第8話 エリザベスをさそいたいです

俺は緊張しながら学校の廊下を歩いていた。エリザベスのクラスが近づくたびに、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。エリザベスを誘うのには何度も失敗しているため、うまく行くか不安だ。

(大丈夫、ちゃんと誘えるはずだ…)


そっと教室を覗くと、エリザベスがいるのが見えた。明るい髪が光を反射し、笑顔で友人たちと話している。エリザベス、マジで可愛いな。一瞬見惚れかけた俺は、こちらを見た彼女にいそいそと近づいて行った。


「エリザベス、ちょっといいかな」

「アルヴィン。怪我は大丈夫?」


心配そうに目を細めて彼の顔を見つめるエリザベス。その瞬間、俺の心に温かい感情が広がった。彼女が自分を心配してくれるなんて思ってもいなかったからだ。


「う、うん。もう大丈夫だよ。ありがとう…」


言葉に詰まりながらも、俺は何とか微笑んで答えた。青い瞳が緩んで、金の髪が窓から差し込む光に照らされ、まるで宗教画のようだった。なんて可愛いんだ。周りの生徒たちがざわついたが、そんなこと眼中にはなかった。俺にはエリザベスしか見えていない。俺は一度深呼吸をし、緊張しながら本題を切り出す。


「その、エリザベス、もしよかったら…放課後僕の家に来ないか? その…色々話したいこともあるし…」


言葉を選びながら、なんとか伝えた。しかし、次の瞬間、不意に後ろから腕が肩に回され、ぐっと体が引き寄せられた。振り返ると、そこにはイアンが立っていた。


「楽しそうな話してるじゃねえか、モヤシ野郎。俺も混ぜろや」


イアンはいつものように威圧的な表情を浮かべ、俺を見下ろしている。彼の筋肉質な体と鋭い目つきに、俺は身体をこわばらせた。

殴る蹴るされた上に木に吊され、ズボンを脱がされてちっさ、と言われたことを思い出した。

俺の身体がガタガタ震える。彼の全身から感じる圧に、思わず一歩引いてしまいそうになる。しかしその瞬間、エリザベスが強い口調で言った。


「イアン、アルヴィンを脅さないで!」


エリザベスの言葉に、イアンは不機嫌そうに眉をひそめたが、すぐに肩から俺の腕を放し、軽くため息をついた。


「ったく、しょうがねえな…エリザベスには敵わねえや」


そう言いながら、イアンは一歩下がり、エリザベスを見つめた。彼の目に宿る何か特別な感情を、俺は見逃さなかった。


(さすが、エリザベスを昔から想っているだけはあるな…)


幼馴染であるイアンに対するエリザベスの気遣いと特別な絆。俺にはそれが少しだけ羨ましくる思えた。彼女とイアンの間にある長い歴史には、自分が入り込めない壁があるように感じたからだ。


「それで、アルヴィン。家に行くって話よね」


エリザベスが笑顔で問いかけてくる。可愛いな。俺はドキドキしながら、もう一度彼女を見つめた。


「う、うん…もしよかったらだけど…」


エリザベスが小さく笑った。


「うん、行ってみたいな。」


やったああ! 俺の胸に、一瞬の希望が灯った。


俺とエリザベス、そしてイアンの三人は、俺の屋敷へと足を踏み入れた。(当然のようについてくるよな、この人)

 俺はちらっとイアンを見た。しかしぎろっ、と睨み返されて怯える。ま、まあ、攻略対象と親しくなるのも、破滅を免れるには必要かも。

 大きな鉄製の門が開かれ、石畳の道を進んで行くと、壮麗な屋敷が目の前に現れた。白い壁に豪華な装飾が施され、窓からは光が漏れ出し、庭には蔓薔薇が咲いている。一応自分の屋敷ながら、まるで絵本の中の世界のようだった。エリザベスがわあ、と感嘆する。

「素敵なお屋敷ね」

「はっ、どんな悪事を働いて建てたんだかな」

「やめなさい、イアン」


話をしながら玄関の前に到着すると、扉が音もなく開き、中から一人の老執事が姿を現した。白髪のセバスチャンが丁寧にお辞儀をして三人を出迎える。


「アルヴィン様、お帰りなさいませ。お二人はご学友ですかな?」


セバスチャンの穏やかな言葉に、俺は少し頬を染めた。友達――その響きが、彼の胸にじんわりとした温かさをもたらした。悪役令息として恐れられていた自分が、友達と一緒にいると思われている。嬉しくてたまらない。


(俺ぼっちじゃないよなっ!)


