第6話 寄付は匿名が基本です

翌朝、俺は朝日の眩しさで目を覚ました。カーテンが開いている……魔法で予約したっけ? この世界には目覚ましってものがないため、朝の光で目を覚ますのが基本だ。シャンクスを呼ぼうと、ベルに手を伸ばす。しかし、誰かにそれを取り上げられた。

「おはよう、アルヴィン」

「ああ、おはよ……」

 返事をしかけて、俺は思わず固まった。レオが枕元に立っている。俺は悲鳴を上げかけて、我慢して飲み込んだ。なんであっさり入ってきてるんだ。この屋敷のセキュリティはザルすぎる。なんとか気持ちを落ち着かせ、引き攣った顔で尋ねてみた。

「な、なんでいるのかな?」

「おまえを迎えにきた。それと、着替えを手伝いたい」

「いや、一人でできるよ」

 ごく普通の高校生だったんだから、自分のことは自分でできる。断った瞬間、レオがあたりを凍りつかせ始めた。面倒だな、こいつ……。結局、彼の手を借りて制服に着替えた。レオと一緒に食堂に入ったら、使用人たちが驚いた表情を浮かべた。父が激怒して、「なぜそいつがいる!」と叫ぶ。母は無視。弟はレオを見て、キョトンとしていた。

 そりゃそうだろ、食卓の場に敵家の長男がいたら誰でもキレるわ。しかし、立たせたままにするわけにはいかない。仕方なく、レオの席を用意させた。父は猛犬みたいな目でこちらを睨んでいる。食事をしていると、セバスチャンがやってきた。俺は、セバスチャンに近寄って行く。

「セバスチャン。もう復帰して大丈夫なのか?」

「はい、坊ちゃんのくださった薬を飲んだら、すっかりよくなりました」

 セバスチャンはレオに視線を向けて、ご友人ですか、と尋ねてきた。その会話が聞こえたらしく、レオが素早く訂正を入れてきた。

「いずれアルヴィンの恋人になる、レオ・モンタギューだ」

「友人な! レオ、遅刻するから行こう」

「おいっ、どういう意味だっ!」

 俺は父の怒鳴り声を背に、食堂を出た。俺はレオと共に馬車で学園へ向かい、門の前で降りる。すると、レオが手を握りしめてきた。登校する生徒たちが、じろじろとこちらを見てくる。この世界では男性同士が手を繋いだりキスをするのは一般的ではない。ただ、魔力供給でキスしたり、契約で性行為をすることはある。それにしたって、かなりアブノーマルだから人前ではしない。俺は、姉が描いた同人誌を思い出していた。読みたくて読んだわけもなく、「布教」といって無理やり見せられたのである。

 アルヴィンがエリザベスを攫おうと画策し、レオがお仕置きをすると言う展開だ。アルヴィンはレオによって氷の檻に閉じ込められる。

『おまえの魔力は俺が全て奪ってやる。そしたらもう悪さはできないだろう』

 レオの冷たい囁きに、アルヴィンは身体を震わせる。実際氷点下並みの閉じ込められているのだから、寒いのだ。しかもレオは冷酷で、エリザベスのためならなんでもする。レオはアルヴィンの顎を掴んで持ち上げ、そっとキスする。(なんでだよ)

『震えているのか……可愛いところもある』

『あっ、やめ……』

 魔力を奪うはずが、なぜかR指定シーンに雪崩れ込むという展開だ。それをきっかけにして、レオは次第に、アルヴィンへの独占欲を高めて行く。ついでに、この同人誌内でのアルヴィンは、嫌だと言いながらレオに迫られて喜んでいるようにしか見えない。完全に原作のキャラからはかけ離れている。なんでこうなるのかと尋ねたら、姉は持論を展開した。

