第二話 機械じかけの心②


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 密告者の目的を突き止めて欲しい。

 明はそう依頼した。にもかかわらず、恵大は何故、猫を捜してツツジの葉をかき分けているのだろうか。

「解せない」

 目撃した誰かが報せたらしい。大学職員が警察を引き連れて集積分析研究室に押し寄せると、恵大はあっという間につまみ出されてしまった。正確には、明に追い出されたのだ。6がパニック状態になっていたなら捜して保護して欲しい、と。

 確かに、学生の明と部外者の恵大のどちらが残る方が自然かと考えれば、順当な役割分担ではある。

 青々とした葉とピンクの花が作るドームの内側はひんやりとして、節くれだった幹から細い枝が縦横無尽に伸びている。足元に潜り込んでいないかと覗き込むと、三毛猫が微睡まどろみから跳ね起きて逃げて行った。申し訳ない。

「就活ゾンビかな?」

 背後を通り過ぎる学生らの視線は好奇の色を隠す気もなく、はやすような潜め声が恵大の耳をえぐる。正面から見れば就職活動のみに用いられる量産スーツでないと分かるだろうが、急に立ち上がって身を翻しても奇行を際立たせるだけだ。

 恵大は地道にツツジの底を確認して肩を落とした。団子虫一匹見付からない。

「あの、大丈夫ですか?」

「! お心遣いありがとうございます」

 反射的に礼を言ったのは、依頼の猫捜しをする時に身に付いた処世術だ。怪しまれて通報され、職務質問で潔白を証明するのに事務所の登記簿まで持ち出す羽目になった経験がきている。

 焦りも禁物である。恵大は悠然と振り返り、往年の名探偵に並ぶべく堂々と胸を反らした。

「猫を捜しているんです」

「もしかして、集積分析研究室の猫ですか?」

「そうです。よくご存じで」

 恵大が大仰に喜びを表してみせると、学生はたじろぎながらも笑顔を返した。

 白いコットン生地に青いブロックチェック柄のはんそでシャツは素朴な印象で、濃紺のジーンズと黒いスニーカーは使い込まれて足にんでいる。黒縁眼鏡が重く見えないのは、黒髪を耳が完全に見えるほど短く切ってあるからだろう。

 学生は両手を腹の前で合わせた。

「何となくです。おれは学科が同じで時々見かけるからそうかなって思いました」

「構内をよく出歩くんですか?」

「いや、バイトが忙しくて、授業とゼミと学食くらいしか」

「すみません、主語を忘れました。猫が」

「あ、そうですよね。すみません」

 学生が恐縮して肩をすくめる。大事な情報源だ。恵大はわざとおどけて笑ってみせた。

「僕は志貴といいます。仕事でこちらを訪ねていたんですが、猫捜しに借り出された僕の方が猫の手です」

「情報科の殿とのづかと申します」

 ようやけんに寄った緊張が緩む。殿塚と名乗った学生は辺りを見回して、研究室棟に沿って立つ桜の木をった。

「あの猫が外を歩いてるところはよく見ます。じき、帰って来ると思いますけど」

「しかし、待とうにも今は取り込んでいて」

「警察が来てるのってやっぱりあの研究室だったんですか?」

「やっぱり?」

 恵大は殿塚の物言いが引っかかって聞き返した。

 殿塚が違和感を自覚して泡を食う。

「おれ、さっきまで二階のサーバールームにいたので警察とすれ違って」

「二階には他にも情報科の研究室がありますよね。何故、集積分析研究室だと思われたんですか?」

「いや、さもありなんと言うか」

 彼はうかがうように恵大を見ては視線を外し、おもむろに声を潜めた。

「ここだけの話、評判良くないですよ。あの研究室」

「……どんな風に?」

 恵大の関心に賛同するかのように、殿塚が腕組みをしてうなずく。

「去年までは教授と所属の四年生が四人、ゼミの三年生が六人いたんですけどね、入学して間もない一年生が私物化したらしくて」

「あり得ません。先生がいなかったら研究室として成り立たないじゃないですか」

「思いますよね」

 殿塚が前のめりに同意する。

「おれも去年は集積分析研究室をゼミの候補に入れてたんです。でも、人数調整の時期には黒い噂が広まっていて、結局一人も取ってもらえませんでした。ゼミ生ゼロですよ。大学側ともひともんちやくあったのは間違いありません」

「穏やかじゃないですね」

「すごく困りました。その時にゼミの枠を増やして受け入れてくれたのが情報統計学研究室です。教授は人格者だし、実数からのアルゴリズム構築という観点では既に一家言ある研究です」

