賭け金は心臓で

 ──逃げていた。

 館の中を、ありとあらゆる太陽光が遮断された建物の中を、は逃げて逃げて逃げていた。恐ろしさに背中を押されて、とにかくこの場から逃げ出したくて、ありもしない出口を探していた。ないとは心の底から分かっている。分かっているが、探すのをやめられない。とにかくこの場から去りたい、出ていきたい、逃げ出したい。


 ああ! だってホラ!


 女吸血鬼がコチラを冷たい目で見てくる。小柄なキョンシーが怒っている。人造人間が呆れたようにため息を吐いている! 

 ──逃げなければ。

 にとってサイアクな現実を、真実を、すべて否定するために、確認しなければ。そうじゃないと、きっと──


「まぁだ否定するのかね。───────君?」


 ……銀色の吸血鬼が。

 の名前を、よんで。



 ……



 そこで、目が覚めた。

 ひらひらとレースが揺れる、可愛らしい天蓋付きベットの上で、僕は起きる。


「……どこだっけ、ここ」


「アラ! 起きたのね! よかった!」


 くっつきそうになる瞼を擦り、疑問を口にする僕に声をかけたのはメアリーだった。一人で使うにはあまりにも広いこのベットに腰をかけて安心したように笑う、思わぬ人物に肩を震わせる。


「ホント心配してたのよ! 気を失ったあともウンウン唸ってたもの! 死んじゃうんじゃないかってヒヤヒヤしたわ!」


「は、はあ」


 相変わらず口達者な人造人間の言葉の嵐に圧倒されながら、なんとか僕は頷く。

 頭に違和感があったので触ってみたら、包帯が巻かれていた。


「そういえば」


「な、なんですか?」


「──随分うなされていたようだけど、どんな夢をみていたの?」


「……覚えて、ないです」


 場所もシュチュエーションも登場人物も覚えていなかったけど、なんとなく背筋が凍りつくような、足が固まって動かなくなるような恐怖を感じたのはハッキリしている。


「ただ、こわい夢だった気がします」


「そうなの。忘れられてよかったじゃない! いやな記憶なんて持っててもいいことないわ!」


「そんなもんですかね」


「そんなもんよ!」


 ニコニコ笑ってメアリーは答えた。何もかも覚えていない僕にとって、いやな記憶だろうが楽しい思い出だろうが、思い出せたらなんでもいいのだが。選り好みする余裕は、今の僕にはない。


「とりあえず、アナタの記憶喪失についてマスターが色々言ってたから説明しとくわね!」


 パンと手のひらを合わせて、思い出したと言わんばかりに唐突にメアリーは解説し始める。


「アナタの記憶喪失は、エピソード記憶の欠落だそうよ!」


「エピソード、記憶」


「そう! たとえばだけど……リンゴはバラ科リンゴ族の落葉高木で、その果実だってことはわかる。でもいつかにどこどこで誰かさんと食べたって記憶はない……って感じかしら! 思い出がぜーんぶ欠落しちゃって自分のことすら忘れちゃったのね!」


