第3話 魔法学園の隠キャです

アルヴィン・フォン・ベルグレイズの朝は、一杯の紅茶から始まる。美しい金髪と、深海のような美しい青の瞳。中性的な美青年が、紅茶を一口飲む。その形のいい眉根がぴくり、と動いた。彼はカップを近くにいた使用人に投げつけた。

「きゃあっ」

「ぬるい! 淹れなおせ」

「アルヴィン様、ご容赦ください。この者は入ったばかりでございます」

 執事のセバスチャンが、駆け寄ってきた使用人をかばった。アルヴィンは蔑んだ眼差しをセバスチャンにやる。アルヴィンははあ、とため息を漏らし、懐から出した杖をセバスチャンへと向けた。「グリーン・ダイル」と唱えると、杖の先から緑色の光が出てきて、セバスチャンの首に絡みつく。セバスチャンは首から引き剥がそうともがく。

「きゃあっ!」

 使用人たちは身を寄せ合って真っ青になっている。床に倒れたセバスチャンを見て、アルヴィンが吐き捨てた。

「使用人の分際で俺に指図するな。殺されたいのか?」

──なんてことが、記憶が戻る前にあったらしい。なんでわかるかというと、セバスチャンが来なかったからだ。執事であるセバスチャンは、朝には必ずアルヴィンの身支度を手伝いにくる。しかし、違う従者がやってきた。まだ若くて、ひょろりとしている。

「あのー、セバスチャンは」

「あ、坊ちゃんが魔法使ったせいで死にかけてるっす」

 彼はけろっとした口調で答える。俺は顔を引き攣らせ、冷や汗をかいた。すでに対面すべき問題を引き起こしてんのか、このお坊ちゃん。年若い従者に尋ねてみる。

「君の名前は?」

「シャンクスっす。坊ちゃん、使用人界隈でまじやべーって噂なんでドキドキっす」

 それ本人に言わない方がいいんじゃ。でも怯えられるよりはいいか。

 着替えを終えた俺が食堂に現れた途端、その場に緊張が走った。控えていたメイドや従僕たちが、硬い表情でおはようございます、と頭を下げる。俺は食堂を見回した。やたらと長いテーブル、天井からはシャンデリアが下がっている。テーブルには父と母、それから弟が席についていた。両親は俺に見向きもせず、黙々と料理を食べている。

「にーちゃ」

 弟のリーンがニコニコと手を振る。可愛いな。弟っていなかったので新鮮だ。しかし無駄に広すぎだろ、この食堂。しかしやっぱり、グラフィックが綺麗だからか、背景もリアルだな。感心していたら、メイドが緊張した面持ちでスープを運んできた。

「ど、どどうぞ」

「ありがとう」

 ガタガタ震えていたせいか、パシャン、と音を立ててスープが跳ねた。誰かがヒイッ、と悲鳴を漏らす。アルヴィンが立ち上がると、周りが真っ青になってひれ伏した。

「申し訳ありませんっ」

「その子は少々そそっかしくて」

「火傷しなかったか!?」

 俺が尋ねたら、涙目だったメイドがポカンと口を開けた。

「は、はい」

「ならよかった。ちょっとシミを落としてくる。登校時間まであとどれぐらいかな」

「30分ぐらいっすねー」

 シャンクスが懐中時計を見ながら答えた。彼は使用人としては下っ端らしいが、えらく話し方がラフだ。別に気にしちゃいないが、他の使用人たちは悲鳴を上げて駆け寄ってきた。

「なんだその口の聞き方は。謝れっ! おまえ!」

「死にたいのか!」

「いいから。食べる時間はないかもな。馬車を早めに回してもらえる?」

 俺は、コーヒーだけ飲んで食堂を後にした。使用人たちは、唖然としている。キャラ付けを忘れてしまったが、まあいいか。シミを落として玄関に向かうと、シャンクスがカバンを差し出してきた。俺は礼を言って、カバンを受け取る。

