第14話 人生を壊した奴がいます

「全く、スコーピオンクラスと顔を合わせなきゃならないなんて気が散るよ。せっかく今日から新人の先生が来るというのに」

俺の言葉に、スコーピオンクラスの生徒たちが顔をしかめた。エリザベスは何か言いたげな顔でこちらを見ている。レオは素知らぬ顔で窓辺に座っていた。ダンスパーティ以降、何事もなかったように、日常が戻ってきていた。もちろん、レオとも一切口を効かない。クロフォードはレオとの間に何かあったと敏感に察しているようだったが、何も言わなかった。授業が終わったあと、俺はすぐに教室を出た。悪役令息の演技も疲れるんだよなあ。後ろから靴音が近づいてくる。誰かはわかっていたから、振り向かなかった。

「なんだ? エリザベス」

「あの、お昼を食べない? レオとイアンと、クロフォード先輩も誘って」

 エリザベスが気を遣ってくれているのは、痛いほどわかった。だが俺は、そっけない口調で返す。

「悪いんだが、授業の復習をしたいんだ。あと、君たちと馴れ合う気はない」

「でも私たち、友達じゃない?」

「僕は貴族以外と親しくしないんだ。平民と親しくしたってなんのメリットもないからね」

 その言葉に、エリザベスが青ざめた。弁当が入った紙袋が震えているのがわかって、目を逸らす。いつのまにか現れたイアンが、俺の襟首を掴む。

「おまえ、それが本音か! この一カ月は猫かぶってたのかよ」

「やめて、イアン!」

「ああ。くだらない芝居をするのは疲れたけど、君たちの手のひら返しが愉快だった。そっちもなかなか楽しかっただろ」

殴りつけられて、目の前がチカチカした。久しぶりだな、この感じ。俺は、口元から流れ落ちた血を拭いとる。エリザベスは泣きながらイアンにしがみついている。周りにはギャラリーができていた。騒ぎを聞きつけたのか、カーティスがやってきて喧嘩を仲裁した。彼は俺を保健室へ連れて行き、手当てをした。それからじっと俺を見つめてくる。

「何があった?」

「いえ……くだらない争いに巻き込まれたんです。気に入らないことがあればすぐに暴力だ。スコーピオンクラスというのは、本当に野蛮ですね」

 俺が顔を歪めてそう言うと、カーティスが肩をすくめた。彼は薬棚の方へ向かい、戸棚を開けている。

「口の中が切れてるから、あとで痛いよー。痛み止めはいる? 直哉」

「はい、よろしく……」

 思わず返事をした後、ギョッとしてカーティスの背中を見た。彼はこちらを振り向いて、笑みを浮かべる。直哉って──なんでこの人、俺の前世の名前を知ってるんだよ。いや、落ち着け。なにか、鎌をかけられているのかもしれない。ドクドクと心臓を高鳴らせた俺は、慎重に口を開いた。

「直哉って誰ですか?」

「君の名前だよー。従兄弟なんだから間違えるはずない」

「い、従兄弟……って」

 まさか、目の前にいるのは篤郎なのか。自分が転生しているのだから、他に転生者がいてもおかしくはない。だけど篤郎は、直哉より後に死んだのだ。どうして歳上の人間に転生しているのだろう。混乱している俺を見たカーティスは、肩をすくめて、眼鏡を外した。懐から取り出した杖で、汚れを取り払う。掛け直した眼鏡越しにこちらを見つめる。その眼差しには、覚えがあった。

「きみ、しばらく植物状態だったんだよ〜。俺ががん検診に引っかかって、先に死んじまった」

「……そ、そう」

 まさか、こんなにそばにいたなんて気づかなかった。この一カ月は、レオのことで頭がいっぱいだったのだ。カーティスはこちらに近づいてきて、俺の顎をとらえた。そのままつい、と持ち上げられて、思わずドギマギする。篤郎の口調が、がらりと変わった。

「俺も、転生者だって気づいたのは最近だ。おまえがあんまりにも様子が変わったから……もしかしたら、って思ってた。会いたかったんだぜ」

「俺は、別に」

「嘘つけよ。俺を忘れられなかったくせに」

 ふっ、と耳たぶに息を吹きかけられ、俺は身じろぎした。何勝手なことを言っているんだ。俺を置いてさっさと結婚したくせに。都合のいい時だけこんなふうに迫ってくるのか。カーティスは俺をベッドに押し倒し、服を脱がし始める。俺は慌てて彼の腕を掴んだ。

