夢と現の境目で愉快で痛快な鬼ごっこ
どんっ! と誰かがぶつかってきた。
相変わらず太陽光が完全に遮断されているせいで薄暗い廊下。そこをぼんやり歩いていた僕に、僕より少し背の低い誰かがぶつかってきた。
痛む腰を無視して下を見る。
「……なにしてるんですか、シンイー」
「むー」
相変わらず前に両腕を突き出したスタイルで、キョンシーの少女は──シンイーは僕に額を擦り付けてうめいていた。猫みたいだ。
やることも急ぎの用事もないので、普段はほっといてるとこを話しかけてみた。
「どうかしましたか?」
「……かゆい」
頭をぶんぶん振って、シンイーはあーだのうーだの言っている。とれかけのお札が頭の動きに合わせてひらひらと左右に動いていた。
僕は学生帽のつばに手をかけて、それから思い出す。ミフネアがそろそろシンイーのお札を交換しなければとか言っていた。それかと一人納得する。
「とって」
「えー……それ、僕がとっていいものなんですか?」
これ以上巻き込まれるのはゴメンだ。心臓を賭けたババ抜きもケーキバイキングをエサにやられた吸血鬼勧誘も、アチラが持ってきた話。もううまい話にはつられまいと決意を新たにこの二日間過ごしてきた。
だから用心に用心を重ねる。危なそうなモノのには触らない方がいいのだ。火薬庫にのこのことおとぼけ顔でマッチを持ち込むような愚行はしない。
「どうせとるから。いいでしょ」
「ヤです。ちゃんとミフネアのとこ行ってください」
「ケチ。かじるよ」
とうとう脅してきた。
どうしたもんかと頬をかく。このまま置いて行ってもいいが、このキョンシーは多分追っかけてくる。いっそミフネアに突き出したいが、今どこにいるかも分からないのが問題だ。探している間に指の一本や二本お亡くなりになってしまうかもしれない。その証拠に、シンイーは僕の指を見つめながらヨダレを垂らしている。
「……ほんとに大丈夫なんですか?」
「平気。だれがやっても変わらない」
再三の確認をとってみるが、大丈夫の一点張り。埒も開かないし堂々巡りだし、多分終わらせるにはお札をとるしかない。
──意を決してお札を手にとって、全力で引き剥がした。
「……アー」
「だ、大丈夫ですか?」
剥がした瞬間、シンイーがうめき声をあげる。フラフラ、フラフラ、頭を抑えながらよろめいて、たまらず僕は寄り添った。
「や、やっぱはずしちゃいけませんでしたか……? ミフネアんとこいきましょうか、ね?」
「……さいあく」
ゆらり、と顔をあげる。うめき声が止まる。
「し、シンイー?」
「──最悪なキブンだクソッタレ!」
「……へ?」
「あー! やーっと消費期限が過ぎたのかよ長えんだよバーカ! あのジジイ! やっぱりロクなことしねえ!」
「あ、あの」
急に顔をあげて、饒舌に誰かさん(たぶんミフネア)を罵倒するシンイーに、僕はただ混乱する。ただ、やってはいけないことをしたのは分かった。思わず後ずさる。
「ウメエ話だからって乗るんじゃなかった! 次見かけたらツバ吐いてやる!」
「す、すみませ」
「ああん! なんだよ! なんか文句あっか?!」
「ないですごめんなさい!」
やっとのこさでコチラを向いたシンイーは、訝しげに僕を見る。ガシガシと頭をかいて、とれそうになった帽子を直した。舌打ちする。
「……今何日だ」
「へっ? 何日って……」
「テメエが目覚めてから何日経ったかって聞いてんだ!」
「七日ですすみません!」
もう七日経ってんのかよクソッタレ! と誰に向けるわけでもない怒りを虚空にぶつけ、舌打ちしてから僕に言う。
「──メアリーとフランシスカからどこまで聞いた」
「えと、僕がバケモノだって話は聞きましたが……」
「そこか。ならちょうどいい」
なにがちょうどいいのかとか、そもそもその話し方はなにとか、僕のなにを知っているのかとか、その他もろもろの疑問は山ができるほど思いつくけど、混乱と驚きで口に出せなかった。目を白黒させる僕を横目にシンイーは勝手に話をまとめる。
「ついてこい」
「ど、どこに……?」
「オレサマの部屋に決まってんだろ」
なに言ってんだコイツと言わんばかりの態度で、シンイーは廊下の奥を向いて歩き出そうとする。なんだかなあと僕は帽子の位置を直した、その瞬間。
シンイーが唸り声をあげ始める。
「……来るのが早えんだよクソコウモリ」
「やあやあご友人! あとシンイー! 調子はどうかね?」
ミフネアが立っていた。
朝の挨拶をするかのように、気軽に僕たちの名前を呼んで、歩いて来る。
「サイアクって言ってんだろ。テメエの頭は蛆でも沸いてんのか」