門前にずらりと並んだ使用人たちが、いってらっしゃいませ、と頭を下げた。みんな忙しいだろうし、これやらなくてもいいんだけどな。帰ったら使用人頭に話しとこう。俺は、馬車に乗り込んで学園へ向かった。

 

「ロマンス・オブ・クラウン」の舞台は、主にベルズ王国内にある王立魔法学園だ。学園は3年制。魔法の性質や成績などによりハイクラスとロークラスに分けられていて、それぞれ二つずつ、全部で四クラスある。アルヴィンはハイクラスのうちの一つ、アルファルドクラスに属していた。アルファルドクラスを簡潔に表現するならば、陰湿・陰険・邪道である。悪役がいるクラスだからってそんなふうに描くのって、どうかと思うんだがな。クラスに入ると、教室にいた人々が弾かれたように立ち上がった。皆一斉に、おはようございます、と頭を下げる。アルヴィンってたしか貴族なんだよな。にしてもクラスメートなのに、敬語で挨拶するとか変なの。

「おはよう。今日もいい天気だな」

 俺がにこやかに言ったらなぜかざわついた。アルファルドクラスの連中はみな成績優秀だが、どことなくじめっとした空気が漂っている。設定だから仕方ないけど、やっぱり、ヒロインのいるスコーピオンクラスがよかったな。ヒロイン、エリザベス。健気で優しく、明るく可愛らしい。男だからやっぱりかわいい子がいい。エロいシーンを見ているので余計に愛着が湧いている。

 乙女ゲームの男性キャラクターなんか、髪色と髪型が違うだけでだいたい同じ感じだしな。姉に聞かれたらぶっ飛ばされそうなことを考えつつ、教科書を開く。うーん、わからん。アルヴィンはかなりの優等生のはずだが、勉強に関しての記憶がなくなっているらしい。隣のクラスの生徒に尋ねてみた。

「なあ、これわかる?」

「えっ!? あ、アルヴィン様が私に質問を!?」

 おかっぱ頭の女の子が赤くなって慌てている。

「ごめん、ど忘れしちゃって」

「そ、そんなことあるんですね。毎回成績一位でいらっしゃるのに」

 まじかよ。アルヴィン様、ガリ勉か。ってことは俺はこれから死に物狂いで勉強しなきゃならないってこと? せっかく転生したのになあ。どうせ生まれ変わるならヒーローのレオがよかった。なんせダントツの人気を誇るメインヒーローで、エリザベスとのイチャイチャの数も半端ないのだ。やばい、思い出したら鼻血出そう。

「アルヴィン様、大丈夫ですか?」

「あ、ごめん。えっと〜」

「カナンです。私みたいな地味女、覚えてないですよね……」

 カナンは寂し気に目を伏せた。いやいや、隣の席なのに覚えてないとかやばいだろ。もちろん他の生徒の名前もわからない。あとで名簿で調べなきゃ。たしかカーティス先生のとこで名簿が見れるんだよな。カーティス先生は攻略キャラの一人で、保険医なのに女生徒に手を出してるちょっとやばい人だ。でも女の子は危険な大人が好きらしく、人気キャラだって姉ちゃんが言ってた。カーティス先生がいる保健室は、教室がある主翼に対し右側の建物だ。放課後、俺はそちらに向かって歩き出した。しっかし、広いなこの学園。プレイ中は画面の右端をクリックすると、地図が出てくる。ただし、現実世界だからそんな便利なものはない。せめて案内板はないかなあ。キョロキョロしていたら、前からやってきた人物にぶつかった。よろめいた絵は、廊下に尻餅をついた。こちらを見下ろしている、冷たい瞳。うそだろ、いきなり会っちゃった。

「──っ、れ、レオ……」

 レオは冷め切った目でこちらを見下ろし、手を差し出してきた。あ、仲直りの握かな。恐る恐る掴まったら、その手が凍りついてきた。

「うわ、あっ」

俺は慌てて手を引く。レオはこちらを見向きもせず、さっさと歩いて行った。ちょっと待て、これどうすりゃいいんだ! とりあえずカーティス先生のとこに行こう。アルヴィンは、慌ててカーティスのところへ走って行った。カーティスは女の子たちに囲まれて談笑していた。いいなあ、じゃなくて! 怪我人なんですけど!? こちらに目を向けたカーティスが、鷹揚に手を上げる。

