第9話 光明
朝一番で地下室にウェイド様の様子を見に行くと、昨日と変わらず毛布をかぶった小山がこんもりとベッドの上にできていた。
「おはようございます。ウェイド様、大丈夫ですか……?」
駆け寄って声をかければ、「うー……」という呻き声が毛布の山から響いてきた。山がもぞもぞと崩れると同時に、寝癖のついたウェイド様が現れた。
枕を抱えたままベッドの上に座り直したウェイド様は見るからにしんどそうで、昨日からの倦怠感と吐き気が続いているようだ。
「ユーゴぉ、こっち」
と甘えるように名前を呼ばれて、俺は「はいっ」と即座にウェイド様の言外の要求に応えた。
ぎゅーっと抱きしめると、ウェイド様は満足そうに溜め息をつく。
(ああああ~~かわいい~~……! 体調の悪いウェイド様にはほんっとうに申し訳ないけど……!)
天にも昇るような喜びの反面、心配と心苦しさで胸がチクチク痛む。
「こうやって地下にこもっててもだっるいんだよ。まぁそういう実験だし、ちゃんと効果が出てるのは喜ばしいんだけどさ、むしゃくしゃするよなー……」
「ですよね……。ウェイド様、やっぱり俺もこの部屋で寝起きしちゃダメですか?」
そしたらウェイド様がむしゃくしゃしたときいつでもぎゅーってしてあげられますし! と俺は全力で売り込んだが、ウェイド様は緩慢な動作で首を横に振った。
「ダメ、危ねーから。寝ぼけた俺が具合の悪さに負けてお前の血を吸ったらどうするんだ?」
「いやいや、具合の悪いときくらいちゃんと血を飲みましょうよ! 今回に限れば食事制限の実験は優先順位低いでしょ?」
ろくに力の入らない身体を抱き込んだまま頬をすり寄せる。飢えていてもなめらかな肌の感触と甘い花のようなウェイド様の香りに一瞬本来の目的を忘れそうになった。確かに至福だがしっかりしろ俺、と自分に喝を入れ、
「ね、俺の血を飲んで」
「い……いや、まだ我慢できるし……」
「最低限でいいんです。ウェイド様の体調が良くなったところでちゃんと止めますから。飲めますよね? ウェイド様、俺の血美味しいって言ってくださいましたもんね」
「……っ」
う、と腕の中のウェイド様が身じろぎする。
味を思い出しただけで心が揺らぐくらい俺の血を美味しいと思ってくれているのが分かって、ちょっと浮かれてしまう。
それでもなおウェイド様はさんざんためらっていたが、やがて意を決して小さく口を開けた。
(えっ、うわ、いいいい良いんですかそんなサービスして……!)
ウェイド様はひたりと柔らかな唇を俺の首筋につけてから、「あ、ここは痛いかな?」と言うようにおずおずと肩のほうへスライドさせていく。緊張で張った肩の筋肉に到達するとまた慎重に唇を動かし、軽く食むような仕草を数回した。注射の箇所を確かめるみたいに。
俺は死ぬ気で自分を律することに集中した。俺の身体が強ばっていることもどんどん上がっていく体温もウェイド様には筒抜けだろうが、かわいい~~!!!! と思っていることも伝わっているなら良いかな。いや良くないか?