エリザベスもセバスチャンに挨拶をしている。セバスチャンは、エリザベスに好感を持ったらしく、こちらに目配せを送ってきた。──いいお嬢さんですな。もちろん、エリザベスはいいお嬢さんだとも。なんせ人気乙女ゲームのヒロインだからな! にやにやしていたら、隣でイアンが無愛想な声を上げた。


「はっ、友達? なんでこんなやつとつるまなきゃならないんだ」


皮肉混じりの言葉に、俺は一瞬身を硬くする。イアンの言葉には明らかな敵意が込められていた。彼がこの場にいるのはエリザベスのためだということが、痛いほど伝わってくる。そりゃそうだ、俺は嫌われている悪役令息なんだから。


「そんな言い方しないで、イアン。せっかく家に呼んでくれたのよ」


エリザベスがすかさずフォローし、イアンを軽く叱る。彼女の言葉に、イアンは不満げな表情を浮かべたが、素直に黙った。エリザベスには敵わないのだという彼の態度が、少しおかしくも見える。


「ふん、わかったよ…」


イアンは渋々といった様子で顔をそむけた。俺は彼のリアクションに少し安心しながらも、屋敷の中へと二人を導いた。ずらりと並んでいる使用人や、壁にかけられた高そうな絵画などに、イアンはいちいちケチをつけてきた。それをエリザベスが嗜めるという繰り返しだ。

三人は広い廊下を抜け、俺の部屋へと向かった。大きな窓からは庭園が見渡せ、優雅な調度品が整えられた部屋は、落ち着いた雰囲気を醸し出している。エリザベスは興味深そうに部屋の中を見回し、俺に柔らかい表情を向けた。


「ここがアルヴィンの部屋なのね。とても素敵だわ」


エリザベスの言葉に、俺は嬉しさと少しの恥ずかしさが混ざったような気持ちになった。原作だとエリザベスを家に呼ぶなんてシーンは全くないのだ。今の状態自体が奇跡にも思える。俺は照れながら答える。


「ありがとう。まあ、広すぎて、ちょっと落ち着かない時もあるんだけどね」

「はっ、嫌味か?」


イアンはソファにどかりと腰を下ろして、早く茶を出せ、と顎をしゃくる。エリザベスは行儀が悪いと、彼の膝を叩いた。この二人って付き合ってるのかな。気になって尋ねてみる。しかし、エリザベスは即座に否定した。

「私、好きな人がいるから」

イアンと俺は同時にエリザベスを見た。イアンと視線が合うと、彼はふん、と目を逸らす。エリザベスが好きな人って誰だろう。普通に考えたら、レオなんだろうけど……。あれ、今もやっとしたな。エリザベスに意中の人がいるってわかったからだよな? そうに決まってる。動揺しつつも、セバスチャンを呼ぶ。

 セバスチャンが淹れてくれた紅茶は、上品な香りが漂い、部屋を心地よい雰囲気で包んでいた。よし、めちゃくちゃいい感じだ。


「どうぞ」


エリザベスが優雅に紅茶を口に運ぶ横で、イアンはどこか落ち着かない様子でカップを手に取った。なにか入ってると、疑ってるのかな。俺はそんなイアンの様子を気にしながらも、できるだけ自然に振る舞おうと努めていた。えーと、なにか話題ないかな。そうだ、こないだレオがいきなり侵入してきたことを話そう。レオのことを話したら、エリザベスが笑ってくれた。

「すごいわね、レオってば。ほんとにアルヴィンのこと好きなんだ」

「いつもどうやって入ってくるのか、すごく不思議なんだ」

「つーか、いるぜ」

 イアンはそう言って、戸口を指差した。そこにレオが立っていたので、俺は顔を引き攣らせる。いつのまに!?

レオは素早くこちらにやってきて、俺を抱き寄せた。

俺は突然の感触に驚き、体が硬直した。こ、こいつ、二人の前で何してるんだよ。瞬く間に顔が熱くなるのを感じる。心臓の鼓動が耳に響き、呼吸が乱れた。


「は、離せよっ」


俺は必死に抵抗しようとするが、相手の腕の力は全く緩まなかった。レオは俺の身体をしっかりと抱きしめながら、低い声で囁く。


「なぜ俺を置いて行った。こんなやつらを家に呼ぶなら、俺を先に呼ぶべきだろう」


レオの声には怒りと苛立ちが混ざっていた。その傲慢な言葉に、俺はますます動揺した。


「こんなやつらとか言うなって……離せ!」


俺はレオの胸に手を押し当て、なんとか距離を取ろうとするが、レオは彼を放さない。もがく俺を、エリザベスとイアンは唖然としながら見ている。くそ、せっかくエリザベスといい雰囲気で話せていたのに。レオが来ると全て掻っ攫ってしまう。イアンがいたずらを思いついた子供のように、にやり、と笑った。


「そういや、こないだも聞いたけど。おまえら、できてんだよな」


その言葉に、俺の顔から血の気が引いた。この世界では、魔力供給以外での男性同士の接触は普通ではないのだ。側から見たら、そうとしか見えないだろう。エリザベスの顔が見られない。イアンは俺の反応を見て、さらに愉快そうに笑った。


