夏には親戚の伯爵家と一緒に、よく海へ行って遊んだではないか」
「そうでしたわね」
とすると、この祠に奉られている神は温和なものなのだろう。ほっとすると同時に、スフィアは現実的な問題を思い出す。
「私が当主となってこの祠をお守りする役目は承知いたしました。ですが、マリアが納得するかどうか」
「それは私から、国王に話をする。大司教殿にもスフィアが継ぐと話は通してあるから、安心しなさい」
既にマリアが王太子と懇ろになったと噂が立った時点で、父は色々と諦めて手を打っていたのだろう。
「正直、伯爵家に我が家を任せるのは心許なかったのでな。王太子との婚約が破棄されると噂で聞いて、ほっとしたのだよ。すまぬ」
「いいえお父様。王太子とは政治的な結婚だと割り切っていましたので、心に傷はございません」
これは強がりではなく、スフィアの真実の気持ちだ。特別恋をしている相手もいないので、公爵家とこの「祠」を守るに相応しい婚約者を早く見つけてほしいと父に頼む。そして祠に向き直ると前世の癖で柏手を打ち、頭を下げた。
「これからよろしくお願いします。ついでに良いご縁を探してくださ……っ?」
「スフィア!」
突然父が叫び、スフィアの口を手で塞ぐ。
(やばい! お願い事が、何かのスイッチだった?)
「すみませんお父様。この神様へのお願い事を取り消しますから、方法を教えてください」
「神様?」
すると公爵が怪訝そうに眉を顰めた。
「えっと、お祀りしているのですから「神様」がいらっしゃるのですよね?」
「いや、なにもいない。願い事をしても、それが正しく叶うことはない……」
「じゃあ、どうして?」
「ホコラの前では、余計な話をしてはならないと先祖からの言い伝えがある。それだけだ」
「さ、お嬢様帰りましょう。身体が冷えてしまいます」
「今夜は鹿肉のソテーですよ。デザートはチョコレートムースをご用意いたしております」
あからさまに話を逸らされたけれど、きっと彼らは口を割らないだろう。
(これ以上首を突っ込んで、自分から怪異惨劇ルートを確定させるのは悪手だわ)
次期当主として引き継いでしまったものは仕方ない。
だが、やはりというか、予想どおりというか。
翌日あっさりと、祠は破壊された。
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