「まことに残念だが私の脳みそは腐らないらしい。君の方が沸いてそうだが、どうかね?」
「言ってろ、ボケ」
お行儀悪く中指を立てた。長すぎる袖でほとんど見えない。
「それにしても、勝手に剥がすのはいたただけないな。どうするつもりだっだのかね?」
「簡単だ。コイツに真実を教える」
「……壊れると分かっていても?」
「承知の上でに決まってんだろバーカ」
そうかそうかと呟いて、ミフネアは笑う。相反するようにシンイーの眉間にしわがよっていった。
シンイーは苦い顔のまま、僕に耳打ちする。
「……おい」
「なんです?」
「──オレサマを抱えて今すぐ走れ!」
耳元で出された大声に背中を押され、反射的にシンイーを米俵のように小脇に抱えてとにかくがむしゃらに足を動かした。バタバタとマントが音を立ててなびく。後ろからミフネアの笑い声が聞こえる。
「鬼ごっこか、ナルホド面白い! せいぜい楽しませてくれよお二人さん!」
……やっぱり乗るんじゃなかった!
後悔と不満と疑問と混乱をごちゃ混ぜにした胸の内を軽く無視して、とりあえず僕は走り続けた。
……
「イイか?! とにかくオレサマの部屋に向かえ! オマエの正体についての話はそのあとだ!」
「それは分かりましたが部屋ってどこですか?!」
「もうとっくに通り過ぎてるぜ」
「そういうことは早く言ってください!」
おんなじような扉が並ぶこの廊下。ずっと走っていると自分がちっとも進んでいないように感じる。場所の感覚がつかめなくなる。
「そこだ! 止まれ!」
シンイーの怒鳴り声に驚いて足を止めた。なんの変哲もない量産型の扉。暴れ始めたシンイーを優しく降ろして扉の前に立つ。
「……詳しい話は中で、だ」
「ええ、了解です」
ギイッと、扉をあけた。
──簡単に言ってしまえば、ごちゃついた部屋であった。
エセ中華な装飾品がまとまりなく飾られて、それらが各々協調性なくギラギラと輝いている。かといって部屋全体がそういう雰囲気かと言えばそうではなく、唯一マトモな家具であるベットの周りには旧式のハンドガンだとか銀色に鈍く光る十字架だとか水が入った豪奢な小瓶だとかが乱雑に散らばっていた。床が見えない。
「どうした? サッサと入れよ」
「足の踏み場もない……」
「神経質なヤツだな。どけりゃイイだろ」
あんたが適当なんだよという言葉をギリギリ飲み込んで、お邪魔しますと一応一言言ってから部屋に足を踏み入れた。ガラガラガラガラ! と轟音が鳴って、僕は肩を震わせる。音がした方を見れば、シンイーがガラクタの山に埋もれていた。
「なにやってんですか」
「ちょいとミスっただけだ」
よっこいしょとガラクタから抜け出して、ベットに腰掛ける。お行儀悪く足を組んで不敵に笑った。
「改めてご挨拶だ──オレサマはシンイー。あのクソッタレコウモリヤロウに作られたキョンシーで、ある意味オマエの同類。以後ヨロシク」
「ど、どうも。それで、同類というのは……」
「あの吸血鬼のオモチャって意味」
「ああ、そういう」
なんだか隣に座るのも気が引けて、僕は身動きができずにそのままガラクタの中に立つことにした。マントを引っ掛けないように調整する。
「なにから話すかね……オマエはなにから知りたい?」
「ええと、そうですね、とりあえず貴方のことから知りたいです。……その、お札剥がす前と後で違いすぎませんか?」
「あーソレ? 理由はカンタンだ。オレサマの死体は脳みその損傷が激しくてな。代わりにアイツが持ってた荒くれモンの脳みそを使ったんだ。んで、こうなった」
「うわあ」
「なんだその反応」
うるせえな文句はアイツに言えよと言いながら、シンイーはガラクタの山に手を突っ込んだ。ガラガラと山を崩しながら、銀色のハンドガンとお馴染みの銀の杭、それとハンマーを取り出す。
「今はシンイーなんて名乗っちゃいるが元は全くちげえ名前だったんだ。もう思い出せねえけど」
「は、はあ。じゃあシンイーって名前はミフネアがつけたんですか」
「そういうこったな。だからその、なんだ。元の名前をカンペキに思い出せなくても生きていけるしアイデンティティは確立できるって話だな。だから──」
「──そうだとしても僕は本当の名前が知りたいんです」
「……ああ、そうだったな。オマエはそういうヤツだった。変えられねえんだった……もう何千回も試してんだった」
どこか諦めたようにシンイーは乾いた笑い声をあげて、ため息を吐く。
僕は帽子を深くかぶる。