「このベッドでやってんだろ? うわ、男同士で気持ちわる……」


イアンの冷たい言葉に、俺の心はぐらぐらと揺れた。レオの腕の中で身動きが取れない自分と、その状況をからかうイアン。全身に羞恥が走り、言葉が喉に詰まった。


「やめて、イアン」


その時、エリザベスの鋭い声が空気を切り裂いた。彼女はイアンの前に立ちはだかり、怒りのこもった目で彼を睨みつけた。エリザベスの怒りが伝わったのだろう。イアンはぐっ、と言葉を詰まらせ、黙り込んだ。


「ごめんね、アルヴィン、レオ。今日はこれで帰るわ」


エリザベスは申し訳なさそうに謝りながら、イアンの腕を掴んで無理やり連れて行こうとする。イアンは少し不満げに顔をしかめたが、結局はエリザベスに従い、その場を去った。


俺はようやくレオの腕から解放され、深く息を吐き出した。心臓がまだドキドキと高鳴っている。その鼓動が聞こえてしまいそうな気がして、急いでレオから離れて、ベッドに腰を下ろす。


「ああ……せっかくエリザベスを家に呼べたのに」


俺はがくりと肩を落として、深いため息をついた。自分の計画が無残に崩れ去ったことに、心の中で絶望感が広がっていた。イアンの無遠慮な言動と、あの気まずい雰囲気が、すべてを台無しにしてしまった。


そんな俺の落胆を無視するように、レオが近づいてきて、囁くような声で言った。


「やっと、二人になれたな」


その低い声に、俺は一瞬背筋が凍った。姉の描いた同人誌によれば、男が二人きりで、ベッドがあればBL展開が始まってしまうのだ。危機感が体中を駆け巡り、直感的に逃げ出そうと立ち上がろうとするが、レオはすばやく反応し、俺をベッドに押し倒した。


「レ、レオ、やめろよ!」


俺が抵抗するも、レオの力には太刀打ちできなかった。揉み合っていたら、俺のポケットから小さな緑色の薬瓶が転がり落ちた。レオはそれを拾い上げ、興味深げに瓶を眺めた。


「ん…なんだ、これは?」


俺はその瓶を見て、すぐに思い出した。


「マーヴィン先生の部屋にあったんだ。何かの薬だと思うけど…」


「そうか…」


レオは薬瓶を一瞬眺めたものの、すぐにそれに対する興味を失い、瓶を手のひらの中で転がしながら俺に視線を戻した。こちらに向けられる瞳には熱がともっている。胸がドキドキと激しく鼓動し始め、頭がクラクラと揺れるような感覚に襲われた。


「アルヴィン……前は性急だった。今日はちゃんと優しくする」


レオに優しく囁かれ、俺は動揺を隠せなかった。状況に飲まれそうになりながらも、なんとか言葉を振り絞った。


「お、俺、やっぱりエリザベスがいい」


その言葉を聞いた途端、レオは鋭く目を細め、苛立ちを隠さない口調で遮った。


「あんな女のどこがいいんだ。俺の方が、おまえを好きだ」


その一言に、俺の心に火がついた。抑えきれない怒りが込み上げ、レオに向かって叫ぶ。


「エリザベスの悪口言うなよ!」


しかし、俺の頭の中では別の思いがよぎっていた。レオの気持ちが本物だという確証はない。もしかしたら、あの惚れ薬のせいで、レオはこんな風に振る舞っているのだ。だってレオが俺を好きになんてなるはずはないから。そう考えたら、なぜかひどく動揺してしまう。


「だいたい、おまえのその気持ちは偽物なんだ」

「偽物?」

「そうだ。俺、おまえに惚れ薬飲ませたんだ」

レオはその言葉が眉を寄せた。

「クロフォードもそんなこと言ってたな。だけど、俺は前からずっとおまえが好きだった。おまえが薬を飲ませる意味なんかない」

 そんなの嘘だ。惚れ薬の影響で脳が勝手に作り出した、偽りの記憶だ。

「おまえじゃない! エリザベスに飲ませたかったんだ。おまえはずっと冷たくて、ひどいやつだったじゃないか。誰もおまえなんかと恋したくないだろ!」

 レオが息を飲んで、俺を見つめた。彼は瞳を揺らした後、目を伏せて、部屋を出て行った。ああまで言われて、さすがのレオも傷ついたらしかった。悲しげな表情を思い出すと、良心がズキズキと痛くなる。別に謝る必要ないだろ……だって事実なんだから。でも、また寮を凍らせられたら困る。俺は急いで部屋を出て、レオを追いかけた。しかし、夕暮れの庭にはすでにレオの姿はなかった。

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