第2話 そこにいる理由

 笹木琴音。この学校に通う者なら知ってる人も多いだろう。


 四年前、午後7時頃の学校前の道路で起きた交通事故のこと。それに、当時二年生だった琴音さんは巻き込まれてしまった。


 吹奏楽部に所属していて、次期キャプテンを任されるような人だったらしい。いつも明るくて、それでいて勤勉。非の打ちどころがなさ過ぎて教師からも良い声しか上がらない。そんな人物。


 だから、そんな琴音さんの訃報にショックを受ける人も少なくはなかった。事故が起きた直後のニュースを見たことを今でも覚えている。


 学校のことから琴音さんのこと。そのインタビューを流される度に、悲しい声がテレビから聞こえてきた。


 事故の原因は、長距離トラック運転手の不注意からだったという。連日連夜の運転で睡眠不足だったのだろうが、起きてしまったものは取り消せない。きっと、その加害者のことを許さないと言う人もいたのだろう。


 いつどこで死ぬかなんてわからない。


 当時のことを思い出すだけで、無関係の俺も悲しくなってくる。まだやりのこしたことがあっただろうに、そう変に感情移入してしまうのは悪い癖だ。


 だからこそ、俺は確かめるように本を境にして琴音さんのことを見ていた。

 しばらくして確信したのか、琴音さんから歩み寄ってきた。


「ね、やっぱり、見えてる?」

「……見えてますよ」

「やっぱり!! 初めて見える人に会った!!」


 ここまでテンションの高い幽霊を視たのは初めてだった。俄然興味が湧いてきたのだが、過干渉してしまって足を踏み外してはいけない。


 一度、めんどくさそうに溜め息をしてから何故ここにいるのか聞こうとしたその瞬間――


「ねえ!!」

「っ……! 近いって」


 ぶつかることはないけれど、急に近づかれては困る。それにまわりを吹く風が少し冷たい。


「ごめんね。本当に嬉しくってさ」

「……なんでそんな嬉しいんですか。俺に憑いて呪うってんですか」

「いやいや、そんなんじゃないって!! ほんっとうに、話せて嬉しいの!!」


 まるで子どもだ。亡くなったときの年齢を考えれば当然なのだけれど、少なくとも俺より年上には思えない。


 払おうにも払えない琴音さんを避けようと俺はベンチから立った。


「あれ、もう行っちゃうの? 昼休みまだ終わってないよね」

「そうですけど、仮にも俺は男なので。幽霊であっても女性は女性です」

「あ、なるほど……」


 何かを考える素振りを始め、なめるように俺のことを見てきた。


「……なんですか」

「ん、もしかして君、初心うぶなの?」

「は?」


 全く理解していなかったし、なんでそうなったのかも俺自身理解できなかった。咄嗟に出た素っ頓狂な声が笑いのツボにはまったのか、琴音さんの笑い声が屋上に響き渡る。


 とはいえ、俺以外には聞こえていないのだろうが。


「あはは! いやーごめんね。調子に乗っちゃった。悪い癖だね」

「いや、そんなことは……」


 俺は琴音さんに向けていた視線を少し横にずらす。

 変にからかわれたから不機嫌になったとかそういうことではない。ただ、彼女がどんな気持ちで、どれだけの時間を独りで過ごしていたのかと考えると胸が卓なってきたのだ。


「……あらま、本当に変なこと言っちゃってたか」


 琴音さんも居心地が悪くなったのか、視界の外に消えていった。方向からしてさっき居た校門前を一望できるところに行ったのだろう。


 俺はその姿を目で追うことせず、ただ立ち尽くすばかり。

 本当にこのままでいいのか。過干渉は良くないのではないか。

 そんな葛藤が頭を巡って、息苦しい。

 助けたところで成仏できるのかわからない。そもそも俺にそんな力があるのかもわからない。


「ねえ、君」


 さっきまではっきり聞こえていた声が、ノイズがかかったように聞こえてくる。まるで、目の前にシャッターが下りてきて、それ越しに籠った音が聞こえてくるような感覚。


