ある男の話 Ⅸ

第93話

楽生が消えた。



ジュンとナナミの出産予定日まで、約1ヶ月ほどになった。


でも、楽生は3ヶ月前から姿を消してしまった。



不安そうにするナナミを励ましながら、本当はいけないと思いつつジュンに相談していた。


ジュンは、何やら考えている様子だった。




楽生…

一体どこに。









「よぉ!咲夜か?」









バッと振り向けば、木田と一緒に楽生がいた。

あまりにも驚きすぎて、声が出なかった。


指をさしながら、パクパクと口を動かすと、楽生も木田も笑っていた。






「なんだ、その間抜けな顔ー!」


「あはははははははははっ!咲夜、スッゲェ顔してんな!」


「らっ、楽生!お前、どこ行って、」


「あ〜、面白。…ん?楽生?誰だそれ?」


「は…?」




楽生の様子がおかしい。

木田はまだ笑っている。


笑いながら、鋭い視線で俺を射抜いた。



まさ、か、…。




「……お前、名前は?」


「はぁ?今更何言って、」


「いいから!…答えろ」


「……籬、開理、だけど」


「まがき、…かい、り…?」


「咲夜?大丈夫か?仕事で疲れてんじゃねぇか?」






様子のおかしい楽生。

自分の名前が"籬開理"だと言う、楽生。

笑っている木田。





「………木田」


「んー?」


「……お前、何をした」


「別に何も?」


「…………っ!」





摑みかかるわけにはいかないため、その肩をぐっと掴んだ。

俺の歪んだ顔が、木田の瞳に映る。



それが嬉しいらしく、木田はさらに嬉しそうな顔をした。






「……っ。なんで、、…楽生は関係ないだろ!」


「何が?」


「お前が気に入らないのは俺なんじゃなかったのか⁉︎」


「落ち着けよ、咲夜?」


「落ち着けるわけないだろ!」




俺と木田を見て、楽生ーーー開理が動揺している。

この様子では、おそらく自分がこの組織の統括であることさえわかっていない。


ということは、ナナミのことも…




「お前、何したかわかっているのか」


「何って?…俺は俺がやるべきことをしているだけだ」


「やるべきこと?…親友を洗脳して利用することがか⁉︎」


「イヤだなぁ。俺は別に、悪いことしてねぇし」


「………っ」






なんでだ。

どうしてなんだ、木田。



あんなに楽生を好いていたのに。


あんなに、親しくしていたのに。







「……そろそろ離せよ」



簡単に手を振り払われ、壁に突き飛ばされる。

ゴッと鈍い音を立てて体が壁に激突した。



痛みなんて気にならないほど、ショックが大きかった。



洗脳だけでは記憶は消えたりしない。

この3ヶ月、楽生がされたことを想像した。


記憶が消えるほどの、全く別の記憶を埋め込まれるほどの、何かを…





「さ、咲夜。大丈夫か?」


「……大丈夫だ。それより、今日は何しに来たんだ?」



なんとか壁に手をつきながら立ち上がり、開理と木田を見る。

ここの統括として戻すつもりはないだろう。


統括として働かせるなら、洗脳なんてしなくていい。




「あぁ。…木田、話してもいいか?」


「咲夜なら大丈夫だろ」


「だよな。…咲夜、俺は潜入スパイとしてここの研究員になる」


「は…?」


「お前もそうだって聞いたけど?」


「……俺とお前が、ルナの潜入スパイ?」


「お前が先に行って、副統括まで上り詰めたって聞いたけど?

その方が俺が入りやすいだろうからって」




木田はニヤニヤしている。

目的が見えない。



なんでこんなことを…




しかも、ルナの潜入スパイとしてここに配属された?



ふざけるな。

ここはもともとルナの掌の上だ。


スパイなんて必要がない。





「……統括は、どうするんだ」




木田を睨みつけた。

愉快そうにケタケタと笑う木田を見て、悲しみが心を支配する。





「ここの統括は楽生だろ?

…ま、今は行方不明らしいけど?

お前が代わりにやってるなら、そのままやっておけよ」


「…………」





目的が見えない以上、下手に動くことはできない。


言うことを聞くしかない、か。





「………わかった」






自分の声がかすれていた。

やっとの事で絞り出された、たった一言の返答。






どうしてなんだ。






それしか、考えられなかった。

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