サンノカ様の祠にて

雑句

祠を壊した男

「お前が、祠を壊したんか」


 低く嗄れた老爺の声が、その場に重く響いた。居並ぶ村人達は、その大半が血の気の引いた顔をしている。沈鬱な空気の中、彼らの目はただ一点に向かっていた。


 山中に在りて尚、威容を誇る巨木の根本。大人の肩ほどまでの苔むした石祠が、無惨に打ち壊されていた。屋根は割れて大きな穴と罅割れを晒し、格子戸の片方が外れ真っ二つに折れたままで地べたに落ちている。引き千切られた紙垂と共に散らばっている萎れた野花は、供物であったのだろう。

 小さな社の中身。朽ち果てて緑青の浮いた和鏡は、近場の岩に叩き付けられ細かな欠片となっていた。


「なんでこないな真似した、清一」


 老爺は、不遜にも祠の前にどかりと胡座をかく男へ向けて凄む。男の横には、この蛮行の凶器である使い古されたシャベルが、先端をひしゃげさせて無造作に投げ出されていた。

 無精髭に蓬髪、目の下に濃い隈のある神経質そうな顔立ちをした、痩身の男。清一は着流しの袂から潰れた煙草の箱を取り出して、吐き捨てるように呟く。


「そりゃァ、姉貴に頼まれたからですよ」


 ひっ、と息を呑むような、短い悲鳴が中年女の喉から漏れた。それを皮切りに、村人達は忌まわしいものを見る目をして囁き合う。


 ──何を言うんやあいつは。恐ろしい恐ろしい。蓉子ちゃんが言ったやなんて、そんな筈ないわ。何ぞに魅入られたんかもしれん。そうや、そうに違いない。だって、ねぇ、蓉子さんは。


「どういう事や」

「そのまんまですよ。ねぇ伯父さん、僕ァね」


 清一は小刻みに震える手で煙草へ火を点けて、肺いっぱいに煙を呑んだ。ぷかりとそれを吐き出してから続ける。


「これでも、この村には感謝してたんですよ。伯父さんにとっちゃァ、村を飛び出した末弟の子なんて可愛いモンでもなかったでしょうに、学校まで出してもらって。コリャ立派になって恩返しでもしなけりゃ、両親にも姉貴にも顔向け出来ないな、とね」

「それが、なんで祠壊すことになるんや」

「言ったでしょう、頼まれたんですって」

「蓉子がそないな事言う筈ないやろう!」


 老爺の怒鳴り声に、幾人かの村人が怯えたように肩を縮ませる。だが清一はへらへらとした笑みを浮かべたままだった。


「なんでそう言い切れるんですか」

「あの子は全部承知しとったんや。自分がサンノカ様んとこ行って、お前が無事に暮らしていけるんならて納得ずくで行ったんや!あんな立派な子ォが、祠壊せなんぞ言うか!」


「要するに、僕を人質にして姉貴を生贄にしたんでしょう」


 アハハ、と乾いた笑いが清一の喉から上がった。


「たった十二の娘ですよ。そんな子供だった姉貴に、僕をまともに養って欲しけりゃカミサマとやらに捧げられろって、ネェ。事故で二親ともども亡くしたばっかりの姪っ子に、よくもマァ迫れたモンですね」


 老爺は口を真一文字に結んで、眉間の皺を深める。厭に軽薄な清一の態度に、不快感を禁じ得ないのは誰の目にも明白だった。

 だが清一の姉、蓉子は確かにあの日村長でもある伯父に言ったのだ。歳の割に凛然と、覚悟を決めた様に顔を上げて。


 ──エェ、伯父さん。私、喜んでサンノカ様の御許へ行きます。ですから清一の事、宜しく頼みますね。


 清一は幼かったが故に覚えていないのかも知れないが、事あるごとに「お前の姉は立派だった」と伝えていた筈なのに。老爺はそう憤る。尚も清一へ言い募ろうとした彼の出鼻を挫くように、この甥は告げた。


「姉貴がね、来るんですよ。夜毎に、僕の家まで」




◼︎




 清一が言うに、初めて蓉子が現れたのは数ヶ月前の夜だという。草木も眠る丑三つ時。清一の住む小さな家の戸を叩く音がした。


「おぅい、おーきーてー」


 その少女の呼び声に目を覚ました清一は、最初それが誰の声だか分からなかった。村の子供かと思ったが、流石に時刻が遅すぎる。何かしら困り事があって訪ねて来たにしてはやけに呑気な声色に、さては誰ぞの悪戯かと、説教のひとつもするつもりでのそりと起き上がったのだ。

