1−7
2Dの下駄箱には、まだ半分以上の校内スリッパが残っている。
例によって乗り換えによる長時間通学だから、根はマジメなあたしは早めの到着を選んでバスに乗った。だから当たり前なんだけど、まばらな教室はなんだか居心地が悪い。気軽に話しやすい子たちは大体がギリギリに来るし、それでなくても運動部メインのこの学校は朝練もある。雨でもある。なんせトレーニングルームも完備されているから、陸上部や野球部、男バスあたりが取り合っているという話を聞いたことがあった。他の部活はよく知らない。興味もないし。
あたしは席に着くなり、何となくカバンに突っ込んでいた文庫本を取り出した。後ろの川崎も、前の菜月もまだ来ていない。まあ、菜月に限ってはきていたとしても今の状況なんだろうけど。
先月買ったままだった文庫本から栞を抜いて、それが挟まっていた5ページ目を開く。買ってから2週間以上経ってるけど、まだ半分どころか4分の1も読んでいない。読みたくて買った小説も、自分のコンディションが合わないと全然読み進めることができないのだ。目がすべってしまい、内容が全然頭に入ってこない。
今日も無理かぁ。
諦めて文庫本をカバンに戻し、あたしは机に突っ伏すことにした。
あたしは学校が好きだ。だけどそれは別に積極的好意ではなく、消極的好意ってやつ。そんな言葉があるかは知らない。あたしが心の中で勝手に呼んでいる感情だ。
母と姉と父。家族全員、あたしを大事にしてくれている。彼らなりに、という前置詞がつくけど、そんなの人類皆同じ。みんな別の人間なんだから、相性とかそういうのは絶対にある。それでも、あたしも彼らを大事にしている。あたしなりに。
でも、自分の部屋以外にいるとどうにも居心地が悪いのが家だった。母にも姉にも気を使ってしまうし、父に至ってはあんまりって感じ。嫌いじゃないけど、大好きでもない。でも大事。いなくなったらきっと涙が出ると思う。寂しいし、悲しい。だけど一緒の空間にいると、心からは寛げない。それがあたしにとっての家族だった。
だからと言って、学校にいれば心寛げるわけでもない。集団生活には今みたいに色々面倒なことがついてくる。勉強して成績良くして明るく皆に挨拶して、あたしなりに過ごしやすい環境を作る努力はしてる。結果は出てると思う。まあ「八方美人」とか言われたこともあるけど、あたしは誰彼構わず媚を売ってるわけじゃない。嫌いな人に取り入ろうともしたことはない。だから、日本語の使い方間違ってますねとしか思わない。
そんな学校という場所でも、最近は家よりはマシかなという場面が増えていた。だから「消極的好意」。あれよりマシ、というだけの「好き」。
……まあ、そのはずの学校が今こんなことになってるわけだけど。
「あれ、早いじゃん。おはよー……って、あ、ごめんごめん、シーしとく」
後ろから聞こえたガタンと席に着く音と一緒に、川崎の声がした。気づくのがワンテンポ遅れたせいであたしが寝てると思ったらしい川崎は、後半声を潜ませている。小さな子どもが使うような「シー」という言葉に、歳の離れた弟のいる彼女の性格が垣間見えた。
川崎の気遣いを無駄にするのもなと思いつつ、あたしはまるで今気づいたかのように「んー」と声を漏らす。両腕を組んで顔を突っ伏した姿勢はそのままに、まるで寝過ぎてしまったというアピールをしておいた。
ゆっくりと頭を上げて、肩が凝ったというように背伸びする。そうして身体ごと川崎を振り向くと、「おはよう」と声をかけた。
「ごめんヤナ、起こした?」
「んーん。そこまで熟睡してないし」
「そ。てか珍しいね、いつもなんか聞いてんのに」
川崎の視線があたしのカバンを指す。
その通り、稀に早く学校に来た時のあたしは、だいたい音楽を聴いている。質が良くてお気に入りのヘッドフォンがあるからだ。実際、朝のバスでもそうしていた。でも今は、そんな気分になれない。
「あー……まあね。気圧にやられたかも」
「それな。もー聞いてよ、朝から姉ちゃんの八つ当たりがひどくてさあ。気象病だか何だか知らないけどいくら自分の気分が悪いからって人に当たるとか最悪くない?」
川崎の愚痴が始まったのをBGMにしながら、あたしは改めて教室外──廊下の方を見やった。次々と投稿してくる同級生たちの中に菜月を探している。もう完全に冷めたのに、探してしまっている。
「私にはもうゲーム実況とユウトしか癒しがないよ……」
「はいはい。ユウトくん今日はご機嫌だった?」
「うん、保育園の準備が完璧だった。もう聞いてよ、可愛すぎて私の弟なのかマジでわかんない何なんだろうあれほんとに弟なのかな」
「あんたにそっくりだよ川崎」
「マジか。私あんなに天使?」
「いやそうは思わんけど」
「ひどおおおいいいいいい知ってたけどおおおお」
あたしの袖に寄りかかってきた川崎の頭をヨシヨシと撫でながら、視線は廊下から外さない。無意識なのか意識的なのかもわからないけど、菜月の登校を待っているあたしがいる。
「どしたんヤナ」
それに気づいたらしい川崎がむくりと起き上がり、顔を動かしてあたしと同じ方向を見る。
「誰か待ってんの?」
「いや。別に」
否定したものの、その通りだった。
どうやら菜月とトラブッたことが担任の佐野にまで伝わってしまった今、顔を合わせたらあの子はどんな反応するだろう。まさかあたしの家だけ連絡が来て、菜月んちに連絡が来ないなんてことはないだろうから。あの子の親は、なんて菜月に聞いたんだろう。そして菜月は、なんて答えたんだろう。
「……ねーヤナ。なんか、やばい展開じゃね」
「え?」
「あっち。ちゃんと見なって」
川崎に促され、あたしは有象無象のような生徒たちを改めて見る。この湿気で前髪やら何やらが上手くいかない女子とか、早めに朝練が終わったらしい陸部のジャージ姿の男子とか、何となく色が違う生徒に転々と視線を移しながら──川崎の言葉を理解した。
有象無象の中ににょっきりと生えた、よく目立つ紫色のジャージの男性が現れたからだ。全然似合ってないジャージ。
思わず教室の前にある時計を見て、まだ朝のLHRにだいぶ早いことに気づくと、そのままあたしは川崎を見る。目が合った彼女は、御愁傷様とでも言いたげにそっと目を閉じた。
「雪柳」
あたしの前の前まで歩いてきたその男は、間違いなくうちのクラスの担任、佐野だった。
「ちょっといいか」
いつもみたいにヘラヘラしていない佐野の目を見てから、ふと前の席へ目をやる。
全然来ない菜月。呼びにきた佐野。
あー……なるほどね。了解。そういうことですか。
「よくないって言ったって行かなきゃですよね、せんせー」
「当たり前だろ」
「はーい」
程よく真剣みを帯びた声を出しながら、あたしは席を立った。
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