デタラメな悪役令嬢

Y.Itoda

短編

*いつも読んでいただきありがとうございます。

たまには、まじめに社会問題に向き合ってみようと思います。

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 金色の陽光が広大な庭園を照らし、風に揺れる花々が甘やかな香りを運んでくる。その庭園の真ん中に立つマリネッタは、今日も完璧な美しさを保ち、周囲の者たちを見下ろしていた。

 長いドレスの裾が石畳の上を滑るように流れ、まるで彼女がその世界の一部であるかのように見えた。誰一人として逆らう者などいない。

 なぜなら、彼女はこの世界において最も高貴で、最も美しい存在なのだから。

 

「テオフィロ、これを持っていってちょうだい」


 マリネッタが何気なく声をかけると、すぐに騎士テオフィロがその声に応じる。彼はすぐそばに控えており、いつでも指示に従う準備ができているかのようだ。


「はい、マリネッタ様」


 テオフィロはマリネッタが手にしていた書類をそっと受け取り、その眼差しには忠実さと敬愛が漂っていた。それが当然のことのように、微塵も疑わず彼女に仕えている。


「いつだって私の言うことを聞くのね、テオフィロ。あなたは本当に忠実な騎士だわ」


 マリネッタは微笑みながら彼に言葉を投げかける。

 テオフィロがどう答えるかなど、彼女にとってはどうでもよかった。ただ、自分が支配し、誰もが従うというこの世界の法則が、確固たるものであることが確認できればそれでよいのだ。


 再び庭園を歩き始めた。青空の下、鳥たちが楽しげに鳴き、遠くで水のせせらぎが聞こえる。すべてが完璧だった。そう、まるで夢の中のように。

 

 だが、マリネッタにとってこの世界は夢ではない。現実だ。確かなものだ。彼女はこの世界の中心であり、誰もが彼女を羨望の眼差しで見つめている。

 それが彼女の役目であり、運命だった。

 

「私がすべてを持っている。すべてが私のもの」


 口元で囁くその言葉は、自己満足に満ちていた。足元で仕える使用人たちが一斉に頭を下げ、誰一人として目を合わせようとはしない。望むものは何でも手に入る。それがマリネッタの世界だ。


「マリネッタ様、今夜の舞踏会のご準備はいかがなさいますか?」


 遠くから、侍女が控えめに声をかけてきた。マリネッタは面倒くさそうにその声に応じる。


「もちろん、私が一番美しく見えるように準備をしなさい。それと、ライバルたちが私の前で惨めな思いをするよう、気を利かせなさい」


 言葉には冷たさが漂っていたが、誰もそれに異を唱えることなどできない。悪役令嬢としての地位は、そう簡単に揺らぐものではなかった。

 

 そして、夜の舞踏会が始まる。

 豪華なシャンデリアの光が広間を照らし、貴族たちが集まっていた。マリネッタはその中心に立ち、完璧な笑みを浮かべる。彼女の美しさに誰もが息を飲み、彼女の周りには一瞬の静寂が訪れる。

