第71話

「ぅ……」





あれ?あれ、いつ寝た?


鈍い頭痛に顔をしかめながら、起き上がろうとしたところで気づく。




目の前に、秋信の顔がある。





「……なにやってんだよ、秋信」


「………それはこっちのセリフだ」


「は?」


「璃久」


「………………」






秋信、怒ってるのか?

部屋はすっかり暗くなっていた。

ずいぶん眠ってしまっていたらしい。


微かに見えた時計は、23時を指していた。




「……油断しすぎ」


「油断って…。俺はは別に」


「睡眠薬。盛られてたみたいだけど?」


「…………」


「紅茶のカップ、確認した。

俺でもわかった。溶け残った薬が底に残ってる」


「……………」





…しくじった。

晶か。




つーか、なんなんだよ。




「……悪りー。気をつける」


「もう一つ」


「…………」


「部屋に戻って来た俺が、どれだけ焦ったかわかる?」


「は…?」




秋信に集中していた意識を部屋に向けた。



ベッド脇にある机と棚二つが木片に変わっている。

ドアノブも歪んでいるようだ。



というか、壁にヒビが入っている。




「………何があったんだよ」


「わかんない?

…じゃあ、晶がしてたこと再現しようか」


「晶?」





秋信ーーー幸架の黒い瞳がスゥッと冷たい光を放った。



体が動かなくなる。



思わず目を見開き、そのまま固まる。

冷や汗が流れるのがわかったが、そんなことに構っている余裕はない。




「お、い…。さ、…ちか、」


「黙れ」




相当怒っている。

これは、まずいな。



思い出せ。

何か、記憶に残ってることは…





確か窓を見ていて、静かで、波の音とウミネコの声がして…


その時は、湊のことを考えていた。


あとは、あとは…




そうだ。

そのあとすぐ眠ってしまったんだ。





「……わかった?」


「………悪りー。

眠るまでは思い出したけど、そのあとはさっぱり」


「そう。……なら、身をもって危機感抱(いだ)いてくれる?」


「は?」





幸架の右手が俺の両手を拘束する。


そのまま足で俺の腰と足の動きを封じ、幸架は俺を見下ろした。




「幸架、おまえいい加減に、」





何が起きているのか、理解できない。

どうしてこうなっているのか、理解できない。




「ぅ…んっ…ぁ………」




これが自分の声だなんて、思えない。




なんで幸架が、俺にキスしているのかも、理解できない。





キスした状態で、幸架が俺のシャツのボタンを飛ばした。



それからしばらくして唇が離される。




「はっ、はぁっ、さっちか!

そろそろ冗談は、」




キスが終わったと思ったのに、幸架は顔を上げずに俺の胸元に顔を埋めた。




「何してっ……い"っ……ぁ、」




リップ音とともにきつく吸われる。


手と足を振りほどこうとしてもびくともしない。




どうしていいかわからず、もうすでにパニック状態だった。





幸架の唇がスルスルと首の方へ移り、同じようなリップ音を立てる。





静かな部屋に、止まらない響き。






意味がわからなすぎて、涙がこぼれた。





なんで…

幸架、なんでっ、…








ーーーーコンコン







ノックの音で我に帰ったのか、幸架の動きが止まった。

そのままバッとドアの方へ視線を向ける。




俺は、もうそんな気力はなかった。






『秋信。…いつまで背を向け続けるつもりだ』







「………っ」




幸架の視線が揺れる。



ドアの前に立っている人物が誰であるかわかった瞬間、パニックになっていた頭も心も落ち着くのがわかった。





「み、なと、さ、」


『………気をつけろ。ここにいる全員が味方なわけじゃない』





コツコツと離れて行く足音がした。

湊は足音を立てて歩く人ではない。


だから、俺にわかるようわざと立てた足音なのだろう。





「……ご、めん、なさい。璃久さん」





俺を見下ろす幸架の方へ視線を戻せば、苦しそうに顔を歪めていた。



そっと手が伸ばされ、俺の頰に添えられる。

そのままその親指が俺の目尻の涙を拭った。






「…俺、はっ、」


「……幸架」


「……………」


「俺の不注意だった。……ごめん」


「すみません、すみま、せんっ…」





幸架は、俺の上体を腕で起こし、強く抱きしめた。



今回は睡眠薬だったが、これが毒だったら取り返しがつかないことになっていた。


反省しなければならない。






夜のせいで、波の音さえ部屋に届かない。






そんな中、泣き声を殺すような嗚咽だけが

俺の耳に響いた。

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