「……はあ」


「だから思い出すには過去のことを知るのがイチバンだってマスターが言ってたわ!」


「ああ、なるほど。じゃあこれから教えてくれる感じ……」


「そんなワケないじゃない!」


 期待は今世紀最大の速度で裏切られた。ならばどうやって過去を知れと言うのだろう。この自室らしきごちゃついた部屋からアルバムでも探せってか。


「だから、ちょっとしたゲームをしましょう?」


「……ゲーム?」


「そう! アナタは自分についての情報が欲しい。ワタシはマスターに口止めさせられていてなにも言えない。なら、ゲームの景品にしてしまいましょうってこと!」


 なるほど。少々回りくどいが、そんなんで過去が手に入るなら好都合。ゲームなんぞいくらでもやってやる。


「いいですよ。……でも、あなたが勝った場合、どうなるんですか? 景品もなにもないですし、やり損では?」


「大丈夫よ! アナタはワタシが欲しいものをちゃーんと持ってるもの! ソレでいいわ!」


 ……心当たりのないことを言われ、少々混乱する。記憶さえ持っていない僕に一体なにが払えると言うのだろう。お金とか言われても用意できる気がしない。

 不安と疑問がぐるぐる回っている僕の胸を、メアリーがとん、とつく。


「──ワタシ、アナタの心臓が欲しいわ!」


「……へ?」


「作り物じゃない、腐ってもいない、本物の心臓が欲しいの! アナタのような、人間大の生き物の中で動いている鮮度のいい心臓が!」


「ま、待ってください。し、しんぞう? 欲しいと言われても、抜いたらし、死んじゃうし、あ、あげれないですよ!」


「じゃあ欲しくないの?」


 必死に断りの文句を連ねる僕に、メアリーが首をかしげた。


「今のアナタは喉から手が出るほど過去についての情報が欲しいのでしょう? なら心臓でもなんでも賭けるべきだわ! ひよってワタシの提案を蹴ったって現状はなにも好転しないもの!」


「で、でも! 負けたら──」


「心臓抜かれて死んじゃうわね」


「でしょう!?」


「でも、負けたってたかが死ぬだけじゃない!」


 いつもの調子でペラペラと、なんてことはない世間話の延長線のように、メアリーは続ける。


「人間、遅かれ早かれいつかは死ぬわ! ここで賭けずにそのまま自分が何者か思い出せずにいる方が損よ! それに──」


「そ、それに……?」


「勝てば済む話よ」



 ……



 ……結局のところ、僕はその提案を飲んだ。

 メアリーの説得らしきものに流されたのが半分、情報が心の底から欲しかったのが半分。言われるがままに部屋を飛び出し、先ほど倒れた広間に来ていた。僕たち以外にヒトはおらず、やけに空虚に感じた。

 目の前には楽しそうにトランプを切るメアリーがいる。コチラは心臓を抜かれる恐怖で戦々恐々しているというのに呑気なもんだ。

 まあ、勝てばいい。というか勝たなきゃ終わる。ジ・エンドだ。一日にも満たない人生というのはあまりにも短すぎる。終わらせたくない。


「さあなんにしましょうか! バカラ? ブラックジャック? ポーカー? セブンブリッジでもいいわよ! あ、どれも知らない? そうなのね! じゃあ……」


 返事を待つことなく畳み掛けるメアリーの勢いに圧倒される。なんだか異様にテンションが高い。稀血とやらを飲んだときのフランシスカに似ているなあとぼんやり思った。


「──ババ抜きにしましょうか!」


 ……ソレなら僕も知っている。

 まず、配られたカードからペアとなるカードを捨てる。捨て終わったら相手の手札から交互に引いていき、またペアになったら捨てる。ソレを繰り返して、最後にババ──つまりジョーカーが手元に残った方の負け。単純明快なルールだ。今回は二人だけでプレイするのですぐ終わるだろう。


「始める前に確認しておくわね」


 交互にカードを配りながらメアリーが口を開く。


「アナタが勝ったら、ワタシはアナタの過去のエピソードとアナタ自身についての情報を一つずつ話す。ワタシが勝ったら、アナタはワタシに心臓を差し出す。オーケー?」


「……ええ。わかりました」


「じゃ、決定ね! 途中でやめるのはナシよ!」


 メアリーが配り終えて、手元には大量のカードが残った。なんせ数が多いのでペアを探すのも一苦労だ。とにかく目についたモノから捨てていく。ぱっと見ジョーカーは無さそうだ。とりあえず一安心。

 少したって、机にカードの山ができた。


「捨て終わった?」


「はい、終わりました」


「じゃあワタシが先行で!」


 手札は僕がダイヤのクイーン、ハートのキング、ハートの六、スペードのエースの計四枚。メアリーが五枚。メアリーがその中から僕のキングを取って、捨てた。

 ……二人でやるババ抜きというのはなかなかつまらないモノだ。

 だって、求めているカードが絶対に相手の手札の中に揃っているんだもの。適当に引いたって(それがジョーカーでない限り)捨てることができる。思った通り、駆け引きらしい駆け引きもないまま、メアリーも僕もポンポン捨てている。

 つまり、面白くなるのは残りのペアが一組になったとき。ジョーカーか、求めている数字かの二択を迫られるときだ。

 メアリーが僕から奪ったクイーンを捨てて、残るはジョーカーとエースのペアのみ。面白いのはここからだ。

 ……いや、面白いというか、緊張するというか。とにかく、僕が心臓を抜かれるか抜かれまいかの分水嶺。近い未来役割を終えてしまうかもしれない心臓が過剰に働いているのを感じる。喉がカラカラに乾いて、張り付く。緊張しているのが丸わかりだ。