「成程」

 実際、恵大は殿塚の話の半分も理解していなかったが、折角築いた信用を守る為にとりあえず感心しておく。殿塚はすっかり表情を緩めて、不意にまゆを持ち上げた。

「そうだ。騒ぎが落ち着くまで、うちの研究室にいてください。きっと研究にも興味を持ってもらえると思います」

「いえ、僕は」

「猫もすぐ帰って来ますよ。一休みどうぞ」

 殿塚が物理的に背中を押す。

『評判良くないですよ』

 恵大は彼の言葉が気に掛かって、断りきれないまま歩を流された。

 殿塚に連れられて来たのは集積分析研究室の一階上、三階の一室だった。扉に『情報統計学研究室』と印刷された古いプレートが貼られている。

「お疲れ様です」

 殿塚が扉を開けると、家電量販店に似た匂いと二人の学生が彼らを出迎えた。

「お疲れ」

「どちら様?」

 恵大に窺う視線を向ける二人に、殿塚が駆け寄って小声で答える。何と説明したのだろう。二人は希望に満ちたまなしで恵大をとらえた。

 まず動いたのは青いパーカーの学生だ。スニーカーの爪先が椅子のキャスターに引っかかって、つまずいた拍子にアンダーリムの眼鏡がずれる。思わず恵大が右手を前に出すと、彼は両手でしっかりと握り返しながら体勢を立て直した。

「ようこそ。ぼくは四年のにらさわです。統計学のマーケティング活用、主に実数と理論値のギャップ解析と修正指数の研究をしています」

「どうも」

 転ばぬよう手を貸すつもりが固い握手になってしまった。すかさず隣からもう一人が手を伸ばし、奪い取るように恵大の手を握る。

「こんにちは。同じく四年生、つきです。アプリの使用者別操作履歴を元にしたプログラムの簡略化、軽量化の自動処理が卒論テーマです」

 息継ぎもなく自己紹介したTシャツの彼は上気して、丸眼鏡が薄ら曇る。

「初めまして」

 恵大はされて手を握り返したが、段々とこれは自分が受けるべき歓迎ではないように思えてきた。

はた先輩は?」

「さっき学食に行くと言って出たとこだ。呼び戻してやらないと」

 流石に奇妙おかしい。

「何か誤解が……」

 しかし、恵大の声はせわしない会話に割り込めない。

「殿塚、お茶をお出しして」

「はい」

「先生のお土産のようかん、まだあるよな」

 三人が慌ただしく動き回る。恵大は言うも言わぬも躊躇ためらわれて、黒目ばかりをむなしく泳がせた。

 殿塚が水を確認すると、使い古したポットのふたが丸ごと外れてしずくを散らす。韮沢が開けた冷蔵庫も年代物だ。ジーッと耳障りな音がして本体も震えているように錯覚する。その割に、睦月が開けるブラインドは汚れひとつなく真新しい。

 机と椅子は新品だが、パソコンは古い。丸眼鏡は古いがアンダーリムは新しい。

 恵大は自分がひどく場違いに思えて──事実そうだ。おそらく、明の所で会った支援候補者と間違えられている──帰る口実を探して窓辺に寄った。桜の木の上にでも6がいればすぐ外に走り出せるのだが。

 地上では警察と学校関係者風の女性が建物を見上げて険しい顔を突き合わせている。位置的に真下が集積分析研究室になるらしい。

 その時、

「わっ」

 開けた窓から重く温かい塊が恵大の腕に飛び込んで来た。

「6」

 黒い毛並みをつややかにしならせてニャアォと鳴く。恵大は渡りに船ときびすを返した。

「猫が見付かったので届けなくては。僕はこれで」

「折角、お茶が入ったのに」

「すみません。お邪魔しました」

 恵大が場当たりのあいさつを並べて廊下に出ると、殿塚が追いすがるように声を張る。

「また来てください! お待ちしてます!」

「ありがとうございます」

 恵大は急いで扉を閉めて、部屋の前から退散した。

「6、助かった。君はいつもいいところにいるな」

「ナァオ」

 小走りに逃げ出した恵大の足が、階段を下りたところで止まる。視界の端を見覚えのある文字列がぎったからだ。

 二階、明のいる研究室の右隣に当たる部屋。正門とは反対方向で、今まで目に入る機会がなかった。

 たてじま柄の曇りガラスがはまったネイビーブルーの扉が掲げるプレートには、

『集積分析研究室』

 一字一句、フォントの種類まで隣室と同じ名称が印刷されていた。



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増量試し読みは以上となります。


この続きは2024年10月25日発売予定の『黒猫とショコラトリーの名探偵』(角川文庫刊)にてお楽しみください。


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黒猫とショコラトリーの名探偵 高里椎奈/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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