第壱怪.霊園の女影

第壱怪.霊園の女影


「今日のホンキヨ、なんかいつもと雰囲気違わなかった?」

香織が二人に尋ねる。確かに、普段なら実際に行ってみろ、なんて言うことはない。

「知らないよ。というか、あの人はなんでお父様の携帯電話の番号知ってるの。知り合いみたいだったし。あの人何歳?」

聡司が矢継ぎ早に質問するが、答えられるわけもない。

当の本人も回答を期待しているわけではないようで、しきりに溜息をついている。

「まあ、そんなこと言ったって仕方がないし…取り敢えず、23時に霊園の前の公園に集合でどう?」

晴が場を繋ぐように提案する。

「私はパス。怖いもん。」

香織が両手を肩に添え、大袈裟に言う。

「なんだよ、香織。怪談聞く時はあんなワクワクしてるのに、いざ行くってなるとビビるのかよ。」

晴が煽るように言う。

「しょうがないじゃない。怖いものは怖いんだから。」

「そっかぁ、残念だなぁ。じゃあしょうがないけど、クラスの男子に橘香織さんはビビリの腰抜けですって言わなきゃなぁ。」

晴がまた煽るように言う。

「ちょっと、やめてよ!分かったわよ、行けばいいんでしょ、行けば!」

(チョロいなぁ。)

晴が心の中で呟いた言葉が聞こえたかのように、香織はキッと晴を睨みつける。晴はニカッと笑って見せた。


22時55分、約束の時間まであと5分だ。遠目から見る霊園は、薄暗い街灯の光でぼんやりと光っている。さっきまで屯していた不良たちも、暗い霊園が薄気味悪くなったのか帰ってしまった。

「お待たせ。」

遠くから声がする。振り返ると、可愛らしい服に身を包んだ聡司の姿があった。

「聡司、なんだよその格好。それ、女子の服だよな?なんで…」

晴は笑いを堪えながら聞くが、途中で我慢できずに吹き出してしまった。聡司は終始苦い顔をしている。

「しょうがないだろ、ホンキヨがこれ着ていけって五月蝿いんだから。」

聡司はそう言うと、その場でくるっと回って見せた。

「どうだ?可愛いか?」

もはや開き直ったのだろう。冗談混じりにそんなことを聞いてくる。確かに元々容姿端麗ではあるが、特段小柄というわけでもなく、中学2年生ともなれば体格も角ばってくる。何より小学校からの幼馴染がそんな格好をしていることに、晴は笑わずには居られなかった。

「あら、可愛いじゃない。」

また背後から声がする。聡司の方を見るまでもなく、聡司の顔が固まっていることがわかった。

「香織…いつからいたの。」

聡司が震えながら聞く。暗くてハッキリとは見えないが、それでも分かるほどに赤面していた。

「聡司くんが回り始めた辺りかしら。」

聡司がさらに赤くなる。自分の醜態を誰もが認める美女に見られたのだ、誰であってもそうなるだろう。

「いいじゃない、可愛いわよ。」

香織がニヤニヤしながら聡司をつつく。かく言う香織はハーフパンツに白いTシャツ、黒いキャップと涼しげである。それにしても、香織も今日はいやに饒舌である。

「香織、もしかしてビビってるんじゃないのか?いつもより沢山喋るじゃないか。」

聡司が香織を煽るように言う。

「そ、そんなわけないじゃない!そっちこそ、いつもと違う服着てるじゃない。ビビってるんじゃないの?」

「違うよ!これはホンキヨが着ていけって言ったんだ。じゃなきゃこんな服着るもんか!」

二人が言い合う様は、どこか楽しげだった。

「ほら、夫婦漫才はその辺にして、早く行こうぜ。」

そう言うと、二人はブツクサと言いながら、霊園に向かって歩き出した。


霊園に踏み込むと、ひんやりとした空気に覆われた。前に進もうとする意思に逆らうように、足取りは重くなっていく。

「ね、ねえ。やっぱり帰らない?なんだか寒いし、それに…」

そこまで言った香織の言葉を聡司が遮る。

「くだらない、寒いのは周りに生えてる木から出る水蒸気が熱を奪うからだ。足が竦むのも、暗闇を怖がる人間の本能のせいだ。」

香織は一言も「足が竦む」なんて言っていない。やはり、足が竦むのは自分だけではないのだと安堵する。同時に、この表現し難い恐怖が本物であることを認識する。晴は生唾を飲み込んだ。

