享楽的テセウスの船とキョンシー

 エイブラハム・アーサーの話をしよう。

 コイツはオレサマ、シンイーだった。ややこしいとは思うが、つまりはシンイーの脳みその元持ち主である。つまりオレサマはエイブラハム・アーサーなワケだ。……アー、ややこしい。

 アーサーはベテランの吸血鬼狩りヴァンパイアハンターだった。毎夜毎夜吸血鬼の心臓に杭を打ち、弾丸を放ち、日の元に引き摺り出して灰にするのが生きがいなんて男だった。ちなみに四十ウン歳。嫁さんはいない。この情報はいらない気もするが、覚えていることはできる限り記録しなければならぬ。人間の脳みそは何百年も同じことを記録できるような作りはしていないのだ。忘れてしまう前に全て記録して、また思い出せるようにしなければ。

 ……そんなことはどうでもいい。今はアーサーの話だ。

 アーサーは最後の夜に銀色をした吸血鬼に出会った。そこが運の尽きだった。だから、鮮明に覚えている。自分が死んだ日。吸血鬼に負けた日。そんなクソッタレな記念日他にない。あるとしたらあのクソコウモリ関係だ。本当に反吐が出る。

 思い出したくもないが、全てを記録する。エイブラハム・アーサーが消える前に。



 ……



 満月の夜だった。しかも赤いヤツ。ひどく不気味で、後輩が怖がっていたから銃のバレルで殴ってやった。そんなんじゃ吸血鬼のヤロウに喰い殺されるぞ。実際命懸けの仕事なんだからそんなんでビビってたら負けだ。舐められたら終いだ。そういう世界だ。後輩の頭が思いの外石頭だったのでバレルに細かな傷がついた。チクショウ。

 しかし嘆こうが泣こうがビビろうがバレルに傷がついたと不貞寝しようが吸血鬼は待っちゃあくれぬ。長年使い回していたせいで古臭くなってしまったハンドガンと銀の杭を携えて、後輩に見送られながら出て行った。

 外はひどく冷たかった。まさに冬本番。割れた石畳にはうっすら雪が積もっていて、それを踏み潰しながら歩いていく。ここら辺は治安がすごぶる悪い。ヤクに春に臓器にその他、とにかく表社会じゃ倦厭されるものの総合市場。治安が悪いイコール消えたとて気にされない人間が多いに繋がるため、大抵の吸血鬼は小腹を満たすためにこういった場所を選ぶ。そのため、定期的に見回りをする。ボロ切れをまとった老人に睨みつけられたので反射で睨み返した。いかんいかん。コイツらは守るべき民なのだ。みみずもおけらもアメンボもみんなみんな生きてるんだぞ。

 しかし、オレサマ達のような、コイツらから見たら表社会の人間がうろついているのは住民にとってさぞかし癪に障るのだろう。現にオレサマは上等なコートを着ているワケで。そういったいかにも幸せですよなんて格好をした人間なんてたとえ命を守ってくれると分かっていても疎ましいものだろう。頭で分かっていても、心が納得しないことなんてザラにある。


「……だからと言って」


 ぼろっちい民家の陰。ただえさえ光の当たらないこの町の、さらに暗い場所。そこにオレサマは足を向ける。

 残飯を漁るネズミを避けて、奥に奥に。好き勝手に建てられた家たちは乱雑に複雑怪奇な裏通りを作る。素人が興味本位で入ったら一生出られないであろう。そんな薄暗く、密閉された道の奥に。


「やっていいコトと悪いコトがあるってのは、バカでも理解してるよな?」


 小さな女の子だった。

 年齢は十五ぐらい。長く綺麗な銀色の髪とキラキラ輝く赤色の瞳。オレサマよりも上等な、お貴族サマのような服をまとっていて、それで。

 女の子は、地面に這いつくばっていた。髪も服も汚泥に塗れて、元がいいだけに見窄らしい。オレサマを見てその目を大きく見開いたから意識はある。


「……誰だ、テメエ」


 そんな哀れなヒロインを踏みつけにするチクショウが──大男がいた。ハイ、自分チンピラっすと自己紹介でもしてんのかななんて思ってしまうほどテンプレート。いっそ喜劇じみていて苦笑が漏れる。愉快愉快。

 そんな面白おかしいお兄サンも自分よりちっせえ女の子踏みつけにしてりゃあおもしろさも半減。むしろ不愉快な存在に成り果てる。なのでオレサマはイラつきながら返事してやった。


「知りてえんならそっちから名乗れよカス」


「ああ!? バカ貴族がオレに──」


 なるほど、お話は無意味らしいとそこまで聞いて思ってしまったので実力行使するコトにした。そもそも短気ですぐ手が出るオレサマにしては保ったほうだ。感謝して欲しい。

 ということで、殴った。お得意の銃のバレルで、後頭部をぶん殴ってやった。セリフが中断され、面白いぐらいにぶっ倒れて、その後すぐに起き上がる。オヤ、意外にも頑丈だ。関心してる間に男はチクショウ覚えてろよなんてこれまたお約束なセリフを残して暗闇に消えていってしまった。元から追い払えればイイやなんて考えていたので好都合。

