第16話 悪役令息の結末です
俺は壁に手をつきながら、なんとか部屋から這い出した。クロフォードとイアンがこちらに駆けてくる。
「アルヴィン!」
「おまえ、血まみれじゃねえか」
「止めてください、レオはロイドを殺す気なんだ!」
二人は顔を見合わせたあと、廊下を走って行く。俺はふらつきながら、彼らの後を追いかけた。廊下には、ロイドの血が転々と落ちている。ダンスホールの入り口に、人だかりができている。レオがロイドを壁際まで追い詰めていた。ロイドは血走った目でレオを睨みつけ、ぎりっ、と歯噛みする。
「おまえ、自分の立場がわかってるのか。こんなことをして……ただじゃ済まないぞ!」
「俺は、アルヴィンと二人でいられたらいい。他のやつは死ねばいい」
「化け物が! おいっ、誰かこいつを殺せ!」
武装した兵士たちが部屋に入るなり、氷の柱が床から生えてくる。広々としたダンスホールに、悲鳴が響いた。クロフォードが炎で氷の柱を溶かしているが、どんどん突き出してくる。イアンは間一髪で氷を避けて、キリがねえな、と呟いた。レオは一人で十人以上の兵士や騎士と戦っている。誰一人、レオに近づけなかった。そばにいた使用人が、怯えた声でつぶやく。
「ほ、ほんとに化け物だ……魔女の末裔が、この国を破壊しに現れたんだ!」
化け物。レオをそんなふうにしたのは、俺なのだ。俺は、ホールに足を踏み入れた。誰かに行くな、と言われたが、構わずに歩いて行く。氷の柱を溶かしていたクロフォードがはっ、とこちらを見た。イアンが「危ない!」と叫んだ。飛んできた氷の刃が、頰や手足を切り裂いた。レオはこちらを見ない。まるで、氷のかけらが目に入った少年のように。
──こっちを見て。
俺は、白い息を吐きながらレオに近づいて行った。手足が凍りつきそうなぐらいつめたい。あと少し。手を伸ばしたら、無数の氷の破片が飛んできた。そのうちのいくつかが手に突き刺さった。猛烈な吹雪の中、何も見えなくなる。怖い。だけど見つけなきゃ。冷たい世界で凍えているレオを……。
俺は手探りで、レオを探した。やっと、彼の頬に触れる。
「レオ……帰ろう?」
眩い光が、ホールを包んだ。凍てついた氷の剣が、ピキッと音を立てて割れる。
「アルヴィン……」
レオが剣を手放して、俺を抱きしめた。その瞬間、ダンスホールを地に染めていた氷魔法が止まる。白く覆われていた視界が、徐々にクリアになる。レオが泣きそうな顔でこちらを見つめていた。彼は震える手で、俺の頰を撫でる。
「悪かった、俺は、おまえを傷つけた」
「大丈夫だ、レオ」
「嫌わないでくれ。俺から離れないでくれ」
俺は、しがみついてきたレオの背中を撫でた。嫌ったりしない。レオの中に流れている冷たい血にも、ちゃんと温度があるって知っているから。クロフォードは身体を震わせながら、ああ、死ぬかと思った、とつぶやいた。イアンは床に座り込んで、ため息をついている。二人に礼を言おうと思ったその時、甲高い悲鳴が上がった。セシルがこちらに駆けてくる。
「おにいさま!」
セシルはロイドにしがみついて、俺を睨みつけた。
「こんなことするなんてひどいわ!」
「セシル……」
「私、アルヴィンさま嫌い! 早く出て行って!」
涙で濡れた大きな瞳を見ると、ずきりと胸が痛んだ。しかし、ロイドを放ってはおけなかった。彼の腕に触れようとしたら、レオが腕を掴んできた。
「こんなやつに触るな」
「レオ、君が原因で、彼に死なれたら嫌なんだ」
レオは眉を顰めたが、しぶしぶ手を離した。大量に出血したせいか、ロイドは失神していた。血が足りない上に、体温が下がっている。かなり危険な状態だ。俺は医官の助けを借りて、治療を施した。聖女の力を使ったからといって、腕が元に戻るわけではない。治療を終えた俺は、ロイドと二人で話したいと言った。レオは断固反対したが、なんとかなだめて部屋の外に出した。俺はロイドの傍で、彼が目覚めるのを待った。だるそうにベッドにもたれたロイドは、こちらを見て唇をゆるめた。
