第75話

「あ、の……」


「…………」




ベッドに腰掛けている俺に迫るように蒼が覆いかぶさってきた。


俺の膝に座り、両手で頰を包まれる。




「……辛い、ですよね。…好きな人に、振り向いてもらえないって…」


「……………」


「で、でも、私なら、…私なら、ずっと側に、…」


「……………」




この女が俺に執着する理由は何だろうか。


ゆっくりと俺の体を撫で回す蒼から視線を外し、自分の手の甲を見つめた。







ーーーーねぇ







棚で塞いだ窓から入る月明かりが、ぼんやりと棚の輪郭を浮かび上がらせる。


蒼は、俺の首に唇を寄せた。









ーーーー法律って、何か知ってる?









蒼に抱きつくように背中に腕を回して撫で回されるのがわかる。

ふわりと香るのは、香水か。




じっと見つめていた手の甲を覆うように、蒼の掌がかぶせられる。




パサリ、と蒼の服が床に落ちる。








ーーーーなんで人を殺しちゃいけないと思う?








「湊、さん」


甘い声でうっとりと俺を見つめる瞳。

スッと視線だけ蒼を映せば、恍惚とした表情でそれを受け止められる。









ーーーーなんで強姦しちゃダメなのか、なんで強盗はダメなのか、なんで詐欺はダメなのか。

知ってる?



ーーーそんなの、当たり前だろ。




ーーーどうして?







「ねぇ、湊さん。私、湊さんのためなら、私、…」




ぼんやりと入ってくる月の光を受け、蒼の肌が綺麗な艶を描く。

細い指が、俺の首から胸に、胸から腕をなぞっていく。






ーーーー殺人は、人が心を持っているからダメだ。強姦は人権を無視することになるからダメ。強盗と詐欺は、人のものをかってに盗むからダメ。そうだろ?




ーーーーあははっ!ジュンのバーカ



ーーーーはぁ?







蒼にボタンが全て外され、露わになった肌に手が這う。

何度も何度も繰り返し。



「湊さん…。綺麗です…」






ーーーーはぁ。もっと簡単にってこと?



ーーーーそうそう



ーーーーなら、人間が共存するために必要だから、だろ



ーーーー全く。バカだなぁ






「……なぁ」


「はい?」



やっと口を開いた俺に、嬉しそうに蒼が笑う。

それでも、俺の体に触れる手を止めようとはしない。



「お前、法律って何であるのか、知ってるか?」


「え?…それは、みんなで仲良く生きていくために必要だから、ですよね?」





思わず口元が緩んだ。



「湊さん…。笑った顔も素敵ですね」




スッと手が頰に向かって伸ばされる。









ーーーーはぁ?…じゃあ、一体何なの?



ーーーそれはね








伸ばされた手を掴み、グッと強く握る。




「み、なと、さん…?」









ーーーー自分がされたくないことを禁止しただけ、さ!


つまり、法律は人間のエゴの塊さ!

















ーーーーほら、簡単だろ?










あいつはいつもそうだ。

頭いいのか悪いのか、さっぱりわからない。



おそらく、俺が言ったのは模範解答…一般的な解答だ。




他の生き物は殺し合うのに、人間が人間を殺すのはなぜいけないのか。


よく言われるのは、人間には心があるからだ、と。




それでは、植物には心がないのか?

他の動物は?




褒め続けた植物は美しい花を咲かせ、貶し続けた植物は花を咲かせるどころか枯れてしまったらしい。



食用の牛は死ぬ間際に涙を流すらしい。





さて、本当に心がないのはどちらなの方なのか。






自分が殺されたくない。

自分の周りの人間も殺されたくない。


だから、殺人は罪にしよう。





ただ、それだけだ。









「……お前は、俺の何が好きなんだ?」


「え、と、…秋信さんと往焚さんを大事にしてるところとか、迷惑そうにしながら、如月さんのお願い聞いたり、とか、…きれいな、ところ、とか…」


「へぇ…。それで?」


「え?」


「俺をどうしたい?」


「わ、私はただ、湊さんの…」


「俺はお前に興味がない」


「え……」





グッと手を引っ張り、ベッドに放り投げる。





「……でも、そんなに抱いて欲しいなら、

ーーーー抱いてやるよ」


「えっ」






にぃっと笑った。






どうせ、こいつは逃げる。


今は仕事じゃないから、遠慮する必要もない。






だから、優しくしてやる義理もない。






嬉しそうに目を輝かせる蒼を見ながら、俺を受け入れたあいつを思い出して笑った。









この狂気を受け止めてくれるのは、

あいつぐらいだ。

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