「ああ、アルヴィンくん。どうかしたかな?」

「て、手が……」

「またレオくんか。すまないね君たち、また今度」

 女の子たちがえーっ、と文句を言って、アルヴィンを睨んできた。カーティスは治癒魔術で、あっという間にアルヴィンの凍りついた手を溶かしてしまった。ホッとしていたら、カーティスが肩をすくめる。

「君たちは相変わらず仲が悪いんだね。同学年なんだから、仲良くしなよ?」

「や、なんもしてないんです! 今朝会ったらいきなり凍らされて」

「まあ、僕は嬉しいよ、アルヴィンくんが来てくれて」

 カーティスは柔らかな笑みを浮かべてみせた。俺はちょっとドキッとする。亜麻色の髪に紫色の瞳で、目元のほくろが色っぽい。この人男子生徒までたらそうとしてんの? エリザベスにあんなことやこんなことしといて。名簿をチェックした後、カーティスの部屋を出た俺は、はあ、とため息を漏らした。レオにまた遭遇しないよう、慎重に歩き出した。


 「なーんであんな奴がモテるのかなあ。そりゃ顔はいいし、魔力もすごいけどさ」

 帰宅した俺は、シャンクスに髪をとかしてもらっていた。シャンクスはあんな奴って誰すか、と尋ねてくる。わからないよな、レオのことなんて。同級生だけど、いきなり凍らされたと話したら、シャンクスがああ、と相槌を打った。

「坊ちゃんもセバスチャンさんいきなり攻撃しましたもんね!」

 その言葉は、胸にぐさりと刺さった。この人、言いにくいことをすごい明るく言うじゃん。そうだった。セバスチャンに謝らなきゃいけないんだよな。俺は、庭に出てお見舞い用の花を摘んだ。シャンクスは「具合が悪いときに元凶の顔見たいっすかね」などと言ってくる。ほんとに正直だなこいつ。だがたしかに、セバスチャンは俺に会いたくないかも。俺はシャンクスに頼んで、花と手紙を届けてもらうことにした。勉強した内容はさっぱり忘れたんだけど、字は読み書きできるんだよなあ。翌日、セバスチャンから、恐縮した手紙の返事が返ってきた。もったいないことだ、あのようなことになったのは自分が未熟なせいだった──と。いや、セバスチャン悪くないだろ。もしかしたら、こっちが賠償金とか払わなきゃならないんじゃないかな。禍根を残したらあとで恨まれたりするかもだし。俺は羽ペンをくるくると回した。


 シャンクスに連れられて、セバスチャンの部屋へと向かう。セバスチャンは、使用人たちが暮らす別棟の個室で横たわっていた。アルヴィンが姿を現すと、慌ててベッドから降りようとする。俺は彼を手で制した。

「ああ、いい。先日は申し訳ない。えーと、慰謝料と労災を払うから銀行口座を教えてくれ」

「はい?」

 セバスチャンは唖然としている。そうか、この世界には銀行口座なんてものはない。庭で詰んだ薔薇を差し出すと、私に……? とつぶやいていた。俺はセバスチャンの手を握りしめ、誠意を込めた口調で告げた。

「今まですまなかったな、セバスチャン。これからは気持ちを入れ替えて、いい主になると誓うよ」

「アルヴィン……さま?」

 セバスチャンは、不気味そうにこちらを見ていた。いきなり心を入れ替えるなんて言われても信用できないよなあ。

自室に戻った俺は、見舞金50万ローラと帳簿に書いた。通貨は、姉が資金集めの際に「ローラローラ」と叫んでいたから知っている。ヒロインは苦学生で、学費を集めなきゃならないクエストがあるのだ。俺も何かの時のためにローラ貯めなきゃな。

 商業高校に通っていたため、簿記が得意なのである。帳簿を手に入れたい。あと、そろばんか電卓が欲しいんだよな。日記も必要か。破滅まであと何日か把握しなきゃならないし。ベルを鳴らして従者を呼ぶと、シャンクスがやってくる。