「レオ様は元々、アルヴィンが好きなのよ」

「なんでだよ。仲が悪い設定だろ」

「それは愛情の裏返しなの。この世界じゃ男性同士の恋愛はアブノーマル。なにせ子供に魔力を受け継いでいく必要があるから。レオ様は侯爵家長男だから余計にね。しかも、家同士が敵対関係にあるアルヴィンとは、まさにロミオとジュリエットの関係……。エリザベスを好きっていうのはカムフラージュよ」

「アルヴィンは?」

「エリザベスに振られまくって傷ついてるから、迫られるとちょろいのよ」

 姉の妄想っぷりに呆れたものの、完全に他人事だからふーん、と思っただけだった。まさかこの世界に転生して、BL展開に巻き込まれるなんて。はあ、とため息をついたら、レオが顔を覗き込んできた。先程の妄想キスシーンを思い出してビクッと肩を揺らす。レオはどきまぎする俺の頰に触れた。

「どうした? 気分が悪いか」

「い、いや別に」

「レオ! アルヴィン!」

 明るくて可愛らしい声がして、俺はドキッとした。こちらに駆けてきたエリザベスが、俺に笑いかけてきた。可愛いな……。レオは至極冷たい眼差しをエリザベスに向けて、俺を促して歩き出す。エリザベスはポカンとした表情でこちらを見ている。あんな可愛い子を袖にするなんて、信じられない。俺のせいではあるとはいえ……。レオはこの日も、アルファルドクラスで過ごした。もはや教師も何も言わない。誰も凍らされたくないからだ。こんな態度ばっかりとってたら、普通退学になるだろ。そうならないぐらい、レオは特別な存在なのだ。次の授業の準備をしていたら、レオがいないことに気づいた。あいつ、どこへ行った。目を離したすきに、変なことをされたら困る。彼を探して歩いて行くと、絵になる二人が外階段の踊り場にいるのが見えた。エリザベスとレオだ。さすが、乙女ゲームのヒロインとヒーロー、とてもお似合いである。

「レオ、どうしたの?」

「どうもしていない。俺はおまえと会話する気はない」

「どうして? 昨日からずっとアルヴィンといるけど……なにか理由でもあるの?」

 エリザベスは健気に問いかけている。レオは、ヒロインに対するとは思えない冷たい眼差しを投げかけた。

「アルヴィンと俺を引き離す気なのか? だったら容赦はしない」

 レオが片手に氷の剣を出現させた。エリザベスは真っ青になっている。おいおいっ! まさかエリザベスを攻撃するつもりなのかよ。俺は静止しようと、慌てて出て行った。走ってきた俺を見ると、レオが表情を緩めて、氷の剣を下ろした。

「アルヴィン、どうした?」

「どうしたじゃない! 何やってるんだよおまえ」

「俺とおまえを阻む敵を排除しようとしている」

「敵だなんて……そんな言い方ひどいわ!」

 エリザベスは瞳を潤ませて走り去った。周りから非難の眼差しが注ぐが、レオは全く意に介さない様子だ。俺は慌ててエリザベスを追いかけようとしたが、レオに拘束される。離せ、ともがいたが、びくともしなかった。やっとのことでレオを撒いた俺は、エリザベスを探して視線を動かしていた。ああ、これがきっかけでエリザベスに嫌われたらどうしよう。その時、物陰から手が伸びてきて、襟首を引っ張られた。そのまま外階段に引っ張り出され、手すりに押し付けられる。

「よお、アルヴィン。ずいぶんレオと仲がいいみたいだな」

こちらを見下ろしていたのは、イアンとクロフォードだった。うわあ、こいつらのことすっかり忘れてた。挨拶代わりに殴りつけられて、うめき声をあげる。クロフォードは薄笑いを浮かべながら、こちらを見落としている。

