第5話 真祖の刃

 領主館に戻り、ザロモにことの顛末を報告したところ、やはり彼もあの異様な敵に心当たりはないようだった。

「ランシュタイナー殿ほどの魔術師が防げない攻撃とは……確かに液体生物などではあり得まい。坑道の外に出られてはコトだ、すぐに周辺を捜索させよう。少しでもそいつの姿を垣間見てはいないかね?」

「姿そのものは残念ながら。ですが……」

 俺の防壁をものともしなかったあの極細のビームのような攻撃そのものよりも、俺の魔術が発動すらしなかったことのほうが重要なヒントだ。

「おそらく、あいつの正体は吸血鬼だと思います」

「……何だと?」

 ザロモが目を見開き、ユーゴが苦い顔をする。

「暴走するか真祖に許しをいただかない限り、吸血鬼は吸血鬼を攻撃できません。俺が突然魔術を使えなくなったのはそのためじゃないでしょうか」

 吸血欲求を長期間満たせなかった吸血鬼は暴走状態に陥り、人間ではなく同じ吸血鬼を攻撃するようになるが、正気のうちはそんな暴挙には及べない。

 やろうとしても、あのときの俺のように身体が言うことを聞かないのだ。

 俺が言おうとしていることに察しがついてきたのだろう、ザロモが視線を泳がせ、

「……もし君の言うとおり敵が吸血鬼で、かつ君を危うく殺しかけたというのなら、向こうは『特権持ち』ということになるが……」

「ええ。つまりは同胞殺しの許可を真祖に授かっている吸血鬼が、俺たちを襲ったんです」

 同胞や吸血鬼社会に害を為したり、真祖に刃向かった吸血鬼を排除するためになら、真祖は同胞殺しを特例的に許してくれる。

 だがそれは、治安を維持する警察機能や法秩序に基づく処罰にしか用いられないはずだった。

 過去には反乱を企てた者や、違法な薬物を売りさばこうとした者、悪名高い盗賊、汚職に手を染めた大臣など、社会的に巨悪と評された者にしか適用されたことはない。

「ですから分からないのは、どうして俺が狙われたのかというところなんです。仮に何かの濡れ衣を着せられているにせよ、その罪で告発されてもいませんし、法的な手続きを踏んで処刑が決まったわけでもないのに、初手から闇討ちなんてあり得ません」

 ザロモは真剣に言った。

「ああ、君は反社会的な言動が目立つとはいえ、犯罪者ではなかったはずだな」

「もちろんですよっ」

 そういえばそうだったみたいな言われ方に憤慨する。

 俺は坑道で採取した結晶の欠片をザロモに見せ、

「……あるいは、この結晶の存在を隠匿したかったのか……。これがあれば、以前俺が開発した吸血欲求の抑制剤の効果を高められます。それが誰かに……ひょっとすると真祖にとって不都合だった……?」

「…………」

 ザロモは俺の話に黙って耳を傾け、思案していたが、何か決意したように口を開く。

「ランシュタイナー殿。その新薬……試作品でも構わない、ぜひ私に融通してくれないだろうか。もちろん、相応の代価は支払うし、その結晶の採掘も可能な限りこちらで進めよう」

 思わぬ申し出に、俺はえっと目を瞠った。

「……必要なんですか?」

 自分で言うのも何だが、吸血欲求を抑える薬なんてほしがる吸血鬼はいない。

 人間は現代の技術でもすでに完全に飼育できているし、そんな薬を買う金があれば市場に流通している血液を買ったほうが簡単だし安上がりだ。

 吸血鬼は基本的に人間などただの餌だと考えているから、倫理・道徳的に吸血を控えようとも思わない。

 ザロモもまた、そんな博愛精神に突然目覚めたようには見えない。領主館での人間の待遇もあの通りだったし。

「これは賭けだ。私はもう、ろくに血を飲めん身体なのだよ」

 驚く俺に、ザロモは悟ったような静かな表情で答える。

「老いからくる、喉の筋肉と胃腸が萎えていく病をわずらっていてな。嚥下機能と消化機能に障害が生じ、今もどんどん悪化している。吸血鬼の中でも長寿な個体であったことが不利に働いた」

