第2話 転生者
奇妙な人間の男は、イセザキユーゴと名乗った。
耳慣れない響きの名前だ。ユーゴが名前で、イセザキが姓らしい。年齢は二十六。人間には珍しく、良好な栄養状態で発育したのだろう、猫背気味だが身体つきはしっかりしている。
パンと水を与えてからいちおう人間の医者にも診せたが、健康そのものだそうだ。
これが第一のあり得ない点だった。
この世界では人間はすべて俺たち吸血鬼の支配下・管理下にあり、俺以外の吸血鬼は人間をこんなに良好な状態でのびのび生かしたりしない。
だから俺は、ユーゴの「こことは別の世界から飛ばされてきた」という荒唐無稽な発言には、信憑性があるのかもしれないと判断した。
もちろんそんな前例は聞いたことがない。
が、前例のない実例ほど研究者を魅了するものはない。
俺もご多分に漏れず好奇心に抗えなかった。
だって、別世界の人間が転移してきたというのがもし本当なら、俺の想像を遙かに越える不可思議現象が目の前に降って湧いたかもしれないのだ。
どんな天文学的な確率を引き当てればこんな珍現象に巡り会えるだろう。ユーゴだって、俺以外の吸血鬼に出くわしていたら自分の素性を話す余地もなく悲惨な運命を辿っていたに違いない。
この世界にまだ見ぬ理があるとしたら?
まったく別の世界を観測できる可能性があるとしたら?
考えるだけでワクワクする。
もしユーゴが妄言を吐いているだけのヤバイ人間だったとしても、そのときはそのときだ。こうなったら完全に山師のメンタルである。
俺は問答無用で殺すか排除するかという頭を切り替え、いったんユーゴを館に連れ帰った。
「……昨夜は大変失礼しました。ちょっと興奮しちゃって……」
「……それはもう蒸し返さなくていいから」
そんなことより一刻も早く本題に入ってもらいたい。
手を立てて遮れば、ユーゴは恥ずかしそうに額の汗をぬぐってから、改めて話し始めた。
「俺は元の世界では、日本という国で会社員として暮らしていました。日本は人間の国です」
「へぇ……。ならお前の元いた世界って、人間が吸血鬼に勝利した世界なのか?」
「いえ、俺の世界では吸血鬼は太陽の光を浴びると灰になるとか、心臓に杭を刺されると死ぬなんて言い伝えられている、ファンタジーの……実在しない存在なんです。人間を脅かし、餌にする生物は俺の世界にはいませんでした」
「吸血鬼が存在しない……?」
だとすれば、この世界とはかけ離れた世界だ。
さすがの俺もいったい何がどうなればそんな世界が成立するのか想像しかねた。
とにかく先を促すと、ユーゴは少し言いづらそうに続ける。
「でも俺は、この世界のことをよく知ってます。何もかも俺が遊んでたソシャゲ、『ロストスカイ』そのまんまなので」
「『そしゃげ』……聞いたことない単語だな」
「すみません。あの、ワケ分かんないと思うんでこの辺の説明は省い……」
「はぁ?」
この野郎、さも申し訳なさそうに研究者に対する禁句を口にしたな。
俺は拳を握り、テーブルを挟んで対面に座るユーゴを睨んだ。
「お前、俺を誰だと思ってるんだ。絶対ワケ分かってやるから全部話せよ!」
「!! ですよね!? うわ~これだよ~ウェイド様はそういうこと言うんだよな~!!」
「……いや、何を噛みしめてんだよお前は」
なんでこいつは俺の挙動のいちいちに気味の悪い反応をするんだ。俺が俺の言いそうなことを言ったからって何だってんだよ。
突然目をぎらぎらさせて謎の感動に打ち震えていたユーゴは、かと思えば敬虔な信者のように粛々と俺の望みに応じ始める。
「そのソシャゲではこの世界のことが物語として語られているんです。でもその物語は今よりいくらか後の時代の話なので、ウェイド様のいらっしゃる今この時代の出来事はソシャゲ内でちりばめられた断片的な情報でしか分からなくて、それがもどかしいのなんの! 過去の時代のキャラに当たるウェイド様も、立ち絵だけ見せられて五年も実装されなかったんです! 五年も!!」
「……へぇー」
正直何を言ってるのかちっとも分からない。
しかし絶対分かってやると言った手前、外面を取り繕うほかになかった。相づちの響きが我ながら虚しい。
ユーゴのほうはお構いなしにヒートアップしていく。
「でも俺にはっ! 断片的な情報の中で語られる人柄とわずかな回想シーンと立ち絵だけでも、ウェイド様を推すには充分すぎるほどだったんです!! 銀の髪に銀の瞳の破天荒な天才魔術師!! 吸血鬼でありながら異端を貫き、実装予告特番で発表された二つ名に至っては『人類の庇護者』ですよ!? 推さずにいられますかコレが、いやいられない!! 推すしかない!! 初出の五年前からウェイド様が最推しなんです俺!!」
「……『推し』……か。ふーん?」
つーか推す推し推す推しうるせぇなこいつ。そんな用法聞いたことないけどどういう意味だ?