「ちょっ、やめろよ、先生」

「あっちゃん、って呼べよ」

逃れようともがいていたら、がらりと戸が開いた。入ってきたのは、レオだった。俺はハッと顔を上げる。助けて、レオ。すがるような眼差しを向けたが、レオは無関心な態度でこちらを見て、さっさと隣のベッドに向かう。シャッ、と音を立ててカーテンが閉じた。俺は身体を震わせた。わかってたのに。カーティスが耳元に囁いてくる。

「な、続きしようぜ。聞かれてる方が興奮するし」

「やだ、いやだ……っ」

 カーティスの手が俺のシャツを脱がせて、ネクタイを外した。彼は身をかがめ、ズボンのベルトに手をかける。その背後に、ゆらりと人影が立った。次の瞬間、カーティスの身体は吹き飛ばされていた。俺は震えながら顔を上げる。レオは手を伸ばし、俺の腕を掴んで引き起こす。そのまま外に出ようとしたら、カーティスが待て、と呼び止めてきた。彼は唇から血を流し、歪んだ笑みを向けてくる。

「君の母親は雪の魔女らしいね。通りで人間味がないはずだ」

「だからなんだ」

「君はたびたび問題を起こすよな。無抵抗の教師に暴行していいと思っているのか?」

「学園長にちくったらどうだ。アルヴィンに手出ししたことも含めてな」

 レオは冷たく言って、俺を連れて歩き出した。一緒にいる俺とレオに、チラチラと視線が飛んでくる。俺たちには、様々な噂がある。レオに無理やり抱かれているとか、喧嘩別れして犬猿の仲に戻ったとか。ニヤニヤするもの、気の毒そうに俺を見るもの。レオは俺を薬房へと連れて行った。彼は俺を椅子に座らせて、威圧的な口調で命令した。

「作れ」

「え? な、なにを」

「惚れ薬だ。俺に飲ませたんだろう」

 なんでそんなものを、と思ったが、レオは無言で杖を突きつけてくる。俺は肩をすくめて、仕方なく精製を始めた。これを作らせてどうする気なんだろう。エリザベスに飲ませるのかな。でもエリザベスって、好きな人がいるって言ってたし。もやもやと考えていたら、レオに手が止まってるぞ、と注意された。こいつ、ずっと見張ってるつもりか? 完成した惚れ薬を、レオは無表情で眺めている。ありがとうとか言えよ。

 俺は、皮肉っぽい口調で告げた。

「というか、謝られていないんだがな」

「なにを」

「俺を凍死させようとしただろ! 記憶がザルなのか、おまえは」

 立ち上がって指を突きつけたら、レオが鼻を鳴らした。

「惚れ薬がなきゃ何もできない、いくじなしに批判されたくない」

「っ、あれは、おまえらが邪魔するから」

「エリザベスがおまえに告白されたと言ってた」

「……振られたよ。そうなることは、わかってた」

 やることなすこと失敗してるんだ。笑えばいいじゃないか。レオが距離を詰めてきたので、殴られるのかと身をすくめる。彼は薬瓶の中身を煽って、俺に口付けてきた。な……何してんだ、こいつ! 深く口付けられて、惚れ薬が口内に流れ込んできた。俺はびくりと震えて、レオの腕を掴む。

「っ……き、嫌い、なんだろ……っ」

「黙れ」

レオは俺をテーブルに押し付け、杖を振って服を取り去った。

「自分がどういうことをしたのか、思いしれ」

冷たいアイスグレーの瞳に、真っ赤になった俺の顔が映っている。最中、レオは終始冷たい目でこちらを見下ろしていた。

感じたくないって思っているのに、どうしても、レオを好きだって気持ちが溢れてしまう。事が終わると、レオは俺から身体を離して去って行った。服を治して、ノロノロと起き上がる。

 解毒薬を作って飲んだら、痛いぐらいの動悸は収まった。落ちたはずの赤い星は、残像みたいに脳裏に焼き付いていた。


 暗くなって行く薬房に座っていたら、だんだん冷静になってきた。

「学園、やめようかな」

 父親に反対されても、そうすればよかったんだよな。これ以上、レオのそばにいるのは辛い。カーティスには正体を知られてしまったし。

学園から離れたいと思っていたタイミングで、王宮から手紙が届いた。星を見る会を催すから来ないか、という内容だった。星は好きだし、何より気分転換になりそうだと思って参加を決めた。先日の華やかなパーティーに比べると、シックな服装の男女が野外にある音楽堂に集まっていた。夜会服に身を包んだクロフォードが、笑みを浮かべる。