「あの男をああまで言いなりにするとは。まるで猛獣使いだな、君は」
「あなたと取引がしたいんです」
「なんだ? まさか、これだけのことをしておいて、レオを無事に帰せと言うのか」
ロイドはなくなった手の先を見つめた。
「そもそも、あなたが先にレオを殺そうとした。しかしそれ以外の被害については、レオに非があります。だから僕が彼の分まで責任を取ります」
「責任?」
セシルを治す代わりに、ダンスホールで起きた出来事は、不問に伏すこと。それが俺が出した条件だった。ロイドはおそらくレオに対して腑が煮え繰り返っているだろうが、セシルのためならなんでもする男だ。必ず話に乗ってくるとわかっていた。ロイドはしばらく黙った後、静かに頷く。約束を取り付けた俺は、レオと話をするために立ち上がった。ロイドがその背に声をかけてける。
「……君は、本当に聖女なのか? あんな悪魔を愛するとは」
「俺は、聖女じゃありません。悪役令息ですから」
ロイドは、悪役令息、とつぶやいた。俺は一礼して、部屋を出た。廊下を歩き回っていたレオが、慌ててこちらに駆け寄ってくる。彼は俺が怪我をしていないか確認し、ホッと息を吐いた。早く帰ろう、と腕を掴む。しかし、俺はかぶりを振った。
「セシルさまを治さなきゃ」
「──は?」
「約束したんだ」
「だめだ。こんなところにいたらあの王太子にやられて妊娠する」
「あのな、俺、男なんだけど」
俺は、呆れた顔でロイドを見た。そんなこと、レオが一番知っているはずなのに。だいたい、ロイドは俺には興味がないはずだ。なんせセシル命だし。俺を抱いたのも、籠絡して言いなりにするためだろう。
レオは不機嫌そのもの、という顔をしていたが、しぶしぶ了承した。それ以来、レオは毎日王宮に来るようになった。兵士たちはすっかりレオに怯えており、目を合わさないようにしていた。一方セシルは、俺の治療から逃げ回っていた。
「いや! セシル、アルヴィンさまは嫌い」
「こら、セシル。アルヴィンに治してもらわなきゃ、よくならないよ」
ロイドはセシルを抱き上げて、顔を覗き込む。彼は両手に義手をつけていた。かつて魔法戦争などがあったためか、この国は結構リハビリ技術が進んでいるらしい。セシルはかぶりを振って、ロイドにしがみついた。彼女はちらっとレオを見て、顔を赤らめる。なんでレオのことは嫌いにならないんだ。ロイドの腕をなくしたのは、あいつなんだけど。俺が嫌われるのって、やっぱり悪役令息だから? ため息をついていたら、ロイドがやってきた。
「浮かない顔だな」
「セシル様に嫌われるのは辛いです」
「君は多くの男に好かれているじゃないか。レオにクロフォード、イアンに……まだいるかな?」
ロイドは義手の指を折ってみせた。BLルートだから女性に好かれにくいのか? 男には嫌になるほど迫られるが、女性にはさっぱり告白されない。うちの学園は共学なのに。ロイドがああ、と相槌を打った。
「私がいたな。生憎だが世継ぎが必要でね。愛人にならしてやろう」
「お断りします」
とりあえず、セシルの病に効く薬を手渡しておいた。しかし、後日、珍しくもロイドから謝られた。俺からだと知ると、セシルは薬を捨ててしまうらしい。もはや、八方塞がりだった。セシルを探して歩いていたら、温室から声が楽しげな聞こえてきた。
中を覗くと、レオがセシルと一緒にいた。セシルは頰を赤らめて、レオと話している。子供だからなのか、レオも他の人間に対するよりは優しく見えた。なんとなく入りづらくて、出入り口で足を止める。セシルに懐かれて羨ましいし、レオに優しくされるのも羨ましい。なんだかどっちに嫉妬してるんだか、わからなくなる。様子を伺っていたら、会話が漏れ聞こえてきた。
「……それで、おにいさまはとてもかっこいいんです」
「そうか」
「でも、レオ様も素敵」
セシルはうっとりした表情でレオを見つめている。レオはしばらく黙ったあと、重い口を開いた。