まぁ、破天荒とか天才だとか異端だとか、端々のワードは確かに俺という個体を的確に評したものではある。
こいつの世界では物語としてこの世界の情報が共有されているのだという話に、ひとつ説得力が出たと言っても良いだろう。
「あの特番マジで良くてぇ……! ウェイド様のセリフがチラ見せされたんですけど、にやっと不遜に笑いながら『俺はこの世のすべてを知りたいんだ』って……設定を裏切らない必須級超性能URだし! 待望の設定資料集の発売も同時に告知されたんです! 世界観の数々の謎が明かされるときが来たってみんな大喜びで予約しました! 店舗特典もちゃんと調べて!」
「資料集……店舗……?」
「翌日ウェイド様が実装された瞬間、全力でガチャ回しましたよ!! 真っ暗にした部屋でスマホ握って全神経を集中して、目ぇバキバキにしてこめかみ痛くなるくらい祈願して……マズい流れだと思ったらガチャ画面閉じてしばらく間を空けるんですけど、ウェイド様以外のことなんか全然考えられないんですよね。満腹中枢が緊張でおかしくなってんのか、食欲もなんか消えてるし……それで過集中の反動と寝不足と空腹が一気に来て、急激に意識が遠のいたと思ったら……」
「……思ったら?」
ユーゴは曖昧に笑った。叱られた犬みたいな笑みだ。
「……たぶん、脳の血管がアレしちゃった感じですね。ハハ……」
「……」
前言撤回、犬のほうが賢い。
要するにこいつは、ソシャゲとやらの物語で知った俺……俺? に入れ込みすぎて自分の身体の限界を越えてしまったらしい。
肉体の強度でいえば人間は吸血鬼より遙かにもろい。若い男でもそういうことは起こり得るだろう。
ここで俺はひとつ疑問を呈した。
「……にしてはいま元気に生きてるよな?」
「はい。なので、厳密にはいわゆる異世界転生なんでしょうね……」
「いせかい……何?」
「気づいたらこの近くの山奥にいて、暗記してるマップの情報を頼りにとにかくランシュタイナー領を目指しました。知ってる人間キャラを頼ろうとしたんですが、まさかウェイド様の時代だったなんて。もうそれだけで一生分以上のラッキーですよね。自分の運命なんかそれだけでまるっと受け入れられました。どうせ元の世界じゃ、これとなったら死ぬ勢いでのめり込むヤバイやつだって親きょうだいにさえ避けられて、いつか来るサービス終了の日に怯えながら孤独に働くだけの人生だったんで……」
「……だからって、この世界では人間は餌扱いされてんだぞ。多くの人間がたどる悲惨な末路が、今や物語じゃなくて現実のお前の問題だって分かってるのか?」
ユーゴは本当にこの状況を受け入れている悟った顔をしているが、俺には元の世界の人生より今が幸福だとはどうしても思えなかった。
恵まれているという客観的な事実だけで当人が幸福かどうかは一概に判じられやしないのは分かっているが、なんせこの世界では人間に起こる不幸なんか下を見れば限りがない。
もしアンケートを取れば、大多数の人間はむしろユーゴの世界に行きたいと言うはずだ。
「俺が……推し? だのなんだの言ってても、それだけで何もかも帳消しにはならないだろ。今のこの世界で人間が幸せになるのは不可能だ。どうにかして元の世界に帰ったほうが……」
これでも俺は、好奇心のままにこの前代未聞のレアケースを追究したいという自己中心的な考えをこらえて、常識的な提案をしたはずだ。
しかしユーゴは困ったように眉を下げ、うなずこうとしない。
「感覚的に分かるんです、もう俺はあっちには戻れないって。向こうでは死んじゃったんですから、そりゃそうですよね」
それは確信を持っている口ぶりだった。
動かすことの出来ない大いなるルールに首根っこを押さえられているのだと。
俺は本能や勘が強烈に働くタイプとは価値観が噛み合った例しがない。
(……観測されたことのない別世界との往来なんて、とてもじゃないがすぐに解決できる問題じゃないしな……)
可能性は模索し続けるにしても、まずユーゴはこの世界で生き延びなくてはならない。
ユーゴは俺の表情が曇ったを見て、がばっと頭を下げた。