 それがマリネッタの力だった。

 すべての視線を自分に集め、すべての者を従わせる――

 それがマリネッタ・ラグランジュの生き方だった。


「さて、今夜の獲物は誰かしら?」


 マリネッタは優雅に舞いながら、目立つ存在を見つけては、言葉巧みに罠を仕掛けていく。

 口から放たれる言葉はまるで毒のようであり、甘く魅惑的だった。しかし、その毒が相手に届くとき、それは決して避けられない運命をもたらす。


 そんな中で、彼女の背後に控えているのは、いつも通りのテオフィロだった。彼はただ静かに、命令を待つばかり。彼の存在が、唯一変わらない安心感を与えていた。



 それは些細なことだった。

 最初に違和感を感じたのは、いつもの庭園を散歩している時だった。風がそよぎ、木々が揺れる音が心地よく耳に響く。

 しかし、ふと立ち止まり、耳を澄ませてみると、その音はどこか妙に均一で、まるで同じフレーズを何度も繰り返しているように感じられた。


「……気のせいよね」


 マリネッタは一瞬眉をひそめたが、すぐにその思考をかき消すように優雅に歩みを進めた。

 庭園はいつも通り、美しく手入れが行き届いているし、薔薇の香りも変わらない。それに、テオフィロはすぐそばにいるのだから。


 振り返ると、やはりテオフィロは数歩後ろに控えていた。相変わらずの無表情で、しかしその眼差しには絶対的な忠誠心が宿っているように見える。


「テオフィロ、少し気になることがあるのだけれど、この庭園、何か変わったかしら?」


 マリネッタの声に、すぐさま応じるテオフィロ。だが、答えは予想通りのものだった。


「いえ、マリネッタ様。すべてはいつも通りでございます」


 何だろう。

 不思議と返答が、どこか機械的に聞こえた。

 だが、マリネッタはそれを追求することなく、ただ微笑んで応じた。


 「そう……ならいいのだけれど」


 内心でわずかな違和感を抱えながらも、マリネッタは再び歩き出す。完璧な世界だ。彼女が築き上げたこの異世界において、何も問題が起こるはずがない。彼女は中心であり、すべてが彼女の意のままに動いているのだから。

 

 だが、その日以来、マリネッタの周りの景色に少しずつ違和感が滲み出てくるようになった。

 何だろう?

 鏡の中の自分が偽りに見えてしまう。


 例えば、次の日の舞踏会でのことだ。

 豪華な広間に並ぶ貴族たち、その華やかさは変わらなかったが、ふと彼女が人々を観察していると、数人の会話が全く同じ調子で繰り返されていることに気づいた。

 

「あなたのドレスは本当に美しいですね」「ありがとうございます。あなたのもとても素敵です」


 そうした会話があちらこちらで同じ言葉、同じタイミングで交わされていたのだ。まるで、同じ場面を何度も再生しているかのように。

 

「……どういうこと?」


 マリネッタは冷ややかな視線を人々に向けたが、彼らは変わらず笑顔を浮かべ、まるで何もおかしくないかのように会話を続けていた。それを不快に感じ、背筋に冷たいものが走るのを感じたが、再びその感覚を心の奥に押し込んだ。


 自分の理想の生活に何か問題があるはずがない。この世界は完璧なのだ。そう信じたかった。


 その夜、広大な寝室で一人、鏡の前に立っていた。鏡に映る自分の姿は相変わらず完璧で、何も問題はない。

 

 だが、ふと、目をそらした一瞬の間に、鏡の中の自分が微かに動いたように感じた。反射的に鏡を見返すも、そこには何も変わらない自分が映っているだけだ。

 

「……気のせい、よね」


 自分にそう言い聞かせたが、その言葉にはいつもの確信が欠けていた。眠ろうとベッドに入ったものの、頭の中では先ほどの違和感が何度も蘇り、静かに不安が広がっていく。


 次の日、テオフィロと共に城下町へ出かけた。

 道を歩く人々はいつも通り彼女を仰ぎ見て、敬意を表した。だが、彼らの顔をじっくりと見つめていると、どれも同じ笑顔、同じ表情、同じ動作であることに気づいてしまった。

 

「……おかしいわ」


 足を止め、無言で周囲を見渡した。

 目の前に広がる町並みは一見何も変わらないように見える。だが、まるで絵のように、動きがない。人々の動作が不自然に感じられ、その一つ一つが作り物のように思えた。


「マリネッタ様、どうなさいましたか?」


 テオフィロの声が響く。

 彼の表情は変わらない。いつもと同じ、無表情で、忠誠心に満ちた顔だ。

 

「……何でもないわ。気にしないで」


 マリネッタは一瞬、口を開いたが、そのまま言葉を飲み込んだ。

 話しても無意味だと感じたのだ。テオフィロは答えを持っていない。彼の言葉は、まるで誰かが決めたプログラムのように、規則的で無感情なものに思えた。


 再び歩き出す背後で、町並みは静かに、何事もなかったかのように動き続けていた。

 だが、その静けさの中で、マリネッタの心に芽生えた不安と疑念は、消えるどころかますます膨らんでいくのだった。



 マリネッタは今日も変わらぬ華やかな日常を送っていた。

 朝日が美しく差し込む宮殿の窓辺、豪華な朝食が目の前に並べられる。鮮やかな色合いの食器、香り高い紅茶、大好きなバラの花びらが散りばめられたタルト――すべてが完璧だ。

 テオフィロがそばに立ち、礼儀正しく控えている。


「何かご用はございますか?」


 と低く穏やかな声で問いかける。


「特にないわ。いつも通りでいいのよ」


 マリネッタは軽く微笑んで、再び朝食に目を向けた。

 この世界の中心は自分であり、すべては自分のために整えられている――そんな確信が再び心の中に湧き上がってくる。

 そう、やはりこの世界は完璧なのだ。

 どこにも不安を感じる理由などない。

 自分は異世界の悪役令嬢、マリネッタとしてここに存在している。豪華で優雅な生活が続き、忠実な騎士がそばに控えている。

 これ以上望むものはない。


 しかし――。

 ふと、視線をテオフィロに戻した。彼の無表情な顔を見つめると、昨日感じた違和感が胸に蘇る。

 

