第3話 積年の想い

 それから今まで、こうやって屋上に来ては軽く馴れ合れあうようなことを繰り返していた。

 それが、どうしてか心地いい。

 理由はわからないけれど、こうしていたい自分がいる。


「ふふーん」


 琴音さんはいつも、俺にあしらわれると校門の見える位置に行って鼻歌をうたっている。彼女なりの退屈しのぎらしい。


 俺はその鼻歌をスピーカー替わりに読書を楽しんでいる。

 あれから琴音さんの声が聞こえにくくなるということはなかった。あの現象がなんだったのか解決はしていないのだが、そんなことはどうでもいい。きっといつもの悪い癖なのだ。


「……あ、そうだ」

「……ん?」


 突然、琴音さんは鼻歌を止め、俺の方に向かってきた。

 そのまま目の前で止まり、顔を覗かせてきた。


「ねえ」

「なんですか」

「そういえば、今って何年?」


 何を言い出すかと思ったら。琴音さんのことだから何も考えずに変なことを聞いてくるのかと思っていたけれど。


 思い返せば、そういった話はしてこなかった。気づいた時には屋上にいたらしいし、どれだけ時間が経ったかなんてわからないはず。今となっては当然の疑問だろう。


「今は2024年です」

「ほほう。それで、何月?」

「7月です」


 本を読みながら淡々と答える。

 我ながらひどい応対ではあるが、仕方がない。


 しばらく琴音さんは考え事をしているのか返事がない。たまに「うーん」とか「あー」とか言って悶えている。


 それが気になって仕方がない。


「どうして急にそんなこと聞いてきたんですか?」

「……最近さ。いつもみたいに校門を見ていたら音葉がいた気がしたんだよね」

「おとは?」

「うん。私の、妹だよ」


 どこか優しい瞳は濡れているように見える。もっとも、実態はないはずだから泣いているわけではない。ただ、それでも琴音さんから哀愁が漂っていた。


「そっか。あれから5年も経つんだね。全然気づかなかったよ。実感ないや」


 5年なんて時間はどう考えても長い。しかし、いつものように屋上で校門をみていた琴音さんにとってはそうでもないのだろう。


 いつまでも、どこを見ても同じ景色。変わるとしたら学校にいる人物くらい。そうは言っても屋上に来るような人もあまりいない。実際、俺がここに来るようになって他の人を見たことがない。


 だから、妹のような人物を見かけただけで、今にも泣きそうな表情をしているのだろう。


「……妹さん、いるといいですね」

「そうだね。いるとしたら君と同じ学年かな。クラスにいたりしない?」

「どうでしょう……」


 クラスのことを把握していない俺にとって、その質問は拷問に近い。どうにかして濁そうとしてもいい返答が思いつかない。


 仕方なく、クラスメイトの雰囲気だけで思い出してみる。琴音さんのように気丈に振舞っている女子はいたようないなかったような。


「その感じだと、いないみたいだね」


 察してくれたのか諦めたのか、琴音さんが声をかけてきた。


「そうですね。協力できなくてすいません」

「謝らなくてもいいよ。この学校大きいからクラスの数も多いし」


 少し周りの空気が冷たくなったのを感じた。変に期待させるわけもいかないだろうし、かもしれないという答えはしないでおこう。


 ただ、俺にも出来ることはあるはずだ。


「妹さんってどんな人だったんですか?」

「え、何。気になるの?」

「まあ、そうですね」

「ほほう……。ならばよろしい!」


 誤解されているような気がしてならないが、これでこそ琴音さんらしい。俺は読んでいた本にしおりを挟んだ。


「音葉はね、ずっと私みたいになりたいって言ってたんだ。小さい頃から私の真似事をして、小学生から同じ吹奏楽を始めて。健気ですっごくかわいい、自慢の妹。私みたいになってもつらいだけだよって言ってあげたかったけど、そんな弱音言えるはずもなかったよね、って今は音葉の話か、あはは」


 乾いた笑いを挟んでいるが、口元は引きつっている。明らかに無理に笑っているようにしか見えない。

 だけど、やっぱり音葉さんのことを話しているときは意気揚々としている。こんなに楽しそうに話している姿は初めて見た。


「妹さんのこと、好きなんですね」

「ん、そりゃもちろん。だからね、音葉を見かけたとき、すっごい嬉しかったんだ。遠くてよく見えなかったけど、私に似てかわいかったし」

「ふふ、そんな自信満々によく言えますね」


 あまりの不意打ちに、柄にもなく笑ってしまった。確かに、琴音さんの容姿は綺麗ではある。制服の上からでもわかるスラっとした体形、それを腰まで伸びた黒髪が際立たる。自信を持つのもわかるが、今言うことではないだろう。


「あ、初めて笑った!」

「珍しいもの見たみたいに指ささないでください。どこまで陽気なんですか。幽霊だからって調子に乗ってません?」

「おっと、これは申し訳ない。えへへ」


 申し訳なさそうにしながらも反省はしていない様子。もちろん、俺も本心で言っていたわけではない。お互いにそれが伝わっているというか、適度な信頼が得られているような気がする。


 琴音さんは、はにかんでから校門の見える位置に移動していく。しかし、その途中で動きを止めて振り返ってきた。


「いやー、それにしても不思議だな。なんか、君と話していると素直になっちゃうんだよね。生きていた頃はこんなことなかったのに」


 短い期間ではあるけれど、様々な琴音さんの顔を見てきた。

 今、向けられている姿は今までで一番美しい。告白としても受け取れるような言葉の羅列。それも相まって、顔が熱くなっていくのを感じる。


「って、私何言ってるんだろうんね。恥ずかし」

「確かに恥ずかしいこと言ってますね。でも、嬉しいです。こっちも話してて楽しいですし」


 俺にできることはこれくらいしかない。けれども、これで役に立てるのだったらそれで構わない。本を読むよりも話している方が大事、そう思っていた。


「昼休みもまだありますし、話の続きを――」

「――誰と話してるの?」


 後ろから聞こえた扉の音と同時に、声を掛けられた。突然の出来事に俺は思わず振り返ってしまう。

 そこには、琴音さんにそっくりな人物がいた。


 そして、その子の姿を見ると同時に、琴音さんが声を漏らす。


「音葉……」

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