第9話 愛されすぎて辛いです()

「アルヴィン様、食欲がないのですか?」

 その言葉に、俺ははっ、と息を飲んだ。セバスチャンが心配そうにこちらを覗き込んでくる。その日の夕飯は好物の鴨肉だったのに、かなり残してしまった。なぜだか、レオの悲しげな顔が頭にこびりついていた。自室に戻った俺は、ベッドに座って星座の本を読んでいた。レオが図書室で読んでいたものだ。

 返却期限が迫って来てるし、返しに行かなきゃな。翌日、俺は本を返しに図書室へ向かった。図書室の奥には、レオの姿があった。うわあ、よりによって。昨日の今日では、顔を合わせるのが気まずい。気づかれないうちに本を借りて帰ろうと思っていたら、イアンが立ち塞がってきた。

「よお、モヤシ。ちょっといいか」

 俺は体育倉庫に連れて行かれ、いきなり殴りつけられた。痛みにうめいていたら、イアンが襟首を掴んできた。

「てめえのせいでエリザベスが口きかねえんだよ。どうしてくれる?」

「知らないよ、そんな、っ」

 ギリギリと首を絞められて顔をしかめる。酸欠になりかけているのか、目の前が白くなって行った。やばい、殺される。その時、イアンの手がふっ、と引いて行った。いつのまにか現れたレオが、イアンに杖を突きつけていたのだ。イアンはじろっとレオを睨みつける。

「なんのつもりだ、てめえ」

「アルヴィンに手を出すやつは殺す」

「おまえだって嫌ってただろ!」

 レオの氷魔法が、あたりを凍てつかせ始める。イアンは舌打ちし、踵を返して去って行った。レオは俺のそばに膝をついて、そっと腫れた頬に触れてくる。レオはすまない、と呟いた。俺は、ハッと顔を上げた。アイスグレーの瞳は、悲しげな色を湛えている。

「自分の気持ちがわからなくて、あいつらと一緒におまえを傷つけた。だから、俺の言うことなんか信じられないかもしれない。でもおまえを守りたいんだ。好きだ、アルヴィン」

 レオは、俺をギュッと抱きしめた。俺は、レオにしがみつきそうになる。──いや、だめだろっ。もし完全にBLルートに入ってから、惚れ薬の効果が切れたら。そんな恐怖が、レオを受け入れることをためらわせる。

 愛しのエリザベスの前で、嫌いな俺に散々求愛させられてきたのだ。レオは怒って俺を殺そうとしてくるかもしれない。

レオの感情を鎮めるため、俺は彼を押し除けた。

「だ、だったら、言うこと聞けよ」

「ああ、なんでも聞く」

「俺、クリスタルエイドの魔石が欲しいんだ。とってきてくれ。そしたら俺を抱こうがそばにいようが、好きにすりゃいいよ」

 クリスタルエイドとは、魔物がうじゃうじゃいるスペリオール山の裾野にある鍾乳洞の水晶石のことだ。命がけでなければ手に入れられないと言われている。しかも、そこには水晶石を主食にする危険な魔物が住んでいる。いくらレオだって、魔物相手に無傷でいられるわけもない。

「わかった」

「え?」

「すぐとってくるから、待ってろ」

 レオはそう言って、体育倉庫を出て行った。さ、流石に無理だよな……? レオはそれから数日、学園に来なかった。なぜか教師たちは俺にレオの所在を確かめてきた。寮にもいないし、レオの家に「帰ってませんか」なんて尋ねるわけにも行かない。空席を見ていたら、だんだん不安になってきた。俺は、星見塔に登ってスペリオール山を眺めた。双眼鏡を使ってみるが、人影など見えない。さすがにわからないよな……。足音が聞こえてきたので、はっ、と振り返る。そこに立っていたのは、クロフォードだった。クロフォードは、こちらを見てくすりと笑った。

