第4話 襲撃者
存外すんなりとアポが取れ、俺はユーゴを連れてザロモの領主館へ向かった。
まぁこっちは館というより城の規模だが。
「存外早い再会になったね、ランシュタイナー殿。研究採取のためならばもちろん許可は出すが、忠告しておこう。あの坑道は古代の液体生物が今なお生息している危険な場所だ。直近三百年の記録によれば誰ひとりあそこには近寄っていない」
「そうらしいですね」
「しかもそこの男は人間だろう。従者や助手どころか足手まといにしかならないと思うが、それでも行くのかね?」
ザロモの顔色は以前会ったときよりもさらに悪いようだった。
執務室や応接室ではなく、居間の暖炉の前に置いたソファから立ち上がることもしない。
彼の身体にかなりガタがきているという推測は当たっていたようだ。
吸血鬼は長命で治癒能力が高く、病にもめったにかからないのだが、ザロモはハズレのくじを引いてしまったのだろうか。
俺はうなずき、
「俺が以前開発した吸血欲求を抑制する薬の効果を高めるかもしれない素材が、あの場所にあるんです。最低限の量だけ採ったらすぐに戻ります。ザロモ卿にご迷惑はかけませんので、ご安心ください」
「……あの薬の効果を高める素材か……」
ザロモは眼を眇め、「分かった、気をつけて行ってきたまえ」と俺たちを送り出した。
ぶっちゃけ俺もユーゴの同行には反対したのだ。
俺が不在中は領地の結界を何重にも強固に張っていくことにしているから、そっちの維持に魔力が取られてしまい、俺の腕でさえいついかなる状況でも傷一つなくユーゴを守り抜けるとは言い切れない。
なのにこいつはついていくと言って聞かないし、ダンジョン? マップを暗記してる自分がいなくちゃあの迷路のような坑道は攻略できませんよと痛いところを突いてくる。だったらそこに危険な古代生物が出ることも知っているだろうに、本当に強情なやつだ。
(こうやって連れてきた以上は、俺がお守りしてやらねーと……)
敷地を出るとき、ザロモの所有している人間たちが「飼われている」一帯を通り過ぎなければならなかった。
ここのは特定の一棟に閉じ込めて飼育する監獄のような仕組みらしく、外から中の様子が分かりにくいのが、ユーゴを伴っている今ばかりは幸いだった。
かすかに聞こえてくるすすり泣きと枯れかけた赤ん坊の泣き声、裏手で服を着崩した数人の使用人が煙草を吸いながらくだを巻いているところを見ると、ここの人間たちの扱われ方は推して知るべしだが。
「ユーゴ、あんなの見なくていーからな」
俺はいちおう隣のユーゴにそう声を掛けたが、彼は痛みを堪えるように顔をしかめてかぶりを振った。
「こういうのもゲームで知ってはいましたから。……でもやっぱり、ひどいですね。実際に目にするとショックが段違いです」
「そうだな、血が欲しいだけならあんなご大層な『飼育箱』なんかいらないはずだ。金と土地と人件費の無駄だし、ちっとも合理的じゃない。……ふん、バ~カ」
俺は人差し指をひょいと揺らし、使用人の煙草の火を魔術で操作して燃え上がらせた。これくらいなら――――俺が特許を持っている術式が基幹部に使われているようだし――――結界に反応されてザロモに勘づかれることはない。
たむろっていた数人が驚いてぎゃっと悲鳴を上げる。
ユーゴも目を丸くしてから、ぱっと俺を振り返ってたまらず吹き出す。
「……お、あいつの前髪焦げたっぽいな。まぁこのまま暇を持て余させたらろくなことしそうにないし、いいだろ」
「ですね!」
あははと声を上げて笑い出すユーゴはもう悲しそうではなかった。
なら、あの使用人の前髪も浮かばれるだろう。良かった良かった。
(……あれ、でも、なんでこいつが悲しそうだと俺がいたたまれなくなるんだ?)
