こんてにゅー

 僕はシンイーの嬉しそうな声とミフネアの楽しそうな声を浴びながら部屋に足を踏み入れた。ギイッと扉が軋んで閉まる。喧騒が消える。


「……どこだろ、ここ」


 一言で感想を言えば、すごい部屋だった。

 ひどく曖昧な評価だとは思うが、感想を求められたら多分僕はそう言うしかない。そもそもこの部屋を正確な言葉で評価できるヒトはいるのだろうか。

 ……その部屋は写真で埋まっていた。

 床も壁も天井も、見渡す限り写真が貼り付けられて、散らばっていて、唯一置かれた家具であるデスクも写真が大量に積まれていた。写真の内容はバラバラで、白黒写真もあれば美麗なカラー写真もあって、それぞれが僕の網膜を刺激する。目がチカチカする。

 コレが、シンイーが見せたかったものなのか。

 こんな膨大な量の写真を、どうする気だったのか。こんなものを見せられても僕にはどうしようもない。ただ困惑するだけで、正体やら過去やらを探すこともできない。そもそも、この中に僕の過去やらに関する写真があるかも分からないのだ。まさに砂漠の中の砂金を見つけるような気持ち。膨大過ぎて脳の処理が追いついていない。

 僕が一歩踏み出すと、風圧で二、三枚の写真が舞った。ぱさりと乾いた音がする。

 僕は帽子のつばに手を伸ばす。ふむ、コレからどうすればいいのか全く分からないし思いつきもしない。シンイーは何がしたかったのだろう。僕一人をわざわざこの部屋に仕向けたのだから、多分一人でも、案内人がいなくとも何か手ががりが見つかるはずなのだ。シンイーという解説者が不在でも(もちろんいるに越したことはないだろうけど)見つけられるようなヒント、もとい正体を示唆するナニカがあるはず。じゃなきゃ先に行かせた意味がない。わざわざミフネアを押さえつけるぐらいなら一緒に逃げて違う扉で行けばいいのだから。

 僕が身じろぎするたびに、紙の擦れるザワザワするような音がする。なんとなく落ち着かない。マントの端を抑える。

 こうやってウダウダ考えていても時間は止まってくれないしやることが変わるワケでもない。ならば、しらみつぶしにやるしか道はない。腹をくくれ。

 ため息を吐いて、写真を踏みつけにし、まずデスクの上に散らばっている写真を一枚手に取る。

 比較的新しい写真だった。まだ十にも満たないであろう少女が被写体である。長い金髪に空色の瞳、ピンクの可愛らしいワンピースを着て、着ぐるみのとなりで幸せそうに笑っていた。遊園地で撮ったモノだろうか。

 なんとなしに裏を見る。そこには──


『Died in 2005. Aged 14』


 ……見たことのある文字列だった。僕は英語はからきしダメなのでよく分からないが、数字でなんとなく察してしまう。わかってしまう。

 僕の部屋で見たモノと、同じモノ。あの大量の写真の出所。つまり、コレは。


「ぜんぶ、死人の写真」


 ああ、絶対コレだけではない。この部屋ぜんぶがきっと死人の写真なのだ。もうこの世にはいない人間を写した、過去の遺物。怖気が走る。手に余計な力が入って写真にシワができる。

 とりあえず写真をポケットに雑に突っ込んで、部屋を見まわした。もうこの現世にいないはずの視線が鬱陶しく、気持ち悪く、気味が悪い。帽子を深くかぶる。

 ……これからどうしようか。

 この膨大な死人の写真に囲まれて、今度こそ僕は途方に暮れていた。この先どう行動すればいいか分からない。いっそシンイーを待っていた方がいい気がする。今の僕は、見知らぬ外国の地で迷子になっている気分だった。早くミフネアを撒いて正体を教えて欲しい。さっさとこの宙ぶらりんな状態から脱却したい。