「君たち、そういう関係だったんだ。そういえば、以前レオに、こっちで対処するから君に構うなって言われたよ」

「ああ、なるほどな。仲悪いふりしてってことか」

違う、と言いかけたら、いきなり拘束魔法で腕を戒められた。イアンにシャツのボタンを引きちぎられた。クロフォードはズボンのベルトを解いている。

「なにし……っ」

「レオ様専用って書いて、全裸でここに吊るしといてやるよ」

イアンはそう言って、ナイフを取り出した。まさかあれで文字を刻む気なのか。あまりに残酷な発想にぞっとして暴れていると、殴りつけられる。足音が聞こえてきて、エリザベスが飛び込んできた。やめて、と言いながら、イアンの腕を掴む。その拍子にぐらり、と視界が揺れて、俺の身体が中空へと投げ出される。エリザベスが悲鳴を上げた。

 ──まじか、俺、ここで死ぬのか。

 なんとか防御魔法を使おうと懐を探ったが、杖がなかった。教室に忘れてきたことに気づいて、絶望する。嘘だろ……。目の前が真っ暗になった。ああでも、俺は死ぬ運命なのかもな。せめてエリザベスとプロムで踊ってから死にたかった……諦めて目を閉じようとしたら、ふわり、と身体が浮き上がる。

「……え」

 長い腕が俺の身体を受け止めた。

 こちらを見下ろしている金髪の美青年。蜂蜜色の髪と、真っ白な歯。この人って……たしか、攻略対象の一人、王太子のロイドだ。ロイドと会うのって、王宮の舞踏会だったような気がするんだが、なんで今? 戸惑っていたら、彼が外階段を見上げた。

「随分と危ない遊びをしてるんだな、魔術学校というのは」

イアンとクロフォードは、興が削がれたというように去っていった。エリザベスが慌ててこちらに降りてくる。

「アルヴィン、大丈夫? 怪我していない?」

「あ、うん、大丈夫」

そう答えた直後、ロイドの顔面に、氷の剣が突きつけられた。地を這うような、低い声が響く。

「いつまで触っている。アルヴィンを離せ」

「おや、レオ・キャピレスじゃないか。息災だったか?」

 ロイドは笑顔でレオに話しかけている。そうか、この二人親戚だから、知り合いなんだ。レオはロイドを無視して、俺を奪い返した。ロイドは肩をすくめて、エリザベスに微笑みかける。エリザベスは顔を赤くした。あ、フラグ立ったのか?

「校内を案内してもらえるか、お嬢さん」

「は、はい」

俺は、去っていく二人を羨ましい気持ちで眺めた。いいよなあ、攻略対象はすぐにフラグを立てられて。レオは殺意のこもった眼差しをロイドに向けたあと、一転心配そうな表情で尋ねてくる。

「大丈夫か、アルヴィン」

「あ、ああ。だから下ろして……」

「何を騒いでいるんだ、君たち!」

 焦った様子でこちらにやってきたのは、薬学部教授のマーヴィンだった。マーヴィンは集まっている生徒たちを追い払って、呆れた顔をこちらに向けた。またおまえらか、と思っているんだろう。すみません、としか言いようがない。生徒たちが散っていくと、慌てた様子で、ジェラルドとカナンが走り寄ってくる。

「アルヴィン様、大丈夫ですか!?」

「寄るな」

レオは俺を独占しようと、二人を威嚇する。

「やめろ! 嫌いになるぞ」

 そう言ったら、レオがはっ、と息を飲んだ。困った顔でオロオロしている。レアすぎるだろ、この光景。俺は彼を無視し、ジェラルドたちを連れて歩き出した。ジェラルドは何があったのかとしきりに心配してきたが、何も問題ないと返した。いや、本当はかなり問題だらけだ。イアンとクロフォードがこのまま何もしないってことはないだろう。できるだけあの二人にかかわらないようにしないと。教室に帰ったら、エリザベスが待っていた。ロイド王子は帰ったのかな。気を聞かせたジェラルドが、カナンを連れて教室に入る。俺は、エリザベスと連れ立って歩き出した。