「レオじゃないんだ、って思った?」

「い、いえべつに」

「彼の姿が最近見えないのは、やっぱり君のせいか」

クロフォードはこちらにやってきて、俺を抱き寄せた。

「っ、ちょ、先輩!?」

「ねえ。僕の魔力あげようか?」

 クロフォードはそう言って、俺の耳朶に舌を這わした。何してんだこの人! 俺は真っ赤になってもがく。しかし、騎士の家系で、武術に長けた彼の力には敵わなかった。貧弱ガリ勉の自分が憎い。クロフォードは耳元で囁いてくる。

「最近……君がとても魅力的に見える。だけどレオがいたら、手出しできないからね」

「え、エリザベスは!?」

「ああ、彼女のことはもういいんだ。それより、楽しもうよ」

クロフォードの手がシャツのボタンを外し始めた。もういいんだってなんだよ! そ、そういやゲーム内にクロフォードと塔の上でエッチする展開があったような。でもなんで俺!? ネクタイを解かれ、素肌を弄るようにして手が入り込んできて、俺はギュッと目を閉じる。

その時、ばさり、と翼が羽ばたく音がした。ヒノトカゲの背中に乗ったレオが、ずるり、と落ちてくる。

「レオ!」

 俺は慌ててレオに駆け寄った。傷だらけで、ひどくだるそうだ。早く手当しないと。彼は俺に、クリスタルエイドを差し出してきた。俺ははっ、と息を飲む。レオはかすかに瞳を開けて、俺を見つめた。アイスグレーの瞳に見つめられると、胸が痛くなる。

「これ、やる……から。付き合って、くれ」

「っ、そんなの、いらない」

「じゃあ、何が欲しい? なんだってやる。おまえが言うなら、この国を滅ぼしてやる」

それは困るんだけど、とクロフォードがつぶやいた。こいつ、バカだ。ただレオと結ばれたらどうなるのか怖くて、彼を遠ざけたくて言っただけなのに。こんなの、一時の感情に過ぎないのに。俺は、レオの傷にそっと手を当てた。金色の光が溢れ出して、傷を覆って行く。クロフォードは、驚いたようにこちらを見ている。

「まさか……君は……聖女なのか?」

「違います。俺は……悪役令息です」

そうだ。俺がレオに、こんなことさせるのは変なんだ。ヒノトカゲにレオを寮まで運んでもらって、夕焼けの下、クロフォードと一緒に門まで歩いて行く。俺は、ポケットから取り出した魔法石を見つめた。レオの気持ちが重くて、辛い。本来、エリザベスに向けられるべき感情。俺がもらっていいものじゃない。明日、先生に解毒薬をもらいに行こう。じゃあ、と言って馬車に乗り込もうとしたら、クロフォードが口を開いた。

「アルヴィン。キスしていいかな」

「え?」

 クロフォードは俺を引き寄せて、唇を奪った。俺はビクッと震えて、カバンを落とす。いいって言ってないんですけど! クロフォードはカバンを拾い上げ、こちらに手渡してきた。それから見惚れてしまうような笑みを浮かべる。

「また明日」

「さ、さようなら」

 赤くなった俺を乗せて、馬車は走り出した。


✖️月◯日

レオがスペリオール山で魔法石をとってきた。一応、ショップで買ったガラスケースに入れて飾っている。窓辺に置くと、キラキラ光って綺麗だ。あと、なぜかクロフォード先輩にキスされた。嫌がらせなのか、BLルートのせいかわからないが、これ以上ややこしいことになったら大変だから忘れよう。

−ガラスケース代 250ローラ


俺は屋敷の温室で摘んだ花や果物を見繕い、レオの見舞いに行った。室内からクロフォード先輩の声が聞こえてくる。俺が顔を覗かせたら、レオがベッドから転がり落ちた。俺は慌てて駆け寄って、彼を抱き起こした。まだ具合が悪いのかと思ったら、レオは果物籠を見つめて、大袈裟に目を潤ませている。