「──あいつの腕をああしたのは、俺だ」
セシルは息を飲んで、レオを見つめた。震える声でうそよ、とつぶやく。
「あの、アルヴィンって人に脅されたのよ!」
「違う。アルヴィンは誰かを脅したりしない。可愛くて、優しくて、可哀想なやつだ」
俺は、レオの言葉に動揺した。俺……可哀想、と思われていたのか。まあ、俺の末路を考えたら可哀想か。まさか、好意というより同情されているだけ? レオは、立ち上がったセシルをじっと見つめて、淡々とした口調で告げる。
「おまえは、昔の俺に似てる。狭い世界に閉じこもって、外の世界を知らない」
「ひどい、そんな言い方」
「このままだとおまえもひどい人間になる。俺や、おまえの兄のように」
セシルはレオにカップを投げつけて、去って行く。すれ違い様睨まれて、俺は目を伏せた。レオは氷魔法で弾いたカップをテーブルに置いた。俺が近づいて行くと、表情を緩める。レオは、なぜセシルに事実を言わなかったのか尋ねてきた。
「別によかったんだ。セシルはおまえが好きみたいだし、俺は嫌われる運命だしな」
「おまえを悪くいう奴は許さない」
見つめられて、なんだか照れてしまう。レオはこんな場所からは早く帰ろうと言ってきたが、まだセシルと話していない。最初は破滅ルートを避けるためだった。だけど今は、純粋に人を助けたいと思うのだ。セシルは、図書室でひとり本を読んでいた。その姿は、寂しげに見える。初めてレオと話した時を思い出すな。俺、そういうタイプに弱いのかも。懐かしい気持ちで近づいていくと、ぷいと顔をそらす。俺は、セシルの傍に腰をおろした。
「何を読んでるの?」
「本よ」
「雪の女王? ロイドもこれの話をしてたな」
「……おにいさまは、私のためにお話を作ってくれるの。外に出られないからって」
セシルはぽつりとつぶやいた。セシルだって、本当は病を治したいはずなんだ。だけど怖いのかな。王宮を飛び出して、自分の知らない世界に行くのが。
「こんな話知ってる? 悪役令息って呼ばれた男がいたんだ。生まれついた家柄や賢さを傘にきて、みんなに当たり散らして、すごく嫌な奴だった」
俺は、自分の話をした。エリザベスが好きで、報われなくて。好きだと言えずにレオや攻略対象たちとの仲に嫉妬して、破滅を迎えた悪役令息の話を。セシルは、真剣な顔で俺の話を聞いている。俺は、彼女に微笑みかけた。
「だけど、神様がチャンスを与えた。まともに生きたら幸せになれるよう、人生をやり直させた」
「変わらないわ、きっと。悪い人は生まれつき悪いんだもの」
「そうかな。俺はそう思わない。いい人が悪に手を染めるように、人の心は移ろいやすいんだ」
「その悪役令息は、幸せになれたの?」
どうかな、と俺はつぶやいた。まだ俺の人生は、始まったばかりだ。今はレオとの関係が良くても、また悪くなるかもしれない。未来のことは、誰にもわからない。だから一生懸命生きるんだ。
治療していいかな、と尋ねたら、シエルはおずおず頷く。俺は、シエルの額に口付けた。すると、ぱあっ、とシエルの身体が光り輝いた。シエルが赤くなって、俺を伺う。
「どうして、私をたすけるの?」
「君も俺を助けてくれたから」
シエルがロイドに泣き付かなかったら、俺は死んでいたかもしれないんだ。だからこれはほんのお返し。俺が立ち上がると、シエルがどうしたの、と尋ねてきた。
「学園に帰るよ。レオがそろそろ痺れを切らしてるから」
「ま、また来る?」
不安げなシエルに、頷いてみせた。もし誰かが助けを呼んだら、すぐに手を差し伸べよう。そういう力を手に入れたんだから。間違いがないように生きていけば、必ず幸せになれるはず。
図書室を出た俺は、廊下の向こうで待っているレオに向かって走り出した。
──これは誰も知らない、悪役令息の物語。
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