うわ、俺エリザベスと歩いてる。ゲームの中ではありえない光景だ。思わず口元が緩みそうになる。レオが惚れ薬を飲んだのは予想外だが、どうせそのうち元に戻るし、結果オーライかも。スコーピオンクラスまで送って行くと、エリザベスが頭を下げた。

「さっきはほんとに、ごめんなさい」

「いいんだ。エリザベスは悪くないだろ」

 エリザベスはホッとしたように笑顔を浮かべた。うん、やっぱりエリザベスは笑っているのがいい。あ、くまのぬいぐるみ持ってきたらよかったな。そうだ、放課後エリザベスを誘うのはどうだろう。俺は、思い切ってうちに来ないか、と尋ねてみた。

「え、でも」

「もちろん、友達も誘っていいし」

「レオは怒らないかしら」

だってあなたたち……とエリザベスが顔を赤らめる。仕方ないけど、できてるって勘違いされてるな。

「いや、俺達そういうんじゃないから」

 エリザベスは、迷った末に頷いた。俺は、スキップしたい気分で教室に戻った。まさか、エリザベスを家に呼べるなんて! レオが教室にいない気がしたが、まあいいかと思い直す。薔薇色の気分で放課後を迎えて、スコーピオンクラスへ向かった。すると、ジェラルドがこちらに駆けてきた。

「アルヴィンさま! 大変です」

「どうしたんだ、ちょっ」

 ジェラルドは俺の手をぐいぐいと引っ張って行く。くそ、なんなんだよ。エリザベスを家に連れて行く予定なのに!ジェラルドが俺を連れて行ったのは、男子寮だった。なぜか生徒たちが寮の前に集まっている。こんな場所に連れてきて、どうしようっていうんだ。どうしたんだ、と尋ねたら、とある男子生徒が、ぶるぶる震えながら叫んだ。

「レオが寮内を凍り付かせてんだよっ。おかけで全員締め出された」

「もー! 俺の飼ってるヒノトカゲが死んじまうよ」

「アルヴィン様、レオに何か言いました?」

 ジェラルドがこっそり尋ねてきた。俺はごくり、と喉を鳴らす。まさか嫌いになるぞ、と言っただけでこんなことになるなんて。青ざめているアルヴィンのところに、クロフォードがやってきた。たしか、この人寮長だっけ? クロフォードは、俺に対する敵意を滲ませつつ口を開いた。

「アルヴィン、一緒に来てくれ。レオがああなったのは君のせいなんだろ?」

「お、俺の……?」

「早く」

 クロフォードは、俺の手を引いて寮に入った。その加減のなさに呻いたが、彼は気にする様子がない。嫌われてんなあ。領内に入ったら、途端に、身も凍るような極寒が襲ってくる。男子寮のエントランスは、ソファも階段の手すりも、全てが凍りついていた。ガタガタ震えていたら、クロフォードが俺を馬鹿にするような目で見てきた。

「慣れてるんじゃないの? レオの魔力を受けてるんなら」

「してません、そんなことは」

「じゃあなんで彼は君にあんなに執着してるんだ? 魔力供給すると、相手に対して独占欲が生まれる。それ以外、理由がないだろ」

だから、惚れ薬のせいなんだって。

「先輩の属性って、炎の魔力ですよね。なんとかこれ、溶かせませんか」

「無理だよ。レオの魔力は規格外なんだ。どうして学園長は、あんな危険人物を入学させたんだか」

レオがこの学園にやってきたのは、学園長の肝いりだって設定があった気がする。じゃあ学園長を呼んでくれば、言うことをきくのでは? あまりに寒くて、気を失いそうになる。すると、つないだ手から炎の暖かさが伝わってきた。ほっ、と息を吐いて、礼を言ったら、クロフォードがチラッとこちらを見てきた。

「そうやって男に媚びるんだね」

「は?」

「レオとは何回やったの? 匂いがついてないよね」

「先輩、今はそんな場合じゃ……」

 俺は反論しかけて、ぐっと黙り込んだ。レオに惚れ薬を盛ったこと、正直に話さないと、追求されそうな気がして暴露してしまった。クロフォードは呆れた顔で俺を見た後、皮肉げに笑った。