「アルヴィンが見舞いに来てくれるなんて……このイチゴは一生取っておく」

「腐るから早く食べてくれ。ほら、あーん」

 俺がイチゴを差し出すと、レオが顔を赤らめた。彼が形のいい唇を開く前に、クロフォード先輩が俺の手ごとイチゴを食んだ。もぐもぐと咀嚼し、うん美味しいね、と笑みを浮かべた。途端にレオがあたりを凍りつかせ始める。

「おまえ……殺されたいのか」

「またそれ? 君は芸がないね。もしくは語彙力がないのかな?」

 クロフォードやイアンがいるとなぜかすぐに殺伐としてしまう。姉ちゃんはこの空気、萌えるかな……。っていうか元気かな? ついでに篤郎も。

 しばらく雑談した後、クロフォードは生徒会があるから、と去って行った。レオとゆっくり話をするチャンスだ。悪かったな、と言ったら、レオが不思議そうにこちらを見た。

「親しくなりたくないとか言って。ほんとは……おまえと、友達として仲良くしたかったんだよ」

 氷魔法はカッコいいし、レオは好き勝手振る舞っていても俺と違って好かれている。だからレオと、普通の友人みたいに話してみたかった。記憶が戻る前のアルヴィンがどうかは知らないけど。

「おまえも……俺を想ってくれていた、ということか」

レオは顔を赤らめ、瞳を潤ませながらこちらを見つめている。俺は、ポカンとした表情でレオを見た。なんでそんなポジティブな解釈ができるのだろう。いま友人としてって言ったよな?

「は? いや違う、俺はエリザベスに」

「好きだ。今すぐ愛し合おう」

レオがまたのしかかってくる。俺は叫びながら、彼の腕から逃れて部屋を飛び出した。あいつ、元気じゃないか! 全く、油断も隙もないんだから。ぶつぶつ言いながら乱れたシャツを直していたら、一人の男子生徒がやってきた。

「なー、俺のミズノガメしらね?」

「い、いや知らない」

俺はシャツの前を合わせながらそそくさと歩いて行く。寮の近くには小さな池があって、水様生物たちが泳いでいた。ポケットに入っていたビスケットを取り出して、細かく割って与える。すると、生き物たちが集まってくる。可愛いな。俺も生き物を飼って癒されようかな。悪役っぽさが薄れるだろうし。

 ふと、岩の上で日向ぼっこしている生き物に気づいた。ん? あれって亀かな。さっき探していたミズガメかも。身を乗り出そうとしたら、足を滑らせて池に落ちてしまった。俺は紅茶を飲みながら、タオルにくるまっていた。ガタガタ震えた後、はくしょん、とくしゃみをする。ミズノガメの飼い主──ロンが心配そうに尋ねてくる。ネクタイが水色だ。彼はアルタイルクラスの生徒らしい。

「大丈夫かよ?」

「あ、ああ。悪かったな、迷惑かけて」

「いや、いいんだけど。なんかさ、アルヴィンって雰囲気変わった?」

 俺がキョトンとしたら、ロンが照れたように笑った。

「前はさ、近づきがたいっつか、庶民馬鹿にしてますって感じだった」

「あ、ごめん……なんかした? 俺」

「なんも。でも態度に出てたよな。レオはまたベクトル違って、他人に興味なかったけど」

 たしかに、レオとは何話したらいいかよくわからない。ロンと話していたら、イアンが入ってきた。俺はぎくりと肩を揺らす。ロンはおかえり、と声をかけてきた。どうやら彼らはルームメイトらしい。俺に気づいたイアンは、あからさまに嫌そうな顔をした。

「おい、なんでこいつがいる」

「別にいいだろ。君も紅茶飲む?」

「いらねえよ、気悪いな」

 イアンは吐き捨てるように言って去って行った。ロンは肩をすくめて俺を見た。俺は、慌ててイアンを追いかける。階段を降りて行くイアンの背中に声をかけた。こちらを振り向いたイアンに、曖昧な笑みを向ける。