 なんとかここで終わらせてくれと願いながら、メアリーの手からカードを抜いた。

 ……おどけた表情をするピエロの絵。まごうことなきジョーカーである。

 慌てて机の下で二枚をシャッフルさせた。ここでメアリーにエースを引かれたら一貫の終わり。冷や汗がシャツに染み込んで消える。


「ささ、早くしてちょうだいな。当たるも外れるもどーせ二分の一なのよ?」


「ね、念には念を入れないと……」


 自分でも噛み合ってるだか噛み合っていないだか分からない返答をしたのち、二枚のカードを突き出した。


「め、メアリーさんは……」


「メアリーでいいわよ!」


「……メアリーは」


 乾いた唇を湿らせてから。


「なんで心臓が欲しいんですか」


 出されたカードを余裕そうに見つめながら、メアリーが口を開いた。


「……精神攻撃? なら効かないわ! 慣れっこだもの!」


「違いますよ。単純な疑問です。抜かれる前にせめて理由を知りたいなあって」


 声が震えないように注意しながら会話を進める。これはメアリーに向けた精神攻撃なんかじゃない。大体、メアリーにこんな稚拙な作戦が効くなんて思っちゃいない。この会話は僕のためだ。意識や目線がジョーカーにいかないようにするための、その場しのぎの苦肉の策。


「じゃ、もーらい!」


「ああ!」


 質問の答えを聞く前にあっさり抜かれて僕は素っ頓狂な声をあげる。そろりと手札を確認すると、エース一枚が残っていた。

 とりあえずセーフ。まだ全く安心できないけど。


「あら、引いちゃった! そう上手くはいかないものねえ」


 心底楽しそう笑って、質問の続きだけど、とメアリーが言う。


「……お友達が欲しいの」


「はあ。でもあのキョンシーの子……シンイーでしたっけ。いるじゃないですか。あとあの吸血鬼の……フランシスカってヒトも」


「そうじゃなくてね! 同族の友達が……仲間が欲しいのよ」


 くすくすとどこか寂しそうに笑うメアリーから一枚引き抜く。ジョーカーだった。またシャッフルする。


「……ワタシは、この世界のどこにも同じ種族のヒトがいない。ほんとのほんとにひとりぼっちよ。悩みも考えも、心の底から分かってくれるヒトは、どこ探したっていないの。ソレが、心の底からいや」


 メアリーがジョーカーを抜く。まだ終わらない。


「……でも、違う種族だって分かり合えるはずでしょう。現に、僕はあなたの気持ちが少し分かる気がします」


「気だけよ。そんなの」


 僕がまたジョーカーを引いてしまった。うへえと顔をしかめて、またシャッフル。どこまで続くんだろう、コレ。


「だから作るの。マスターはもう作る気が失せちゃったみたいだから、自分で材料を集めて、一から」


「……作る」


「そういうこと。アナタの心臓はその材料よ」


 引く。シャッフルする。引かれる。引く。シャッフルする。引かれる……。

 繰り返される。ループする。


「……そうやって作ったって、心の底から通じ合えるとは限らないでしょう」


「……そうね。知ってる」


「なら」


「でも、試してみたい。可能性に縋りたい。そう思うのはいけないこと?」


「違いますけど。……それ、僕じゃダメなんですか」


「……は?」


「あなたと前の僕がどんな関係だったかは知りません。でも、今は違う。今からでもお友達になりませんか」


 メアリーは一瞬だけポカンとした顔をして、呆れたように笑い出した。関節がギシギシ軋む。


「アッハハハハ! ……ほんっと、アナタは変わらないわねえ! フフッ! あー、おっかしい!」


「そんな笑わないでくださいよ……」


「ゴメンゴメン。 ……ある意味では同族であるワタシたちは、お友達になれる可能性はなくもないわ」


「同族、ですか」


「そう。あのクソ吸血鬼に利用されているという点においては、ワタシ達は苦楽をともにする仲間になれるかもしれない。けど、絶対にないわ」


「なんで、ですか」


 メアリーがこめかみに刺さった大きなネジを回す。タラタラと、粘性のある透明なナニカが流れ落ちる。


「マスターにとって不都合だからよ」


 ……不都合。

 ミフネアという吸血鬼にとって、僕とメアリーが仲良くするのは具合がよくないらしい。では、なぜ? どんな不都合なんだ?

