第2章 第3話: 「不器用な侍と瓦版屋の嘘」

朝の静かな時間。私は庭に出て、いつものように鎮光(しげみつ)の背中を眺めていた。彼はいつも通り無表情で立っている。その姿に、私は何度見ても奇妙な感情を覚えずにはいられない。感情を持たないかのようなその顔には、何か大きな過去が隠されているはずだと感じるたび、私はその真実を知りたいという思いに駆られていた。


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「お姫ちん、また鎮光に見惚れてるんじゃないの?」

お怜(おりょう)が笑いながら、私の肩を軽く叩いた。いつも明るく、冗談混じりの彼女の声が、心に少しの安らぎを与えてくれる。


「見惚れてるわけじゃないわ。彼のことを考えてただけよ……あの無表情、あんなにずっと続けられるなんて、逆にすごいと思わない?」

私は真剣に問いかけた。お怜も少し考え込んだ様子で、首を傾げた。


「確かに。なんであんなに感情が見えないんだろうね?でも、たまーに少し優しいときがあるから、感情がないわけじゃないんじゃない?」

彼女の言う通り、鎮光は冷静で無表情な一方で、さりげない優しさを見せる瞬間がある。それは、ごく短い時間のことが多いけれど、私にはそれがとても大切に思えた。


「それに、あの松吉さんの話もどうかと思うけど……もし、鎮光の過去に何かあったとしたら、それで感情を閉ざしたのかもしれないわ。」

私はつぶやくように言った。鎮光がただ冷たいだけの人ではないと確信していたが、彼が何を抱えているのかを知りたくてたまらなかった。


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その時、遠くから「姫さーん!」と聞こえる声がした。振り向くと、瓦版屋の松吉(まつきち)がいつものように瓦版を手にして走ってきた。彼は満面の笑みを浮かべて、何か新しい噂話を持っているに違いない。


「姫さん、また面白い話を持ってきましたよ!」

松吉は息を切らしながら、私たちの前に駆け寄った。


「また何か新しい噂?今度はどんな話?」

私は半分興味を引かれながらも、松吉の誇張された話には少し疲れてもいた。


「今回は本当に凄い話です!鎮光さんが昔、ある任務で仲間を全員失って、そのショックで感情を閉ざしたって話ですよ。いやぁ、悲劇ですよ、姫さん。」

松吉は感情たっぷりに話し始めたが、私は思わず眉をひそめた。


「昨日は隠密のリーダーだったとか言ってたじゃない。それともその話もまた変わったの?」

お怜があきれ顔で突っ込みを入れたが、松吉は少しも動じずに言い返してきた。


「まあまあ、噂ってのはね、少しずつ変わるもんなんですよ。でも、どっちも真実かもしれませんしね!」

松吉はそう言いながら、得意げに瓦版を手に掲げた。


「どっちも真実か……。松吉さん、あなたの話、どこまで信じていいのかしら?」

私は苦笑しながらも、やはり心のどこかで鎮光の過去について考え続けていた。松吉の話が全て嘘とは思えないが、確かな部分が見えないことが余計に私を悩ませていた。


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その後、鎮光が庭に戻ってきた。彼は変わらず無表情のまま私の前を歩いていく。私は何か声をかけようかと思ったが、どの言葉を使えば良いのか分からなかった。鎮光は決して感情を表に出さない。だが、その無表情の奥に、何か深い思いが隠されている気がしてならない。


「鎮光、少し……休んだらどうかしら?」

私は自然にそう声をかけた。彼は立ち止まり、私の方を一瞬見たが、すぐに無表情のまま軽く頷いた。


「お気遣い、感謝いたします。しかし、私は大丈夫です、姫様。」

そう言うと、彼は再び歩き出した。淡々とした返答と共に、その背中は遠ざかっていく。


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「お姫ちん。ほんと、鎮光はなーんにも見せないよね。何考えてるんだかさっぱりわからないよ。」

お怜が私の隣でため息をつきながら言った。私も同じ気持ちだった。鎮光が何を考えているのか、本当に知りたい。


「でも……彼の背中を見ていると、ただ無感情なだけじゃない気がするの。何か……過去にあったんじゃないかしら。」

私は静かにそう呟いた。松吉の噂話がどこまで本当かは分からないけれど、鎮光の無表情の理由を知りたいという気持ちは、どんどん強くなっていった。


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その夜、私はまたもや鎮光のことを考え続けていた。夢の中で彼が出てきた。彼はやはり無表情で、何も語らなかったが、夢の中の私は彼の感情に触れようと手を伸ばしていた。けれど、目が覚めた時には、その手に何も掴めていなかった。

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