最終話 忘れていたもの

 背中から聞こえる悲しい声。それはきっと、音葉さんには聞こえていない。


 俺は動くことが出来ず、そのまま向き合う形になっていた。誰でも入れる屋上なのだから、このような状況は容易に想像できたはず。それなのに、油断していた。


「……君、同じクラスの大城おおしろくんだよね」

「そう、だけど」


 そのとき、見かけたという記憶が間違いではなかったことに気づいた。


 クラスの中心にいて、誰からも好かれるような人。その姿を見ても、何も悪いものが憑いていない、それどころか寄ってくる気配がない。


 まわりが光に包まれていて、何かに守ってもらっているような気もする。もしかすると、それがいつもより薄くなって認識できるようになったのかもしれない。


 そんなことを考えていると、扉の方からローファーの近づいてくる音が聞こえてきた。


「それで、誰と話してたの」


 ベンチに座っていた俺の顔を覗いてきた。ただ、落ち着いていないのかその表情はどこか硬い。


 それよりこの状況をどう切り抜けるか。正直に言うわけにもいかないだろうし、どうしたものか。


「……独りごとだよ」

「大城くんって笑いながら独りごと言ってるの?」


 若干だが、空気が冷えていくのを感じた。明らかに俺の発言に引いている。取って付けたような言い訳ではあるものの、もう少し言葉を選ぶべきだったか。


 確かに、独りで笑ってたら怖いだろうな。とは言っても、そう答えるしかない。


「ま、いいや。いると思ったんだけどなー」


 すると、音葉さんは一人歩き始めた。校門の見える位置に向かっていき、偶然にも琴音さんの横を通り過ぎていく。琴音さんは、その姿を目で追うばかりで動こうとしない。


「なんで、期待しちゃったんだろうなあ……」

「音葉……」


 ――私はここだよ。


 そう伝えたいのだろう。伸ばした手がそう言っている。


 見ているこっちの胸が痛む。この調子じゃ、本当に音葉さんに琴音さんの声は届いていない。


 どうにかしてやりたい気持ちと、正直に言っていいのかわからない歯がゆさ。無意識に握った拳に力が加わっていく。


「あー、悔しい、なあ、っ……」

「え……?」


 突然、すすり泣く声が耳に届いてきた。


「なんで、我慢してたのに。やっぱダメだな、私……ぐすっ……」

「大丈夫、じゃないよな」


 溢れだした感情を押さえれないのか、音葉さんはその場に崩れてしまう。

 咄嗟に駆け寄ったものの、涙が止まることはない。ただただ目の前の光景を見届けることしかできない。


 言動から察するに、琴音さんに会いたかったのだろう。でも、それは叶わない。


「ごめん、急に泣いちゃって」

「大丈夫、気にしないで」

「そっか、ありがと」


 音葉さんは手で涙を拭って勢いよく立ち上がった。しかし、涙を流して体力を使ったのか、よろけてしまい目の前の柵を使って体を支えた。


 明らかに無理をしているようにみえる。

 まるで、生前の琴音さんのようだ。


「急にごめんね。んじゃ、また教室で――」

「待って」


 校門に背を向ける音葉さんの姿は光を失っていた。

 このまま教室に戻っていいのか、そう考えるよりも前に先に声をかけていた。

 そして、俺は一瞬だけ琴音さんと目配せをして、言葉を続けた。


「なんで、ここに来たの?」

「んー、そう言われてもな。あはは」


 俺に背を向けたまま音葉さんは困ったような仕草をしている。本当のことを言うことが照れ臭いのか、それとも誰にも言いたくないのか。


 たとえどんな理由であっても、俺がここで引き止めないと後悔してしまう、そんな気がする。


「君のお姉さん、良い人だよね」

「……」


 足を動かすことなく、その場に立ち尽くす彼女。

 そのまま俺は少しばかり早口で言葉を続ける。


「ニュースで知ったぐらいで会ったことはないけどね。インタビューされた人の話を聞いてひしひしと伝わってくるよ」

「……そう」

「でも、そんな人でも悩みはあったと思うよ」

「……君にお姉ちゃんの何がわかるの?!」


 我慢できなくなったのか怒鳴り声を上げながら振り返ってきた。顔を見ると唇を震わせており、目からは小粒の涙が流れている。


「俺は、音葉さんほど琴音さんのことを知っているわけではないよ」

「だったら、なんで……!」

「君を見ていたらなんとなくわかるんだ。多分、琴音さんは自分のようになってほしいとは思っていないよ」


 人間は、意外にもろくて簡単に壊れてしまう。完璧に見えて、実はどこか腐っている。


 そうなってしまった琴音さんは、きっと音葉さんにそうなってほしくない。俺はそう結論付けた。


「……何を偉そうに」

「それほどでも」


 そう言って俺は屋上の柵に肘を乗せるようにもたれかかった。

 柄にもなく人に反抗した反動なのか、肩がずっしりと重たくなった。正直、早くベンチに座りなおしたい。


 そんなことを思っていると、視界に手が入り込んできた。


「わーー!!」


 隣に来たと思ったら、急に音葉さんが叫んだ。

 グラウンドにいた人や教室の窓から覗く顔がちらほら。さすがにこれはまずいと思って俺は顔を引っ込めた。


「ちょ、急になに……」

「いやー、叫びたくなった」

「こわ……」

「え……」


 幽霊よりも人間のほうが怖いかもしれない。現に琴音さんも引いているし。しかし、音葉さんから気にする様子はない。


「今日さ、お姉ちゃんの命日なんだ」

「そうなんだ」

「うん。だからなのかここに来たら会える気がしたんだよね。大城くんが誰かと話しているようだったし」

「誰って、それが琴音さんだと思ったってこと?」

「そうだね。まあ、そう思い込んでいただけかもしれないけど」


 何かが吹っ切れたのか、微笑みながら話してくれた。口調もさっきと違って柔らかい。


 俺にできることは何か。

 そう考えるだけで精一杯だったはずなのに、いつの間にか行動していた。


 これはきっと琴音さんが紡いでくれたものなのだろう。


「あ、チャイム」


 ここで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

 俺も戻ろうと、ベンチに置いた本を取りに行った。


「今日はありがとう」

「……また、会えるといいですね」

「ん? 何か言った?」

「なんでもない、早く戻ろっか」


 そうして俺らは、誰もいない屋上を後にした。

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忘れた落としもの pan @pan_22

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