「気にしないでくれ。俺帰るから」

「おまえ、なんなんだ? 寮生でもないくせに出入りして」

「レオの見舞いに来たんだ」

「はっ、やられに来たんだろ」

 俺は黙り込んだ。否定しても、イアンは聞き入れない気がした。それを肯定ととったのか、イアンは舌打ちし、さっさと階段を降りて行った。イアンはどうして、俺をああまで嫌っているのだろう。エリザベスの件だけではないのは明らかだ。


 ✖️月◯日

 レオの見舞いに行ったら、寮でイアンと鉢合わせた。イアンは相変わらず俺が嫌いみたいだ。気分が沈んだけど、いいこともあった。イアンのルームメイトが飼ってるミズガメがとても可愛かった。俺もなにかペットを飼いたいと思う。魔獣専門学の先生に相談してみようかな?

 −レオの見舞い代 温室の花とイチゴなので〇円


日記は日本語で書いているので、誰かに見られても全く問題ない。もし万が一「なんて書いてあるんだ?」と聞かれたら、「自分で作った言語だよ」って誤魔化せばいいのである。俺のキャラは陰キャ薬師なので、特に違和感はないだろう。

日記を書くのに熱中していたら、執事のセバスチャンが静かに紅茶を運んできた。彼はいつも邪魔にならないように、スッと俺の間合いに入ってくる。そのまびに、優秀な執事なんだろうな、と思う。俺は礼を言って、紅茶を口にする。


「坊ちゃん、先日は随分たくさんのお友達がいらしたようで…」

「ああ…そうだな」

「以前はなかったことですので、私はとても嬉しいです」

 セバスチャンは控えめながら、明るく微笑んだ。


(嬉しいって、どんだけ俺が友達いなかったと思ってんだよ……)


俺は心の中でツッコミを入れながらも、セバスチャンの微笑みにむず痒い気持ちになる。不思議な話だ。つい最近まで、アルヴィンは使用人とこんな会話をすることもなかったはず。アルヴィンはプライドの高い嫌な金持ちで、ゲーム内では身分の低い人間に当たり散らしていた。アルヴィンの世話などできないと、出て行ったものもたくさんいただろう。ふと思いついて、セバスチャンに尋ねてみた。

「おまえはどうして、俺を見捨てなかったんだ?」

「旦那様、奥様に頼まれていましたので」

 もしくは丸投げしてるとも言えるだろう。アルヴィンは、両親との関係があまりよくないのだ。

(使用人たちには、なにか褒美を与えようかな。ルイもよくやってくれてるし)

 俺は、日記にその旨を書いた。翌日、学園が休みだったので街へ買い物に出ることにした。シャンクスに付き添ってもらい、目についたものを買って行く。最近散財しているので、そろそろローラが尽きそうだ。俺は金庫の中のお金をいくら使ってもいいと言われている。しかし自分の小遣いぐらい、自分でなんとかしたい。立ち寄った魔道具店で、店主から最近、香り付きの魔薬ポーション流行っていると聞いた。それいいかも。俺は安く売っていた薬瓶を大量に購入し、学園の薬学室でポーションを作って入れた。


 ✖︎月◯日

使用人たちに褒美を買ったら喜ばれた。セバスチャンなんか懐中時計を見て涙ぐんでいた。おかげで今月のやりくりがかなり厳しくなってしまった。ポーションを作ったので、学園で売ろうと思う。

−5万ローラ 褒美代・薬瓶代、薬剤代

 

翌日、俺はポーションを箱に入れて学園の庭で売った。取り巻きたちが率先して買ったが、やはりあまり売れない。なんせ 俺は、悪名高い悪役令息なのである。これだと損が出ちゃうな。そんなことを思っていたら、クロフォード先輩が不思議そうに尋ねてきた。