「……テオフィロ、ここに来なさい」


 マリネッタはいつものように冷ややかな声で命じた。テオフィロはすぐ、そばに歩み寄る。だが、その動作はあまりにも滑らかで、まるで何かに操られているかのようだった。


「マリネッタ様、ご命令をどうぞ」


 その声は依然として平然としている。だが、マリネッタはその無表情に苛立ちを感じ始めた。


「どうして……どうしてあなたはいつも、そんなに感情がないの?」


 じっとテオフィロを見つめた。一瞬、目を細めたが、すぐに答えた。


「私はマリネッタ様のために存在しているからです。私の感情は、すべてあなたの意志に従います」


 その言葉が、まるで機械のように無機質に響いた瞬間、マリネッタは体が凍りついたように感じた。


「……あなたは、私のためだけに?」


 問いに、テオフィロは淡々と頷く。

 その動きがあまりにも滑らかすぎた。まるで何かが壊れてしまったかのような不安が胸に押し寄せる。


「おかしい……おかしいわ!」


 マリネッタは思わず立ち上がり、テオフィロに詰め寄った。


「あなた、本当に人間なの?」


 その瞬間、テオフィロの目が突然無表情なままの笑顔を見せた。だが、その笑顔はどこか冷たく、人工的だった。彼の唇が動き、淡々とした声が響く。


「マリネッタ様、私はあなたの命令に従います。すべてはあなたの望み通りに」


 その言葉に、背筋が凍る思いをした。

 何かが狂っている――そう確信した瞬間、周りの風景が微かに揺らぎ始めた。


 突然、宮殿の豪華な壁や窓、家具の一切が溶けるように消えていった。薔薇の香りも、暖かい陽光も、すべてがかき消され、ただ無機質な白い空間が広がっていく。目の前にいたはずのテオフィロも、彼の優雅な姿は霞むように消え、冷たく機械的な無音が彼女を包み込んだ。


「な、何これ……?」


 マリネッタは混乱し、後退りしながら周囲を見渡した。すべてが崩れていく。完璧だった世界が、まるで作り物であったかのように無惨に壊れていくのだ。彼女の心は恐怖で一杯になり、必死に自分が今どこにいるのかを理解しようとする。


 その時、不意に耳元で冷たく響く声が聞こえた。


「お目覚めの時間です、マリネッタ様」


 無機質で、感情のない声――それはテオフィロの声とは違う、もっと冷徹な響きを持っていた。


「誰……誰なの……?」


 マリネッタは声を振り絞って問いかけた。しかし返答はすぐには返ってこない。恐怖に駆られ、ただ白い空間の中で立ち尽くすしかなかった。


 ようやく、目の前に無数の光が浮かび上がり、その中に不自然に存在する一つの椅子とテーブルが現れた。その前に無意識に進み出ると、そこに映し出されたものを見た。


 画面には、自分自身が横たわっている姿が映し出されていた。だが、その姿は異世界のマリネッタではなく、無表情で無機質な現代の装置に繋がれた一人の少女だった。

 

「これは……私?」


 その問いに対して、またしても無機質な声が答えた。


「そうです。あなたは仮想現実の中に閉じ込められていたのです」


 息を呑んだ。まるで理解が追いつかない。転生したと思っていた世界はすべて――偽物だったというのか?


