第2章 第1話: 「侍の背中」
町に平和が戻り、盗賊たちの脅威も去ったかに見えた。日常がゆっくりと戻りつつある中、私は――愛(こころ)は、いつも護衛として背後に控えている鎮光(しげみつ)の背中を見つめていた。無表情で冷静な彼の態度に慣れているとはいえ、その背中はあまりにも遠く感じられた。
冷静さを装ってはいるけれど、その瞳の奥には何か深い感情が隠されているように思える。感情を見せない鎮光が何を思い、どんな過去を背負っているのか――気づけば、そのことばかりを考えていた。
「お姫ちん、また鎮光のこと見つめちゃってるね?」
お怜(おりょう)が私の顔を覗き込み、いつもの明るい声でからかってきた。彼女は私の胸の内をよく理解しているようだ。
「えっ、そ、そんなことないわよ……。」
私は少し慌てて、つい視線を逸らした。けれども、お怜のニヤニヤした顔を見て、言い訳するのも無意味だと悟る。
「本当かなぁ?だって、最近お姫ちん、鎮光のことばっかり気にしてるもん。まるで彼に惚れちゃったみたいじゃない?」
お怜はわざとらしく声を高めて言い、私の肩を軽く叩く。私は顔が熱くなるのを感じたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「惚れるなんて、そんなこと……ないわ。」
私は自分にそう言い聞かせるように答えたが、心の中では彼のことばかりが気になっているのは事実だった。鎮光の感情を知りたい。彼の無表情の裏に隠された思いに触れてみたい――そんな思いが心に浮かんでは消えていく。
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「姫様、何かお考え事でしょうか?」
その時、突然鎮光の冷静な声が耳に届いた。彼はいつものように無表情で、淡々とした口調で私に尋ねてきた。
「え、ええ……少し考え事をしていたの。」
私は動揺しながらも答えた。彼に自分の気持ちを悟られたくないと思う一方で、彼のことをもっと知りたいという思いが募る。
「次の予定は、何にいたしましょうか?」
鎮光はまるで感情を持たないかのように、淡々と任務の確認をしてくる。私は一瞬、その無表情な顔に何か言葉を投げかけようとしたが、すぐに思い直した。彼に直接尋ねても、きっと何も答えてはくれないだろう。
「今日は……特に急ぐ用事はないわ。少し休みましょう。」
私は微笑みを浮かべて答えた。鎮光は短く頷くと、再び私の視界から静かに去っていった。その後ろ姿を見つめるたび、胸の奥が少し締めつけられるような感覚に襲われる。
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「お姫ちん、そんなに鎮光が気になるなら、松吉さんに聞いてみれば?」
お怜がにやりと笑いながらそう言った。松吉(まつきち)は、町の瓦版屋としてよく噂話を集めている。彼なら鎮光の過去について何か知っているかもしれない。とはいえ、松吉の話は信用できないことが多い。いつも話が変わるからだ。
その時、ちょうど松吉がこちらに走り寄ってきた。
「姫様!いい話がありますよ!」
息を切らしながらも、満面の笑みで近づいてきた松吉は、何かしら新しい話を持ってきたようだ。
「聞いてください、鎮光さん、実はかつて超有名な剣豪だったんですよ!」
彼は自信たっぷりに言い放ち、私の目をじっと見つめてくる。
「剣豪……?」
私は驚きのあまり声を漏らしたが、内心では「また出たわ」と思っていた。松吉はこれまで何度も鎮光の過去について話してきたが、いつも内容が違う。前回は「隠密のリーダーだった」と言っていたのに、今回は「剣豪」だという。
「そうそう!ある戦いであまりにも多くの敵を倒しすぎて、感情を失ったとか失わないとか……」
松吉はまるで瓦版の一面記事を読んでいるかのように、大げさに話を続けた。
「……信じられないわね。」
私は苦笑しながら答えたが、松吉は意に介さず続けた。
「でも、これは次の瓦版で大特集しますから、ぜひお楽しみに!」
そう言うと、松吉は大げさに手を振りながら去って行った。彼の話が嘘であることは分かっていても、やはり鎮光の過去が気になってしまう。
「剣豪なんて、さすがにあり得ないわよね……。」
私は自分にそう言い聞かせながらも、松吉の話の中にほんの少しだけ真実が含まれているのではないかと考え始めていた。鎮光の無表情の裏には、何か深い理由があるに違いない――その謎を解き明かしたいと思わずにはいられなかった。
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その日の夜、私は再び眠れない夜を過ごしていた。鎮光の無表情、彼の背負う過去――それがどんなものであれ、知りたい。彼の感情に触れたいという思いが強まるばかりだった。
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