「何してるんだい、アルヴィン」

「先輩、こんにちは。ポーション買いませんか」

 クロフォードは、不思議そうに首を傾げた。

「なんでわざわざ? お金には困ってないんだろう」

「いえ、最近小遣いが足りなくて……」

 クロフォードは薬瓶を弄びながら、「買ったら何かサービスがあるのかな」と言った。サービス? 割引とかか。そういうのもありかもな。5本買ったら5パーセントオフとか、瓶を返してくれたら割引しますとか。そんなことを考えていたら、クロフォードがアルヴィンの顎に指をかけた。くいっと上向かされて、俺はポカンとする。クロフォードにうっとり見惚れていた女子たちが、きゃーっと黄色い悲鳴をあげた。クロフォードは甘やかな笑みを浮かべる。

「5本買ったら君とキスできるとか?」

「い、いや、誰も喜びませんよ」

「そうかな。少なくとも買い占めようとするやつが一人いそうだけど」

いつのまにか、レオが札束を手にして立っていた。それを薬瓶置き場にしていた机に叩きつけ、俺を引き寄せる。その光景を見て、女子がまたきゃあきゃあ叫んだ。レオのファンというか、男性同士が絡んでいるのが好きなのかな。あの子達はもしかしたら姉と同類なのかもしれない……。異世界にもいるのか、BL好き。

 遠い目をしていたら、クロフォードが不満げにアルヴィンの手を引いた。

「待ってよ。僕が先じゃないか?」

「貧乏騎士は下がっていろ」

「どっちも俺の商売の邪魔するなよ!」

 俺は二人の手を振り払って逃げ出した。レオはともかく、なんでクロフォードまであんなことをし出したのだろう。やっぱりBLルート?

 全く……どうも惚れ薬を飲ませて以来、レオに振り回されている。今日こそ、マーヴィン教授に解毒薬をもらいに行こう。俺は、マーヴィンの研究室へと向かった。ドアをノックしようとしたら、室内から艶っぽい声が聞こえてきた。

「や……先生、だめ……」

俺はぎくっと肩を揺らして、後ずさる。これって、入ってはいけない感じでは。慌てて踵を返して歩き出すと、誰かにぶつかった。顔を上げたら、イアンがこちらを見下ろしている。イアンは俺を無視して、さっさと研究室に入ろうとする。俺は、慌ててイアンを引き留めた。

「ま、待っ」

 そこで、イアンも研究室から漏れ聞こえてくる声に気づいたらしかった。彼は舌打ちし、気持ち悪いな、とつぶやいて廊下を歩いて行く。俺は、慌ててイアンを追いかけた。イアンがなんだよ、と言ってこちらを睨みつけてくる。自分でも、なぜ引き留めたのかよくわからなかった。

「え、えーと、ポーション買わない?」

「ポーション?」

「匂いつきのが流行ってるんだって」

 イアンは、俺が差し出したポーションをはたき落とした。薬瓶が床に落ちて砕け散る。驚いて見上げると、イアンが襟首を掴んできた。そのまま壁に押し付けられて、苦しさに思わず眉根を寄せる。

「ぐっ……」

「おまえ、まだわからねえの? 俺は嫌いなんだよ、おまえが」

「ど、して」

「どうして? エリザベスを庶民だなんだって差別しやがって。教科書破り捨てたり、取り巻きに嫌がらせさせてたよな。クマのぬいぐるみやったり、家に呼んだくらいでチャラになると思ってんのか!」

俺は、思わず息を飲んだ。ギリギリと締め上げられ、頭の中が白くなって、そのショックが記憶を蘇らせた。


これって……まだ中等部の頃かな。エリザベスが、池の前で泣いている光景。イアンはエリザベスに駆け寄って、池に捨てられている教科書を拾い上げる。そこに取り巻きを連れたアルヴィンがやってくるのだ。アルヴィンは、イアンに侮蔑的な視線を向ける。