 ぼんやりと他力本願を願う僕の後ろから、ギイッと軋んだ音がする。思わず振り返った。


「──さっきぶりだな、ご友人?」


 そこには。

 そこには、胸から血を垂らし、笑顔を形作った、ミフネアが立っていた。



 ……



「いやはや、シンイーには呆れるな。あの手この手で妨害してくる。どうせやることも結末も変わらんというのに」


 それだから面白いのだけど、とミフネアは続けて僕に笑いかけた。


「な、なんで」


「なんでと聞かれても。私がここにいることがそんなに不思議か? 案内人の配役が変わっても、君に不都合はないはずだが」


「それは、そうですけど」


 それはそうだ。正論だ。僕はこの大量の写真の意義と僕自身の正体を知れればいいのだから。説明役がシンイーだろうがミフネアだろうが、違いはないわけで。

 しかし、本来ならばシンイーが来るはずだったのだ。じゃあなんでミフネアがここにいるんだろうか。

 そんな僕の思考を察したのか、ミフネアが答える。


「あのおてんばは腹が減ったとメアリーのとこに行った。しばらくは帰ってこんだろうな」


「……へ? で、でも、それじゃ」


 ──出会ったときと、おんなじような行動じゃあないか?

 正義感やら使命感に溢れるあの子らしくない行動。出会ったばかりの自我が希薄なあの状態ならば辻褄は合う。まさか──

 ミフネアはなんてことないような顔で答えた。


「戻したのさ」


 絶句している僕に、訝しげな視線をよこしながらミフネアは言う。


「それが君に関係あるのかい? 今の君は自分の正体が知れればそれでいいはずだ。先程も言ったように、教えるのは私だろうがシンイーだろうがどっちでもいいはずじゃあないか」


「そうですけど……。でも、シンイーは」


「他人の心配より自身の心配をしたまえ。君が会話したシンイーは過去の幻想がひょっこり顔を出しただけの存在なんだから。ほとんど幽霊のようなモノなのだよ」


 もっともらしい屁理屈をこねながらミフネアは得意げにそう言い切った。

 それはそうかと納得してしまう僕も僕なのかもしれないけど、今はとにかく納得しないと話が進まない気がした。ミフネアの言う通り、今は他人の心配より僕の過去および正体を気にした方が生産性がある。


「……君は、これらの写真をどう思った?」


「また唐突な……そうですね、まあ、あんまり見ていて気分がいいものではないかと」


「そりゃそうだな。当たり前だ」


 そう言って吸血鬼はケラケラ笑った。

 ミフネアの話はいつだって周りくどく、まどろっこしく、長ったらしい。関係あるようなないような質問を唐突にしてくる。とにかく、ミフネアと話すなら根気とスルースキルがいる。


「それでは答え合わせといこうか。──夢原一郎くん?」


 ……ゆめはら、いちろう?

 またまた唐突になんの脈絡もなく呼ばれた名前に、反応がワンテンポ遅れた。与えられた情報をなんとか噛み砕き、飲み込んで、それから処理して、やっとのこさで文字列の意味が分かった。つまりは──


「僕の、なまえ?」


「君以外の誰がいるんだ。……しっかりしたまえ、一郎くん」


 僕の、僕だけの名前。アイデンティティの根幹となるもの。個人を示す第一のもの。

 僕は、夢原一郎!

 その四文字を知れただけで世界がバラ色に色づいた気がした。胸が高鳴って、顔が紅潮するのが分かった。正月と盆と祝日とクリスマスが一気にきたような、小躍りでもしたいような気分だ。

 ミフネアの肩を掴んで問いただす。


「ぼ、僕は夢原一郎というんですね? ウソじゃないですよね、ねっ?」


「どおどお、落ち着きなさい。この場面で誰がウソをつく」


 僕は夢原一郎。そう何度も何度も反芻して、ニマニマする。やっと、やっと名前を知れた! 与えてくれたミフネアに感謝する。あまりの嬉しさに僕がくるりと回ると、風圧で写真が何枚か浮かび上がった。