「君は随分と、ロイド様に気に入られているみたいだね」

「そうでしょうか」

「そうだよ。彼には浮いた話がないらしいが、まさか男性が好きとはね」

 ロイドはただ、俺を友人として気に入ってくれているだけだと思う。彼とフラグなど立つはずがない。音楽堂に集う人々は、星よりも談笑や楽団が奏でる音楽に耳を傾けていた。俺は星読み表を手に、星座を観察した。あれが夏の大三角か。蠍座を探していたら、ふっ、と背後から抱き寄せられる。俺は振り向かずに尋ねた。

「クロフォード先輩、酔ってますか?」

「彼と君は、そういう仲か」

 そう尋ねられて、俺はギョッとした。そばにいるのはロイドだったのだ。思いの外近くにいたので、気まずい想いをする。ロイドはふ、と笑って、散歩でもしないかと誘ってきた。クロフォードは、騎士らしき人々と会話を交わしている。コネ作りの最中だろうし、邪魔しちゃ悪いよな。ロイドに手を引かれた俺は、音楽堂から離れ、静かな庭園にやってきた。王宮の庭は魔術により灯された常夜灯に照らされ、虫の声だけが響いている。こんな場所が、華やかな王宮にもあるのだ。

 ロイドは夜空を眺めながら、「昔は星ばかり見ていたんだ」と言った。

「母から星座神話を聞いてね。聖女であるスピカは、我が国の始祖であるアルクトゥルスと結婚し、魔族の侵攻から我が国を守った。私が結婚すべき救国の少女は、スピカの黒子が胸元にあるのだと」

「……結婚相手が、そのようなことで決まるのですか」

「くだらないと思うか?」

 ロイドの言葉に、俺はかぶりを振る。ゲーム内で見たから知っているが、エリザベスの胸には、乙女座に似た形の黒子があるのだ。ロイドに伝えるべきなのだろうか? だがエリザベスはレオと──。ロイドは俺の肩に手を置いてさらに進んでいく。

その先には小さな小屋があり、周りには月明かりを浴びて美しい薔薇が咲いていた。この場所って、見たことあるな。どこだったか考えて、はっ、と思い出す。たしかゲームのスチルだ。ロイドは、薔薇を摘んで俺の髪にさした。彼はさらりと髪を撫で、熱を帯びた瞳をこちらに向けてきた。

「私の勘だが……君の胸には、スピカの形をした黒子がある」

「いえ、そんなものはありません」

「確かめさせてもらえないだろうか」

 ロイドは、目線だけで小屋を指し示した。俺は誘われるがまま、小屋に入って行く。小屋の中には小さなテーブルとベッドがあった。床には、ランプや本が雑然と置かれている。ロイドは杖を振って、ランプに火を灯した。ほんのりと、橙色の暖かな光が小屋に灯る。

ロイドは俺の手を引いて、ベッドに腰を下ろした。

「ここは私の秘密基地だ。嫌なことがあったときは、よく逃げ込んだよ」

「ロイド様にもそんな頃があったのですね」

「ああ……本当は剣技も勉学も苦手で、すぐに泣いてしまう子供だった。情け無いだろう?」

 ロイドはいつもとは違う、翳りのある笑みを浮かべた。この人は、完璧な王太子を演じているだけなのかもしれない。俺は、ロイドの手をギュッと握りしめた。蜂蜜色の瞳がこちらを向く。

「そんなことないです。あなたはそれを克服されたんだから、立派です」

ロイドは目を瞬いて、こちらを見ている。俺は赤くなって顔を伏せた。なに生意気なこと言ってるんだ、俺は。ロイドは俺の頰に触れて、唇を近づけてきた。咄嗟に避けたが、顎を掴んで口付けられる。その唇が、首筋を這った。荒い息が肌に触れ、ぞくりとする。

「……アルヴィン。君のことをもっと知りたい」

「っ、ロイド、様。もう戻らないと」

「まだいい。脱がしても構わないか」

 ロイドはすでに、俺のシャツのボタンに手をかけていた。なぜだかわからないが、彼は俺を聖女だと勘違いしているらしい。おずおずと頷いたら、ロイドがシャツを開いた。橙色の灯りに、白い肌が照らされている。ロイドは、魅入られたようにこちらを見つめていた。

「とても綺麗だ」

「殿下、あの、服を着ても……」

「まだだめだ。よく見せて」

 

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