「そんな……」

 喉だけなら、胃に穴を空けて直接血を流し込むという手もあったかもしれないが、どちらともが極度に老いて機能不全を起こしているなら効果はないだろう。

 ザロモは現在では真祖に次ぐほど長命な個体だ。これまでの誰も経験したことのない病にかかるには充分すぎる時間が、彼には与えられてしまっていた。

「このままでは待っているのは地獄の苦しみだ。骨と皮だけになるまで痩せ衰えてもなお、飢えの苦しみに泣き叫び、怒り、当たり散らし、その果てには暴走して家族や従僕を攻撃する羽目になるだろう。最後には真祖の許しを得た者たちに捕らえられ、処刑される。……そんな惨めな最期はごめんだ。せめて心だけでも穏やかに、大切な者たちを傷つけることなく死を迎えたいのだ。君のつくる抑制剤は、私にとっては希望なのだよ」

(希望……)

 ザロモは落ちくぼんだ目で俺を見つめ、言いつのった。

(作ったって俺以外に試そうとするやつなんかいなかったから、今まで抑制剤を暴走の予防薬として使った例はない。けどもし、吸血鬼の暴走の原因が吸血欲求だけにあるのなら……そういう効果もあるかもしれない)

 当たり前に人間を過酷な環境で飼い殺す吸血鬼も、同じように当たり前に、家族や長い付き合いの従者たちを愛している。飢えからくる癇癪が自分では制御できないほどエスカレートしていき、いずれは暴走して、周りを傷つける未来なんか吸血鬼だって耐えられないのだ。だからこそ、人間のためなどではなく、自分のために吸血欲求を抑え込みたいと考える者もいるということだろう。

 俺は結晶を握りしめ、

「分かりました、試してみましょう。ただ、抑制剤についての俺たちの協力関係は内密に。状況が特殊すぎて、本当に真祖の意を受けた者かどうかはまだ断定できませんが、俺たちを襲ったやつにザロモ卿も襲われることになるかもしれませんから」

「ああ、それで構わない。感謝する、ランシュタイナー殿」

 枯れ木のように痩せ細り、カラカラに乾いたザロモの手と握手を交わし、俺たちは秘密の協定をここに結んだ。



 その晩はザロモが用意してくれた客室に泊まっていくことになった。

 ユーゴも同室にするように頼むと難色は示されたが、ザロモが折れてくれるまでそう長くはかからなかった。

 領民にも領主館に出入りするのは人間ばかりなのはうちだけなので、当然使用人たちはみんな吸血鬼だ。

 好奇の目ならまでいいほうで、悪意や侮蔑のこもった視線やひそひそ声が静かな圧としてのしかかってくる。

 俺はこんな取るに足りないゲスな連中が何をしようが気にしないが、ユーゴはどうだろうか。そっちが気がかりで、「行くぞ」とその背を押してさっさと部屋に引っこんだ。

「はー……。命拾いはしたけど、最悪の場合敵は真祖かよ……」

 ふかふかのベッドに勢いよく座り込むと、どっと疲れを実感した。

 射抜かれた胸を無意識に手で押さえてしまう。

 一瞬で溶岩を突っ込まれでもしたようにここが熱くなり、かと思えば感じたことのない激痛が全身の神経を浸した、あのとき。

(さすがに死んだと思ったなー……)

 敵を攻撃できないと分かって、だったらどうにかしてユーゴだけでも逃がさなければと背水の陣の覚悟を決めたところから、こうしてふたりとも生きて帰れる未来なんて想像もできなかった。

(情けない話だけど、こいつのおかげで生き延びられた……)

 ちらと視線を上げると、ユーゴはどこか心ここにあらずといった感じで荷物をのろのろと整理している。

(まったく、めでたく生きて帰れたってのに何を沈んでるんだよ)