「……だとしても、だ。オマエがどれだけ本当の名前に固執していようが、どれだけ時間をかけて過去を漁ろうが、思い出せねえんだよ。ソレは絶対に変わらない。変えられない」
「どういうことですか。だって、どんな人間にも過去はあるはずでしょう。それこそ異国の王子様だろうが世紀の大怪盗だろうが連続殺人鬼だろうが、過去があります。絶対的な経歴があります。どう足掻いたって本名があります。そして、必ず記録されます。記録を探し、辿ればきっと思い出せる」
「ない可能性はないと? 言っとくが、この脳みその持ち主であるオレサマはギャングだった。お尋ね者だった。そんなヤツの記録が残っていると?」
「残ってますよ。悪名だって名には変わりありません。むしろそういった方が残りやすいでしょう。反対に、どれだけ平和で平均値的な暮らしだとしても、記録はあちこちに残ります。戸籍だったり、卒業履歴だったり、職業だったりで」
「……ナルホドなあ。オマエが言いたいことは大体分かったよ。でもな、残らないヤツってのはいるぜ。それこそメアリー・フランケンシュタインだ。アイツの記録は世界を見渡したって残っていない。理由はカンタン、バケモノだからだ。同じくツェペシュ兄妹だって残ってない。もしかしたらミフネアは伝承として残っているかもしれないが、ミフネア・ツェペシュとしてはないだろうな。……よく思い出してみろよ。オマエはバケモノだ。怪物だ」
「……残ってますよ」
僕は笑う。今更なにを言っているのだろうこのキョンシーは! そんなこたあ分かり切っている。知っている。理解している。嫌になる程に。
「だからこそ、調べやすいんじゃないですか」
「……ないモンを調べると? そいつはできねえぜ。テメエはインクのついていないペンで物書きができるとでも思ってんのかよ」
「いえ、ちゃんと残ってるんです。ペンにインクはついているんです。──貴方たちは、僕を知っているでしょう?」
顔を歪めるキョンシーに首をかしげる。そんなのは当たり前に前提条件だろうに。
……どんな生き物だって、行動する限り誰かに認知される。生まれることで、誰かに認識される。誰かの脳みそに記録される。
メアリーは僕を忘れっぽいと言った。フランシスカは僕が過去を思い出すことは地獄を見ることだと忠告した。シンイーは僕の正体を話そうとしてくれている。ミフネアにいたっては僕のことを友人と呼んだ。
ちゃんと残っている。この怪物たちの頭の中に、キチンと記録されている。
「だったら僕は調べるだけです。心臓を賭けたババ抜きで勝ち続けます。。ケーキバイキングで勧誘を断りながら話し合います。まどろっこしい話を何時間も聞いて、ボロをだすのを待ちます。……貴方のお札を、何千回でも剥がしてあげましょう」
「オ、マエ、は」
「だから、どうか教えてください。……僕は何者なんですか?」
一歩、歩み寄る。キョンシーは思い詰めたような顔をして、ハンドガンの引き金に指をかける。
「オマエの、正体は──!」
「それは言えないと言っているだろうご友人!」
バン! と勢いよく扉が開かれて、シンイーの答え合わせは中断された。衝撃で扉周りのガラクタが崩れる。
「シンイーもそうホイホイ教えないでくれよ? 楽しみが減るじゃあないか」
「……このアホコウモリ! 来るのが早ええんだよ!」
「おやおや手厳しい。ちゃんと三十秒数えてから来たんだがなあ」
はてと首をかしげて、扉を開けた犯人であるミフネアは言う。
「……それはそれとして、だ。そう簡単に過去を教えるなと何度言ったら分かるんだい、シンイー。過去というものは──」
「残酷なまでに脆いから他人が勝手に語るな、だろ。分かってる」
「よおく分かってるじゃないか。なら言う通りにしたまえよ」
「断る……ってオレサマが言うのも想定内なんだろ、コウモリ」
シンイーはハンドガンを構えながら続ける。
「いや、想定内じゃない。脚本通りなんだ。テメエが書いた物語の筋道通りに、メアリーもフランシスカもコイツもオレサマだって! テメエが思った通りの会話をして行動してる! 全部テメエが操ってんだ!」
「……ヒドイなア。本当に、いい言われようだ」
「そのセリフを聞くのは三六○二回目。一体何度繰り返せば気がすむ」
「──飽きるまでに決まってる! パターンを把握し、行動を記録し、全てを知り尽くすまで繰り返す。……君は身に染みて分かっているんじゃないか?」
……さっきから、意味が分からない。
脚本通りとか、繰り返すとか、三六○二回とか、パターンを把握するとか、もう理解できない。したくない、の方が正しい。これは、僕には関係ない……!