「さすがアルファルドだね。薬を使って他人の気持ちを弄ぶんだ」

「違います。ただ、仲良くしたい子がいて」

「なら、正攻法で行けばいい。薬なんて使うのは卑怯だと思わないのか?」

 彼の言うことは正しい。それはクロフォードが、このゲーム世界のヒーローだから言えることだ。最初からヒロインとのフラグが折れていて、彼女を守る最強の魔法使いたちがそばにいる。他にどうすればよかったんだよ。だけどそんなこと、言い返せるはずがなかった。俺は、グッと唇を噛んだ。

「あなたの言う通りです。俺は、卑怯だった。だけど、あなたたちだって、わけもなく俺を痛めつけたじゃないですか」

「理由なんてあるわけないよ。君を見ていると、腹が立つんだ。きっとイアンもそうだと思うよ」

 彼は突然アルヴィンの腕を引いて、とある部屋に放り込んだ。そのまま外から鍵をかける。アルヴィンはギョッとして、ドアを叩いた。

「クロフォード先輩!」

「正直言って、レオも目障りなんだ。君を殺したって知ったら、がっかりして学園を去るんじゃないかな」

 俺は寒さと混乱で身体を震わせた。どうしてこんなことを。必死になってドアを開けようとしていたら、クロフォードが憎々しげにつぶやいた。

「君が聖女を手に入れようなんて、無理なんだ」

 諦めて死ね。

クロフォードの足音が去って行く。他人に悪意を向けられるって、こんなに辛いんだな。俺は、崩れ落ちるように床に座り込んだ。杖を取り出して、炎をともしたが、すぐに消えてしまった。寒い……。火を興せそうなものを探すが、見当たらない。マッチ売りの少女って、こんな気分かな。悪役令息のくせに、生き延びようとしたのが間違いだったのかな。きゅい、という声が響いて、アルヴィンは顔を上げた。物陰に、ヒノトカゲがうずくまっていた。角に灯っている火が消えかけてしまっている。

「おまえ、寒いのか? こっちにおいで」

俺はヒノトカゲを抱き寄せて、膝の上に乗せた。頭を撫でていると、うとうとし出す。ヒノトカゲの体温のおかげで、俺も少しだけ楽になった。ヒノトカゲを撫でている俺の手から、ふわり、と金色の光が溢れ出す。それは徐々にヒノトカゲを覆い始めた。風前の灯火だった炎が強くなっていく。よかった……。おまえは生きるんだぞ。

俺は、そのまま意識を失った。ふわりと暖かいものに包まれて、俺は息を吐いた。天国ってあったかいな。──アルヴィン。誰かが、俺の名前を呼んでいる。

これ……だれだ? クロフォード先輩?

世界中がおまえを悪だと言っても、おまえが好きだ。俺を愛してくれ。

唇の感触と、服を脱がされる感覚。え、ちょっと待って。気がついたら、暖炉の火が燃えていた。ぼんやりしていたら、レオがこちらを見つめている。

「!?」

「アルヴィン……起きたのか」

 俺、助かったのか……。アルヴィンは、辺りを見回した。ここはおそらく、レオの部屋だろう。机とベッド、それからクローゼットが置かれているだけの、男子寮らしい無機質な雰囲気。王子様の部屋にしては、殺風景だ。暖炉には火があかあかと点っていて、暖かいというより熱い。それもそのはず、身体が毛布で何重にも包まれている。倒れていた俺を、レオが助け出したのだろう。枕元にヒノトカゲがいたので、ほっとする。