 俺はこほんと咳払いをして、なぜか前より大きく見えるその背中に声を掛ける。

「なぁユーゴ、ありがとな。無茶しすぎだって怒ったけど、お前には本当に助けられたよ。あのビームが何でお前には効かなかったのか、帰ったらちゃんと検証しねーとな」

「!」

 ユーゴは物思いからはっと醒めて、こちらを振り向いた。

 俺はまた尻尾をぶんぶん振っている犬みたいなリアクションが返ってくるかなと予想していたのだが、妙なことに、ユーゴはさらに眉を曇らせて視線を下げる。

「……? やっぱ変だぞお前。さっきからどうしたんだよ?」

「……」

 よっぽど気がかりなことがあるのか? ユーゴは何かを言おうとしては躊躇ってを何度か繰り返した。

 俺はなんだか急かしてはいけない気がして、ユーゴが自分から話し出すのを待った。

 しばらくして腹が決まったらしい。

「……あのビーム、ソシャゲで同じ攻撃を使ってくる敵を見たことがあるんです」

「……吸血鬼か?」

 ユーゴは難しい顔のままこくりと頷く。

「だからたぶん、ウェイド様の推測は正しいです。どういうパワーを利用してるのか、俺が生きてる間にはシナリオ中で明かされることはなかったんですけど、あれは吸血鬼を無力化し、確実に殺すことに特化した『光刃(こうじん)』という特殊な武器によるものです。だから人間の俺には効かなかった。……実は、ソシャゲで描かれた今から数百年先の未来では、才ある人間が賢者という優れた魔術師のもとに集い、吸血鬼に反旗を翻しているんです。今まで黙っていてごめんなさい……。ていうかそもそも、あの結晶を採りに行こうって俺が言い出さなければ、ウェイド様が命を狙われることもなかったんだ……」

「……、いや……」

 吸血鬼が吸血鬼を殺すための特殊な武器。

 人間と吸血鬼が殺し合っている未来。

 そう聞かされても、正直あまり驚きはなかった。

(ま、知性のある種族がこんだけ虐げられてりゃ、そういう未来もあり得ちまうよな)

 少なくともユーゴの知っている歴史では、俺は吸血鬼を進化させるという夢を叶えられずに異端のまま終わり、その果てに当然の帰結として人間の蜂起へつながってしまったのだろう。俺に言わせれば何も不思議なことはない。……ただ、その歴史の中で人間を庇護した吸血鬼は俺だけだったとユーゴは言っていた。だったら未来で人間たちの反撃ののろしが上がる余地を生んだのは、人間たちの唯一の安全地帯である俺のランシュタイナー領の可能性が高い。

 ……当たり前だが、因があるから果が生じるのだ。

 だがそれでも俺は、自分の研究者生命にかけて考えを変えるつもりはない。

 俺は気にするなとユーゴに手振りで伝えて頭を切り替えた。

 今は先にもっと聞き出すべきことがある。

「光刃で吸血鬼を狩れるってことは、要するにあいつは真祖の側近か何かなのか?」

「だと思います。ソシャゲの中で光刃を使えるキャラは、真祖直属の吸血鬼だけでしたから」

 ユーゴは重い溜め息をついて説明を続ける。

「……表向きはおとぎ話みたいな扱いになっているかと思いますが、そうやって真祖の密命を受けて真祖の意に背く吸血鬼を闇に葬る、秘密警察のような機関が実在しているんです。今回ウェイド様が狙われたのも……」

