第2章 第4話: 「二人の距離と瓦版」

穏やかな風が吹き抜ける中、私は鎮光(しげみつ)と二人で町へ向かっていた。いつも護衛として私の背後に控えている彼が、今日は隣にいる。その事実だけで、私は少しだけ緊張していた。


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「静かね……」

私は沈黙が気まずく感じられ、自然に口を開いた。だが、鎮光は無表情のまま、少しも動じることなくただ「はい、姫様」と一言返すだけだった。その冷静さが、かえって私の心をざわつかせる。


普段の彼なら、何を考えているのか少しも読めない。無表情で冷静に私を守ってくれるのはありがたいが、今日はその無表情が私を少し遠ざけているようにも感じた。私は彼に何を言えば良いのか考えあぐねていた。


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「鎮光、今日は天気がいいわね……。」

とりあえず話題を振ろうとしたが、返事は淡々としていた。


「そうですね、天気は安定しており、警戒の必要は少ないかと。」

彼の返答は、またもや感情を感じさせないもので、私の焦りは増していく。普通の会話がしたいだけなのに、なぜこれほどまでに難しいのかと、私は心の中でため息をついた。


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町に到着すると、私は改めて彼と二人きりの時間をどう過ごすべきか悩んでいた。いつもなら後ろに控えている彼が隣にいるというだけで、何となく距離が縮まった気がするが、同時にその無表情が私の心を閉ざすようでもあった。


鎮光はやはり、ずっと無言で歩いている。私は思い切って彼に尋ねることにした。


「鎮光、あなたって……いつもどうしてそんなに感情を出さないの?」

私は意を決して、彼に問いかけた。しかし、彼の反応はいつも通りだった。


「姫様、感情を表に出す必要はないかと思っております。それが私の役目ですので。」

鎮光は静かに、淡々とそう答えた。私はその答えに少し寂しさを感じながらも、納得するしかなかった。


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私たちが町の市場を歩いていると、ふとした時に聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。


「姫さん!」

振り向くと、松吉(まつきち)が瓦版を持ってこちらに走ってきた。彼はいつものように満面の笑みを浮かべ、また新しい噂話を持っているようだった。


「姫さん、今日はすごい話を聞いたんですよ!」

松吉は息を切らしながら、嬉しそうに私たちに近づいてきた。


「また何か新しい話を持ってきたの?」

私は少し呆れながらも、彼の話に耳を傾けた。


「ええ、なんと鎮光さんが昔、恋をしていたって話を聞きましたよ!」

松吉は自信たっぷりにそう言い放った。私は驚き、鎮光の方をちらりと見たが、彼はやはり無表情のままだった。


「恋……?鎮光が?」

私は思わず笑ってしまったが、松吉はさらに熱を込めて話を続けた。


「そうなんです!鎮光さんはかつて、とあるお姫様に仕えていて、そのお姫様に恋をしていたらしいんです。しかし、その恋は実らず、彼は感情を失ってしまったとか。」

松吉はまるで劇的な物語を語るかのように話しているが、私はその話を信じられるわけがなかった。鎮光が恋をしていた?そんなこと、まるで想像がつかない。


「……それで、そのお姫様はどうなったの?」

私は興味半分で尋ねたが、松吉はさらに話を盛り上げるように手を広げた。


「そのお姫様は、失踪してしまったとか、守られなかったとか、いろいろな噂がありますが……真実は鎮光さんのみぞ知る、ってところですね!」

松吉は満足そうに頷きながら瓦版を掲げ、私に売り込み始めた。


「松吉さん……その話、本当に信じていいのかしら?」

私は苦笑いしながら言ったが、鎮光は相変わらず無反応だった。彼の無表情はいつも通りだが、私は心の中で「もしこれが本当なら」と、ほんの少しだけ思ってしまった。


「まあまあ、噂話ですからね、姫さん。でも噂ってのは、どこかに真実があるもんですよ!」

松吉はそう言い残して、また次の話を仕入れるべく、町の雑踏へと消えていった。


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松吉の話はいつも誇張されていて、信じられないものが多いけれど、今回は鎮光の無表情が気になりすぎて、私の心に何かが引っかかっていた。


「……恋なんて、鎮光には似合わないと思うけど。」

私はつぶやきながら、彼の顔を見たが、やはり何の反応もなかった。けれども、彼の無表情の裏に何かが隠されているのではないかという気持ちが、ますます強くなっていく。


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その後も、私たちは静かに町を歩き続けた。鎮光は相変わらず無言だが、私は彼に何かもっと知りたいと思い始めていた。彼の過去や、彼が何を思っているのか――その答えを探すための道のりは、まだ始まったばかりだ。

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