「ありがとうございます! 僕に名前を与えてくれて!」


「……ふむ」


 いいよどむミフネアに、僕は違和感を覚え質問する。


「どうか、しましたか?」


「いや、本当に些細なことなんだが──何故君は『教えてくれて』ではなく『与えてくれて』と言ったんだ?」


「それは──」


 それは、なんでだろうか。

 そうだ。ミフネアのいう通り、『教えてくれて』の方が正しいのだ。なのに僕は『与えてくれて』と言った。そう感謝した。夢原一郎という名は最初から僕のもののはずなのに。

 固まる僕にミフネアはため息を吐く。


「まあいい、話を戻そうか。そう、君の経歴について」


「は、はあ」


 ミフネアは履歴書を音読するような単調な口調で続ける。


「一九五七年生まれ、出身は仁本の急州。父は鏡太郎、母は千世子。兄妹はいない。一般的な家庭で育ち、特に語ることもないまま地元の公立中学校に入学。性格は流されやすく、人に対しての警戒心が薄い。それゆえか変なところで度胸がある。どこか無鉄砲で、しかし危険なことに自ら突っ込むことはあまりないという曖昧なバランスで生きてきた」


 なるほどなるほど。僕はやっぱり学生だったのか。最初から教えてくれればよかったのにとは思うが、まあミフネアが言うには過去をみだりに他人が語ってはいけないらしいので。結局知れたなら万事解決。夢原一郎と『僕』のキャラクターもそれなりにあっているみたいだし。

 ……アレ?

 ミフネアは何故僕の過去を語る? だってミフネアが言ってたじゃないか。他人が語る経歴なんて信憑性がないって。では、ミフネアはなんで今更僕の過去を詳しく語って聞かせるんだろう。そもそも、なんでそんな詳しいんだ。おかしい。おかしい。おかしいのに疑問をぶつける勇気はない。

 ミフネアは頭にはてなマークを浮かべる僕をムシし語り続ける。


「一九七〇年に事故でこの世を去る。享年十三歳」


「……へ?」


 アレ? またまたおかしい。だって僕は生きているんだもの。心臓の音はちゃんとあるし、呼吸もしているし、ケガをしたら血が流れるし、どっからどう見ても


「あ……?」


 ちがう。人間じゃ、ない。僕は人間じゃない! メアリーもシンイーもフランシスカも皆一様に僕を怪物だと、同類だと言っていたではないか! じゃあミフネアが語る経歴はなんだ過去は誰のものなんだ? 分からない。僕は死んでいるのに生きている。死んでいながら生きている怪物はシンイーのような蘇った死体だけど、それでもない。だってシンイーは『吸血鬼のオモチャ』という点では同類だとしか言っていないのだ。決して『蘇った死体』としての仲間ではない。じゃあ、僕は……? 僕はなんなんだ?


「……質問なんだが」


「ちが、違いますよね。僕、僕は夢原一郎なはずですよね? そうじゃないと」


 ミフネアが鋭い視線を向ける。冷たく光る赤色が恐ろしかった。次の言葉を聞きたくなくて耳をふさごうとしたのに、それより早く言葉が耳に侵入してくる。


「──君は何者なんだ?」


 ききたく、なかった、のに。

 僕は現実を否定するために必死で言葉を紡ぐ。このままでいさせて欲しい。深く聞いて来ないで欲しい。


「や、やだなあ。僕は夢原一郎ですよ。あなたがそう言ったんじゃないですか」


「……初日に言ったように、他人が語る個人情報なんぞなんの価値もない。君は本当に夢原一郎か?」


「違います。価値はあります。僕は夢原一郎なんです。そうじゃないと──」


「夢原一郎はとうの昔に死んでいる。もう死体のカケラも残ってない。じゃあ今生きている夢原一郎はなんだと思う?」


「ちがう! 僕は──」



「いいかげん認めろよ。?」



 ぱきんと、何か核心的なものが壊れた気がした。

 僕はどこまでも夢原一郎でなきゃいけなかったのに揺らいで揺らいでそのうえ土台まで壊されてもう取り繕えなくなってきた。化けの皮の糸がほつれる。どういった形か分からなくなってくる。吸血鬼の話は止まらないけどもう耳に入ってはこない。