「……俺があの結晶を手に入れると、真祖にとって不都合なことになるから、だよな?」

「……たぶん」

「いいじゃん、裏を返せば俺は真祖の急所に迫りかけてるってことだろ! ならこの結晶は想像以上の力を秘めてるはずだ。腕が鳴るぜ!」

 腰の脇で拳をぎりぎりと音がしそうなほど握りしめ、顔を強ばらせるユーゴを、俺は明るく笑い飛ばした。

「その秘密警察、名称はあるのか?」

「……は……、えっと、ソシャゲでは『薔薇星室』って呼ばれてました」

「うげー……大層な名前だな」

 薔薇星室――――組織として成立してるほど構成員がいて、しかも悪くすると全員が光刃を備えている可能性もあるわけだ。

 対してこちらは攻撃を仕掛けることすらできず、どんな防御も貫通する必殺の光刃で一方的に殺される。ふざけた話だ。

「俺もみすみす殺される気はねーよ。あの真祖も恐れる天才を舐めんなよな、ユーゴ!」

 そう胸を張って笑えば、まだ不安げな様子ではあるが、ユーゴはひとまず「そうですよね。俺も、ウェイド様を信じてます」とうなずいた。


 実際糸口がないわけじゃない。

 向こうはいつでも容易く俺を殺せるだろうに、わざわざあの坑道で待ち伏せしていた。

 秘密警察の秘密兵器だというのなら、光刃の存在を秘匿する必要があるのだろう。だから人目のない場所で襲撃してきた。

 あるいは、光刃を使うには何らかの条件が必要なのかもしれない。


 ユーゴはさっきよりはしっかりした手つきで荷物の整理を再開し、おもむろに口を開く。

「……でもウェイド様、こんなことになっても持論を曲げようとはなさらないんですね」

「ん?」

「あっいや、それでこそウェイド様だって分かってはいるんですけど……! ウェイド様じゃなければ、もう人間なんか放り出してザロモみたいな生き方に路線変更しちゃうだろうなと思って……!」

 推しが推しすぎてすごい嬉しいんですけどやっぱ命が危ういとなったら自分の安全を優先してほしいって気持ちもあって、どうしても怖いし心配で、とユーゴはわたわた慌てて付け加える。

 俺はふんと鼻を鳴らし、

「分かってないな、ユーゴ。俺の最優先事項はな、この世のすべてを知りたい、それだけなんだよ。それに寄与することができる頭脳なら、吸血鬼だろうが人間だろうが、ひとりでも多いに越したことないだろ。人間はそういうレベルの知性が生まれる可能性が十二分にある希有な種族だと俺は思ってる。なのに、自分達の生態の欠陥を放置してその可能性を潰してる筆頭が、俺たち吸血鬼なんだ。納得なんかできるかよ」

 ふだんあれだけ俺を推しだの、すっ……好きだの言ってるくせしてあまりにも初歩的なことを訊いてくるから、急に眠くなってきた。負傷し散々動揺させられて、体力を消耗したのも大きい。

 俺はばふっと背中をベッドに倒してあくびをした。

「ふぁ……まーだから、安心しろよ、お前のことも領民のこともぶん投げて逃げ出したりしないからさ…………」

「ウェイド様……」

 ダメだ本格的に眠い。閉ざした瞼がつくる闇の中、ユーゴが息を呑むのがかすかに聞こえた。

「――――分かりました。じゃあ俺も腹くくります。ウェイド様のことは、俺が守ります」


 俺はがばっと飛び起きた。

 眠気が一気に吹っ飛んで見開いた目がこぼれ落ちそうだ。

 凝視した先のユーゴは怖いほど真剣な顔をしている。


「……は? 今なんて言った?」

「だって、光刃は人間の俺には効きませんし、俺なら真祖の許可なんかなくたって吸血鬼を攻撃することもできるでしょ? 心配だ心配だって騒いでるだけじゃなくて、俺がウェイド様を守りたいです。また今日みたいな恐ろしい目に遭うとしても、ウェイド様を失うよりはずっとマシです!」

「え、いやお前いきなりぶっ飛んだこと……」

「要はウェイド様が魔術で俺を魔改造してくださればいいんですよね! さぁ、ゲームで見せたあの他に類を見ない量と質のバフを、今こそ俺に……!!」

「何言い出してんだお前!?」

 ヤバイ、恐怖体験の後遺症でユーゴがおかしくなった。

 俺はある意味殺されかけたときより焦り、「治れユーゴ! 治れ!」と必死に叫んで頭をはたき、ダメ押しに魔術で気絶させた。

 ベッドに倒れ伏したユーゴを見下ろしてぜぇぜぇと肩で息をする。

「……よし……お、起きたら正気に戻ってるだろ……」


 しかし俺の希望的観測を裏切り、翌朝起きてもユーゴの気は変わらなかったのである。

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