「お願いします、ここに置いて下さいウェイド様!! 何でもします!! ウェイド様のそばにいられることが俺の幸せなんです!! あとここを追い出されたら俺生きていけないんで……!!」
そう言うと思った。
平身低頭で懇願する人間の成人男性を前に、はぁと溜め息をつく。
「……まぁ、異世界人なんて初耳だしな。いいぜ、希少な研究材料としてここに置いてやる」
ユーゴはぱぁっと喜色満面だが、俺はすかさず「ただし!」と付け加えた。
「自分の素性は誰にも明かすなよ。まずあり得ない想定とはいえ、お前のことが知れ渡って、いつか俺以外の研究者が異世界転移を技術的に確立できてしまったら、逆にお前の世界に吸血鬼が渡る未来すら来るかもしれない。お前の世界の人間たちのためにも、秘密は守れ。分かったな?」
「……っっ!!」
なぜかユーゴはひゅっと息を呑み、両手で顔を覆って呼吸を荒げた。早口のしゃがれ声で「イヤサイコウソウイウトコナンダヨナホントウニアリガトウゴザイマス」と言っているようだ。
不可解な言動にゾッとするが、俺は努めて聞き流す。結局意味分かんないしな。
それから、ユーゴは俺の領主館で雑用をするようになった。
俺のそばにいられればいいと豪語したのは本気だったのか、きりきりとよく働く。
最初は監視のために目の届くところに置いておこうと思っただけだったのだが、数日も経つとすっかりその便利さに慣れてしまった。
ランシュタイナー領の吸血鬼は俺ひとりだけ。
吸血欲求を制御する実験中なのに、食欲を刺激する人間を側仕えにするわけにもいかず、これまでは館での生活も領地の運営も俺ひとりで切り盛りしていた。
それが今では、めんどくさい家事が気づいたらユーゴによって片付けられている。ユーゴが来てからの生活はいまだかつてなく快適だった。
異世界人という意味でも雑用係という意味でも、思った以上に良い拾いものをしたかもしれない。
他の領民たちともいつの間にか「ご近所さん」レベルの近しさになっているし、その働きを認めて館の部屋をひとつ与えてやると、ユーゴは涙を流さんばかりに喜んで感謝の言葉を繰り返した。大げさすぎる。
そういう異常な言動も目立つが、謙虚で働き者なところはユーゴの美点だ。
異世界人なので吸血鬼に対する恨みもないだろうから、そういう意味でもそばに置いていて気が楽だった。
あるとき、ユーゴが窓枠に溜まった埃を掃除しながら、今年が何年か訊いてきた。
なのに、俺が答えても首をひねって釈然としない顔をしている。
「時系列年表があれば良かったんですけど、俺肝心の設定資料集の発売を目前にして死んじゃったんで、今がソシャゲの本編の何年前なのか分からないなと思って」
「見当くらいはつかねーの?」
ユーゴはうーんと悩み、
「長命な吸血鬼であるウェイド様が過去の偉人として語られていたので、本編は二百年以上は先ですかね」
「ふーん」
偉人、偉人か。
数百年先にも語り継がれていく偉人。そう聞くと悪い気はしない。
俺はふふんと顎をそびやかし、
「ま、天才だからな。俺が後世に残る偉人になってるのは当然として、具体的には何て言われてるんだ?」
何の気なしに訊ねただけだったのだが、ユーゴは例のスイッチが入ったようで、途端に凄みを帯びた恍惚とした表情になる。今では俺も慣れてしまって「あーまたか」くらいにしか思わないが、この先襲い来る早口には備えるべきだろう。
「ガチャ時点で解禁されていたプロフィールには、『生涯異端を貫き、人間を庇護した伝説の天才魔術師。吸血鬼社会に真っ向から喧嘩を売りつつも憎まれっ子世にはばかると言わんばかりの破天荒な性格で、数々の魔術を開発し、その特許料で領地の人間たちを守り育てた。人間に慕われ、愛された、史上唯一の吸血鬼』って書かれてました!」
「長っ。暗記してんのかよ」
「次の期間限定追憶イベントでさらにプロフィールが解禁される予定だったので、俺が読めたのはここまでだったんですけどね」
「なんか……本当に良いところでおあずけされたんだな、お前」