 ──ぼんやりしたままメアリーからカードを引き抜くと、それはハートのエースだった。


「あら、ワタシの負けね!」


 一枚残ったジョーカーをひらひらさせながら楽しそうに笑い声をあげた。

 ……勝った? うん、勝った。とりあえずバットエンドは回避した。しかし感覚はない。勝ったはずなのにモヤモヤする。謎が増えて、ミフネアに対する不信感が強まる。

 散らばったカードをまとめながら、メアリーがいつもの調子で言った。


「さ、約束通り教えてあげる! ……マスターに聞かれたら面倒だから、移動しましょうか!」



 ……



 散らかった自室──いや、自室かどうかも未だに曖昧だが、とにかく色彩豊かな、僕が最初に目覚めた場所。

 でもメアリーは当たり前のように僕をこの部屋に寝かせていたのだし、やっぱりここは僕の部屋なんだろう。そういうことにしておく。


「うーん……ここらへんにあるはずなんだけど……」


 メアリーは部屋につくとごちゃついたデスクを漁り始めた。写真が床に落ちて乾いた音を立てる。

 そこは最初に調べたから、もうめぼしい情報はないはずだけど、なにか見落としていただろうか。


「あ、あったわ!」


 メアリーが歓声をあげる。一枚の写真をかがげていた。


「はい、コレがアナタの過去についての情報よ!」


 ……古い写真だった。

 白黒で、画質も悪い。紙もしわくちゃで、折れ線がハッキリとついている。うっすら被っていたホコリを払い落として、メアリーが僕に渡してきた。

 ……黒と白で構成された世界の中で、被写体の少年は照れくさそうに笑っていた。入学式と書かれた看板の隣で、レトロな学ランに学生帽を身にまとい、幸せそうな顔をしている、黒目黒髪の少年は──!


「ぼ、く?」


「せいかーい」


 写真を持つ手が震える。これが、前の僕。今の僕と身体的特徴はそれほど変わっていないような気がする。こんなに古い写真なのに。……いや待って。このデスクにあったということは。

 慌てて裏側の文字を読む。『1970年死去 享年十三歳』


 ──じゃあ僕はなんなんだ!


 この情報を信じる限りとっくの昔に僕は死んでいる。ではここにいる、呼吸している僕は何者なんだ。『僕』は死んでなきゃおかしいのに!


「落ち着きなさいな! 死んでなきゃおかしいというのならシンイーだっておかしい存在になっちゃうわよ?」


「そ、それはそうですけどっ!」


 シンイーは違う。シンイーはキチンと死人なのだ。肌は青白く、どこか死臭が漂い、呼吸はもちろんしていない。血を啜り、人間を喰らおうとする。ステレオタイプのキョンシーだ。分かりやすく死人だ。

 でも、僕はどうあがいたって生者なのだ。心臓は動いているし呼吸はするし血や死体といったモノにも忌避感をもつ、普通の人間。

 そもそもメアリーは生きている心臓が欲しいと言っていなかったか? なら今ここにいる僕は生きている。しかし、写真の中の『僕』は死んでいる。矛盾している。どちらが正しい。どちらが間違っている。


「まあまあ。まだワタシはアナタ自身についての情報を言っていないわよ? ソレを聞いてから判断しても遅くはないわ!」


「そう、ですよね。……それで、内容は」


 一呼吸おいて、メアリーは告げる。


「──アナタは、人間じゃないわ!」


「……へ?」


 にんげん。人間じゃない。僕は、人間じゃない。

 与えられた情報を咀嚼して、吟味すること三十秒。じんわりと言葉の意味が分かってくる。つまり、僕は──


「あなた達みたいな、化け物……?」


「そう! 妖怪でも怪物でもお化けでもなんでもいいけど、とにかく人間じゃないのは確実よ! そもそも、マスターが友人である時点で普通じゃないわよねえ!」


「で、でも、じゃあなんで僕は人間だと……」


「さあ! 記憶喪失のはずみかナニカじゃないかしら? 詳しいことは言えないけど、そんなとこだと考えとけば気が楽になると思うわよ!」


 古ぼけた写真と、僕の全てを根本から覆すような前提条件の否定。分からない。分からない。これから僕はどうすればいい。記憶は戻るのだろうか。ここまで、自分の種族まで忘れてしまうほどひどい記憶喪失なんて、治るのだろうか。