 足音を忍ばせて木戸に手を掛け、さあ叱り付けようと息を吸い込んだ矢先。


「せーいちー」


 自らの名を呼び捨てにするその声に、幼い日の思い出が蘇った。

 きちんと向かい合って話す時は「せいいち」と、いっそはっきりし過ぎるくらいに呼び掛けるのに、ちょっと遠くにいる自分を呼ぶ時には間延びする話し方。


「……ね、姉ちゃん?」


 半信半疑、これは夢かもと思いながら戸の内から口に出してみれば、少女の声は嬉しげに弾んだ。


「清一?よかった。そうだよ、姉ちゃんだよ。来ちゃった」

「来ちゃったって……。これまで、盆の夢枕にも立たなかったってのに」


 何がなんだか分からないまま、咄嗟に口走ったのはそんなしょうもない事だった。

 ほんの十二の若さで、清一の姉、蓉子はサンノカ様の元へ渡ったのだと言い聞かされてきた。


「神様に嫁いだようなモンさ」


 裏手の小母さんはそう言っていた。


「蓉子さんはサンノカ様に見初めて頂いたんだ、有り難いことだよ」


 清一を連れて祠へ行くと、彼女はいつも花だの菓子だのを供えて手を合わせていた。


「お前の姉ちゃんはサンノカ様にお仕えしてんのさ。神様の御使いや。誉に思うんやぞ」


 いつもぶっきらぼうな山田のお爺さんもそんな風に言っていた。畑で採れたという野菜を籠に持って、清一に持たせてくれた。


「蓉子は立派やった」


 姉の事を語る時、伯父はいつもそう繰り返す。


「自分の足で、しゃんとして向かってった。これは大人でも簡単やない事や。サンノカ様んとこ行ったら、もう戻って来られん。せやのに怖がりもせんと、お前を頼む言うてな」


 空っぽの墓前で、幾度となく聞かされた話だ。蓉子はサンノカ様のものになった為、身体も帰って来ないらしい。一般論で語るならば彼女の扱いは行方知れずなのだろうが、白木の棺に蓉子の私物と花を詰めて葬式まで上げてくれた。

 だから、清一にとっての蓉子はとうに死者であったのに。


「そりゃあ立てないよ、お役目があるんだもの」

「だったら、今夜来たのは……。もしかして、その、お役目が終わったとか」


 呆れたような幼い声音に、つい期待が頭を擡げた。子供の頃の姉がいるのは明らかに変な事だと、頭の隅では清一だって分かっている。けれど神隠しに遭った子供が当時の姿のまま帰って来たと、そんな事件を聞いた事があった。

 引き戸に掛けた手に力を込め直したところで、また弾んだ声がする。


「まさか。姉ちゃんはもうサンノカ様だから、終わるなんてないよ」

「……は」


 間の抜けた吐息に、喉の震えが辛うじて音を乗せた。それを疑問と取ったのだろう、蓉子の声を持つ何かが繰り返す。


「だから、姉ちゃんはサンノカ様になったの。そういうお役目なんだよ」


「サンノカ様の贄はね、新月の夜、身を清めてから村を出て祠に行くんだ」


「祠の中にはね、両手で持つくらいの大きさの鏡があるんだよ。もう殆ど映らないけど、それに贄の顔を見せて」


「そうしたらね、あのおっきな木があるでしょう。あれにね、ウロが出来てるんだ。そこに入るだけ」


「それだけ。簡単でしょう?」


「たったそれだけでサンノカ様と一緒になったの」


「サンノカ様の中にはね、これまでの贄もみんないるんだよ」


「みんな一緒になって村を見てるよ。清一の事も見てたよ。立派になったねぇ」


「でもね、サンノカ様はもう駄目だよ」


「村を守る神様だからね。本当は、自分から進んで贄にならないといけないの。未練とか、そういうのは全部なくして贄にならないとね」


「でも、そうじゃない贄も沢山いてね」


「怖いとか、厭だとか、なんで自分だけとか、そんな気持ちがたァくさん残ってるとね、サンノカ様の御力も弱るから」


「綺麗でまっさらな贄じゃないと、恨み言がどんどん混ざって、濁って、澱むから」


「姉ちゃんが混ざった時には、もう手遅れだったんだよね」


 清一が立ち尽くしている間に、それはひたすらに語り続けた。


「て、ておくれ」

「手遅れだよぉ。みぃんな、ぐちゃぐちゃのどろどろで、サンノカ様はもう滅茶苦茶だもの。寂しくて、恨めしくて、村の人達が狡いって、そう言ってるもの」


 くすくすくす。けらけら。変に箍の外れたような少女の高い笑い声に、清一の額を脂汗が伝った。神経に障るその声が、ふと断ち切られる様に止まると、また穏やかな姉の語り口がする。


「……姉ちゃんは、清一にちゃんと大人になって欲しかったからね。きちんとした贄になれたけど、肝心のサンノカ様がこれだから。夜のほんの短い間だけでも、姉ちゃんが顔出せるくらいだもの。もう、随分弱って、この村ももう駄目だよ」


 だから今夜はお願いに来たのだと、彼女は告げた。


「清一、サンノカ様の祠を壊して頂戴な」


 その夜は、もう時間だと彼女は去って行った。蓉子がサンノカ様に混じったとは言え、ずっと彼女の自我がある訳ではないらしい。

 だがそれ以来、蓉子が動ける夜には、清一の家にその神がやって来るのだ。はじめは数日置きに。次第に、その間隔を詰めながら。


 清一は悩んだ。神様なぞになろうと姉の頼みだ、聞いてやりたい気持ちはあった。それで姉が自由になれるのなら、この村を離れて供養をしてやりたい、とも。だが、村への恩だって忘れた訳ではなかった。今から思えば、清一を真っ当に育て上げたのは、サンノカ様となった蓉子を畏れての事だったのだろうが。