よく分からないが、資料集とやらも読めず、俺の情報も小出しにされて途中までしか読めず、物語自体も完結を見届けられなかったとは、死んだタイミングが悪すぎるだろう。さすがの俺も憐れみの目を向けてしまった。
ユーゴも「そうなんですよ」と深くうなずいたが、直後に「でも本物のウェイド様に会えたんでオールオッケーです!!」とピースする。
俺ははーっと溜め息をついて椅子の背もたれに体重を掛け、
「……しっかし、そうかー。最後まで俺は異端(・・)だったワケね」
それは少し、やっぱりだいぶ、落胆した。
「世の中は分からず屋ばっかりだからな! 年代物の石頭ども相手じゃ、長い寿命も役に立たねーか」
「……ウェイド様……」
ユーゴの知る物語の俺は、結局吸血鬼社会を変えることはできなかったということなのだろう。
俺たち吸血鬼という種の抱える数々の欠陥を治すこともできず、何百年も無為に時を重ねていったのだろう。人間たちもきっと餌扱いされたままだ。
つまらない未来もあったものだ。
ユーゴは中途半端に手を浮かせた姿勢で、ぱくぱくと口を開閉し、それからぐっと拳を握って気合いを入れた。
「そ、そうがっかりしないでください、ウェイド様! 俺、午後はまた山で素材集めて来ますから!」
「素材……」
「はい! 本来この時代には使い道が判明してなかった素材を使って研究を進められたら、そんな未来も変えられるかもしれないですよね!?」
そう、ユーゴはソシャゲとやらで得た知識を元に、さまざまな素材を集めてくるのが得意なのだ。どこで何が採れるか事細かにマップごと丸暗記しているらしい。この辺りのモンスターはあらかた俺が駆除し、結界も張ってあるからユーゴひとりでも探索できる。
俺はあくまで研究者。根っからインドアのうえに血をあまり飲まないから、そういうフィールドワークは専門外だった。その辺は足で稼いでくるユーゴに助けられている。
ユーゴが見つけてくるものの中には、今はまだ活用されていない素材もある。
未来で思わぬ作用が解明されたというそれらは、俺にとってこの上なく好奇心を刺激する宝の山だ。
確かにそれだけの可能性を束ねれば、本当に未来を変えられるかもしれない。
「行くなら気をつけて行ってこいよ。人間はもろいんだから」
ユーゴの申し出のおかげで少し気分が浮上したので、俺が上着を押しつけてやりながら念を押すと、不可視の花が「はい!」と嬉しそうに返事をしたユーゴの周りに漂った。燃費の良いやつだ。
(……遅いな……)
ところが、山へ素材を集めに行ったユーゴは、夕方になっても戻らなかった。
いやでも、人間とはいえあいつだって大の男なんだから、俺が心配しすぎなのかもしれない。
そう思い直して机に向かうのだが、そのたび苛立ちがペン先や足の揺れに出てしまって集中できない。
そうこうしているうちにとうとう日が沈み、夜になってしまった。
館に明かりを灯しながら、ブランケットを羽織って外に目を配ったが、やはりユーゴの姿はない。今日の天気は一日すっきり晴れていて、満月も明るいのがかろうじて幸運だろうか。
(もしかして迷った? 途中で事故って動けなくなってたりとか? まだ夜は寒いし、水場で身体を濡らしでもしてたら……最悪凍死……)
こうなると頭の回転がいいのも考え物で、勝手に可能性をしらみつぶしにしようとする思考がとめどなく溢れてきてしまう。
領民たちに訊いてみるかとランタンを持ち出そうとした、そのときだった。
「だたいま戻りましたー!」
「!!」
玄関のほうから呑気な声が聞こえ、俺は考えるより先に部屋を飛び出した。
怒鳴りつける気満々で駆けつけた俺を見て、ぱんぱんに膨れた大きなリュックを肩から下ろし、ユーゴが「ウェイド様!」と嬉しげに笑う。
袋の中身を誇らしげに俺に見せながら、
「帰りが遅くなってすみません。ブルーキノコの群生地を目指してたら、ちょっと変な藪に迷い込んじゃって……」
その藪を突き進んだせいだろう、ユーゴの上着には真っ赤な鋭い葉が無数についていて、腕には深めの切り傷があった。
要するに、出血していたのだ。
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