「おやおや、ずぶ濡れのでかい生き物がいるから、ドブネズミかと思ったよ」

「てめえ!」

 イアンはアルヴィンに向かって行くが、魔法で弾き飛ばされた。それから、冷たい眼差しをエリザベスへ向ける。

「聖女の力だと? そんなもの、魔法ではない。早く辞めたらいい。この学園はおまえなど認めていないのだからな」

アルヴィンは押し殺した声で、取り巻きに「余計なことをするな」と告げる。アルヴィンの命令ではなく、周りが勝手にやったことだったのだ。アルヴィンは、エリザベスのロッカーに新しい教科書やカバンを入れる。そうしてエリザベスが喜んでいるのを、陰から見守るのだ。バカだな、こいつ。エリザベスのことが好きなくせに。謝って、仲良くしようって言えばいいのに。それができない、可哀想なやつ。だから、破滅したんだ──。


俺は、掠れた声で言った。

「……エリザベスのことが、好きなんだ」

「ふざけんなよ。あいつを苦しめといて手のひら返しか」

「そう、だ。償うためならなんでもするし、何度でも謝る」

イアンは舌打ちし、研究室に向かって顎をしゃくった。

「ならあいつにやられて来いよ」

「え?」

「あいつは男が好きなんだよ。媚薬でやられかけたことがある。ぶん殴って逃げたけど」

「え……でもなら、なんで」

 イアンは顔を歪め、「口止めで魔法薬をくれるんだよ、俺は、レオやクロフォードに比べたらずっと魔力が低い」と言った。イアンは、エリザベスを守るために、彼女と同じクラスに入ろうと懸命に努力している。その願いがかなうなら、どんな手段でも取るだろう。青ざめている俺を見て、イアンが笑った。

「口先だけかよ。どうせレオにやられてんだろ?」

「……イアン、俺は」

「ああ、もういいわ。おまえ見てるとイラつくから早く消えろ」

 イアンは吐き捨てるように言って去って行く。俺は、呆然と彼を見送った。あの緑の薬瓶は、媚薬だってことなんだろうか。だけど、じゃあ生徒たちが無理やり手籠にされてるってことじゃないか? そんなの、見逃していいのだろうか。薬で人を操るなんて。だけど。だけど俺だって、エリザベスに惚れ薬を盛ろうとした──。

 俺が迷っていたら、誰かが研究室から出てきた。1年生らしき少年が、顔を赤く染め、ぼんやりした表情で去って行く。彼の姿が見えなくなった頃、俺は、思い切って研究室のドアを叩いた。マーヴィンは慌ててズボンを引き上げている。俺は嫌な気持ちになり、目を逸らす。

「アルヴィンくん、どうかしたのかね」

「これを返しにきました」

 俺が緑の薬瓶を差し出すと、マーヴィンが青ざめた。その反応で、イアンの言っていたことが事実だったとわかる。乙女ゲームの世界で、何してんだこの人。俺は、黙り込んでいるマーヴィンに淡々と告げた。

「先生、俺、先生に自主してほしいんです。先生は優秀な薬学の教師だし、尊敬してます」

「そうか……私も、君は優秀で素晴らしい生徒だと思っている。その薬瓶を見ただけで勘付くとはな」

正確にはイアンに教えてもらったのだが、黙っておいた。カーティスの罪を知っていながら黙っていたとわかれば、イアンまで傷を負うことになる。カーティスは、学園長に話に行くが、少し時間が欲しいと言った。俺はホッと息を吐いて、緑の薬瓶を捨てようとする。そのとき、カーティスが拘束魔法を放った。

「──!」

避ける間もなく、俺は手足を拘束されてソファに倒れこむ。カーティスは俺の口に緑の薬瓶をあてがった。くらりとするような、強い匂いが鼻腔をつく。動揺している隙に、瓶の中身が口内に流れ込んできた。

 

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