 そんな弟の葛藤を知ってか知らずか、夜中、蓉子の声は戸を一枚挟んだ向こうから呼び掛ける。


「どうして壊してくれないの」


「このままだと、混ざったままだよ」


「姉ちゃん、サンノカ様になっちゃったから」


「恨めしいのも憎らしいのも、私の気持ちになっちゃうよ」


「清一は何も知らないから」


「伯父さんは最初から、私か清一を贄にするつもりだったんだ。それで引き取ったんだ」


「私が睨んでるから、サンノカ様が見てるから、清一を育て上げただけで」


「村の人達だってそう。村を出た父さんの子だからって私達を馬鹿にしてた癖に」


「訛りがないからってだけで小馬鹿にしてた癖に、私が贄に決まった途端媚び諂って」


「あァ、厭らしい、疎ましい」


「どうして私がこんな奴らの為に」


「村なんか嫌いだ。私達を贄にしてのうのうと暮らしている奴らなんて」


「寂しいよォ。なんで。なんで」


 日を追うに連れて、彼女が壊れているのは明らかだった。数日置きが三日毎になり、二日毎になり、一日毎になり。蓉子はどんどん蓉子でなくなっていき、今や毎晩やって来る声の主が誰なのか、清一にも分からなくなっていた。

 ただ夜毎、子供の声が恨み言を述べて行く。幼い生贄達の泣き声が、夜毎、清一を訊ねにやって来る。


「祠を壊して」

「壊してください」

「もう厭だよ」

「もう駄目だよ」

「この村もサンノカ様も、おしまいだよ」




◼︎




「ハハ、さながら牡丹灯籠みたいだと思いませんか。毎晩毎晩訴えられるのはね、流石に神経が削られますよ」


 清一の語りを、村人達は凍り付いた様に聞いていた。


「……やから、お前は、壊したんやな」

「エェ、伯父さん」


 その言いように、老爺は覚えがあった。煙草で嗄れた男の声だと言うのに、蓉子の話し方とそっくりだった。


「これはつまり、サンノカ様の思し召しでもあるんですから。伯父さん、いつも言ってたでしょう。今の僕があるのは姉貴のお陰だと。姉貴に恥じない人間になれと。そんな僕が、サンノカ様になった姉の頼みを聞いて、何の支障がありましょうや」


 うっそりと微笑む清一の目は、窶れた面差しの中でそこだけが爛々としていた。


「サンノカ様はもうおしまいですよ。人を身の内に入れて村を守っていた神様が、もうその人達に喰い尽くされている」


「どうして自分達だけこんな目に遭ったんだと、壊れたサンノカ様がこの村を見ている」


「贄達は寂しいんですよ。自分達だけ神様にされて、なのに平気な顔して村の人間が暮らしているのが羨ましくて憎らしいんです」


「有り難い有り難いと手を合わせながら、村人はサンノカ様に怯えている。それじゃ神様でなんていられないと思いませんか」


「あんなに立派だった、自分から贄になってった姉貴も、もうあんなに壊れちまって」


「だからもういいじゃないですか」


「神様でなくてもいいじゃないですか」


「立派でなくていいじゃないですか」


「みんな一緒になれば、寂しくなくなると思いませんか」


 壊れた祠の戸が、ギィと不気味に軋んだ音を立てた。思わず老爺が其方へ首を向けると、奇妙なものが目に入った。

 祠の上の辺り、巨木の幹に、ある筈のないウロがある。くろぐろとした、人ひとりくらいは飲み込めそうな大きなものが。


「姉ちゃん」


 酷く嬉しそうに、清一はそのウロに呼び掛ける。ふらふらと立ち上がり、祠の残骸を押し退け攀じ登りさえして。

 そのままウロに手を掛けると、何の躊躇も無しに上体を乗り出し、頭から真っ逆さまに落ちた、ように見えた。

 悲鳴のひとつもなく、落ちた音もせず、清一が消えるのを、老爺も、村人達も見ていた。誰も彼もがぽかんと信じられない思いをして、ひとりの男がウロに呑まれるのを見送って。

 一番察しの良かった者は、清一と同い年の男だった。彼が最初に我に帰り、悲鳴と共に逃げ出そうとした時だ。

 男の手を取る、小さな少女がいた。


「あなた、清一のお友達でしょう。あの子をひとりにはしないよね」


 白い着物の少女はにっこりと笑う。その愛らしい笑顔が、どろりと溶けた。

 少女の身の内には到底収まり切る筈のない、ぐちゃぐちゃの、どろどろの、澱のような何かが溢れ出し渦を巻いて人を呑む。逃げ出そうとする村人も、蹲って慄く村人も、立ち尽くす老爺も、祠の前には来ず家にいた者達まで呑み込んで。


「これで、みぃんな一緒だねぇ」


 満足げな神様がウロに攀じ登り、その中に還った後。村には、ひとりぽっちも残らなかった。

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サンノカ様の祠にて 雑句 @MaryLewis

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