「シャンクス、買い物行ってきてくれないかな」

「はいーす」

「あ、待って。やっぱり俺もいく」

 俺はシャンクスと一緒に馬車に乗り込んだ。街へと至る馬車道を進んでいく。俺は窓の外を眺めながら感心した。ほんとにゲームのまんまだなあ。店を案内してもらい、シャンクスと買い物をした。店主たちは俺を見るとすぐに飛んできた。アルヴィンの家は超すごいらしいのだ。その時、悲鳴と警鐘音が聞こえてきた。宿屋の窓から、火が吹き出している。えーっ、とんでもないことが起きてるじゃん! 宿屋からは子供の泣き声が聞こえてくる。俺はハッとした。


「助けにいかなきゃ……」

「アルヴィンさまっ!?」

 俺はバケツを掴んで、頭から被った。それから、宿屋に飛び込んでいく。室内には煙が蔓延していて、視界が不明瞭だった。くそっ、どこだ? ──こっちですよ。優しい女の人の声がして、ドアが光り輝く。俺はドアを押し開けた。小さな女の子が床に座り込んで、泣き叫んでいる。その時、天井がやけ崩れて落ちてきた。──危ない! 俺は女の子に駆け寄って、小さな身体を強く抱きしめた。

「アイス・バーン・ライ」

 冷たい美声が響いたその時、全てが静止した。落下してきた木材がピキピキと凍りついて、砕け散った。

俺はキラキラと輝く氷雪を眺めながら、戸口に立っている人物に目をやった。

「れ、レオ……」

 レオはこちらにやってきて、俺を見下ろした。助けが来て緊張が解けたのか、俺はふ、と意識を失った。ガタゴトと、馬車が揺れている。あれ? なんで馬車に乗ってんの?

 俺は瞳を開いて、身じろぎした。レオが隣に座っていたのでギョッとする。レオは窓の外を眺めていた。会話する気はないって感じだ。俺は、ぎこちない笑みを浮かべた。

「あ、あの……ありがとうな、助けてくれて」

「おまえを助けたわけじゃない」

 ああ、そうですか。まあ、レオと仲良くする必要はないよな。俺が親しくしたいのは、エリザベスだ。可愛い女の子、最高。ふいに、レオが突然手を伸ばしてきたので、ぎくりと肩を揺らした。彼は俺の頰に触れ、ぐい、と汚れを拭いとる。

「あ、どうも」

「おまえ、いつ辞めるんだ」

「は?」

「俺と勝負して負けたら学園を辞める、って啖呵切っただろ」

 そんなこと言った覚えは全くないが、そうなんだろう。俺は貧弱だし、レオに勝てそうなのなんて薬学ぐらいのものだ。レオは俺を屋敷まで送って去って行った。あれ? なんであいつは俺の屋敷を知ってるんだ。屋敷に入ったら、セバスチャンが慌てた様子でやってきた。

「アルヴィン様! ご無事ですか」

「う、うん。セバスチャンこそ寝てなくていいのか」

「私は平気です。念の為医師に見せましょう」

 セバスチャンは医師を呼んできて、俺の身体を診察させた。大丈夫だって言ってるのに。セバスチャンって心配性なんだな。一方のシャンクスは俺を全く心配していなくて、忠誠心の違いを感じた。大事にしよう、古参の執事。部屋に戻った俺は日記を書いた。

 

 ✖️月◯日、街に買い物に行く。女の子を助けようとしたらレオがやってきた。彼はすごく俺のことが嫌いらしい。別にこっちも仲良くなる気はないからいいんだけどさ。この世界のことはだいたいわかってきたので、エリザベスと親しくなる作戦を取りたい。放課後、スコーピオンクラスを覗いてみよう。

 −帳簿、計算機、日記 2000ローラ

 

 エリザベスに誠実な態度を示し、自分が悪役ではないことを証明できれば、破滅の運命も避けられると考えたからだ。ついでに、いい感じになれちゃったりして。へへ。

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