 この突発的な現象は、本能的に受け入れないように守ってくれているのだろうか。ちゃんと耳に届いているはずなのに頭がそれを声として認識してくれない。


「……すみませ――」

「ここからだと校門が良く見えるんだよね」

「え、そう、ですね」


 荒い呼吸の中、途切れ途切れに言葉を返す。

 しかし、琴音さんは気にしていないのか、こちらを見ようとしない。


「君、私の正体わかってるよね。私が視えるから見ていたんじゃなくて、私が誰か探ろうとしてたんじゃない?」

「……まあ、はい」

「ふふ、やっぱり」


 当たって満足したのか、琴音さんは優しく微笑む。

 荒くなっていた息を無理やり整え、俺は琴音さんと同じく校門前に視線を送った。


 もちろん、昼休みだから出入りする人はいない。だが、目の前は道路。自動車がいくらか通り過ぎていく。


「あんなところで事故に遭っちゃってさ。私もどんくさくなったなって。いやー、あそこで私の人生終わっちゃったんだなー」

「……なんでそんな気楽でいられるんですか」

「え?」


 少しトゲのある言い方をしてしまったからか、琴音さんは俺の方に振り返った。そのキョトンした瞳の奥から、いくらか寂しさを感じる。


「あなたほどの人だったら、やり残したこととか、これからやりたいこととかたくさんあったでしょう。きっとあなたの友だちや家族もそう思って――」

「そんなことないよ」

「え……?」


 さっきまでとはまったく異なる気迫。

 あまりにも冷酷で、淡泊でおぞましい。どこか怒りも感じる声音に鳥肌が立った。


「私、そういうのないよ。いつも期待されてばかりだったから、敷かれたレールの上を通っていただけ。やりたくてやっていたことなんて少ないよ」

「そうなんですか……」

「まあまあ、そんなに落ち込まないでよ。話を戻すけど、あの事故が起きる前にさ、今の生活つらいなーなんて思ってたわけ。神さまも私に期待しちゃったのかな、そんな神さま悪趣味だけど」


 あまりに不謹慎な言動の羅列に割って入る気分にならない。

 場が暗くなることが嫌なのだろうが、あまりにも不躾だ。そう言われて気分が悪くならないほど俺はお人好しではない。


 ただ、俺にも悪いところがあったのは事実。一方的に見知った情報だけでそうだと決めつけていた節があった。


「って、ごめんね。お化けになってまで愚痴っちゃって。生きてるときはこんなこと言ってこなかったから、つい」

「そんな、こちらこそ失礼なこといって申し訳ないです」


 急にかしこまった雰囲気にたどたどしくなってしまった。

 しかし、優等生にも悩みはあるものなのか。揚げ足を取る様で申し訳なかったが、ずっと気になっていたことを勢い任せに聞いてみることにした。


「やはり、こうやって屋上に居るのはその愚痴が原因なんですか?」

「んーどうだろ」


 原因が期待やプレッシャーだった場合、ストレスは相当なものだっただろう。恨みつらみがなさそうな人物であるほど、奥底に闇が潜んでいるというもの。

 だが、俺の読みはどうやら外れているようだった。


「それが、わからないだよね」

「わからない?」

「そう。運転手さんのことは恨んでないし、やりたいことも……あるようなないような。死んだときに落としたのかな?」

「なんですかそれ。あ――」


 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。


「あ、昼休み終わっちゃたね」

「らしいですね」

「今日はとても楽しかったよ。ありがとね」


 幽霊に感謝されてもどうしていいかわからず、そのまま軽く会釈をした。傍から見たら怪談になって俺の方が幽霊扱いされそうだ。


「それでは。……また来ますね」


 俺はそう吐き捨てて、頭の整理がつかぬまま屋上を後にした。

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