「あっ、クロフォード先輩は」

「クロフォード? そんなやつ、どうでもいい」

「どうでもいいって……」

 レオにギュッと抱きしめられて、思わず息を呑む。彼は潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。

「おまえの友人に酷いことを言って悪かった。だから嫌いにならないでくれ」

「わ、わかったって」

 レオは、俺の身体を包んでいる毛布をキャベツみたいに引き剥がした。中が全裸だと気づいて、アルヴィンはギョッとする。慌ててレオの手から逃れて、バスルームへ向かった。あいつ、俺の服を脱がしたのか。なんもされてないよな? こないだはめちゃくちゃ腰が痛かった。急いで服を着て部屋を出ようとしたら、レオがドアの前に立ち塞がってきた。

「どこに行く」

「クロフォード先輩のとこだよ」

「クロフォード……あいつの何がいい。俺の方がおまえを好きだ」

 レオは嫉妬をあらわに眉を顰めている。好きとか嫌いとか、そういうことじゃないし。クロフォードを放っておいたら、俺の破滅フラグがどんどん立ってしまう。しかしそんなことは口には出せないので、当たり障りのない返事をしておいた。

「そんな言い方するな。俺たちの尊敬すべき先輩だろ」

「尊敬? あいつはおまえを痛めつけた」

「それはレオだって同じだろ」

 レオははっ、と息を飲んだ。彼は辛そうな眼差しでこちらを見ていたが、すっ、と退いた。どうやら納得してくれたらしい。俺はホッと息を吐いて、後でな、と言って外に出た。寮から出てきたアルヴィンを、寮生たちは驚いた顔で見ている。

「アルヴィン! どうやって生還したんだ」

「もうレオは大丈夫だ。それより、クロフォード先輩は?」

「クロフォード先輩? さっき、塔の方に行くのを見たけど」

 どうして塔なんかに? なんだか嫌な予感がして、俺はそちらへ向かった。クロフォードは、塔の一番上にいた。集まってきた鳩と戯れている。変な考えを抱いたわけじゃ無さそうだ。俺は、クロフォードに近づいて行った。バサバサと鳩が飛びだって行く。

「先輩……」

「なんだ、死ななかったのか」

 俺の眼前に、ばっ、と炎が渦巻いた。これは、クロフォード先輩の魔術だ。俺は息を飲んで後ずさる。クロフォード先輩は鳩がいなくなったのを確認し、こちらに向かって火炎魔法を放った。「レッド・ファイア」

 俺は、杖を取り出し、咄嗟にシールドを張ってそれを阻む。

「凍死が嫌なら、焼き殺してあげるよ」

 なんとかシールドを張り続けたが、次々に繰り出される炎に手を焼かれてしまう。杖を落として、拾い上げようとしたら、クロフォード先輩に踏みつけられた。痛みにうめいていたら、クロフォード先輩がこちらを見下ろして笑った。ゾッとするような、残酷な笑み。

「アルファルド1の秀才も大したことないね。魔力を高めるためにレオと寝たんだろう?」

「ちが、います」

「ああ、そう? なんにせよもう終わりだよ」

クロフォードは、俺に杖を突きつけてきた。俺は息を飲んで、その切先を見つめる。クロフォードは、淡々とした口調で告げた。

「何か言い残したことはあるかな」

「先輩は、生徒会長でしょう。生徒の模範になる人が、こんなことするべきじゃない」

「ふふ。大丈夫。僕はもう学園を辞めるから。父親が事業に失敗してね。じきに退学しなきゃならなくなる」

 俺は息を飲んで、クロフォードを見上げた。そんな設定あったっけ? クロフォードの家は、歴史ある騎士の家系だったはず。クロフォードは無表情になり、アルヴィンの手を踏んでいた足を退けた。

「なんだか、疲れたな。エリザベスは僕には興味を持ってくれないし」

「せ……先輩」

 クロフォードはふらふらと歩いて行き、そのまま塔のへりに足をかける。俺は咄嗟に彼に駆け寄った。すんでで飛び降りようとしたクロフォードの手を掴んだ。しかし、焼かれた肌がジクジクと傷んでいる。ぶら下がった形のクロフォードは穏やかに、離してくれ、と言った。