「ああ、そうだな、イヤと言うほど身に染みて分かってるぜ。……なら、コレも予定調和だろ?」
──シンイーがハンドガンをぶっ放した。
耳元で爆竹を鳴らされたような爆音がして、火薬臭い硝煙が薄く立ち昇る。シンイーが腕を痙攣させながら睨んだ先には胸を抑えてうめくミフネアが倒れていた。
「し、しし、シンイー?!」
「逃げるぞノロマ!」
うめき声をあげるミフネアを跨いで部屋の外へ。慌てて僕も続く。だっこしろと言わんばかりのポーズをしたシンイーを抱え上げて、とにかく足を動かしながら疑問と混乱をごちゃまぜにしたセリフが僕の口から飛び出した。
「な、なっな、なんで撃ったんですか!」
「ウッセエ! こんぐらいで死ぬタマかよアイツは!」
無限に続いてるんじゃないかと、そんな突拍子もないことを考えてしまうくらい長い廊下で、シンイーは怒鳴る。ガチャガチャを耳元で音がする。
「クソッ! 弾切れだ! とにかく走れ!」
「い、行き止まりとかは?」
「んなモンねえよ! いいから全速力! オレサマが止まれと言ったら止まれ!」
……ムチャな要求だ!
予想通り無限らしい廊下を、僕は必死に走る。何度も何度も。数えきれないほどの扉の前を通り過ぎる。息が苦しい。肺が痛い。
「イイか?! コレは大袈裟なくっだらねえ物語なんだよ! オマエは探偵と死体役で、いもしない犯人を探すのをアイツはゲラゲラ笑ってるんだ! オレサマたちは変えのきく舞台装置だ!」
ああ、聞きたくない。理解したくない。
シンイーの言っていることは多分現実で、それゆえに僕は耳を塞いでしまいたいのだ。逃避し続けているのだ。その残酷さ故に。
「アイツのやりそうなことだってオマエも分かってるはずだろ?! だったら──」
「だったら、なんだというのかね」
──ミフネアが。
ミフネアが扉の前に立っていた。
疲れていたのが二割、驚愕と恐怖が八割で、僕は足を止めた。シンイーが喉を震わせる。
「み、ふね、あ」
「探偵と死体役の一人二役というのは言い得て妙だな、シンイー。だが、少し違う。それと同時に、君たちが変えのきく舞台装置であるという点も間違っているぞ」
「どういうこと、だ。心臓に打ち込んでやったんだぞ。そんなスグ追っかけられるハズねえだろ……!」
「……あんな粗末な弾で? ありゃ詐欺商品だな。ちゃんとした商人から買いたまえ」
肉片と血液が付着した弾丸を、シンイーの方に転がせる。僕のつま先に当たって止まった。思わず口元を抑える。
「話は戻るが、目の前の君は探偵でも死体役でもないよ。立派な被害者、または胎児の夢の主人公だ」
「……じゃあテメエは医者気取りかよ。胸クソわりい」
「そうだな。私は無慈悲な研究者だ。……大体あっているだろう?」
シンイーは僕の隣に降り立って、薄く微笑むミフネアを睨む。
「……そこをどけ」
「何故?」
「コイツに全部教えるためだ」
「まことに残念だが、できないな」
肩をくすめるミフネアを見て、シンイーは顔を歪ませる。長い長い袖をぐしゃぐしゃに握った。
「なんでだ! もう終わらせたっていいだろ?! 暇つぶしなら他を探せばいい。なんならオレサマを使ったっていい! もう、こんなことは──」
「したくない、と?」
冷たい目でシンイーを見やり、ミフネアは呆れたように続ける。
「──それこそ意味が分からない。君がお人よしなのはわかるが、そうまでして思い詰める必要性はないハズだ。嫌なら参加しなければいい、舞台に上がらなければいい、札を剥がさずいつまでもぼんやり暮らせばいい。現にフランシスカはそうだろう?」