ウェイド様はそっと、本当にそっと俺の肩に歯を立てて、にじみ出た血を熱い舌で猫のように舐め取っている。前は腕だったのが今は肩。そのちょっとした違いが今の俺にはあまりにも大きかった。ウェイド様をより近くに感じるし、急所が近いから喜びの中にスパイスのような緊張が混じる。
「…………うま……」
ほんの少量の血を大切そうに摂取したウェイド様は、そう呟いてほうっと息をついた。それが俺の肩をさらに温めるのでにやつきが止まらない。
するとウェイド様は俺の様子に気がついたのか、むっとして顔を上げた。
至近距離で美しい銀色の目と視線が絡む。
ご馳走を食べた直後の子どものように頬を上気させ、まだどこかぼうっとしているウェイド様の姿に、冗談抜きでウッと心臓が縮んだ。
その仕草を勘違いしたウェイド様が拗ねたように、
「……おい、お前が飲めって言ったんだろ」
「違うんです……これはキュンってやつなので違うんです……ご馳走様でした……」
「? ご馳走様でしたは俺のセリフだろ? 何でお前が言うの」
わけ分かんねーと言いつつも、ウェイド様は俺の胸にふざけて頭突きをするようにもたれてきてくれた。さっき噛んだ肩を撫でて労ってさえくれるその愛情深さは、背筋に震えが来るほどだ。
俺がはわ……と固まっていると、すでに頭を切り替えてしまったらしいウェイド様が言う。
「今年の拝謁の儀まであと一週間……何が何でも解析を間に合わせねーと」
吸血鬼の貴族たちは毎年春に真祖に拝謁を賜る決まりになっている。ウェイド様のもとへも都への招待状が届いていた。
今のところはまだグレゴリウスを含め薔薇星室の再襲撃を受けてはいないけれど、貴族のウェイド様は一週間後の真祖との対面を避けられない。
もちろんウェイド様はその拝謁の儀に備えて着々と準備を進めている。
俺が以前こぼした、俺の世界では吸血鬼は太陽光を受けると死ぬとされていたという話と、直接対峙して得た薔薇星室の光刃の特徴、エディンの命名式で聞いた人間の神話とソシャゲのタイトル名などの情報から、ウェイド様は真祖が隠している吸血鬼の真実について推測を立てたのだ。
つまり、吸血鬼の正体は神話に出て来る旧シュマルド人であり、真祖はこの世界の空に日光を遮る魔術の皮膜のようなものを設置し、自分だけが太陽光の力を武器として利用しているのではないかと。
ウェイド様は領主館の真上の空を魔術的に調査し、手応えを得たらしい。あっという間に偽物の空に勘づかれない程度のごくわずかな穴を空け、本物の太陽光の作用を解き明かすべく自分の身体で実験を始めた。(指先だけ本物の太陽光を直接浴びようとしていたときは当然俺が力ずくで止めた。自分の肉体改造の成果を心底実感できた一件だった)
俺の世界での伝承のように、やっぱり本物の太陽光は吸血鬼に甚大な影響を与えるようだ。このランシュタイナー領の領主にして唯一の吸血鬼であるウェイド様は、地下室にこもっていても体調不良にさいなまれている。
俺や領民はぴんぴんしているので人間には無害というところまで伝承と同じだ。光刃が人間の俺には効かなかったのも同じ理屈だろう。
「真祖にできて、天才の俺にできないわけあるか!」
と発奮したウェイド様は、真祖のお株をそっくり全部奪うつもりで研究に打ち込んでいる。推しがあまりにも光。眩しい。俺のウェイド様最高。
「でも良かった。俺、人間だからウェイド様に血をあげられるし、日光からも守って差し上げられるんですね」
ついしみじみ言うと、ウェイド様がぱちくりと目を瞬いた。
「人間じゃないほうが良かったなって思ったことあるのか?」
「うーん、ただの異世界転生なら思わなかったでしょうけど、ウェイド様と出会えちゃったから。もし俺がチート魔術をバンバン使えて剣の腕も立つ最強の吸血鬼とかだったら、ウェイド様が傷つくこともなく、超かっこよく完璧に守れたのになって妄想くらいはしましたよ」
恥ずかしさに誤魔化し笑いを浮かべる俺に、ウェイド様は「チート?」と首をかしげたが、ふっと笑った。
「つーか剣の腕って……もしかしてグレゴリウスと自分を比べてたのか?」
「そりゃ比べますよ、絶対負けたくないですもん! 俺あんなに強くないしイケメンじゃないし、勝ってるって断言できるのはウェイド様への愛くらいだし。ソシャゲで見せた強敵っぷりからしても、狂うくらいなら最初からそのスペック活かしてウェイド様を守れって感じです。狂ってからもあんだけ匂わせまくるくらい好きだったんなら、何で真祖に逆らわなかったんだよって……それはそれとして本編でウェイド様と想いが通じたみたいな展開はぜっっってー嫌だし勘弁してほしいんですけど~……!」
「だーからぁ、グレゴリウスが俺を好きっていうのはお前の想像だろ! だいたい俺はお前が好きだって言ってんのに、信じてねーのか?」
バカユーゴ、とふてくされたように俺の背中を叩くウェイド様、眼が飛び出るほどかわいすぎる。
俺は無粋なことを言ったのを心から後悔した。天使の祝福を受けているような気分でこの場をじーんと噛みしめながら、指通りのいいなめらかな銀髪に恥も外聞もなくキスをする。
「……信じてます。ウェイド様も、俺のこと信じてくださいね。拝謁の儀で何が起こっても、一緒に生き延びましょう」
ウェイド様は無言でこくりと頷き、俺の手に白い指を絡めた。
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