数十メートル程歩いたであろうか、「花吹霊園」と書かれたアーチが見えてきた。そこを超えれば直ぐに大きな噴水が見え、その先には墓石群が広がっている。

しかし、3人はアーチをくぐる前に足を止める。

居るのだ、そこに。姿は見えず、音がするわけでもない。しかし、居るのだ。命あるものが持ちえない瘴気を孕み、生きしもの全てを呪い殺さんとでも言わんばかりに、その存在を誇示している。

「ねぇ…やっぱりやめようよ。」

香織が泣きそうな声で言う。しかし今度は、晴も煽るような真似はしなかった。香織は臆病風に吹かれた訳では無いのだ。ただ、本能がこの先へ進むことを拒絶しているのだ。それも仕方の無いことであった。この先に進むこと、それは、装備も持たずにアマゾンの奥地へと踏み込むことに等しいのだから。

「ふん、こんなの、科学的にありえないよ。」

口ではそう強がってみせた聡司も、足を前に出すことは出来ず、その場で足踏みしている。

「…よし、せーので1歩前に出よう。」

そう言うと、晴は目を瞑り、ゆっくりと息を整える。

「ちょっと、そんなのやめて早く帰ろうよ。」

香織がそう訴えるが、晴は聞く耳を持たない。

「せっかくここまで来たんだから、行かなきゃ勿体ないじゃんか。大丈夫だって、ヤバかったら直ぐに帰ってくればいいんだ。」

「そうだね、まあ、何もないとは思うけど。」

聡司も賛同する。

「怖かったら来なくて大丈夫だぞ。危ないかもしれないし。」

少し後ろで震えている香織に晴が声をかける。今度は煽ったわけでもなんでもなかった。幼馴染を想うが故に、ただ優しさからの言葉であった。しかし、香織には挑発に聞こえたのだろうか、顔を顰めながら、晴の横に立ち並んだ。

「わかったわよ。でも、危なかったらすぐに逃げるからね。」

「わかってるよ。」

晴は息を整えながら答えた。自分の判断で3人とも死んでしまうかもしれない。そう思うと膝が笑った。しかしそれでも、そこに何がいるのかを確かめたい好奇心には打ち勝てないのだ。

「よし…いくぞ。せーの…」

3人は同時に足を踏み入れた。


足を踏み入れて数秒経っても、何も起こらない。むしろ、先程まであった威圧感さえも消えてしまっている。

「ほら、何も起こらないじゃないか。」

聡司が安堵の色を浮かべながらも強がってみせた。緊張が解けたのだろう、香織もへたり込んでしまっている。

だが、晴は黙ったままであった。何かがおかしいのだ。まるで異空間に来てしまったように、空気が変わっている。しかし、何がおかしいのだろうか。ざわざわとなっていた葉の擦れる音も消え、死に誘う威圧感も消えてしまっている。昼間の霊園と同じように感じられた。

「晴、どうしたんだ?」

聡司が晴の顔を覗き込みながら尋ねた。

「いや、なんか違和感があって…」

「何も変なところなんてないじゃない。」

いつの間にか横に来ていた香織も不思議そうな顔をする。

「なんか、晴らしくないな。いつもはそんな考え込んだりしないじゃん。」

聡司が煽るように言う。確かに、この2人が何も感じないのであれば、自分の持つ違和感も杞憂なのだろう。聡司に「うるさいな」とボヤきながら、頭を振って考えを追い出し、また歩き出した。


暗闇には、3人の進む音だけが響く。落枝を踏めばパキパキと音を立て、小石を蹴れば転がった石が木にぶつかり、カラカラと音を立てる。3人はゆっくりと歩みを進めた。

噴水が見えたあたりで、香織が文句を言い出した。

「なんか、寒くない?それに、異様に暗いし。」

そう言って元来た道を振り返った時、3人はまた呆然と立ちつくすこととなった。何もないのだ。3人が来た道はおろか、空に輝いていたはずの星も、月も、何もかもが暗闇に飲み込まれてしまっていた。

「もう、帰れないよ。」

噴水の裏から声がする。小学生くらいの少女の声。その声はいやに響いて聞こえてきた。その時、晴は違和感の正体に気付く。静かなのだ。静かすぎるのだ。葉が擦れる音が、鳥の鳴く声が、外を走る自動車の音が、何一つ聞こえない。霊園の中は、3人の心音すら聞こえる程の静寂で満たされていた。