「ま、大丈夫よ」


「……んな無責任な」


 呆れて頭をかいた。包帯がズレて気持ち悪い。誤魔化すように学生帽を被り直す。


「長くて一ヶ月。短くて三日。平均では一週間」


「……? どういうことですか?」


「気にしないで! いやほら、人のウワサも七十五日って言うじゃない! それと大体おんなじ意味よ!」


「かなり使い方間違ってません?」


 かなりどころか全然違う。人のウワサは七十五日で立ち消えて、そのうち誰も言わなくなるかもしれないけど、僕の記憶は寝ても覚めても七十五日たとうとも戻らない。結構テキトー言っている。

 帽子のつばをつまみながら口を開く。


「……質問しても?」


「答えられる範囲内なら! ちなみにアナタ自身のことはもう言えないわ! そこは勘弁してね!」


「分かってます。……ミフネアって、何者なんですか」


 今、僕がもっとも気になっているのはソコだ。結局ここはミフネアの館で、ミフネアのテリトリー。実権を握っているのは彼であり、一番僕に詳しいであろうヒトも彼。記憶喪失回復の邪魔になるから言えないと、それっぽいこと言いながら、メアリーには過去の話を聞くのが手っ取り早いと宣う。どこか矛盾していて気持ち悪い。先ほどの話もあって僕はミフネアに対する警戒心がかなり高まっていた。


「……そうねえ」


 デスクにお行儀悪く腰掛けて、メアリーは言葉の端を濁す。


「ワタシもよく分からないの!」


「そ、そうなんですか? かなり親しい様子だったから……」


「うーん、親しい親しくないはあまり関係ないわね! マスター自身も覚えていないから、ワタシが知る由もないというか」


「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことですか! まさかミフネアも……」


「違う違う! アナタみたいな記憶喪失の類じゃないわ!」


「えっと……それじゃ、どういうことですか?」


「マスター自身も覚えていないってのは、単純に昔の出来事すぎて忘れちゃったってだけ。普通の人間が赤ん坊のときの思い出を覚えていないのとおんなじね!」


「なる、ほど。分かりました。じゃあ今のミフネアについて教えてください」


 突き刺さったネジをいじりながら、メアリーは答える。痛くないのだろうかと薄っぺらい疑問が浮かんだ。


「……さっきも言った通り、かなり古株の吸血鬼なのは間違いないわ。ワタシを作ったり、シンイーをあんな形だけど蘇らせたり、かなりの知識と技術を持っている。でも、確実なのはそれだけね。それ以外のことは一切分からない」


「で、でも、こんな立派なところに暮らしているということはそれなりにお金がかかっているはずですよね? 職業とかは……」


「今は仕事らしい仕事もしてないわねえ。文字通り大昔貯めてたお金があるらしいから、そこらへんから出てるんじゃないかしら」


 ここまで聞いてさらに混乱してきた。ミフネアのことがますます分からない。謎が多すぎる。


「……一応言っておくけど」


「なんでしょう?」


「──ミフネアのことを調べるのはおよしなさいな」


 息の飲む。ミフネアについて知ることは今の所もっとも効率がよい回復方法だと考えていたから。どう考えたって僕とミフネアには薄っぺらではない確執のようなものがある。なら、それを調べ上げるのが手っ取り早いとも。


「なんで、ですか」


「……知らなくていいことまで知ってしまうから」


 知らなくていいこと。知ってしまうとマズイこと。それは、記憶を取り戻す足がかりとなるのだろうか。


「とにかく、ミフネアには気をつけなさい。あの男は──」


 そこで、コンコンコンとノックが聞こえた。


「ああもう時間切れね。相変わらず時間にうるさいんだから。……どうぞー!」


「そいじゃ、失礼」


 入ってきたのはミフネアだった。本当に友人であるかのように、気楽に僕の元まで歩いてくる。思わず反射的に身構えた。


「調子はどうだね我が友。寝ていなくても平気かな?」


「え、ええ。おかげさまでだいぶ良くなりました」


「そりゃあよかった。君が倒れたときは肝が冷えたよ。心臓が止まって死ぬかと思った」


「心臓に銀の杭打ったって死なないクセになに言ってるの!」


 メアリーが呆れたように言った。ミフネアはケラケラ笑っている。


「物の例えだよメアリー。そのぐらい心配したということさ。……


「……にん、げん?」


 思わず言葉が漏れ出る。ミフネアがコチラを向く。

 メアリーは、僕が人間ではないことを明かした。しかしミフネアは僕を人間扱いする。友人と名乗るミフネアが、僕が人間でないことを知らない可能性はゼロに等しいだろう。

 ならば、ミフネアは僕が人間でないことを知りながらあえて人間扱いしているのか?

