●●高校集団狂死事件

春宮 絵里

第1話




 我々は三年前、世間を賑わせた例の事件について、東京で大学生をしているAさんに取材させて頂くことになった。


 録音機のスイッチを押して、頭を下げる。

「辛い事件を思い出させてしまうことになって、大変申し訳ありません」

「謝らないでください。確かにあの時は辛かったけれど、取材を受けると言ったのは私なんですから。それに、そろそろあの事件と折り合いをつけようと思っていたところです」

 Aさんはウエイターが持ってきたコーヒーを一口飲むと、録音機に視線を止めて例の事件について話し始めた。

「そうですね……まずお話するには、校舎の説明をしなきゃいけませんね」

 Aさんはトートバッグから取り出したノートに校舎の絵を書いた。

「高校は三棟になっていて、校門から見て右が東棟、真ん中が中学棟、左が西棟と呼ばれていました。私の在籍していた特進クラスの1組から4組は東棟です。1、2組が三階で3、4組が二階です。西棟が主な教室がある校舎で、東棟は言うなれば大学受験に期待出来る生徒たちを騒音から隔離するための校舎でした」

 ノートが閉じられ、再び視線が交錯する。

「当時、私が高校三年生の時です。確か夏が終わって秋が始まった頃でした。昼間は教室の室温が上がって、エアコンをつけると寒いということで、窓を開けて日差しをカーテンで遮って授業していたんです。私は窓際の後ろから二番目の席でした。教室は大きな黒板と正面に教卓があり、窓側に大きなテレビが置かれていました」

「……テレビですか?」

「ああ、言い方が悪かったですね。パソコンからデータを投影するプロジェクターが、大きなテレビの形をしているようだと思ってください」

「なるほど、今は進んでいますね」

「はい。それでその大きなテレビの後ろは窓際からは、はっきり目視できるんです。おそらく他の席は何も見えないと思います。あの日のことは今も鮮明に記憶に残っています。午後の古文の授業でした。暖かくて眠たいような授業で、テレビの後ろのカーテンに影が差し込みました。初めは見間違いかと思ったんですけど、白くて長い手が窓から飛び出してきたんです。ここは三階なのに、本当に驚いて手をじっと見つめていました。それでも不思議なことに誰も〈ソレ〉に気づいていないようでした。私自身には生まれつき備わっている霊感もなく、ただ偶然手が飛び出してきたのを目撃したんです。流石に真横にいる先生も気づいたようで、〈ソレ〉に『誰だ!』と声をかけました。私の方からはちょうどテレビで隠れていたんですけど、声を聞くと〈ソレ〉の顔や胴体が先生の方を向いたんです。先生は〈ソレ〉と顔を合わせた瞬間、目を虚ろにさせて、ふらふらと〈ソレ〉のいる窓際の方へ歩いていきました。その時点で、これはやばいと本能的に感じて〈ソレ〉を見ないように私は席から駆け出しました。廊下側の一番後ろの席にいる友だちの腕を掴んで教室から転がるように逃げたのを覚えています」

「Aさんのおっしゃる〈ソレ〉とは、どのような風貌でしたか?」

「とにかく白くて、長い手足でした。顔は見ていないので何とも言えませんが、見なくて本当に良かったと思います。見ていたら私は今生きていないでしょう」

 Aさんはトレーの上に乗ったミルクをコーヒーに入れて、グルグルと混ぜた。

「友だちの腕を引いて、階段を駆け下りました。彼女……Bとしておきましょうか。Bは混乱しつつも先生の異様な雰囲気と行動に思考が固まっていたようでした。なんというか、私に腕を引かれるまま足を動かしているような状態でした。私たちは上履きのまま、とにかく走って学校から離れようとしました。すぐに学校の敷地から出て、歩いて十五分かかる駅横の交番に駆け込みました。どこからどう見ても〈ソレ〉は化け物でしたが、イタズラと思われるのも困るので、警察には不審者が教室に現れたという設定で必死に逃げてきたと装いました。その日の記憶はここで途切れてしまって何も思い出せませんでした。すみません」

 Aさんはすっかり冷めたコーヒー牛乳を一口含んで、思い出すように語った。

「……そう、気がついたら自宅のベッドで寝ていて、夢かと思ったのですがスクールバッグやスマホがないことに気づき、血の気が引きました。家にいた母に聞きにいくと、母が涙目になって私を抱きしめてきたんです。どうしたのかと聞くと、私の在籍する2組は、私とB以外が集団で教室から飛び降りて自殺したそうです」

「ああ、それがあの」

「はい。世間で騒がれた事件の一端です。私はみんなが〈ソレ〉の何かを見てしまったことで洗脳状態になり、飛び降りてしまったのだと思っています。母から人伝に話を聞いたのですが、その飛び降りを三階教室の中学生が目撃したようなんです。その子の話によると、みんなはカーテンを閉めたまま順番に落ちていったようです。その子はカーテンが捲れたときのみんなの顔が満面の笑みで、目だけが虚ろにその子を見つめていて、本当に怖かったと言っているそうです」

「それは初耳ですね」

「学校が口外しないように口止めしていたと聞きます。ご存知でしょうが、隣の1組は傍にあった文房具や自分の手を使って自殺、下の3、4組はもっと酷くて全身の毛穴から血が吹き出して全員が失血死しましたから」

「まさに狂死というわけですか」

「……もしもあの時逃げ出さなかったらと考えるとゾッとします」

「素晴らしい第六感ですね」

「ありがとうございます。〈ソレ〉については何も分かりませんが、私が言えるのは化け物と遭遇した時は、何を替えても逃げてくださいということだけです。化け物は人の手に負えるものではありませんから」

「貴重なお話、ありがとうございました」

「いえいえ」

 録音機のスイッチを押して、録音が止める。すました顔でコーヒー牛乳を啜るAさんをぼんやりと見つめる。

「うちとしては有難かったですが、何故取材を受けて下さったのですか?」

「……ああ、それはですね…………」

 Aさんは私の顔を見て、逡巡している様子だった。

「失礼な質問をしてしまいましたね、すみません」

「あっ、いえ。全然構わないんですけど、言ったら多分夜眠れなくなると思いますよ?」

 気になるワードに興味を引かれ、前のめりにAさんに頼み込む。

「そこまでおっしゃるのなら…………言っときますけど、自己責任でお願いしますね。あの日から二年前まで、私は特に変哲も無い大学生活を送っていました。異変が起きたのは多分、一年前からだったと思います。日々の生活の中であの白い腕が視界に入るようになったんです。最初は見間違いやあの事件のことを脳が幻覚として映し出してると思っていました。でも違いました。あの化け物が私の周囲で現れ始めたんです。基本的には私だけが見えるんですけど、たまに周りにも見える時がありました。とにかく腕が見えたら視界に入れないように尽力してきたんですけど、ここ最近は足や胴体も見えるようになったんです」

「……それは、Aさんは大丈夫ですか?」

「ふふ、大丈夫じゃありませんよ。とても怖いです。一時は目を開くことすら出来ないほど精神的に参ってしまいました。そんな時、連絡を頂いて心が決まったんです」

「……そうでしたか。〈ソレ〉は今も見えているんですか?」

「勿論です。今も私の横に立っていますよ。あ、駄目ですよ視線を向けたら。あなたも狂って死んじゃいますよ、ふふ」

「……はは…は」

 何ともなさそうに鳥肌の立つような話をして、艶やかに笑うAさんが不気味に見えた。




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