「私の家に何しに来たの?」

また少女の声が聞こえる。その声は憤りを孕んでいる。

「また、私を追い出そうとするの?」

声はだんだんと大きく、はっきりとしていく。晴は、ガタガタと震え今にも崩れそうな膝を叩きながら聞き返した。

「君は誰?ここで何をしているの?」

問いかけに応答はなく、晴の声は闇に吸われて消え去ってしまった。その間も実体を帯びていく少女の声は、少しずつ、しかし確実に3人に忍び寄っているようであった。

「返してよ、私の体。」

憤怒の色を見せながらも冷たい声が、3人を渦巻く。恐怖でその場から逃げたくとも、足が震えて動くことが出来ない。その間も少女は絶え間なく声を響かせる。

「か、体ってなんのことだよ。僕たち知らないよ。」

聡司が半泣きで訴える。

「返せ。私の体。ここは私の場所だ。お前らがここに決めたんだ。ここは私の場所だ。」

少女の怒号は更に実体を帯び、その響きは痛みのようにして3人の体を刺していく。

(このままじゃ、全員殺される。)

晴は、竦んだ体に鞭を打って走り出した。

「こっち来い!お前の体はこっちだ!」

晴は、どんどんと霊園の奥へと走っていく。

少女が追いかけると、冷たい風が後を追うように吹き抜けた。

2人残された聡司と香織は、暫く呆然とした後にハッと我に返った。

「どうしよう、このままじゃ、晴が…」

香織が聡司に縋り付く。助けに行きたい気持ちはあるのだが、恐怖で足が竦み、その場でただ立ち尽くす他なかった。


霊園の奥へと駆けていく晴は、ただ恐怖に襲われていた。2人を助けることは出来たが、このままでは晴自身は殺される。その恐怖のみが足を止めずに走り続ける原動力となっていた。

「返せ。かえせ。カエセ。」

少女の声は、時間とともに更に実体を帯びるだけでなく、低く、ドスの効いたものへと変貌していた。

(どうにかしてここから出ないと)

無情にも、晴の思いは打ち砕かれ、霊園の最奥地が見え始めた。自身の死が刻一刻と迫る中、晴は諦めにも似た安堵を覚えていた。

(俺が死んでも、聡司と香織は生きて逃げられる。俺の死は無駄じゃない。)

行き止まりへ辿り着き、足を止めた晴は、ゆっくりと呼吸をする。それは自分の死を受け入れようとするための行動であった。しかし、怒り狂う少女の前では、そんな覚悟は簡単に消えうせてしまった。

「やめろ、来るな!」

その場にある石や枝などを投げつけるが、それらは一切の意味も持たずそこらに転がっていくばかりであった。

「カエセ。カ エセ。カ エ セ。」

少女は憤怒に顔を歪め、晴に向かって手を伸ばすが、晴が近くの墓石を掴むとふと止まる。

それに気付いた晴は、更に強く墓石を動かす。本来ならば固く固定されているはずの墓石だが、経年劣化の影響か晴の力でもガタガタと音を立てて動かすことができた。

「ヤメロ。カエセ。フレルナ。」

半狂乱となった少女は再び晴へ手を伸ばすが、晴が墓石を揺らす度にその姿は薄らぎ、帯びていたはずの実体は無くなっていく。

晴が墓石を倒した時、ついにはその姿は完全に失われ、周囲を包んでいた静寂も無くなっていた。

晴は命の恐怖から逃れた安堵からか、暫くの間、その場に座り込み、動くことは出来なかった。


「あの霊園、元々は無縁仏が安置されてたんだって。」

街の歴史を調べたらしい香織がそう言った。

「でも、それからたくさん祟りがあって、人柱で清めようとしたんだって。で、人柱に選ばれた女の子の遺体が去年発見されて、別のところに運ばれてた。」

あの少女は、きっと人柱となった子の霊なのだろう。大人の都合で生きたまま地中で息絶え、そして得たはずの我が家も人々の手で変えられ、遂には体も奪われてしまった。だから、これ以上何も奪わせないために、ああして来園者を襲っていたのだろう。

「でも、もうあんな怖い思いは懲り懲り。」

「同感だよ。晴も無事で良かったよな。」

聡司と香織は口々に言うが、晴だけはその意見に反対した。

「でも、ああやって可哀想な幽霊がいるかもしれないんだろ?それなら、俺は助けられるなら助けたい。」

「えー、やめようよ。危ないよ。」

香織が必死に止めるが、聡司は晴に同調した。

「確かに、あの女の子もなんか苦しそうだった。」

「信じられない。もう勝手にすれば。」

2人を理解出来ないと言わんばかりに、香織はそっぽを向いてしまった。それからはいつものように夫婦漫才のようなやり取りが続くのだが、晴は1人、死の恐怖と隣合った際の、生きていることを実感するあの緊張を反芻していた。

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花咲く街の月の哭く夜 律王 @MD_aniki

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