 ……なんのために? 


「人間、ですか?」


「そうさ、君はよわっちい人間なのだからもっと気をつけたまえ。年寄りの心臓に負担をかけるのはいただけないぜ?」


「あ、えっと、はい。気をつけます……?」


 素直に応じる僕を見て、満足そうに頷いて、そう言えばとミフネアが口を開く。


「──メアリーには気をつけたまえ」


「へっ? なんでですか……?」


「ちょっとマスター! 人聞きの悪いこと言わないでちょうだい!」


 メアリーの抗議は当然の如く無視された。


「こいつはひどいギャンブラーでな、ことあるごとに適当な因縁をつけて勝負を仕掛けてくるんだ。一度負けたら最後、魂まで搾り取ってくるぞ」


 はあ、なるほどなるほど。忠告が遅い。もっと早く言って欲しかった。今言われても後の祭り、十日の菊。

 ポカンとする僕を他所にメアリーとミフネアは続ける。


「ひどいわマスター! 昨日大富豪でマスターを文字通り大貧民にしたのを怒ってるの?」


「言うな言うな。まだ立ち直れてないんだぞ」


「じゃあ一昨日のバカラのほう? でもフランシスカに借金してまで続けたのはマスターじゃない!」


「怒ってないから! 色々バラすのをやめてくれ!」


 ……このミフネアとかいう吸血鬼はかなり運がないらしい。先ほどまで渦巻いていた疑念やらなんやらがどうでもよくなってしまうほど、今のミフネアには威厳がなかった。


「……今更だけど、なんでマスターはこんなところまで来たの? 何か用事でも?」


「ああそうだ、シンイーがオマエの材料を食っていたから一応伝えておこうかと」


「それを早くいいなさい!」


 メアリーが慌てて走っていく。勢いよくドアが開け放たれて、衝撃で散らかった写真が舞った。

 ミフネアはそれを見てケラケラ笑う。


「まったく、おてんばなヤツだな」


「あの、材料って」


「知りたいか?」


「……いえ、別に」


 冷たい声と瞳に気圧されて、材料とやらがおぞましいモノだと直感してしまった。苦笑いを浮かべる。これは深く突っ込まない方がいいタイプの話題。気にしない気にしない。


「まあ元気そうで良かったよ。実を言えば結構焦ったんだ」


「そうなん、ですか」


「そうさ。記憶があろうがなかろうが、君は大切な友人だからな」


 少し、照れくさい。

 それと同時に、前の僕とミフネアの関係性が気になった。友人であるのは多分間違いないだろうけど、それだけじゃない気がする。人間扱いだったり、秘密主義だったり、とにかくこの吸血鬼には謎が多い。

 そこを明らかにすれば、僕は『僕』に戻れるだろうか。


「それじゃあ私は戻るが、安静にしておけよ? 一応は病み上がりなのだからな」


「ええ、分かりました。わざわざありがとうございます」


 ドアノブに手をかけて、ミフネアは思い出したように付け足した。


「──メアリーとの賭けに勝ったのだろう? おめでとう。君はギャンブラーの素質があるな」


「……は?」


 誰も、知らないはずだ。

 メアリーとの賭けも勝敗も、誰にも目撃されていない。いや、僕が知らないだけで覗き見はされていたのかもしれないけど、それだったらメアリーが気づいているはずだ。メアリーはマスターに気づかれたら面倒だと話していたのだから。あの時点では、僕たちのゲームを見ていたヒトはいないはずなのに。なら、何故この吸血鬼はそのことを。

 そもそも、賭けの現場を目撃していたとしたら何故今更忠告したのか。忠告するぐらいなら現場を見た時点で止めるはず。ミフネアの発言は、どんな仮説を立てたって矛盾する。


「まって、ください。何故そのことを──」


「それでは、お大事に」


 ギイと軋んでドアは閉じられ、吸血鬼は疑問だけ植え付けて出て行った。

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