ー三権分立のない圧政からの脱出編ー
水が方円の器に従うように、高きから低きに流れるように、ムネの奥の悲しみは自然に涙となって転がり落ちた。血も涙もリンパ液すらないと本気で信じられていた彼である。成鳥は瞬膜を幾度も開閉させ、ピーチクパーチクひよこの大合唱には全休符がうたれた。Kを知る者は気づく。あぁ、Kは、長老が鳳雛の名で呼ばれていたひよこの時から傍に居た、彼の親友その人であったと。
バジリスクにでも睨まれたかのような皆を置いて、Kは半生にハツを巡らせていた。
「3日で忘れるこの脳に学を詰め込むこと、何の意味があるのか。」
アカデミー時代のことである。くちばしの黄色いひよっこであったはずの長老の、しかし両目は既に深い色を湛えていた。
「ならば君はいずれ死ぬからといって生きることを止めるのか。」
左目を主眼に斜めを向いて首を傾けるのが、困ったときの彼の癖だった。
「確かにこの体は、こと記憶に関してはたいそう不便かもしれないが…私たちの覚えた知識は、消えるわけじゃない。思い出せなくなるだけだ。」
彼は羽を開いて遠くを見つめた。隣の私さえ視界には入っていないようだった。
「知識は力だよ。思い出せさえすれば、我々はきっと空だって飛べるはずだ。」
彼の金色の瞳が、その声が呼ばわる夜明けを反射させて輝いた。彼は鳳凰の子だと、大空を飛び回る烏や鳶をもいつの日か統べる王となるのだろうと、この時の私は固く信じていた。
外は摂氏2度の厳寒だというのに、関節が溶けそうに熱く疼いて、まるで体中の筋肉がそっくりマグマと入れ替わったようである。冷たい雫がつと垂れて、耳朶を伝わった。意識を振り絞って、泣くな、と。ワクチンの完成は間に合ったけれど、自分には打てなかった、今後ウイルスが君たちを脅やかすことはない。そう言おうと、瞬膜を開いた。目と目が合った。見知ったはずの旧友の顔、しかし、彼の目の光は何としたことか、底の知らぬ緑の怪物の両対にみえた。
その日、鶏は全て広場に集められた。中央にはKが鎮座ましましている。
マイクを手羽にとった。
「我らが唯一のリーダーにして、無比なる指導者、長老閣下はもういない。」
あちらこちらからすすり鳴く声があがる。
「彼が愛した民主主義を守ることこそ、彼に対するはなむけではないか。」
そうだそうだと声が上がる。
「執政官を新たに選び直すべきだ。」
では誰がやるのか、と疑問が沸き上がる。やがてKを推す声があがり、全体へ広がった。
「私には少々荷が重い。長年私の陰に隠れてはいたが、執政官は彼ら若手こそ相応しい。」
鶏々は、彼はなんと無欲の人なのだと感心した。
「しからば次の議題に移ろう、さて、今この状況は鳥憲法11条を持って独裁官を設置すべき要項に該当するのではなかろうか、執政官のお二方はどう思われる。」
今さっきKのおかげで名誉職に就くことになった二羽に意義の申せようはずがない。
「執政官の合意はとれた。さて、他のめぼしい鳥は役職についてしまっている。どうやら私が独裁官になる他は無さそうだ。これより私は、すべての行政権、司法権、兵権を統帥する」
こうしてニワトリ界初の独裁官は誕生した。
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