 女の子はちょっぴり間を開けてからむくりと起き上がる。案外かわいい顔をしているなアなんて思った。ホラ、ビスクドールのような、完成された美しさというか、計算された可愛さとか、そんな感じ。かわりに生気はあんまないケド。

 服の汚れをはたき落として、彼女は口を開く。


「……助けてくれてありがと」


「そりゃドーモ。ところで嬢ちゃん、名前は」


 彼女はぐしゃぐしゃになった銀髪を手で解かしながら当たり前かのように言ってのける。


「知りたいならそっちから名乗ってよ、ニンゲン」


 おやまあ生意気な嬢ちゃんだこと。一応命の恩人様であるオレサマに向かってなんてことを。しかし、この言葉を先ほど堂々と口にしてしまったオレサマにも非があるかもしれない。一割ぐらいは。


「……吸血鬼対策機構一番隊所属、エイブラハム・アーサー」


「ふーん。……肩書きイカついね」


「そんな嬢ちゃんはどんなお名前で?」


「ウチは……」


 少しだけ少女は笑って、少しだけ鋭い牙を見せて、楽しそうに名乗る。


「……フランシスカ。どこかのお金持ちのお嬢様……ってことにしといてね?」



 ……



 自称お嬢サマなフランシスカはオレサマとくっついて歩いていた。

 ……なぜに? ホワイ? どこらへんにくっつく必要が? いや、裏通りは迷いやすいから出口まで案内するぜとは言った。道中危険だから離れるなよとも言った。だからと言ってくっつく必要性は皆無じゃあないかい? なんだ、オレサマがおかしいのか?


「あ、あの、もうちょい離れてくれませんかネ」


「どうせなら恋人っぽく見えた方が羽虫追っ払えて楽じゃん」


「……オレサマの好みじゃない」


「お世辞でもかわいいって言っておくもんでしょそこは」


 こんな一回り以上も離れたガキに恋愛感情を抱くかボケ。動きずらいったらありゃしない。銃も取り出せない。一応は赤い満月の夜なのだ。どっかのお貴族サマのお嬢サン怪我させたなんて知られりゃクビが飛ぶ。社会的にか物理的にかは分からないが。


「あのな? 今夜はいつもより危険なんだからお家で大人しくしてろよ。てか知らなかったのか? 今夜は──」


「赤い満月の日、でしょ。知ってる」


「知ってんならなおさらだ。オマエみたいなおバカさんをいちいちお家に送ってるヒマはあんまりないの。ただえさえ怪物どもが騒がしい日なんだから」


「……さわいどく?」


「なんで?」


 オレサマはこの楽観的少女にため息を吐く。ぎゅうっとフランシスカがオレサマを締め付ける。


「もうとっくに気づいてるクセに」


「……一応聞いとくが、何に」


 ピタリと中途半端な位置で足を止める。それからオレサマはフランシスカに向き直ろうとして。

 それよりも、フランシスカが手斧をオレサマの肩にブッ刺す方が早かった。


「……が、あっ!?」


「気づいてたクセに指摘しない愚か者さんにもう一回あいさつしてあげる」


 急いで距離をとるオレサマに、慈悲深く微笑んで。


「ウチはミフネア・ツェペシュ公の眷属、フランシスカ・ツェペシュ!」


「やっぱりかよ……!」


「気づいてたんならさっさと殺しときゃあよかったのにね。ほんとお馬鹿さんなんだから」


 完全に判断を間違えた。

 白銀を見たときから、紅玉の瞳を確認したときから、鋭い牙が目に飛び込んできたときから、必要以上にくっついてきたときから! ずっと本能がコイツは吸血鬼だと叫んでいたのに! 

 万が一、億が一の可能性で、人間かもしれなかったから、オレサマは判断を先送りにしてしまっていた。痛恨のミスだ。

 使い物にならなくなった左腕を無視して右腕だけで銃を構える。周りにお節介アンド野次馬根性旺盛ヤロウな見物人がいないことを確認して、フランシスカを睨みつけた。幸いなことに太い血管はやられていない。なら、まだ動ける。


「ね、知ってる?」


「何についてが抜けてるぜバケモノさんよお……!」


「そのバケモノ代表である兄様について」


 ──ぐさりと、冗談かと思っちゃうぐらい簡単に、胸からナイフが飛び出した。

 キラキラ輝く、本来なら果物とか切っているはずの小さな刃物は、思ったよりもドス黒い血に塗れて頭をひょっこり出していた。そのままぐるりと九十度回転し引き抜かれる。オレサマの口から同じ色の液体が漏れ出て、さらに服が汚れて。


