第94話

それじゃあ、開理を頼んだ。

そう言うと、木田は帰って行った。


ルナの最高司令官だ。

忙しいのだろう。




俺は、開理を連れてデスクへ向かった。


研究員達にはすでに開理の情報は行き渡っているらしく、籬開理として楽生はここで研究をすることになった。





「咲夜。…この資料なんだが…」


「あぁ…」





食欲が出なかった。

やる気も出なかった。


付いていこうと決めた背中が、やっとナナミと幸せそうに話すようになった後ろ姿が。




もう2度と、見ることができない。






〜・〜




「咲夜さん。…お疲れですね」


「あぁ…。採血するから、じっとしてろよ」


「はい」




今日の分の仕事を全て終わらせ、ジュンのデータを取りに来た。


なんで全部終わらせてから来たのかと言うと、



『1234が、今日過呼吸を起こしました。

…孤独のストレス、と診断が出たので、今夜だけ、よろしければ1234の部屋に行っていただけませんか』






と言われたからだ。

部屋に着いたら、ごめんない、ウソなんですと申し訳なさそうにジュンが言った。


元気ならそれでいい、と答えると、最近急激に痩せていく俺が心配だったらしい。




「……私でよければ、お話を聞かせていただけませんか?」


「……いいよ。ジュンももうすぐだろ。

負担をかけたくない」



大きくなったジュンのお腹を見ながら、そう答えた。




「いいえ。私は家族ですよ?

家族の悩みを聞けないなんて、そっちの方が不安です」


「………ごめん。それじゃあ、甘えようかな」


「はいっ!」





データを取り終わると、ジュンは俺の手を華奢で小さい手で包んだ。


その手と同じくらい自分の手も細くなっていて、あぁ、これじゃあ心配かけるわけだ、と苦笑してしまった。



俺に今夜ここに来るよう言った研究員もジュンとグルだろう。

さらに、ここの監視カメラが作動していないのも見てわかった。



どうやったらこんなことできるんだか、と思いつつ、心がふんわりと温かくなった。






「なるほど…。楽生さんが…」



数日前の出来事を離すと、ジュンは少し考え込んだ。

俺は少し疲れてしまったので、ベッドに横になっている。



「その、ナナミさんにはもうお話ししたんですか?」


「いや…。まだだ」


「そうですよね…」




言えるわけがない。

あんなに楽生に会える日を楽しみにしていた。

それなのに。






「……咲夜さん、咲夜さん」


「なんだ?」


「3ヶ月前、楽生さんがいなくなる前から、ここの研究員が少しずつ増えたのをご存知ですか?」


「あぁ。…そういえば、木田が連れて来てたな」


「…咲夜さん、明日お休みですよね?」


「そうだけど?」


「それでは、起きてから私の話を聞いていただけませんか?」


「…………わかった」


「はい!…咲夜さん、ゆっくり休んでくださいね」






ジュンがゆっくりと俺の頭を撫でた。



今年もジュンに桜を見せることができなかった。

もう9月だ。


紅葉が綺麗な頃だろうか。

でも、今の混乱の中で外に連れ出すのは良くない。



来年こそは、見せてあげられるだろうか。






桜の下で、楽生と木田、3人で話したのを思い出す。

あれは去年だった。


ふつうに話していたのに。





嗚咽が漏れた。

耐えきれなかった声が、ほんの少し漏れる。




眠ろう。

ジュンがいてくれるから、起きればきっと今より落ち着ける。



ゆっくりと撫でてくれるジュンの手が暖かくて。





いつだったか、お疲れ様!と俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した楽生を思い出した。






もう、あの日々は、








帰ってこない。

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