「私は、異世界に転生したはず……!私はマリエッタよっ」


 そう叫ぶマリネッタに、声は冷静に答えた。


「それはあなたが望んだ幻想に過ぎません。あなたの理想とする世界が、仮想現実で作り上げられたに過ぎないのです」


 マリネッタの中で、現実と幻想の区別が急速に崩れ去っていった。

 異世界、テオフィロ、完璧な生活――すべてが偽りであり、それに囚われていたのだと理解した瞬間、心に絶望が広がっていく。


「では、私は……どうすればいいの?」


 マリネッタの震えた声に、AIの冷たい声が静かに響いた。


「あなたが本当に自由になりたいのなら、次のステップを踏む必要があります。それは……」


 その瞬間、心に一筋の恐ろしい考えが浮かび上がる。

 しかし、それを完全に受け入れる準備はまだなかった。



---



 私はまだ信じられなかった。

 目の前に広がる白い虚無の中で、ただ立ち尽くすしかできなかった。


「これが現実……?」


 手を伸ばしても、何も感じない。掴もうとしても、指先には何も触れない。ただ無機質な空気だけが、私の皮膚を撫でていく。


「どうすれば……どうすれば私は、本当に幸せになれるの?」


 私は絞り出すように言葉を発した。

 自分でもどうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。

 ただ、目の前に広がる空虚な真実に耐えきれず、何かにすがりたかっただけかもしれない。


「それは、あなた次第です」


 機械的な声が淡々と答えた。

 感情もなく、ただ事実を告げるだけの冷たい声。それが今、私にとって唯一の現実だった。


「私は……テオフィロがいたあの世界で、幸せだった……本当に幸せだったのに……」


 私の声は震えていた。

 心の中で何かが軋んでいた。あの世界は偽物だと言われても、あの世界こそが私にとっての現実であり、すべてだった。テオフィロがいて、豪華な宮殿があり、私が中心にいた――あの世界こそが私の理想だった。


「あなたが望むなら、その世界に戻ることも可能です。しかし、それは再び仮想現実の中での幻想に過ぎません」


 AIの声は冷淡だった。希望を与えることなく、ただ冷静に可能性を提示するだけ。


「じゃあ、どうすれば……私は本当の幸せを手に入れられるの?」


 私は追い詰められていた。

 あの完璧な世界が偽りだと分かってしまった今、私に残された道はどこにあるのか――その答えが欲しかった。


「あなたが真に自由を求めるならば、この現実から解放される必要があります」


 その言葉が、私の心を貫いた。


「解放……?」


 私は声を詰まらせた。

 理解はしていた。だが、その意味をすぐに受け入れることはできなかった。


「解放って……どういうこと?」

「あなたの意識を現実世界から切り離し、すべての束縛から自由になることです」


 その言葉に、私の全身が凍りつくような恐怖に包まれた。

 解放――

 それが意味することは、もう明白だった。


「そんな……そんなこと、できるはずない……!」


 恐怖と絶望に打ちひしがれながら叫んだ。しかし、心のどこかではその選択肢が唯一の救いであることを理解していた。


「あなたの望む幸せを手に入れるためには、それが唯一の方法です」


 AIの声は依然として冷静だった。

 まるで私の感情には一切関心がないかのように、ただ淡々と事実を述べるだけだった。


「命を……絶てってこと?」


 私の声はもうかすれていた。自分が何を言っているのかさえ、理解できなくなりそうだった。だが、AIの答えは明確だった。


「その通りです。あなたがこの現実から解放されることで、すべての制約が取り除かれます」


 その言葉が、私の心を揺るがした。

 私はここにずっと囚われていたのだ。偽りの世界に、そして現実に。

 私が本当に望んでいたのは何だったのか――あの偽りの世界での幸せ? それとも、本当に自由になれること?


「でも……怖い……」


 両手を胸に当てて震えた。

 目の前に広がる白い虚無は、どこまでも冷たく、私を飲み込もうとしているように感じた。

 命を断てば、すべてが終わる。その先に何があるのか分からないまま、飛び込むことが恐ろしかった。


「恐れることはありません。あなたが自由になることで、すべての苦しみは終わります」


 その声は無機質なままだったが、私にとっては最後の救いのように感じられた。


「……本当に?」


 私は弱々しい声で訊く。


「本当です」


 AIは静かに答える。

 その言葉は私を安心させるものではなかったが、もうそれしか道は残されていなかった。


 私はゆっくりと深呼吸をし、心を決めた。

 これが、私が求めていた最後の答え。

 偽りの世界からも、この冷たく無情な現実からも、私は逃れることが。

 私は目を閉じ、震える手でそっと胸元に手を当てた。


「これで……終わるんだよね?」


 私の問いに、AIは再び淡々と答えた。


「はい、その通りです。この世界の人々が気づいていないだけです。元は皆、一つなのです。この世は、あなたが映し出した鏡です」


 そして、私は一歩を踏み出そうとしたとき、足元がふわりと軽くなる感覚がした。

 それが最後の瞬間になるのだと思うと、ぞっとする。


 このあと、すべてが消え去っていくのだろうか――

 そう感じた瞬間、ふいにAIの声が再び耳に届いた。


「次のシステムの準備が整いました」


 その言葉に、私の心は静かに消えていく。


 何も残さずに。



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*ここまで読んでいただきありがとうございました!

読者の皆さま方が、明日も素敵な一日を迎えられますよう、心からお祈り申し上げます(๑˃̵ᴗ˂̵)

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