「テメエこそなに言っちゃってんだ……! この館にいる限り舞台に上がらずにいるなんて不可能だ。テメエの言うフランシスカは何度も降りようとしていた! でもやめられない、降りられない、止められない。それなら!」
「主人公を再起不能にしてしまえばいいと?」
「──そうだ。一番確実で、簡単で、幸せになれるハズだろ」
「暴論だな」
「言ってろ、神様気取りのクソ吸血鬼」
シンイーは苦々しい顔で舌をだし、僕にこそっと耳打ちした。
「……玄関の魔法扉は知ってるか」
「まあ、一応」
「この館の扉には全部おんなじ魔法がかかってんだ。使い方は……ま、知っての通り。だから……」
シンイーは、どこからともなく銀の杭とハンマーを取り出して叫ぶ。
「ノックは三回! ドアノブを四回ひねってあけろ!」
「そんな簡単にネタバラシをするなと言っておろうに!」
ミフネアが高笑いをあげて、シンイーが飛びかかって、僕はミフネアが立つ扉の一個隣に向かって。
言われた通りに三回ノック、四回金色のドアノブをひねって、開けた。
「よしっ! いいこだ!」
「ああもう! このおてんばめ!」
嬉しそうなシンイーの声と、楽しそうなミフネアの声を背に、僕は部屋に入って言った。
……
「……ほんっとうに、よくやってくれたなア! シンイー?」
──シンイーに馬乗りになられて、杭を胸に当てられても、ミフネアはなお笑っていた。
柔らかな絨毯の感触をすねで味わいながらシンイーは冷たい声をだす。
「言ってろ、クソガキ」
「いやはや、数えきれないほど生きてきたが、クソガキ呼ばわりは初めてだな」
「はっ! テメエなんてクソガキで十分だ」
ずぷり、と釘が刺さる。ほんの少しだけ血が流れる。あたりにうっすらと錆の匂いが広がって、吸血鬼はほの暗い笑い声をあげた。
「結局のところ、君はなにがしたかったんだ?」
「……全部、終わらせたかった」
「じゃあ失敗だな。あやつは変わらん。そういう生き物だ」
「なら変わるまで繰り返す。このままでいいワケねえだろ」
……ミフネアは自由に動く右手をほんの少しづつ動かしていく。シンイーが気づいていないことを確認しながら、ゆっくりと、亀のような速度で。
「君は、魚が水底以外で生きられるとでも思っているのか? 君がやろうとしていることは、魚が溺れていてかわいそうだからと陸に引き上げる行為となんら変わらん」
「うるっせえなア、まだわかんねえだろ。その魚は魚じゃねえかもしれねえ。それすら試さずに言うな、クソコウモリ!」
──シンイーがハンマーを振り上げ、思いっきり釘を打ち込んだ。
シャツを破って赤く染め、手に痺れるような嫌アな感触が残る。勢いよく刺したからか、頬に液体が飛び散った。ミフネアが喉を震わせ、うめく。
「……いっ?!」
「そこで死んどけ、ミフネア。……オレサマが全部終わらせる」
「ひ……どいな。少しはこの老骨を労ってくれ……よ。あー、イタイ……」
顔に付着した血を拭い取り、もがくミフネアを観察する。今度はちゃんと正規品のハズだ。そもそもの話、正規品だとか詐欺商品だとか、そんなことを気にする精神は持ち合わせていないが。それにこれで死ななかったらもっと打ち込んでやるだけだ。心臓を握り潰せばさすがのコイツも再起不能だろう。
……だから、気付けない。
ミフネアがもがきながらも隠し持った札に手を伸ばしていることに、シンイーは気づかない。
「アア……君はいつも、そうだ。中途半端な正義で……やっとのこさで見つけた、解決策を否定、して……」
「だからと言って現状維持が正しいと? 間違ってんだろ、そんなのは」
「……フフッ! やはり中途半端。まだまだ視野が狭い。青臭い若者、夢みる青年、現実と夢想の区別がつかぬ青二才……」
「じゃあテメエは無慈悲な