「あ、え……?」


「フランシスカ、無事かい?」


 オレサマが嗚咽を漏らすのと同時に、後ろから少年の声がした。


「遅いよ兄様。殺されちゃうかと思った」


「お前を殺せる吸血鬼狩りヴァンパイアハンターがいるかよ」


「そのワリには殺意が高いねえ。心臓一突きなんて」


「当たり前だろう。可愛い妹が殺されそうだったんだから」


 心臓。いくら浅学なオレサマでもやられたらヤバいと分かる臓器。だくだく血が漏れる。思わず抑えるけど、血はおかしくなっちゃうぐらい止まらない。倒れ込む。まだ意識はハッキリしていて。心臓がなくなっても人間は一、二分意識を保っていられるらしいが、その数分間で何ができるのだろう。せいぜいもがき苦しむぐらいで生産性なんてありゃしない。

 荒れる息の中、会話する兄妹を見やる。どうやらオレサマの心臓をぶっ潰してくれたのは兄の方らしい。フランシスカとお揃いの髪と瞳。クソッタレ、嵌められた。舌打ちの一つでもくれてやりたいとこだがあいにく体は動かない。すこしだけ、恐ろしい。

 漏れ出た血がコートに吸われていく。意識が薄い。体が冷たい。寒い。怖い。吸血鬼狩りヴァンパイアハンターとしてずっと覚悟してきた死が、近づいてくる。こんな職業なんだから分かっていたはずなのに、やはり恐ろしく怖い。心では分かっているのに頭は、本能は拒んで主人に危険を知らせようと痛みの電気信号をひっきりなしに送ってくる。それすら薄まる感覚がこわい。やはり死ぬのは恐ろしい。


「やあ、エイブラハム・アーサーくん」


 吸血鬼の兄がワザワザ顔を付き合わせて語りかけてくる。ムカつくヤロウだと悪態をついた。


「……死ぬのが怖いかい?」


 死にかけの吸血鬼狩りヴァンパイアハンターに、そういった趣味の悪い質問をする吸血鬼はことの他多い。眷属を増やすため。狩る側から狩られる側に引き込むため。ならば吸血鬼となり永遠に等しい生を歩もうなんて、甘ったるい猛毒を差し出してくる。それゆえなんとしてでも勇ましく死ねと、上司からは口を酸っぱくして言われるのだ。オレサマ達だって好き好んで元戦友を狩りたくはない。

 だから「屁でもねえよバーカ」と余裕そうに宣わなければならない。いかにも楽しそうに、嘲笑うように、名誉の死であると満足そうに。


 しかし、心では分かっていても本能がソレを拒むことがある。



「……死に、たく、ねえ」


 ああ、なんと弱々しい言葉であろうか! 三十何年吸血鬼を狩って狩って狩り尽くして命を軽々しく弄んだ男の、最後の言葉がコレ? 情けない! 恥晒しにも程がある!

 だから、吸血鬼はにっこり笑ってこう囁くのだ。


「とっとと死ねカス」


 首を刎ねた。



 ……



 日下部花子の話をしよう。

 シンイーの肉体の元持ち主である。しかしシンイーはシンイーであるゆえに記録を残す必要性を感じないが、オレサマがうるさいのでやることにした。

 とにかく、今はシンイーではなく花子の話だ。記録の必要性やらなんやらはオレサマに任せるとしよう。

 日下部花子は死を過剰なまでに恐れる子供だった。

 草木が枯れ果てているのを見るたびに、アリが蝶の死体を運んでいるのを眺めるたびに、道端で野良猫が死んでいるのを発見するたびに、彼女は死を恐れ怖がり忌諱した。いつかは花子もポックリ逝って、黒い額縁の中で笑い、またまた黒い車で運ばれ、専用のオーブントースターでこんがりできあがりなんて。恐ろしくて信じられなかった。

 しかし彼女は死ぬ。自宅であるマンションのベランダから誤って転落したのだった。頭から落ちたせいで即死。死を誰よりも恐れた彼女は結局親よりも早く死んだ。かわいそうに。

 これで話はおしまい。その後ミフネアに拾われてキョンシーになったのはご想像通りであるため割愛する。これはシンイーが覚えていることだし。

 それにしても、とシンイーは考える。

 シンイーはキョンシーであるのでもちろん死人である。死人であるゆえにこう考える。

 ──死ぬのってそんなに怖いことか?

 死ぬ。臓器の活動が停止して動かなくなること。ただそれだけ。ハッキリ言おう、それが何? それだけの話を大袈裟に怖がって、結局逃げきれなくて死んで、馬鹿みたいじゃないか。


 つまり、死ぬことへの恐怖は生きてるうちにしか味わえぬし、生きることの楽しさは死人には理解できぬのだ。


 結局それだけの話。くだらない当たり前を再確認するだけの、退廃的な記録装置。

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