「騙し討ちのような形になってしまったことは謝ろう。しかし、君は夢原一郎ではない。と言うより、夢原一郎だけでなく


 僕は夢原一郎でありしかしそれは所詮偽物のモノマネで結局こうなるのかと自分がそう思って夢原一郎らしくないと自嘲した。そもそも夢原一郎らしい行動は取れていなかった。もうだめになってしまっていたことに今更気づいてもう遅いと思った。どろりとした感触があったから偽物の手のひらを見てみると黄土色の泥が手にこびりついていた。いやこの場合泥が手についたのではなくて手が泥なのだ。その証拠にマントの端っこが溶けて茶色く濁っていく。


「君は何にでも変身できるが故に。確固たる自分自身を持たないからこそ無機物だろうが植物だろうが動物だろうが変身できるのだろうけど、確たる自分がないからこそこうなってしまうワケだ。皮肉だな。……我々は便宜上シェイプシフターと呼んでいるが、それすら君の本性を表す言葉じゃない」


 自分が自分であるなんて証拠は初めからどこにもなくていつも怖くて仕方なかった。自分が分からなかった。自分はそのへんの石ころでもあったしガラスケースに保管され飾られているダイヤでもあった。死にかけの草食動物でもあったしその肉を食らう肉食獣でもあった。平々凡々な人間でもあれば類をみない怪物でもあった。いつだって立場は逆転し定義が入れ替わって踏み台になったり踏み台をふんだり犠牲にされ犠牲を無視し夢をみることもあれば思考すらできないときもあってぐちゃぐちゃに煮詰まって分からなくなっていくんだ。それが恐ろしい。


「そんな君だからこそ、私は──」


 自分は部屋を飛び出した。もう見たくない。聞きたくない。自分がしたいことすら確固たる自信がなくて揺れ動いて不安定だ。首がしまる。その首すらもなくなって泥になっていく。吸血鬼が何か言いそうだったけどもうどうでもよかった。歩きだすたび一歩踏み出すたびにぐちゃんと気持ち悪い水音がしてもうダメになったんだと事実を改めて再認識させられた。イヤだったから耳をふさごうとしてもう耳は溶けてなくなったんだったとまた認識する。無意味だった。とにかく戻らねばと思いどこに戻ればいいのか分からなくて途方に暮れかける。とりあえず吸血鬼から逃げられればなんでもいいと思いそのへんの扉を開けると──


 ……端的に言ってしまえばよくわからない部屋だった。


 虎の毛皮とジョインマット。アンティークなデスクには漢字の練習帳と死人の写真。お姫様が使うような天蓋付きのベット。英語で書かれた数学書に中国の漫画。水墨画の隣にアイドルのポスターがある。『僕』が数日間を過ごした部屋だった。だから正確に言えばここは自分の部屋ではなく『僕』の部屋なんだけど何故だか自分の部屋だと思った。安心した。だってこの部屋には。

 この部屋には鏡があるんだもの。

 吸血鬼は鏡に写らない。それゆえにこの館には鏡が極端に少なかった。ほとんどないと言っていいぐらいには。だからこそ自分はちゃんと夢原一郎であると確認できるのがこの部屋しかなかったのだ。確認しなければと思った。もう終わってしまった話だけどどうしても悪あがきというものをしてみたかった。縋り付くように自分は鏡に手をかけて、写る自分を見る。鏡に泥がついて見にくい。