◆
まったく暗いし冷たいし埃っぽいし、最悪の迷路だ。
マップを暗記しているユーゴの道案内で下へ下へと坑道を進みながら、ときおり酸素は足りてるか確認するのを忘れない。
「この辺りから敵が出てきます」
「よし」
俺はちょちょいのちょいで自分たちの周りに防壁を張った。
形のない液体生物は殴ったり斬ったりするのが難しい上、音もなく忍び寄って耳の穴から体内に侵入するのが得意技だ。毒を持っている種類は少し肌に触れただけで命にかかわることもある。
そこらの吸血鬼や魔術師は、こんな視界が悪くて逃げ場のない場所で液体生物に狙われればひとたまりもない。
が、俺なら対処可能だ。
防壁の表面に攻撃の術式を貼り付け、それを完璧に維持したまま移動すれば、液体生物がこちらを襲おうと防壁に接触した時点で返り討ちにできる。
「ユーゴ、お前図体でかいんだからもっと寄れって。防壁からはみ出たらあっという間に食われるぞ」
危機感が薄いのか、微妙に距離を離してついてくるユーゴを叱りつけるが、「いや~……」と困ったような曖昧な返事しか返してこない。せっかく高等魔術を披露してやってるのに、お前が防壁の中心から離れちゃ意味がないだろうが。
俺は苛立って、ユーゴの腕を掴んで強引に引っ張った。
「もたもたすんなよ!」
「あわわすみませんやったー!」
「やったー……?」
ユーゴのリアクションの意味が分からない。あわわは良いとしても、この殺伐とした緊迫の状況のどの辺にやったーと叫ぶポイントがあるんだよ。
(怖すぎて変なテンションになってんのかもな)
ますます俺がしっかり守ってやらねーと、ぼけーっとしてうっかり死にかねない。
とりあえずははぐれないように腕を抱えていてやろう。
坑道の壁からはやはり液体生物が次々とじわりとしみ出すように姿を現したが、俺たちを襲おうとして防壁に触れ、あっさり死んでいった。
液体生物は知能が低く、トラップ系にはほぼ確実に引っかかるのだ。
ランタンの明かりに照らされて、死んだ端からでろでろと溶解していく死骸が防壁にへばりついているのが見える。きもちわるー。
「あった! これです、この結晶!」
少し開けた空間に出たとき、ユーゴが快哉を叫んだ。
見れば空間の奥のほうにびっしりと薄緑色の謎の結晶が集まっている。なるほど、こんなところまで来なければ手に入らない素材なんか発見されてなくても無理はない。
確かにこういうのは自分でフィールドワークに出なくちゃ味わえない感動だ。
「おー……すげぇ、何の成分が結晶化したんだろ。液体生物の粘液とか?」
「そ、それはちょっと嫌ですね……」
ユーゴはさっそくリュックを開き、腕まくりをして結晶のもとにしゃがみ込む。
「結構な量ありますね。リュックにもポケットにも詰められるだけ詰めます!」
「おう、頑張れ~。安全確保は任せとけ」
ユーゴが持参した小ぶりのピッケルで結晶を砕いて壁面から引っぺがしている間、俺は防壁を維持しながらランタンを掲げて周囲を警戒した。
よく見るとこの場所は俺たちが来た道だけでなく、複数の道へつながっているようだ。
興味は惹かれるが、この先まだ下っていくとなるとさすがに酸素が危ないだろう。
吸血鬼の俺は活動できるかもしれないが、ユーゴは無理だ。採取が終わったら来た道を戻ろう。
そう考えていたときだった。
「……!」
唐突な空気と魔力の揺らぎに肌が粟立ち、俺はとっさに防壁を強化した。
ほぼ同時に、風を切って飛来した魔力の固まりが防壁にぶち当たって弾ける。
ぎょっとしたユーゴが振り向いて、
「な、何ですか!?」
「下がってろ、液体生物じゃないやつがいる!」
鋭く警告を発すると、ユーゴは信じられないという顔で絶句した。
こんな攻撃、液体生物はしてこない。
防壁にぶつかったときの感覚から推測するに、術者は相当優秀なはずだ。
(何者だ!?)
俺は敵の居所に当たりを付けて魔力を編みながら、
「ここに出るのは液体生物だけだって言ってたよな!?」
「は、はい、そのはずですが……!」
「だったらこいつは……いやめんどくせぇ、倒せば分かるな!」
俺は編んだ魔術をぶっ放そうとした――――のだが、
「……!?」
(魔術が使えない!?)
攻撃が出ない。
どういうわけか、何度やっても編み上げた魔力が霧散してしまう。
こんな異常事態は俺の長い人生でも初めてのことだった。
だけど、寄りによって今は俺の背後にはもろい人間がいる。
奥にある道、その暗がりから、ふたたび魔力が高まっていく気配がする。
ダメだ、次が来る。
俺がこの敵を処理できなきゃユーゴも死ぬしかないのに、どうして息をするように使える魔術が出ないんだ!?
(なんで攻撃できなっ、……攻撃?)