「……さあな。時と場合によるだろう、そんなもん」
「身も蓋もねえ……」
そろそろ無駄口ばかり叩くこの吸血鬼を黙らせようと、も一度ハンマーを振り上げて、ミフネアに慈悲深く微笑んで。そんなシンイーを眺めながらミフネアは。
「──今回ばかりは、間違っているのは君だな? シンイー」
隠し持っていた札を、シンイーのおでこに貼り付けた。
「ア……?」
握りしめていたハンマーが空中でごとり、と床に落ちる。視界が揺れる。思考が霧に包まれて分からなくなっていく。遠くでミフネアの笑い声が聞こえる。
「テ、メエ……! 隠し、もってた!」
「恨むなよシンイー。……想定していなかった、君の落ち度だ」
揺れる。揺れる。ジブンが分からなくなっていく。知らなくなっていく。持とうとしたハンマーの行方が分からない。そもそもなぜ持とうとしていたのかも分からない。視界が曇っていく。ペンのインクが切れて文字が霞んでいくように。現状を理解するのを本能が拒む。なぜ、どうしてとかの疑問すら沸かなくなっていって──
「……なんで寝てるの? えと、み、み」
「ミフネアだ。ミフネア・ツェペシュ」
「そう、ミフネア」
ガラリと雰囲気が変わってしまったシンイーに、ミフネアは微笑みかけた。
相変わらずぼんやりしているキョンシーを降ろして刺さった銀の杭を躊躇いなく抜く。少なくない血が漏れ出て周囲を赤く汚した。気にせずに杭についた肉片やら血液やらを拭い取りシンイーに渡す。
「ほれ、君のだ」
「……シンイーのじゃない」
「そうかね。しかしコレはなんと言おうと君のものだから受け取ってくれ」
「シンイーじゃなくてオレサマに渡すべき」
「どちらも君じゃないか。同じだろう」
「そう? 違うと思った。肉体的な記憶と脳みそに刻まれた記憶は別物」
「……めんどいなあ。とりあえず受け取ってくれ。君から君へ渡せばいい」
「わかった」
やっとのこさで受け取ったシンイーにため息を吐いて、鋭い痛みで肺に穴が空いていたことを思い出した。満足に呼吸もできやしない。軽いうめき声が口の端から漏れ出る。
「いたそう」
「ああ、君のおかげで超イタイ。次やるならちゃんとトドメを刺してくれたまえ」
「考えとく」
長く長く息を吐いて、よっこらせとなるべくゆっくり立ち上がる。ボタボタと血が落ちて、意外と出血量が多かった事実に関心した。結構深くまで刺されていたのか。ナルホドナルホド、そりゃあイタイワケで。あいにくミフネアは吸血鬼だからあの子のように失神はしないけど、痛いモンは痛かった。
「どこいくの」
「答え合わせに。……そろそろちょうどいい頃合いだ。君が望んだ通りに全て教えてやろうじゃないか」
「シンイーは望んでないけど、オレサマは望んだ?」
「ああ、そうだ。やはり君はとびっきりの
「……夢ばっか見ててもお腹は膨れない」
「だからといって現実ばかり重視しても事態は好転しない場合が多いのだよ」
「ふーん」
よく分からないとでも言いたげにシンイーは頭を振った。新品の札は揺れもしない。少しつまらない。
「シンイーはお腹が空いた」
「今か……メアリーにでもねだっておけ。あまりの部品ぐらいくれるだろ」
「わかった」
ピョンピョン跳ねて、キョンシーの少女は廊下の奥に消えていく。ひらひらと手を振ってソレを見送った。
さてと、とミフネアは友人が入り込んだ扉をみやる。そろそろ突撃にはいい時間だろう。答え合わせといこうじゃないか。
相変わらず流れ落ちる血液で絨毯にシミを作りながら、ミフネアは扉を開けた。
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