 分かっていたことだけど。

 分かっていたことだけどやっぱり自分は夢原一郎じゃなかった。やっぱり自分は何にもなれない怪物であり偽物で贋作で嘘っぱちなんだと思い知らされた。落胆も絶望も後悔も現実逃避もドロドロに溶ける。自分の形が崩れて夢原一郎が死んでいく。消えて消えて今度はなんの偽物にならなきゃいけないんだろうと思ってもうどうでもいいような気がして下を向いた。一枚の写真が泥からはみ出ていた。


 ただ本物になりたかった。



 ……



「結局今回も失敗か」


 はあと吸血鬼は──ミフネアはため息を吐いた。面倒とか落胆とか、そういった感情が詰まったため息であった。

 ミフネアは心底つまらなさそうに扉の前に立ちノックする。きっかり一秒間待ってから開けると、外は広間になっていた。


「おっかえりー兄様。今回も失敗かねー?」


 相も変わらず──というより変わることなんてないのだろうけど、フランシスカはいつも通りの席でスマホをいじっていた。軽い調子に苦笑いを浮かべ、ミフネアもいつも通りの上座に座る。


「ご明察だよ。まったく、いつになったら自分を認めるのやら」


 夢原一郎改め、シェイプシフターはミフネアの拾い物である。

 何年前かは忘れたが、道端でうごうご蠢く粘土の塊がぶつぶつ何やら話していたので興味本位から連れて帰った。それが始まりだ。

 最初はよく分からなかったが、なにやら『自分が欲しい』とうめくので、誰かさんの写真を見せながら適当に経歴をでっちあげてやった。そしたらビックリ仰天。写真の通りの人間になってしまったのである。そこでミフネアは公爵のヤロウが探している同族かも知れない生き物を拾ったのだと自覚した。すぐさま報告という名の自慢をしに行って、滅茶苦茶に煽ってやった。長命種どうしの争いは決着がつきにくいので大抵低レベルな争いになる。

 まあ、そこまではよかった。ただ単に奇特な拾い物をしたと、そう思っていたので。問題はここからである。

 ある日、ミフネアはシェイプシフターに正体を喋ってしまったのだ、ついうっかりぽろっと。なんの他意もなく。その後はお察しの通り、また泥人形に早変わりだ。ここ一世紀で一番驚いた出来事である。

 ミフネアはうめく泥人形を見ながら、それならばまあ、教えなければいいかと思った。実際教える前はちゃんと機能していたので。しかし、中途半端な正義感を振りかざすシンイーがこれを良しとしなかった。ちゃんと正体を教えるべきだと、いつかは絶対バレるのだから教えて受け入れてもらった方がいいのだとぴいぴいわめく。うるさかったのでお札を貼り付けてやった。静かになったが面白みは減った。……まあそれはいいとして。

 シンイーの他にもシェイプシフターの不安定さが気に入らないヤツはいた。変化を嫌うフランシスカ。泥となる前は一番親しくきていたメアリー。言葉にこそ出さないが、あまりいい顔をしないのは明白である。

 じゃあ、まあ、受け入れてもらうまで繰り返すしか方法はないワケで。なにせミフネア以外の住民が望んでいるんだからやるしかない。ついでに暇つぶしにもなる。ならやってやろうじゃないか。


「今回で何回目?」


「さあ? 五〇〇〇回を超えてから数えるのをやめた」


「なかなかだねえ。あの子ももうさっさと受け入れちゃえばいいのに」


「それができたら苦労しない。とにかく寿命……いや、寿命の概念があるのか分からんが、それが尽きるまでやるしかないのだよ」


「ふーん……。ま、せいぜい楽しみなよ。どーせ兄様にとっては一時の暇つぶしでしょう?」


「……それはオマエも同じじゃないか」


「ウチは変わらないことを望み愛する吸血鬼だぜ? 兄様みたいに楽しんではいないもの」


 フランシスカの視線はまたスマホに移る。不変を望むならスマホなんて忌避すべきものベストスリーに入るだろうに、一般的な少女像に囚われたフランシスカはスマホを日常的に使う。そりゃあ本末転倒じゃないのかとツッコむ元気はない。