はっとした瞬間、さっきの魔力弾とはまったく別の、真っ白な細い糸のような何かがあちらからこちらまでを貫いた。
最大強化した防壁も、その未知の攻撃の前には何の役にも立たなかった。
胸に激痛が走る。――――とっさに身をよじっていなければ、間違いなく心臓を射抜かれていた。
「ウェイド様!!!!」
ユーゴの絶叫のおかげで意識が飛ぶのは免れた。
俺の考えが正しければ、ユーゴになら魔術を使えるはずだ。
この敵には勝てなくても、ユーゴのことはまだ逃がせる。
自分の傷を治すのは魔力と思考リソースの無駄だ。そんなことをしたって、どのみち俺はこの敵に手も足も出ず一方的に殺されるだろう。
だから、ユーゴのことだけは。
ごぼっと口の中に溢れる血も無視して、真っ先にユーゴを来た道のほうへ退避させようと魔術を発動させようとしたが、それよりも早く思いがけない瞬発力でユーゴが飛び出してきた。
あろうことかユーゴはくずおれた俺の身体を抱えて、自分の身体を盾にしようとしていた。
(バカ、逃げっ……!!)
怒鳴ろうにも吐血のせいでくぐもった声しか出せない。
そのとき、俺は傷のせいだけでなく目の前が真っ暗になったような気がした。
またさっきの白い糸がぱっと空間を貫き、俺を抱きしめるユーゴの背に突き刺さったのが見えたから。
「ゆ、……ご、…………」
俺は、必死でユーゴの背に回した手が今にも温かい血で濡れると思った。
ユーゴの身体から力が抜けてこちらに倒れ込んできて、二度と動かなくなるものだと予想していた。
だが、
「!?」
ユーゴは生きていた。
というより、吸血鬼の俺がほとんど致命傷を負わされたあの白い糸を受けても、ユーゴにはまるで何の効果もなかったのだ。
ユーゴが俺を庇ったことにか、それとも攻撃が効かなかったことにか、敵も驚いて、三射目をすぐには放てなかったのだろう。
その隙にユーゴは俺を抱きかかえたまま猛然と走り出した。
液体生物の死骸があちこちに落ちて溶けているのにも構わず、来た道をすさまじい勢いで遡る。
そのまま休憩もなしに駆け抜けて、とうとう地上に逃げ延びてしまった。
俺もさすがにその頃にはもう自分の治療を終えていた。
ユーゴが走り出したとき、とっさに防壁をふたたび展開したので、傷を塞ぐのが後回しになっていたのだ。あの異様な攻撃を防ぐのには無意味かもしれないが、液体生物や初手で繰り出してきた魔力弾なら防げる。
いったん坑道近くの森へ逃げ込み、巨木のうろに隠れると、しんと冷たい夜が身体を包み込んだ。
極度の緊張と動揺で、まだ心臓がばくばくと暴れていた。さっきかろうじて攻撃を逃れた心臓……一度はユーゴを逃がす代わりに差し出すことを決めたので、今も無事に動いているという実感がいまいち湧かない。
だけどそんなことより、言葉も出ないまま、俺は隣の男の無事を確かめたかった。
なのに当のユーゴは「クソ、何なんだあいつ、何であんなのがいるんだよ」と忌々しそうに悪態をついて、
「ウェイド様、傷は……!?」
目を血走らせて俺の心配なんかしてくる。
(……こいつはっ、本当に……!)
俺はまだ自分の血の味がする口を引き結んだ。そうじゃないと引きつけを起こすように泣き出しそうだった。
「ウェイド様……?」
きょとんとしてんじゃねーよ。
震える手でユーゴの頬をなぞり、肩に触れて、体温と厚みを感じてから思いっきり抱きついてやった。
案の定、途端にユーゴは「え!? は!? ウェイド様、えっ!?」と汗を噴き出させて狼狽し始める。
俺はそれでやっと大きく呼吸ができた。
「……この、バカ、二度とあんな無茶すんな……!!」
安心が大きいほど怒りも大きくなるということを俺は初めて知った。
腹の底から絞り出すような声が出て、ユーゴが大慌てで俺の背に手を添えてくる。
「ご、ごめんなさい、心配かけちゃいましたよね!?」
「ホントだよ! お前っ、……マジで、へちょい人間のくせに、あんな!」
「すみません……でも、あそこでウェイド様を置いて自分だけ逃げるなんて俺には無理ですよ。守れてよかった……う゛ぅうう゛、あったかい~~!! 生きてるぅう……!!」
「おい、ぅぐ、待てって、」
「よかったぁぁ~~ウェイド様~~……!!」
「ちょっ……、い゛っっってぇ!!!」
感極まった半泣きのユーゴに背骨をへし折らんばかりに抱きしめられて、また一瞬あの世が見えた。
しばらくしてようやく落ち着いたユーゴに「つーかお前意外とタフじゃん……」とツッコむと、「え、そうですか? 登山部だったからですかね」と大真面目にとぼけた答えが返ってきた。
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