「生き残ったら、僕はまた君をいじめるよ」

「いじめりゃいいだろっ! 俺はそんなことでへこたれないんだよ! あんたが邪魔したって、エリザベスにまとわりついてやる!」

 必死になって引き上げようとしていたら、クロフォードが戸惑ったように見上げてきた。

「……どうしてそこまで」

「エリザベスが好きだからだ! 先輩だってそうだろ。死んだら会えなくなるんだぞ」

 クロフォードは眩しそうに目を細めた後、違うよ、とつぶやいた。

「本当は……彼女を好きなわけじゃなかった。家を再興するのに、聖女の力が欲しかっただけだ。だから、好かれないんだろうね」

 じゃあね、と言って、クロフォードの手が離れた。俺は悲鳴を上げる。その時、突然何かがこちらに飛んできた。角に炎を灯した巨大な翼竜が、クロフォードを背中に乗せる。俺は驚いて、翼竜を見た。翼竜はクロフォードをアルヴィンのそばに落とす。

「おまえ……ヒノトカゲ?」

 ヒトカゲがきゅい、と鳴いて擦り寄ってきた。大きさは違うが、確かに面影がある。随分とでかくなったな。おまえ、先輩を助けてくれたんだな。ヒトカゲを撫でていたら、靴音が聞こえてきた。塔の階段を駆け上ってきたレオが、息を切らしながら現れた。彼はクロフォードを踏みつけ、こちらに駆け寄ってくる。わざとか?

「アルヴィン……手が!」

 レオは痛ましそうな顔で、焼かれた俺の手を握りしめる。氷の魔法のおかげで、痛みは引いて行った。レオは安堵の表情を浮かべ、一転、冷たい眼差しをクロフォードに向ける。

「おまえがやったのか。回答によっては殺すぞ」

「……そうだよ、っ!」

 レオはクロフォードを蹴り飛ばし、氷の剣を出現させた。やばい、まじで殺す気かも。俺は慌ててレオに縋り付く。クロフォードは薄い笑みを浮かべ、口元に滲んだ血を拭いとる。

「君がそんなに彼に夢中なのは、薬のせいらしいよ、レオ」

「だからなんだ」

「エリザベスを奪われまいと、僕と一緒に彼を痛めつけたよね」

「それは昔の話だ」

「惚れ薬は人間の感情を無理やり捻じ曲げるものだ。反動が来ないといいけどね」

 クロフォードの言葉は、俺の胸に響いた。しかしレオにはまるで効いていないらしく、強い力で俺を抱き寄せてくる。レオはクロフォードを見据えてこう言い放った。

「俺はアルヴィンを心から愛している。邪魔するやつは排除する」

「話が通じない……」

 肩をすくめるクロフォードに、俺は声をかけた。

「せ、先輩。俺行きますけど、変なこと考えないでくださいね」

クロフォードはふ、と笑ってかぶりを振った。レオのあまりの荒唐無稽さに、死ぬ気も無くなったらしい。レオは俺を連れて、塔の階段を降りて行った。屋敷に帰った俺は、セバスチャンを呼んで、クロフォードの屋敷の負債額を調べるよう指示した。セバスチャンはすぐに問い合わせをすると答えた。普通、他人の家の財務状況なんてわかるはずがない。しかしベルグレイズ家の力を使えば、それぐらい訳もないのである。

 数日後、管財人からクロフォード家の帳簿が送られてきた。こんなものあっさり見れてしまうんだから怖いよな。──今の俺、割と悪役っぽいかも? 俺は、悪い笑みを浮かべながら、帳簿の数字を見ていった。たとえ屋敷や土地を手放しても、クロフォード家の負債は返せそうにない。予想より深刻そうだ。ワイン農園を返しても、すぐには回収できそうにない。とりあえず、匿名の寄付をすることにした。

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