 それにしても、とミフネアはギラギラ輝く赤色を細めて、なんとなしに口にする。


「……今頃、ご友人は誰になっているのかね……」



 ……



 誰かになりたいと思った。

 夢原一郎ではなくなってしまったから誰かにならなければとほとんど強迫観念のようなモノに囚われながら思った。だって自分は何者でもないから。存在できないから。思考も何もかも出来ずに這いずり回りたくなかった。苦しい。何かになりたい。息が詰まる。何かにならなければならない。

 だから

 自分は化けの皮作りに慣れていた。手慣れているのがイヤでイヤでしょうがなかったがもう考えても仕方のないことだった。余計な泥を捨て形を整えて着色し歪みを直して粘土遊びみたいだと考える。でもできたからまたもやどうでもいい。もう自分なんぞ些末なことだった。自分は笑う。何がそんなにおかしいの。上手に化けの皮が作れて嬉しいのかなと他人事のように思う。いやすでに他人事だった。もう偽物はいない。だって化けたから。もう忌々しい怪物は消え去ったから。だから安心してやり直せる。

 ゲラゲラゲラゲラ笑って自分は後ろにすっ転んだ。



 ……



 ごすん! と派手で鈍い音が鳴り、頭に鈍痛が走って、ようやくの意識が覚醒した。



 ……



「それにしてもシンイーには困ったもんだ。あのロマンチスト、夢世界にでも生きているのか?」


「そこがいいんじゃん。リアリストの兄様と合わせてちょうどバランスとれるし」


「それはそうだな。しかし、現実問題どうしたモノかね……。こればっかりは恨まざるおえんぞ」


「じゃあいっそシンイーに全部任せたら? 夢見がちなあの子なら案外上手くやるかもよ」


「ンな美味しいとこ任せられるか。楽しみが減る」


「……兄様って結構享楽主義だよねえ」


「大抵の怪物はそうだろうに」


 ミフネアはにししと笑って、それをフランシスカが冷たい目線で返した。お行儀悪く足をテーブルにのせる。


「お迎えに行かなくてもいいの? そろそろ完成じゃない?」


「とっくのとうにメアリーが行ってる。一々指示するのがめんどくさかったからプログラムしてやった」


「へえ。自動化の一歩だね」


 フランシスカの適当な返事を聞き流して、ミフネアは広間を見まわした。

 ……シンイーは、どうやったって何人たりとも舞台から降りられないのだと言った。

 それはある意味あっていて、ある意味間違っている。この舞台を作ったミフネアさえ降りられないのだから。出口はあって鍵も見つかっているのに、その鍵穴が見つからないのだ。

 もうどうしようもないほど逃げられず、終わらせられない、地獄の底の三文舞台。

 愉快だと、ミフネアは思う。どこまでも変化する万華鏡のような彼、または彼女をいつまでも見ていたいと願っている。ミフネア・ツェペシュは変化を好み不変を厭う吸血鬼であるから。

 それゆえに、この舞台を作りあげたことを、あの子の苦しみを心の底から喝采し狂喜し享受するのだ。


「来たんじゃない、兄様」


 無感動にフランシスカは呟く。ミフネアとは真反対の性質を持つ彼女にとってこの状況はどうなのだろうと薄らぼんやり考えて、すぐその考えは霧散した。広間の扉をみやる。


「マスター! 新しいお客様よー!」


 メアリーが相変わらず騒々しく扉を開けて乗り込んできた。小脇にはやっぱりぐうぐう眠るシンイーを抱えている。ここまでは台本通り。

 ──メアリーの後ろから、可憐な少女がこわごわ顔を覗かせた。

 長く伸ばされた金色の髪。恐怖で潤んだ空色の瞳。桃色の愛らしいワンピース。

 ずいぶん可愛らしくなったなと、口先だけで転がして、ニコリと微笑みかける。

 それから、銀色の吸血鬼は己の妹に目を向けてこう尋ねるのだ。


「……今日入れて何日だ?」

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